賑やかな再会
毎日小学校から帰ると、便箋を取り出して手紙を書く。
それが僕の日課となった。
美しい彼を褒め称え、愛を捧げるための語彙を得るために、僕は連日図書館で本を読み漁った。
面白がった母がどこかの伝手を辿って、本人へ手紙を郵送しても良いという許可を手に入れてくれたので、僕は毎朝ラブレターを投函していた。
毎日彼への愛に浸り切ることができて、僕はとても幸せだった。
もっとも、一度も返事は来なかったけれど。
三ヶ月ほどして、僕の熱意に根負けした父が、久遠家のパーティーに連れて行ってくれることになった。
見覚えのある大きなお屋敷に再び足を踏み入れ、僕は興奮が抑えられなかった。
「頼むから、妙な言動はよしてくれよ?」
「あははっ、父様ったら心配性だなぁ!」
不安げな父の言葉を笑い飛ばして、僕は満面の笑みを浮かべて見せた。
妙なことなどする訳がない。
彼を手に入れるために、僕には味方が必要なのだ。
今日は頑張るぞ。
エイエイオー!
僕は心の中で叫び、握り拳を空高く突き上げた。
「ほほぉ、こちらが、うちの三男に猛烈なアプローチを仕掛けているという、噂の坊やですか」
「はぁ、どうもご迷惑をおかけして」
お屋敷に着いて最初に挨拶へ向かった先にいたのは、この家の主人である、久遠家現当主だ。
父よりだいぶ年上の、けれど父よりずっと体格が良いアルファだった。
彼の父親だけあっても、この人もとてもカッコイイ。
最近勉強した『大人のミリョク』というやつが溢れていると思われた。
だって周りのオメガの男女が、みんな見惚れているのだから。
さて、このカッコイイおじさまが、僕の運命の人の父親、つまりは未来の義父である。
ご家族への第一印象はとても大事だ。
婚活攻略本に書いてあったフレーズを思い出し、僕は弾けるような笑顔でご挨拶をした。
「笈川颯斗、七歳です!初めまして、未来のお義父様!」
「はっ、はやとッ!」
ひぃっ、と引き攣った呼吸をした父の目の前で、久遠家の当主は目を丸くしていた。
「お、とうさま?」
「はいっ、ぜひそう呼ばせて頂きたいと思います!」
「ほ、ぉ、おとうさま、か。息子たちは父上と読んでいたから、少々新鮮だな……?」
落ち着こうとするように右手で顎を撫で、戸惑いながら呟く『お義父様』は、どことなく面映そうな、嬉しそうな、締まりのない顔をしていた。
それは、僕の頭を撫でてくれるおじさん達と、同じ顔だった。
「お義父様ってお呼びしたらダメですか?結婚するまではおじ様?」
「い、いや、ダメというか」
「良いの!?ありがとう!」
「え?いや、あれ?……というか、結婚するまでは?」
僕の発言を気にしながらも、しょぼん、と落とされた僕の小さな肩に慌てているオジサマは、子供好きでありながら、子供慣れはしていないようだった。
イケる。
確信した僕は、つぶらな瞳に百パーセントの親愛を込めて、のびのびと無邪気な愛を放り投げた。
「ありがとうございます!うふふっ、嬉しい!僕もお義父さまみたいにかっこよくなりたいなぁ!」
「う、そ、そうか!颯斗くんは私みたいになりたいか!」
「うんっ、牛乳嫌いだけど、がんばって飲んで大きくなります!」
「はっはっは、好き嫌いしないのは良いことだぞ!」
屈み込んで、わしゃわしゃと僕の頭を撫で回してくれるお義父様の目は、僕を猫可愛がりする祖父と同じくらい細くなっていた。
「がんばって息子さんのハートをゲットするので、ご協力よろしくお願いしますっ」
「はっはっは、頑張りなさい」
後に。
僕が突然「お義父様」発言をした時のことを振り返って、父は遠い目で述懐した。
久遠グループを急成長させた傑物と名高いあの方のあんな間抜けな顔を見たのは初めてだった、と。
