第八話 救世主
私を化け物め!と言ったのは未成年の男の子の声だった。
開口一番に暴言を吐かれた為に、透視で姿を確認しようとも思わない。
なので声色で年齢だけでも確認してみようと思ったのだ。
まだ成長過程の声帯をしているように少なくとも私には聞こえた。
普段から成人しているアルバートさんやジェームズさんの声を聞いているからだろう。
私と同じくらいの年齢だろうか、とバリアで身を潜めながら考えていた。
一方、転移させた張本人の女神様はすっかり気落ちしてしまっている。
仕方ない事よね、とそう思わざるを得なかった。
「あんのクソガキ…。」
しゃがんで頭を抱えていたが、ソファに腰掛ける女神様。
この部屋に入った第一声があの少年と思わしき人物と同じ、暴言からだった。
機嫌が大層悪いのがよく分かる。
お互いこれでは第一印象というものは最悪に近かったのではないだろうか。
想像には難くない。
正直に言ってしまえば、今の女神様はとても怖い。
国は大丈夫だろうか。
「貴女、喋ってもバレない?」
「えぇ。このバリア内に居る限り平気よ。貴女こそ平気なの?」
「問題ないわ。もう私を視認出来ないから。あんのクソガキ、貴女の話を聞いたらあんな態度よ?酷くない!?」
また怒ってくれるんだ、と嬉しくなった。
誰かの為に怒ってくれるという存在がとても少ないことはよく知っている。
テレパシストである私は人より少しだけ心の在り方を知っているから。
純粋な混じり気のない真っ直ぐな想いは何より尊いもの。
だから嬉しかった。
──例え、それがただの知人であったとしてもだ。
「別に今に始まったことではないじゃない。それより、彼が救世主?」
「……………そうよ。適合する人物があのクソガキしか居なかったの。」
少しの沈黙を挟んだ後に女神様は言った。
渋々連れてきた、といった雰囲気が満載である。
「おい!居るのは分かっているんだぞ!開けろ!成敗してくれる!」
まだ居たのか、とドアの方を見つめる。
元気いっぱいね、と思うのと同時に随分と時代錯誤な言葉を言ってくれるなぁとも思った。
成敗って私は裁かれるようなことをした覚えがないのだけれど。
むしろ私が勝手に成敗してしまった側である。
魔王とゴブリンのことであるが。
さては国語の成績が悪かったのかしら、と閃く。
それなら納得のお言葉である。
そんな私の考えとは関係なく、ドンドンとドアが乱暴に叩かれていた。
…一応、ここもお城の一部なのだけれど。
彼にはその認識がないのだろうか。
離れだし、今は王族からも私は恐れられているらしいから忌避されてる場所だけれど。
乱暴にするのはやめていただきたい。
もし壊れてしまったら弁償代の請求は彼にしようと真っ先に決めた。
私の所持金はお城を出た時の住居と生活の費用に当てたいのだ。
無駄にお金を使いたくはない。
「呪ってやろうかしら!」
ソファから勢いよく立ち上がり、女神様が叫ぶ。
呪うことが出来るだなんて初めて知った。
私も言動には少し慎重になるべきだわ、と今までの言動を振り返って反省した。
ドアを叩く音がどんどんと大きくなっているような気がする。
現実逃避したくなってきたが、音が許してくれない。
でも、呪うというのは少しばかりやり過ぎだ。
「やめてあげてよ。それより彼のことを教えてちょうだい。」
「……貴女、あんなこと言われてよく冷静でいられるわね。」
「いいえ、内心ヒヤヒヤしているわ。いつ、あのドアが壊れるのかと。」
「心配するところがズレているわ…。えっと、あのクソガキの話ね。」
長い溜め息の後、女神様は再びソファに腰掛けて私を見た。
疲労が垣間見える。
転移にはそこまで力の消費はないのだと言っていたから、精神的なものだろう。
神様でも精神的な疲れって出るのね、と彼女の顔を見て思った。
「貴女と同い歳、名前は天草四郎と言うわ。」
「あ、天草四郎!?」
天草四郎といえば江戸時代のキリシタン。
美少年だったともされる人物で島原の乱の中心人物となり指揮を執ったが、最後は打首にされて命を落とした悲劇の少年。
学校でも名前くらいは習うとても有名な人物だ。
確か、彼は救世主とも呼ばれていたはず。
だから救世主の資格があったのかもしれない。
子孫であるかどうかは知らないが。
「あぁ。歴史的人物らしいわね、そんなこと私にはどうでもいいわ。」
「……随分と冷たいのね。」
この興奮を返して欲しいと思ったが、よく考えればあの天草四郎ではないのだ。
