幸せの遊園地
「ねぇ、由貴さん!早く早く!」
三月最後の土曜日。
僕は由貴さんの車で、郊外の遊園地にやってきた。
車を降りるなり駆け出した僕を見て、由貴さんは「まったく子供は元気ですね」と呆れたように呟いた。
「走らなくても遊園地は逃げませんよ、まったく」
ため息混じりに僕の後をついてくる由貴さんに、僕は満面の笑みで答えた。
「でも時間は逃げちゃうよ!由貴さんとのデート、目一杯楽しまなきゃ!」
***
三月、合格発表の日。
僕は一人で由貴さんの母校である青蘭学園にいた。
ほとんどの子は親と一緒で、中には一族郎党引き連れてギロチンに向かう死刑囚のような顔をしている子もいた。
僕は比較的冷静な顔をしていたと思う。
正直、試験は過去問と大差ない難易度で、合格は疑っていなかった。
けれど首席を取れたかどうかは自信がなかった。
満点を取る以外、運任せなところがあるからだ。
ざわり。
周囲の騒めきが大きくなり、校内から厳格そうな顔立ちの教員が数名現れた。
受験番号のボードが一つずつ設置されていくのを、集まった者達は固唾を飲んで見守る。
そして番号の早い者達のいるエリアから、少しずつ喜びに満ちた歓声や悲痛な落胆の叫び、そして時折怨嗟の声が混じって聞こえてきた。
「……あ」
番号があった。
そして、番号の横には青蘭学園の校章である、蘭の花が描かれている。
首席合格者の証だ。
「よっし……!」
小さくガッツポーズをして、僕は掲示板へくるりと背を向けた。
まずは駐車場で待っている母に報告だ。
そしてその足で久遠家に向かおう。
訪問の許可は取ってあるから、失礼ではないはずだ。
興奮した頭でそう考えながら、僕は足早に駐車場へ向かった。
しかし、校門を出たところで、足を止めた。
「……え?」
「おや、その顔だと、合格したようですね」
校門の横には、ここにいるはずもない人が立っていた。
「由貴、さん?」
「はい」
「なんでここに?」
半信半疑のまま見つめると、由貴さんは肩を竦めて笑った。
「今日、来ると言っていたでしょう?でも私に仕事が入ってしまいましてね。無駄足を踏ませるのも可哀想だったので、聞きにきたんです」
気負いのない足取りで近づいてくる由貴さんは、いつもより少しだけ子供のような、楽しげな顔をしていた。
まるで、クリスマスの朝にわくわくしながら目を開けて、枕元のプレゼントを見る時のような。
僕の初めて見る顔だった。
「勝負は、君の勝ちですか?」
すぐ目の前で立ち止まった由貴さんが、首を傾げて問いかける。
まっすぐ見つめてくる悪戯っぽい目に、僕は我に返り、思い切りよく頷いた。
「っ、うん!もちろん!」
ガバリ、と勢い良くしなやかな体に抱きついて、「だからデートだよ!」と自信満々に告げると、由貴さんはクスクスと笑った。
「それはそれは……よく、頑張りましたね」
ぽん、と頭に置かれた手は温かくて、ゆっくりと撫でられる掌が心地良くて。
僕は、最高の気分だった。
***
「あ、ジェットコースター乗ろうよ!」
「え?でも颯斗くん、身長制限は……大丈夫ですね」
首を傾げた由貴さんは「いつの間にか大きくなりましたね」と感慨深げに呟いた。
初めて会った頃は、由貴さんのお腹までしかなかった僕の背は、もう由貴さんの胸まで届いている。
由貴さんは日本人にしてはとても高身長だから、一般的に見たら僕はよく成長している方だ。
小学校の卒業式では、たいていの女の先生よりも背が高かったのだから。
「そうそう!いつまで経っても子供じゃないんだから」
揶揄うように言って、僕はジェットコースターに並ぶ人々の列に、由貴さんを押し込んだ。
あまり乗り気ではなさそうだけれども、乗れない訳ではないのだろう。
文句を言うこともなく、大人しく列に並んでくれたから、僕はそう判断した。
結局その判断は、間違っていたのだけれど。
「うぅ……なぜ人類はこんなものを開発したんでしょうね……わざわざ命を危険に晒すなど、平和への冒涜でしょう……」
「なにを小難しいこと言ってるの、由貴さん。っていうか、苦手なら苦手って教えてよ!そしたら無理に乗せなかったのに!」
