2-上
崩れた壁を蔦が覆い隠している。風雨に晒され続けたため、日当たりの悪い所はカビと苔の寝床になっているが、僅かに覗く構造物の表面が、元は白い塗装を施した清潔な印象を与える建物だった事を想像させる。最早、屋根は大方崩落している。直接日射しが当たる、かつての室内は、土にまみれた床材の亀裂から、背の高い草が自由気ままにその枝葉を四方に伸ばしている。元は室内だったその空間は、大きなスペースを有し、よく見ればそこかしこに繭の様な容器がいくつも横たわっている。防護服を着込んだ人間が数人、背丈並みに伸びた草の中を進み、一つ一つ、繭の様な容器に取り付いては、中身を調べている。どの容器も土埃で汚れきっている。容器の上半分の一部はプラスチック製で、元々は透明で内部を観察出来る造りになっていた様だが、すっかり白く濁って、細かいヒビが一面を覆っている。容器によっては、プラスチックの部分が割れてしまっていたり、そっくり無くなってしまい、内部がむき出しになっている容器もある。
「チーフ。」
その中の一つの容器を覗き込んで調べていた者が、慌てて上体を起こし、周囲を見回す。それまで各々が別の容器を調査していたメンバーが、声を上げた主を振り返る。その中の一人、チーフと呼ばれたであろう人物が、草をかき分けて声を上げた者に歩み寄る。他の者達は皆動きを止め、事の成り行きを見守っている。
「これ、まだ稼働しています。」
チーフと呼ばれた男は、防護服で覆われた手で容器の基台の部分を探り、それから繭型の容器の一方の先端に移動して、その表面を撫ぜて突起を探す。見つけた突起をつまんで回すと、ヒンジが開いて操作パネルが現れる。そこにはタイルのような操作ボタンと、長四角の表示盤が並んでいる。試みに男がボタンに触れてみれば、ボタンが反応して光を放つ。
「おい、回収班を呼べ。」
チーフはパネルから顔を上げて、彼に注視している周囲の者達に言い放つ。それ迄それぞれの場所に立って様子を見守っていた者達は、指示を聞くなり一斉に動き出す。目で合図をかわし合った二人が、力強く草をかき分けて、回収班を呼びに急いでその場を後にした。
国立生体研究所にあるサイガ博士の研究室は、久し振りに活気に満ちていた。予算は一般人からすれば充分過ぎる額を国家から割り当てられているが、研究には金に糸目をつけないサイガ博士の性格から、いつも年度末はインスタントコーヒーの購入にも困る有り様だ。高価な分析機器が雑然と並び、それら機器に埋もれる様に、離れた四ヶ所にだけデスクが置かれている。その一つがサイガ博士その人のデスクだ。太い筋肉質の両腕を動かして画面を操作する若い男が座っている。短髪を整髪料で固め、太い眉に二重の大きな両目がくるくると動いて、画面一杯に埋める数字とグラフと文字の海を読み解いていく。彼こそ、この研究室の責任者サイガ博士だ。理化学者のステレオタイプとはまるで違う、肉体派の好青年の容貌を備えている。
「博士、どうですか。」
研究室のドアを勢いよく開けて、もう一人の男が入って来る。余りの勢いに扉がドアストッパーに凄まじい勢いでぶつかって跳ね返る。その振動で周囲の機器までガタガタと震える。こっちの男は、ヒョロヒョロと痩せた高身長の体の上に、そら豆の形をした頭が乗っている。直毛の黒髪をツーブロックに刈り揃えているせいか、どうみても十代半ばにしか見えない。
そら豆男は、サイガ博士の背後に立って、博士が操作する画面を見つめる。
「ん~、まだ、何とも言えないなぁ。」
博士の甲高い声からは力が抜けていて、良い返事は期待出来そうにない。そら豆男は、視線を天井から吊るされたモニターに移す。そこには、別室に置かれた、廃墟から運び入れた繭状の容器が映っている。
「環境制御装置に異常は無いんですか?」
