冒険者、運命(プロット)に抗う
「アルノートさん!? アルノートさんっ!」
膝をつく、口元から溢れる血を飲み込む。
「――俺から、これは抜けない、背中側から、抜いて、やってくれ」
「っ! わかりました! 回復魔法をかけながらやります!!」
巨大なガラスを、貫通したそれをソフィアは引き抜く。
三角形のそれは背中側の方が面積が広い、アルノート自身は突き出た部分を押し返すので精一杯だった。
筋肉が収縮していたが、質のいいガラスのためか、ある程度の抵抗だけで済んだ。
だが、同時に血がどっと溢れる。命の源がこぼれて行く。
ソフィは回復の力を行使するが、アルノートの視界は急速に暗くなった。
「大丈夫ですか!」
元凶である『ヒロイン』が見知らぬ法則の、だが、明らかに強力な回復術を使った。
聖女であるソフィアとは比べ物にならないくらい回復だった。
傷口どころか血そのものですらも復元されているような感覚がある。
むしろソフィアの術が邪魔になっているほどだった。
あ、やばい――
直感的にアルノートは悟る。
この助けにより、自分はこの『ヒロイン』に惚れてしまうのだと分かった。
彼女を意識するようになり、ソフィアとの仲がこじれる。
そうして徐々に疎遠になり、その隙にやっぱり悲劇が起きる。
ソフィアが亡くなりギクシャクするが、結局は『ヒロイン』と結ばれる――
そんな運命が見えた。
致命傷だった傷は塞がっていく。
それは耐え難い心地よさだ。
無条件に相手を信頼したくなる。
邪魔をするモンスターたちは、都合のいい力場に遮られて来れない。
すべてがアルノートを「この世界におけるヒーロー」にするために動く。
命こそ助かるが、ここで助かることは、アルノートがこの世界に取り込まれることを意味する。
放浪世界の食糧事情を改善するために冒険に出かけた――そのようなことなど忘れてしまい、ただ『ヒロイン』のことだけを考えるようになる。彼女こそが世界なのだから。
ソフィアも事情こそ理解していないが、凄まじく嫌そうな顔をしていた。
それでも回復の手は止めていない。
その顔から、実際には言っていない声が聞こえた。
マネキン人形悪役令嬢が崩壊するときのような、バッドエンドを幻視した。
いままで彼女が一度たりとて口にしたことのない、自嘲を込めた声で。
やっぱり私って、ダークエルフなんですよね……
寂しく微笑み、去って行った。
暗い、手の届かない場所へと。
それは幻だ。
ただの幻覚だ。
だが、このままでは高い確率で起きる現実でもあった。
ふざけるな……
それは、アルノート自身ですら思ってもみなかったほどの怒りをかき立てた。
都合が良すぎる偶然。棚ぼたのような、努力ではない利益の享受、それを得たことを疑うことすらしない。
そこで流された悔しさの涙は、世界のシステムとして無視される。
冗談ではなかった。
そんなものを受け入れる余地は、アルノートのどこにもない。
どうあっても覆さなければならなかった。
(だが――)
突破方法がわからなかった。
必死に助けようとしている姿に嫌悪は募る。
それでも、味方ヅラした『ヒロイン』を撃退する方法が思い浮かばない。
(不意をついた攻撃? 無理だ)
少なくとも物理的にも神術的にも魔術的にも完璧な防御がなされている。
主人公補正に守られている。
(ここからの退避? 難しい、この敵は世界そのものを味方につけている)
偶然にも逃走できない状況となるだろう。
『ヒロイン』が望む状況が作られる。
(しばらくの間は味方に引き入れてから、隙をついて逃げ出す? いや、それは俺が見た運命につながる)
妥当な選択だからこそ、それは運命通りのルートになる。
『ヒロイン』が傍にいれば、それだけ影響力は増す。
(面と向かって罵倒して嫌われる、いや、その選択は『悪役令嬢』と同じだ)
ヒロインと無意味に敵対することは、破滅への直通路だ。
この位相世界そのものが敵となる。
そう、つまり、敵対せず、逃げ出さず、現状維持もせず、上手いこと説得する。
そのような選択をしなければならなかった。
この位相世界そのものを騙さなければならない。
「勘弁してくれ、魔術師としても個人的にも、めちゃくちゃ苦手な分野だ……」
だが、やるしか無かった。