まったく悲鳴を上げることもなく隣に座っていたから平気なのかと思っていたら、恐怖のあまり固まっていただけらしい。
「いや、今日は君のお願いを聞く日ですから」
律儀なと言うか、融通の効かないことを言う由貴さんに、僕はため息をついた。
「とりあえず座ってて。冷たいジュース買ってくる」
「……すみませんが、動けませんので任せます……」
ぐったりとベンチに腰掛けている由貴さんは、情けない顔で僕に財布を渡す。
せめて支払いだけはさせまいという年上の意地なのだろう、と思い、僕はありがたく財布を拝借した。
「じゃあ、ちょっと待っててね」
青い顔をした由貴さんを残し、僕は近くの売店に駆け出した。
「はい、ジュース」
「ありがとう……あれ、颯斗くん、炭酸飲めましたっけ」
僕の飲むジュースが炭酸飲料であることに気がついた由貴さんが目を丸くする。
「うん。最近美味しさにハマっちゃった」
「へぇ。舌で戦争が起きた!って喚いていた子が……」
ごくごくと喉を鳴らしてシュワシュワとする液体を嚥下する僕に、由貴さんは「随分立派になったものです」と、妙に満足げに頷いた。
その保護者のような顔が気に入らなくて、僕はストローから口を離して眉間に皺を寄せた。
「あのさぁ、由貴さん、僕のこと何歳だと思っているの?」
不満をあらわに苦情を言う僕に、由貴さんは首を傾げた。
「何歳って、十二歳でしょう」
「もう中学校に入るのに、子供扱いはひどくない?」
「ははは、何を大人ぶったことを。……君はいつまでも、私より十歳下の坊やですよ」
完全に子供扱いする由貴さんにカチンと頭にきて、僕は「子供じゃないよ!」と叫んだ。
「だって、もう発情期も来たし!もう子供も産めるもん!」
「えっ!?」
けれど、売り言葉に買い言葉のように言い放った言葉は、思った以上に由貴さんを動揺させた。
「そ、れで、どうしたんですか?」
「え?」
少しだけ苛立ちの滲む真顔で、由貴さんが訊ねる。
「誰かと、シたんでしょう?誰と?小学校のオトモダチですか?」
「えええっ、し、してないよ!」
とんでもない勘違いに、僕は慌てて首を振る。
僕はきちんと薬を飲んで、学校を欠席して家で寝ていた。
まるでインフルエンザの時のように体が熱くて言うことを聞かず、悪夢に魘されたけれど、それだけだ。
「嘘をおっしゃい。ヒートのオメガの欲情は生存本能と同じくらい激烈と聞きます。たとえ普段は触れたくもない憎い相手であっても、ヒートの最中は手を伸ばされれば愛撫を受け入れてしまうほどに」
いっそ憎々しげに言う由貴さんは、まるで軽蔑したような目で僕を見ていた。
その目が悲しくて、そしてそれ以上に腹立たしくて、僕は目の前の綺麗な頬を思い切り平手打ちした。
「小学生に何言ってるのさ!由貴さんのえっち!」
真っ赤な顔で叫んで、僕は由貴さんの前で腰に手を当てて仁王立ちした。
そしてぽかんとした顔で僕を見上げる由貴さんを怒鳴りつける。
「もうっ!いい加減にしてよ!オメガはヒートになったら人間じゃなくなるとでも思ってるの?」
「あ……」
僕の激昂に我に返った由貴さんが、青い顔をして「すまない」と呟いた。
「そんなつもりは……でも、確かにそう言っているようなもの、でしたね。すみません」
どこか呆然としているように言い訳をする由貴さんを見下ろして、僕は「ふんっ」と鼻を鳴らした。
「本当に腹立つ!そういうの、差別だからね!」
怒りに任せて言い放ちながらも、僕はすとん、と納得した。
そうか、由貴さんは僕をーー僕と言う『オメガ』を、そういう目で見ていたのか。
淫猥で、アルファに抱かれたがる、穢らわしい性だ、と。
ヒートなどとは縁遠い幼いオメガの僕には優しかったのは、僕が『綺麗』な子供だったからか。
では、ヒートを起こすようになった『穢れた』僕はどうなのだろう。
もう、これまでのように、相手をしてはくれないのだろうか。
「くく、そっかぁ」
反省しているらしい由貴さんが、お詫びのアイスクリームを買いに行く後ろ姿を見ながら、僕は冷え切った頭で考えた。
それならもう、遠慮は要らないのではないだろうか。
どうせ、そういう目で見られているのだから。