そら豆男は、視線を博士のモニターに戻して言う。
「異常は無い。奇跡的だ。」
「とはいっても、あんな外気に晒された場所にあったんですから、一分の隙もなく適切な環境に保たれていたなんて事があるんですかね。」
そら豆男は、少し離れた場所にある、機器に埋もれたデスクに向かう。
「シュン君は、悲観的な見方ばかりするね。」
サイガ博士は、そら豆男に目もくれず、画面を操作し続けながら呟く。
ゆっくりとドアが開いて、今度は、白衣を纏った女性が入って来る。身長は170センチ以上ある。踵の高い靴を履いて大股で歩く姿からは、周囲を圧倒するオーラが放たれている。メリハリの利いた肉体が外から分かる服装を身に着けていながら、それを白衣で覆い隠している。美しい顔立の東洋人だ。彫は深くない。後ろで束ねられた金髪の髪は、きっと染めているのだろう。恵まれた肉体と美貌が、二十代と思しき生命エネルギーの絶頂にある彼女に、この上ない自信を与えているのは間違いない。
「外部との断熱は良く出来ているから、可能性はあるわ。」
彼女は大股に研究室の中を突っ切り、一番奥、窓際のデスクに向かいながら言い放つ。
「それはこの個体だけに限った特徴じゃない。他の装置だって同じだ。なのに、殆どの装置が壊れて役に立っていないじゃないか。」
シュンと呼ばれたそら豆男は、彼女に背を向けて、自分のデスクのモニターにデータを表示させる。
「確率の問題よ。当時作られた、何千という装置があれば、統計的に機能を失っていない装置が存在してもおかしくない。」
彼女も、シュン達に背を向け、デスクの椅子に座って、モニター電源を入れる。
「確率というのなら、ちゃんと定量的に議論すべきだ。八百年という歳月が、サンプル数の中に健全な機能を有する装置が残るのに対して妥当かどうか。」
「確率論争は良いから、それぞれのタスクの進度について教えてくれ。」サイガ博士が口を挟む。「シュン、蘇生プログラムの準備は?」
「準備は出来ています。前回のプログラムと同じですが。内部の人間が仮死状態を維持しているならば、蘇生出来る筈です。」
「分かった。来週には起動させるだろう。シミュレーションテストをもう一度行っておいてくれ。」
「…はい。」
「アイリーン、個体の情報は?」
「パーソナルデータは失われてしまっていて不明です。装置内部を透過観察した結果ですと、恐らく、十代の男性だと思われます。」
「ふん、病変等の有無は?」
「見当たりません。」
「じゃ、何故コールドスリープしたんだ?…ま、起きられたら訊くか。」
「若い個体なので、対象としては申し分ないかと。」
「そうだね。」
「外観で分からない病変を持っていないとは限りません。」
今度はシュンが口を挟む。
「君は、いつでもマイナス思考だね。」サイガ博士は画面を見たまま、顔をしかめる。「ま、良いけど。兎に角、なんとしても蘇生させなければならない。…きっと、これが最後だ。」
「その件ですが。」
アイリーンと呼ばれた白衣の女性が、サイガ博士の方を振り返る。
「ん?その件って?」
「蘇生プログラムを見直してみてはいかがでしょうか?前回の様に、蘇生に失敗しないよう、万全を期すべきかと思います。」
「ん~、それねぇ。前回の失敗は、個体の保存履歴に問題があったのではないかと推定しているんだ。」サイガ博士は、椅子から立ち上がり、機器越しにアイリーンとシュンを交互に見遣りながら話す。「だから、今回は、仮死環境の履歴に異常が無かったか精査している。何しろ、プラスマイナス0.3度の範囲でコントロール出来ていなければならない。温度が下がり過ぎて凍ってしまえば、その時点で終わり。温度が上がった時間があっても、恐らく組織を傷めてしまっている可能性が高い。今は、問題なく眠っている様に見えてもね。」