私はすぐに平静を取り戻した。
同じ名前だけの当の本人はドアを叩き続けているし。
(…そういえば、膨大な魔力を渡されるとか言っていたわよね。)
ふと女神様が言っていたことを思い出した。
そうだ、彼には今膨大な魔力が宿っている。
読むことのできた魔導書の知識を思い出してみた。
…魔力の塊をぶつける、ということは扱いがまだ分からずとも出来ることのはず。
まさか、最終手段でそれを実行しないでしょうね。
少し不安になった。
それをしないことを願うばかりだ。
「一時的に私を見えるようにして貴女が居ることや、世界の危機について話をしたの。そしたら、貴女に興味を持ったみたいでね。」
「ふむふむ。」
「ゴブリン騒動のことも話をしたの。その時は純粋に凄いと言っていたわ。でも、転移した後にあのガキンチョ王とクソガキ王子達が…。」
やはり王子様達にも避けられていたか、と予想通りのことを告げられた。
一ヶ月以上もお城に居るというのに鉢合わせた事がないのだ。
あちらから避けているとしか思えなかった。
答え合わせが出来たので別に傷つくこともない。
やっぱりね、というくらいだ。
王族は私を『化け物』と称しているのだ。
何故なら、先ほどから王族から話を聞いたという天草くんがそう私のことを連呼しているからだ。
これでは王子様と話をするという機会は訪れないだろう。
何せ、王様が許すわけないでしょうからね。
──国を守った『化け物』と、ね。
「すっかり化け物扱いというわけね、だから成敗。意味がよく分かったわ。」
「………ごめんなさい。この国の女神として不甲斐ないわ。」
「いいよ。人間とはそういうものを忌避したがる生き物だもの。それは貴女がよく知っていることでしょ?」
「……本当に苦労してきたのね。人間の醜さをよく分かっているわ。」
私はニコリと笑った。
そんなことくらい、私は平気だ。
例え味方がいなくたってきっと平気だ。
私の心には両親という何よりの味方が居るから。
けれどもここにも心強い味方がいる。
アルバートさん、ジェームズさん、そして。
女神、ベアクール。
三人も味方が居るのだ。
これ以上、心強い事があろうか。
「瑠璃、言うまでもないけど私は何があろうと貴女の味方よ。」
「…ありがとう。」
珍しく、いや。
初めてこの女神様の心の声が聞こえてきた。
『本当。なんて強い子。』
……私が、強い?
どこが強いというの、女神様。
本当は気がついているのでしょう?
私は怖がりでただ強がっているだけの高校生。
情緒不安で、貴女のように感情表現が豊かで安定していない。
私は安定のふりをしているだけで。
…ただの、子供に過ぎない。
「瑠璃?」
「何でもないわ。……さて。天草くん、何とかしなければまずい気がするのだけれど。」
「そうね。………瑠璃!バリアを最大限の強度に張り直しなさい!!」
ドガァァァァァァァァァン!!!!
嫌な予感が、当たってしまった。
ドアが轟音と共に木っ端微塵に砕け散った。
付近はぐしゃぐしゃに散らかってしまっている。
あそこにバリアも張らずに居たら危なかった。
恐らく、殺されていた。
バリアのお陰で無傷だが、私が超能力者じゃなかったらどう責任をとるつもりだったのだろう。
奪われた命にとれる責任など、この世にはないというのに。
もちろん女神様もバリア内に念のために引き摺り込んだので無事だ。
彼の考えが理解できない。
女神様が反応したということは、適当に魔力の塊をぶっ放しでもしたのだろう。
その証拠に私は一切気が付かなかった。
私には魔力を探知する能力がないからだ。
だがこれは知っている。
魔力の扱いに慣れていない中でそのようなことをするのは御法度だ。
どの魔導書にもそう書かれている。
「見つけたぞ!成敗してくれ……る。」
私より頭一つ分背の高い黒髪の少年が、指をこちらに差してヅカヅカと入り混んでくる。
だがピタリと止まった。
人の事を指、差したままだ。
失礼極まりなく非常識なパレードが続いているような気がする。
このような場合、私はどのような行動をとるべきか。
そう考えていると、テレパシーで強く伝わってきた。
『なんて美人な子なんだ……!』
ポカンと口を開けてしまった。
…え?
あの女神様のことではなく?
そういえば、彼はもう女神様を視認することが出来ないんだっけ。
間違えたわ。
いやいや、間違えているのはそちらの方よ!
誰の事が美人ですって!?
私は美人だなんて言われたことは一切ないわ!
