冒険者、トイレの花子さん・■■イ■と遭遇する
「!」
声が聞こえた途端、ソフィアは拳をそちらへと振り抜いた。
すでにトイレを終えて支度は済ませていた、存分に攻撃を行える。
ひょっとしたらあの人形かも? という考えは過ぎらなかった。
なぜなら、たった一言、短い言葉であるにも関わらず、その返事に全身が震えた。
悪寒というのも生易しい、生理的な嫌悪だった。
アルノートも扉を蹴破り、射矢魔術を放った。
聖属性の物理攻撃と、敵味方を識別する攻撃魔術、二種の攻撃は――
「――」
効かなかった。
届かなかった。
聖破の拳も、貫通の魔術矢も、その形を彩る無形の力場に弾かれた。
黒いおかっぱ、白い衣服、赤いスカート、まだほんの幼い姿、平凡そのものの造形、だが、そこに内在するものが常軌を逸していた。
「退避っ!」
「ッ!」
ほとんど叫ぶようなアルノートの声に、ソフィアは従い、その場を離れる。
全身の震えが止まらない。
ソフィアは、うっすらと開こうとするその目を見てしまったからだった。
その目の奥の深淵を。
アルノートは、『識別』により対象を捕らえたからだった。
それはすべてを把握はできなかった、見えた文字は、「トイレの花子さん・■■イ■」だけだった。
トイレにいる花子さんとやらが、どうしてこれほどまでに怖いのか分からない。
分からないが、それでも直感的に把握した。
あれは、この世界におけるボスモンスターに相当するものであると――
全力で駆け逃げる最中、声がトイレから聞こえた。
「あれ、ここ、どこ……」
幼い声、特徴のない平坦な様子。
だが、どこか陶然としたものが、かすかに混じった声だ。
それはただの声だ、いかなる魔術でも、いかなる攻撃でもなかった。
だが直後、絶叫が響いた。
トイレの内側からではなかった、デパート中央に潜んでいたマネキンが燃えていた。
動くマネキン人形悪役令嬢だ。
その全身を火だるまにして苦しみ悶えていた。
二重写しになるように、背景が見える。
「階段へ行くぞ!」
「わかった!」
炎を通して見える景色――それは燃え盛る豪邸だった。
多くの兵士が取り囲んでいた。
ゆらゆらとシルエットのように揺らめく多数の「良い人々」がそれを見上げていた。
もっとも、浮かんでいる表情はある種の快哉だ。
ざまあみろ
当然だ
報いがついに
心からせいせいした
ああ、やっと死んでくれた……
一人だけ違う表情をしていた。
それは、幼く、平凡な造形をしていた。
とても悲しい顔で見上げていたが、どこかおかしかった。
まるで「その悲しい顔を誰かに見られている」ことをわかっているようだった。
不自然に、だが的確に悲しさを見せている。
「――っ!!!!」
マネキン人形が、いや、悪役令嬢が叫ぶ。
呪いを込めて、一心不乱に。不条理だ、不公平だと吠えた。
封じ込められていたものが開示され、デパートの一帯を燃やした。
「というか、なんだこれっ!?」
「わかりませんよ、あの人形の呪い発動なんじゃないですか!」
「絶対この辺とは違う環境だったよな!?」
「え、そういえば」
わずかにしか見えなかったが、元いた場所の首都に近い様子だった。
建物の形や兵たちの装備がおかしい気もしたが誤差レベルだ。
燃え盛るその人形は、横を駆け抜ける二人は気にもせず、トイレからひょっこりと出てきて顔を覗かせた『それ』を認めるなり指で示した。
「■◯、■・▲◯……!」
言葉の意味は分からない、だが、理解できる気がした。
その人形は燃やされながら、「おまえのせいだ」と呪っていた。
猛る炎がただ一人に、トイレの花子さんに向けて殺到する。
城壁破壊魔法に相当する威力、あらゆるものを消し炭に変えざるを得ない火力、恨み骨髄のそれは呪いの要素も含まれている。
「きゃ」
だが、それは花子さんに到達することなく霧散した。
張られた力場が、怨念の到達を許さない。
黒ずんだ炎は、花子さん以外のすべてを舐め尽くしたが、肝心の対象は被害をまるで受けなかった。
「少しだけだが、『識別』できた」
「なんですか、あれ!?」
「ひろいんだ!」
「え」
「あれは、『トイレの花子さん・ヒロイン』という名前のモンスターだ!」
それは、存在して声を発するだけで悪役令嬢を起動させた。