それを聞き、僕の勇姿を見損ねた母は、さぞ見ものだったでしょうねぇ、とまた悔しがるのだが。
それはともかくとして。
状況の変化についていけず魂が抜けたようになっている父と、にこにこと子供の魅力を全開にして外堀を埋めにかかっている僕と、まんまと穢れない幼子の瞳に陥落しようとしているお義父様。
その混沌とした状況を、周囲の人々は明らかに一歩引いて見ていた。
そこへ、朗らかな笑い声が降ってきた。
「ふふふ、颯斗くんは、良い子ですね、雅哉さん」
「あぁ、祐正。そうだな、小さい子というのは可愛らしいものだ」
「ふふ、……僕たちも、頑張ってみます?」
「っ、祐正、子供の前でおかしなことを言うのはよしなさい」
するり、とお義父様ーー久遠雅哉さんの腕に手を絡めたのは、華奢で可愛らしい男性だった。
わずかに頬を赤らめて慌てる雅哉さんの姿を愛おしげに見つめてから、祐正さんは膝をまげて僕と視線を合わせた。
「初めまして、颯斗くん。僕は久遠祐正。雅哉さんの奥さんだよ。よろしくね」
僕の愛する運命の番とは、全く似ていないどころか、おそらく年齢も大して変わらないだろう。
この人が、母が言っていた『後妻さん』なのだろうと、僕は納得した。
「はい!よろしくお願いしますっ」
子供らしく溌剌と挨拶をすれば、祐正さんは面白そうに僕を見つめた。
そして僕の父を見上げておっとりと口を開いた。
「颯斗くんは、底抜けに明るくて、驚くほど賢いのですね。先が楽しみなご子息でいらっしゃいますね」
「ハハハ、口ばかり達者で、困っております」
額の汗をハンカチで押さえながら精一杯社交的に苦笑している父に、一瞬吹き出しそうな悪戯っぽい顔をしてから、祐正さんはもう一度僕と視線を合わせた。
「まだこんなに小さいのに、とってもお利口で大胆で思い切りがあって……君なら、久遠家のアルファたちにかけられた『運命』の呪いを解いてくれるかもね」
「え?」
頭を撫でるふりで、そっと耳元で囁かれた言葉に、僕は瞬きをする。
「あの子のこと、よろしく頼むね」
ちゅ、っと可愛らしい音を立てて額に与えられた口づけに、僕は唖然としたまま祐正さんを見上げた。
「あの……」
それは、どう言う意味ですか?
そう尋ねようとした僕の耳に、全てを忘れてしまうほど魅力的な声が飛び込んできた。
「あれ?父上と義母上、どうかされ……っ、あの時の!」
バッと振り返った先に居たのは、恋い焦がれて止まない愛しの君だ。
「なんで君がここに居」
「逢いたかったぁああっ」
「わぁっ」
柳眉を逆立てて怒りを表そうとした彼のお腹に僕は突進した。
ムギュ、と抱きつき、すーはーと大きく深呼吸をする。
「お会いしたかったですっ、僕の愛しの君っ」
「「「愛しの君……」」」
僕の呼びかけに、背後で父と未来の義父母が困惑したように同じ言葉を口にした。
かっと顔を赤らめた彼は、僕を睨みつけて叱り付けた。
「その奇妙な呼び方をやめなさい!」
「え?お嫌ですか?いろいろと調べて、これが一番丁寧でおしゃれかなって思ったんですけれど」
図書館で今の僕に読める、古今東西のあらゆる恋愛関係の本を読んだ結果だ。
具体的に言えば、年齢制限のないものを全て、だ。
「えっと、じゃあ、我が背の君、とか?」
「どんな資料を読んだんだ君は!おとなしく児童書でも読んでいなさい!」
「ひ、ひどい……はやくあなたに追いつきたくて頑張ったのに……」
「頼んでいません!あとさっさと離れなさい」
「うぅ……」
ばりばりと僕の両腕を剥がして、彼は不愉快そうに僕を見下ろした。
ガーン、と口で言いながら胸に両手を当ててショックを体現すれば、後ろから未来の義父が「七歳児相手におとなげないぞ」と加勢してくれる。
「……ちょっと、父上。いつの間にこの子供の味方になったのですか」