…悲しいけれど地味な喪女に過ぎないのよ。
そんなことよりも、言うべき言葉があるんじゃないかしら!
「天草くんだったかしら。まず、指を下ろして。」
「あ、あぁ。」
「あぁ?ですって。まずするべきことがあるのではなくて?」
断っておくが私は基本的に平和主義の人間だ。
争いごとも好まない。
けれど。
そんな私でも我慢出来ない時がある。
我慢してはいけない時がある。
随分と遠回りな言い方をしてしまったけれど。
私は売られた喧嘩は買う方の人間である。
そして必ず勝つのが私の主義だ。
「な、何をかな…?」
「へぇ…分からないの。悪いことをしたらごめんなさいってご両親から教わらなかったのかしら。」
「悪いこと…?」
「まさか、無自覚なの。ドアを壊したじゃない!私が超能力者じゃなければ間違いなく死んでいたわ!それだけじゃない。ここは王族のものよ。貴方、どう責任を取るつもりよ。」
そう、本当に私が超能力者でなければ彼は殺人者になっていた。
それほどの規模の魔力をお構いなしにぶつけてきたのである。
化け物と呼ばれているから死んでも構わない?
そんな理屈、通るわけがない。
例えここが異世界であったとしてもだ。
それにここはあくまでも仮住まいだ。
彼がそれを知らないはずがない。
なのに平気でそれを破壊した。
木っ端微塵にだ。
本当にどう責任を取るつもりなのか。
腕を組んで彼を睨みつけた。
天草四郎という名前を聞いて少しでも興奮してしまった自分が馬鹿みたいだ。
同じ世界の人間と会えると楽しみにしていた自分が馬鹿みたいだ。
「す、すまない…。」
「言われてから謝罪するだなんて、随分とご立派な身分なのね。救世主様は。」
冷たく突き放すように私は言う。
当たり前だ。
化け物扱いだけならまだ我慢できた。
だが、本当に命を狙われるような事を私はしていない。
そしてそれはこれからもだ。
悪事に、人を傷つけるのにこの力は決して使うつもりはない。
だというのにこの扱い。
あまりに酷すぎる。
私はバリアを張ったまま指をドアの方へ突き刺す。
あまりこのようなことに使いたくはないが、超能力でドアを直すことにした。
本当はこのようなことに超能力は使いたくはない。
それはやってしまったことの代償は支払われるべきだからだ。
普通なら木っ端微塵にされたものを元に戻すことは出来ない。
──代償を支払うこともなく。
こういう時にふとどうしても思ってしまう。
要らない力だと。
確かに私の持つ力は時には人を救えることもできる便利なモノだ。
これは私の一部。
分かってはいるのだけれど。
でも、刃物のように脆く危険な力でもある。
だって悪用しようと思えばいくらでも出来るのだから。
「す、凄い…!これが、超能力……!!」
何を感心しているのかしら、と怒りのボルテージが上がっていく。
彼は育ちが坊っちゃまだったりするのだろうか。
女神様はあえて空気を読んでいない所があるが、彼はどうにも違う気がする。
言動と何かがすれ違っていて会話というものが成立していないように思えるのだ。
先ほどからの間の抜けた発言を聞く限り、そう思わざるを得なかった。
けれどこの力は人に向けてはいけないものだから。
どうにかして自分を落ち着ける。
「やっぱり呪うわ。」
低い声が聞こえた。
そんな私とは反対に我慢の限界だと女神様がついに手を翳そうとしてしまう。
慌ててドアを直し終えた後に、必死に腕を下げるように止めた。
気持ちはよく分かるが、今は抑えるべき時だ。
私はともかく、彼女が何らかの力を使えば国がどうなるか分からない。
「貴女まで冷静でいられなくなっては困るわ。」
「でも…!」
「いいから落ち着いて。私は頭が冷えてきた頃よ。あんな馬鹿に怒ること事態、無駄なだけよ。」
ふぅ、と息を大きく吐き出す。
……うん。落ち着いてきたわ。
先程はどうなることやらと思ったけれど、私より怒っている女神様を見たら平気になってしまった。
誰かが自分よりパニックになっていると落ち着くのと同じ現象に近いだろう。
「誰と話してるんだ?もしかしてモンスターか!?」
「…ベアクールとよ。この世界に来る前に女神と出会ったでしょう。彼女とよ。」
「え?でも俺には見えないぞ?」
「当たり前に視認できるのは超能力者である私しか居ないの。質問が終わりなら出て行ってちょうだい。」
天草くんは何故か興奮気味に私に話かけてくるが、私はあくまでも冷たい態度で接することにした。
彼とは必要な時以外関わるつもりはない。
救世主?
