凍りついた心のゆくえ
「見合いをした男に気に入られてさ。親もひどく乗り気だから、多分、このまま結婚することになりそう」
あっさりと告げた俺に、修一は刹那、激しい動揺を閃かせたが、すぐに強張った笑みを浮かべた。
「そ、か。……おめでとう、でいいのかな?」
「……うん、まぁ。ちゃんと、俺も納得してるし」
「なっとく、かぁ」
困ったものだ、というような顔で修一が眉を下げた。
「おばさんに聞いたよ。……運命の番なんだって?」
「……さぁな。別に、会った瞬間に愛情なんか湧かなかったけど?」
修一に余計なことを話した母への怒りを堪えながら素っ気なく返せば、修一は肩を竦める。
「運命の番のフェロモンを感じて、欲しくなったんじゃないの?その人のこと」
「別に。……俺は人間なんだから、そんな発情期の獣みたいにはならない」
吐き捨てるように言えば、修一は息を呑んで、小さく「ごめん」と呟いた。
俺が『本能に支配されるオメガ』という性を嫌悪していると、思い出したのだろう。
「……なんにせよ、婚約することになっちゃったから、お前と二人で出掛けたり、とか、……会ったりとか、出来なくなる」
地面に視線を落としたまま、途切れ途切れに呟く俺の言葉に、修一は呼吸を止め、そしてゆっくりと深呼吸をした。
まるで、動揺を抑え込むように。
もう、ヒートになっても手を伸ばす……伸ばせる相手が修一ではなくなるということを、察したのだろう。
僅かの、けれど重力が数十倍に膨らんだかのような重い沈黙の後。
修一は、ふ、と小さく笑った。
「俺は元々、そのつもりだった、し」
努めて『普段通り』を装った声が、頭の上で響く。
俯いた頭のてっぺんを、そっと温かな掌が撫でた。
「俺は、さ。いつか現れる、お前の『番』の代わりになりたかっただけだ。それまでの役目だって、分かってたから」
その言葉に込められた愛情の深さに、涙を堪えて顔をあげれば、修一は目を細めて俺を見つめていた。
「幸せになれよ」
痛みを堪えるような優しい顔で囁いて、修一は俺の額に口づけた。
**×
結婚式の打ち合わせ、なんていう馬鹿馬鹿しい口実で呼び出された俺は、綺麗に微笑んで、やけに座り心地の良い椅子に座っている。
「二人が満足のいく結婚式にしましょうね、貴志くん」
修一とよく似た顔で、上流階級の人間らしく上品に笑う男は、ふざけたことを言いながら、大量の資料を机の上に並べた。
「お気遣いありがとうございます」
にこりと笑って、俺は机の上で指を組む。
薬指のダイヤモンドが煩わしく、微かに苛立ちを覚えながら、目の前の男を温度のない視線で眺めた。
二十歳になっても往生際悪く年に一、二センチずつ伸びている修一よりも、男は少しだけ背が高いが、座っていればあまり差はわからない。
青年に足を踏み入れたばかりの修一よりも余程鍛え上げられた身体は、俺一人握り潰せそうなほどに逞しい。
純日本人の修一より少し彫りが深い顔立ちは、大陸の血が混じたグローバルな一族であることを感じさせる。
まだ少年期の面影の残る修一の声と比べて、幾分か低く落ち着いた声は大人の艶が滲んでいる。
修一との違いばかりを探す自分の愚かしさに、俺は笑い出しそうだった。
「貴志くんは、チャペルと神殿とどちらが良い?」
「どちらでも構いません。あなたのお好きな方で」
あぁ、なんという難題だろう。
心底どうでも良い。
心の中で腹を抱えて笑いながら、顔には品の良い笑みを浮かべて首を傾げた。
けれど俺の顔を見て、婚約者の男は悲しげに眉を下げる。
「私は貴志くんの希望を聞きたいのです。君の望む式がしたい」
「……お優しいことですね」
じゃあ結婚式も結婚もしたくない、と言えば聞き入れてくれるのだろうか?
俺の希望も聞かずに結婚を決めた男の台詞ではないな、と俺は作り笑いの下で毒づく。
この偽善者め、と心の中で嘯き、そして同時に、歯向かう気もない己を嗤う。
「私はあまりこだわりがないのです。どうか、お望みのままに」
修一のトパーズのような温かな茶色の瞳とは似ても似つかない、混じり気のない漆黒の瞳を見返しながら、俺は人形のように笑った。
「あなたのよろしいように、なさってくださいませ」
あぁ、もしも叶うのならば。
この男の目の前で、うなじを切り裂いて死んでやりたい。
意地悪な運命を仕組んだ、神様とやらへの当てつけに。
偽りの愛を、神の前で誓う羽目になるよりも前に。