「子供子供と呼ぶな、笈川様のご子息の颯斗くんだ。変な呼び方をされたくないのなら、お前もちゃんと名前を呼びなさい」
「くっ」
変な呼び方であるということは否定してくれないのか、と少しばかり悲しく思いながらも、僕はワクワクと目の前の彼を見上げた。
愛する人が初めて僕の名を呼ぶのだ。
期待しない方がおかしいだろう。
「……颯斗くん。僕は子供と結婚する気はない。さっさと諦めて同じ小学生の恋人を見つけなさい」
「嫌ですっ、あと数年経てば十分釣り合うようになります!僕の王子様!」
「だから!その謎の呼びかけをやめなさい!」
聞き分けのない僕に憤って怒鳴りつける彼に、僕はわざとらしいほど幼く、きょとんとした顔で首を傾げた。
「だって、あなたが名乗ってくれないんだもの」
「え?」
よほど思いもよらない言葉だったのだろう。
声に込められていた怒気は消え、かわりに困惑が載せられている。
「前お会いした時、僕はちゃんと名乗ったのに。あなたは名乗り返してくれなかった。だから僕、あなたの名前知らないよ?」
腕組みをして不満を表しながら咎めれば、彼は口籠った後でモゴモゴと呟いた。
「……君、手紙に書いていただろう。もう知っているはずだ」
「宛名はお母様に書いてもらったもの。僕、お手紙でも名前、呼んだことないよ?だからお名前、教えてよ」
あなたの口から、直接に。
頬を膨らませて、真っ直ぐに目を見つめ、プレッシャーをかける。
彼は暫く口を微かに開閉して打開策を探していたが、やがて諦めたような顔で口を開いた。
「はぁ……久遠、由貴ですよ、私の名前」
大きなため息の後、薄い唇は不承不承に名を教えた。
「だからもう金輪際、あの妙な呼び方はしないで下さいよ?」
「はいっ」
満面の笑みで僕は頷く。
「わぁい、うれしいな!僕の由貴さん!」
「君のではないがな!」
素早く否定する由貴さんに、僕は幸せの絶頂で宣言した。
「これからはいっぱいお名前書きますし呼びますからね!楽しみにしていてくださいね!」
「結構だ!……あぁもう!足元にまとわりつかない!」
「ふふふ~、嬉しいなぁ~」
背後では大人たちがコソコソと「お似合いじゃないか」「もう尻に敷かれているみたいですね」なんてくだらないことを話していたが、興味はない。
僕はこれから、由貴さんに惚れて貰えるようにますます精一杯努めるのだ。
「大好きです、由貴さん!」
こうして僕は、由貴さんを攻略するための味方と、由貴さんを名前で呼ぶ権利を手に入れたのだった。
ちなみにその後。
僕は、『久遠の当主を簡単に誑し込んだ魔性のガキ』『久遠家三男を言いくるめた悪魔少年』というちっとも嬉しくない異名を得ることになった。
「何それ!なんか悪者っぽくて嫌だ!小悪魔ですらなくて悪魔とか嫌だ!」
テーブルを叩いて不満をぶつけると、母は至極楽しそうに笑ってから、ニヤリと片方の口角を上げた。
「良いじゃないの。私なんて成績が良すぎて口が立ち過ぎて気が強すぎて、若い頃は『アルファ殺し』って言われてたのよ?魔性のガキなんて、可愛らしいものじゃない」
「……うん……そうだったね……そして僕は『犠牲の仔羊』と呼ばれていたね……」
遠い目で過去を振り返りながら、父が力なく呟く。
「ちなみに颯斗は『さすがアルファ殺しの息子』とも言われているよ……。はぁ、なんにせよ末恐ろしいのは確かだよね……颯斗が君に似て強すぎて、時々自分の子なのが疑わしくなってくるよ……」
「僕と母様に失礼だよっ、父様!」
「まぁ颯斗は私に似たからねぇ、あなたの血は押しが弱いから消えちゃったのかもねぇ」
怒る僕と、面白がって虐める母の前で、父はさめざめと泣きながら「未来が怖い」と怯えて震えていた。
失礼な話である。