どうぞ勝手にやってちょうだい。私には関係のない話だわ。
「え?なんで…。」
「なんで?話す必要性がないし、貴方と私は関係がないからよ。…それともそんなに成敗したいの?『化け物』を。」
「そ、それは…。」
何故かたじろいでいる彼を更に突き放すことにする。
何しろ『ご自分』で何度も私に言っていた言葉だ。
成敗したいならどうぞご自由に。
…彼に出来るとは微塵とも思わないけれど。
「ほら、成敗しに来たのでしょう?どうぞ。」
「………。」
「貴方が連呼していたんじゃない。やればいいわ。私は『化け物』なのでしょう?」
「……っ!」
私にもう怒りはない。
それを通り越してあるのは呆れと傷ついた心だけ。
人間、喉元過ぎれば熱さを忘れるというのは本当のことのようだ。
傷は少しまだ痛むけれど。
彼の魔力については問題ない。
ずっとバリアは張り続けているし、先程のドアの破壊で効かないということは証明済みだ。
その時だった。
「君は、化け物なんかじゃない。」
低く落ち着いた聞き慣れた声が聞こえてきたのは。
真っ直ぐな純粋な声。
嘘偽りない真の言葉。
──私が初めて出会った類の人間。
ドア付近にアルバートさんが厳しい顔をして仁王立ちしていた。
鍵まではまだ修復していなかったので、ドアが開いていたらしい。
傍にはジェームズさんも控えており、彼もまた厳しい表情をしていた。
「探しましたよ、救世主殿。ここは彼女の住居です、勝手に入られては困る。」
初めて聞いた声色だった。
怒りと冷たさが混じった声色。
私も勝手に失礼してすまない、と打って変わって優しい声で彼は言った。
こんな声も出す事が出来るのだと少し驚いて返事が遅れてしまう。
私はとんでもないと首を振っておいた。
「それに彼女が化け物ですって?冗談はやめてください。彼女はこの国の恩人です。」
ジェームズさんが続いて言う。
彼もまた怒りを含んだ声だった。
私は二人の態度に呆然としてしまう。
まるで私を庇っているかのような態度だ。
お姫様を騎士が守るかの如く。
そんな事、してくれなくていいのに。
お姫様はここにはいない。
居るのはただの凡人。
それに私は慣れているというのに。
「魔力の塊を容赦なくぶつけましたね。それは禁忌に近いこと。ルリを傷つけるおつもりか。」
アルバートさんが厳しい表情のまま言う。
確かに大ピンチではあったものの、バリアのお陰で無傷だ。
それにもう怒りはない。
だから本当に気にしなくていいのに。
「ご自分がどれほどの事をしたか分かっておいでか?」
「え、えっと…。」
「その様子だと、謝罪すら自分からされなかったんですね。もう一度、彼女に謝罪を。貴方はそれだけでは済まない事をしている。」
彼がこんなにも怒っている姿を見るのは初めてだ。
部下にも怒るということは滅多にしない人なのに。
私なんかのために怒ってくれている。
それは何だかとても贅沢に思えてしまって、私は恵まれているなと感じた。
「す、すみませんでした。」
天草くんに頭を下げて謝罪された。
普通なら、いいよと言うのだろう。
普通なら。
でも私はと言うと、
「目を瞑ってあげるだけよ。貴方がしたことは許さない。」
許さないという選択をとった。
私を殺しかけたことはもちろん、化け物呼ばわりも。
これららを許すわけにはいかない。
いくら化け物扱いが慣れていても慣れているだけで、傷はついてしまうのだ。
だから、私は許さない。
「休みたいので今日はここでお引き取り願いますか。」
「あぁ、もちろん。こちらこそ押しかけてしまってすまなかった。」
「いいえ。お気になさらず。」
天草くんは二人に腕を掴まれて連れて行かれる。
もう私と必要以上に関わることもないだろう。
少し安心した。
そのまま去っていくものと思っていたが、アルバートさんが立ち止まった。
「ルリ、もう一度言う。君は恩人であって化け物なんかじゃない。だから、周りのことは気にしないことだ。」
──あぁ。この人は変わらない。
私は思わず微笑みを浮かべながら頷いた。
本当にこの人は良い人だ。
出逢った時から、ずっと。
気がつくと女神様がすぐ隣に居てガッツポーズをしていた。
「やるじゃない!アルバート。さすが優良物件ね!」
空気を読んでくれないかしら、この女神様は。
はぁ、と大きく溜め息を漏らす。
短い時間だったけれど長く感じた一日はこうして終わりを告げた。