悲劇と喜劇は紙一重1
力尽きるように泣き止んだ僕を抱え込むようにして、由貴さんは自分の車に乗せてくれた。
そして連れて行かれた先は、学園のすぐ近くにある久遠家だった。
「え、由貴様、と……颯斗様!?どうされたんですか!」
「はは、ちょっとね。颯斗くんにタオルと服を出してあげてくれるかい?」
びしょ濡れで現れた僕たちに、玄関で出迎えた使用人達が慌ててタオルを持ってくる。
向けられる非難するような眼差しを、由貴さんは苦笑いで誤魔化して、泣き腫らした僕の顔が見えないように隠した。
「もういっそご入浴されますか?」
呆れたように訊ねられ、由貴さんは一瞬考えるように首を傾げる。
しかし僕をチラリと見下ろしてから、首を振って断った。
「いや、後でいいよ。ちょっと一息つきたいから、僕の部屋に温かい飲み物をお願いしたいな」
「かしこまりました」
由貴さんの後について、僕はてくてくと久遠家の長い廊下に水の足跡を作りながら歩いた。
貸してもらった服に着替え、由貴さんの部屋のソファに腰掛けた僕は、やっと顔を上げた。
目の前には、遊園地の前と同じ飄々とした顔の由貴さんがいる。
「……どうして、あそこに由貴さんが来たの?」
温かいホットミルクを飲ませてもらい人心地ついた僕は、改めて由貴さんに尋ねた。
ほんの数十分前のことだけれども、いまだに現実味がない。
あまりにもありえない、驚くべき出来事だったのだ。
けれど僕の緊張感とは裏腹に、由貴さんは大した話でもなさそうな顔で「ああ、それはですね」と口を開いた。
「君のお父上から連絡があったのですよ。颯斗が帰ってこないのだけれど、そちらに行っていないか、と」
「え?」
その言葉に、僕はハッと気付いて慌てた。
「や、ばい!父様達に連絡してない!」
さぞ気を揉んでいるだろう心配性で過保護な両親のことを思い出し、僕は血の気がひいた。
けれど慌てる僕に、由貴さんはあっさりと言う。
「あぁ、私が先ほど連絡しておきました。また後で本人からも連絡してもらいますと言っておきましたから、落ち着いたら電話してあげて下さい。随分と心配していましたから」
「え……あ、ありがとう」
いつの間に、と思いながらも、僕はさっきまで泣いているかボーっとしているかで、周りが見えていなかったから、その間に連絡してくれたのかもしれない。
それならば、ひとまずは良いだろう。
そう判断して、僕は由貴さんに話の続きを促す。
「で、まぁ、君のGPSは学園から動いていないということで、ちょうど家にいた私が学園に駆けつけたという訳です」
「そ、うなんだ。ありがとう」
随分と中間を省略された説明に、僕は少しばかり困惑しながら礼を言った。
簡単に話しているけれど、不可解なことが多すぎる。
「なんで、父様が由貴さんのところに連絡を?」
「さぁ?以前のように、唐突に我が家に来ているとでも思ったのか、……万が一に備えて、我が家に協力を仰ぎたかったのか」
「万が一?」
物騒な言葉に僕が首を傾げると、由貴さんは淡々と説明してくれた。
「ええ、君が犯罪に巻き込まれた場合、ですよ。その場合に、警察と強いパイプを持つ久遠家というカードはなかなか強いものですからね」
由貴さんは淡々と話して、肩を竦める。
久遠家を利用しようとしたとも取れる父の行動を、どうやら不快には思っていないようで、僕はひとまずホッとした。
「まぁ、今回はそこまで大掛かりなものではありませんでした、が……何はともあれ、うちが近くて本当に良かった。そうでなければ、間に合わなかったかもしれない」
低い声で呟く声に、先程の光景と恐怖が蘇り、ビクリと体が震える。
僕はあやうく、本当に、レイプされるところだったのだ。
「ほ、んとうに、ありがとう、由貴さん」
震える声で何度目かのお礼を告げて、僕は目の前の人を見つめる。
落ち着いてから振り返れば、倉庫に現れた由貴は髪から服までびしょ濡れだった。
きっと、傘もささずに、学園の中を走り回って探してくれたのだろう。
かすかに上がっていた呼吸は、駆け回った後だったのからか。
「どうして、あそこが分かったの?」
正直、当てずっぽうに駆け回って見つかるほど、あの倉庫は分かりやすい場所にはなかった。
あの野蛮な男が言っていた通り、人気のない校舎の端に打ち捨てられた、鍵すらも壊れた建物だったのだから。
けれど、由貴さんはあっさりと告げた。
「においです」
「え?」
あまりにも意外な答えに、僕は固まった。
「に、おい?」
「君、怒りに任せてフェロモンを爆発させたでしょう?だからなのか、普段よりも匂いがかなり強かったんですよ。それこそ、風上で香水瓶をひっくり返したみたいに」
思春期の少年に向かって、匂い匂いとデリケートな単語を連呼して、由貴さんは「と言うわけで」と強引にまとめた。
「雨の匂いの中に薫る、君のフェロモンの残り香を辿って見つけました」
「えぇえ!?嘘でしょ!?」
そんな、犬みたいなことが人間に出来るの?
しれっと言った由貴さんを、半信半疑でまじまじと見つめる。
すると由貴さんは、僕の視線に居心地の悪そうな顔で目を背けた。
「そんな妙な目で見ないで下さい。なんだか、君の匂いだけはやけに香るんですよ。……いや、逆か」
ふと、何かに気づいたように由貴さんは言葉を止めた。
綺麗な顔がゆっくりと前を向き、透き通る瞳が僕を見る。
「君の匂いしか、感じないんですよ、私」
「……っ」
息を飲む僕に、由貴さんは観念したような顔で苦笑した。
「これが君の言う、『運命』とやらなのですかねぇ」