「前回は三十代の男性でした。」シュンも椅子を回転させて、サイガ博士を見て言う。「何しろ、八百年の眠りです。若い組織の方が、生存の可能性は高いと思います。」
「ほぉ。」サイガ博士が大きく目を見開いてシュンを見る。「君は前向きな意見を言う事も出来るんだね。」
雄斗は目を醒ました。寝返りも打てないぐらい狭いカプセルの中だ。目の前、顔から10センチくらいしか離れていない場所に透明な小窓があり、外の様子を窺う事が出来る。部屋が見える。照明は点いていないが、部屋の中に並んだ何かの装置のインジケーターランプが緑や赤の光を放ち、それがぼんやりと部屋の中を照らしている。雄斗は、その様子を見る気も無しに眺める。寝ぼけているみたいに頭がはっきりしない。目を開けていると、目の奥が痛い。耐えられずに目を閉じる。
また寝ていた様だ。こうして再び気付く迄に、どれだけの時間が経ったのか分からない。同じ小窓から部屋の中の様子が見える。一度目に見た光景と違うのは、部屋の明かりが点いている事だ。雄斗は、焦点の定まらない目で部屋の天井に煌々と灯る照明を見る。天井全体がパネルの様に四角く分割され、そのすべてが光っている。
不意に小窓の視界に人の顔が入ってくる。若い女性の顔。女性は、雄斗と目が合うと、にっこりと笑って見せて、すぐに視界から消える。雄斗は視線を明るい天井に戻す。
いつの間にか寝ていた様だ。三度目に気付いた時も、小窓の向こうの部屋は明かりが点いている。今度は少し離れた所で、作業する白衣の男性の姿が見える。部屋の中に並んだ装置の前に立ち、何か操作している様だ。雄斗からは、その背中しか見えない。
不意に男が振り返る。若い男性。雄斗と大して違わない年齢に見える。
「博士。」
男は、小窓越しに雄斗が目を開けているのに気付くと、小窓の視界からは死角になっている誰かに声を掛ける。直ぐに男が一人、小窓の間近に顔を覗かせ雄斗を見る。これも若い男。遠くにいる男よりも年配だろうか。はっきりした顔立ちをしている。
「やあ、こんにちは。気分はどうかな。」
近くに覗いた男の喋る声。カプセルの中に設けられたスピーカーから外の音が聞こえている様だ。男は微かに笑みを浮かべる。
「もう少し辛抱していてくれ。君が此処から出られる様になるには、もう少し検査が必要なんだ。悪いね。」
言い終わると、男の顔が視界から消える。離れた場所で最初に見えた男が笑っている。その男もすぐに背中を向けて作業に戻る。変化の乏しい景色を眺めている間に、いつの間にか雄斗はまた意識をなくした。
次に意識を取り戻したのは、カプセルに大きな振動が加わったせいだ。小窓の外では、数人動き回っているのが見え、カプセルに何かがぶつかる様な音と振動が伝わって来る。やがて、はっきりした顔立ちの男が小窓から覗き込む。一度見た事のある男だ。どうやら雄斗の様子を窺っている。その男の顔が小窓から見えなくなったと思った次の瞬間、空気が漏れる音とともに、カプセルの上面がゆっくりと開く。肌に空気の動きが感じられる。今迄カプセルの中を覆っていた生ぬるい空気とは違う、少し冷えたサラリとした空気。
同時に視界が開ける。雄斗の前に二人の男性と一人の女性が立っている。いずれも、一度は見た事のある顔だ。
「いやぁ、待たせてしまったね。退屈だったかな。」
筋肉質の体で、目鼻立ちがはっきりした男が最初に口を開く。見た目に合わず、甲高い声をしている。
「君の体やカプセルの内部に、菌やウイルスがいないかチェックするのに時間がかかってしまってね。何しろ、君が住んでいた時代には普通に存在していた細菌が、現在では存在していない。君達が獲得している免疫を僕等は持っていないから、もし、少しでも入っていたら、大変な事になってしまう。」
男はにっこりと、絵に描いたような笑顔を作って見せる。
「君の名前は、何て言うのかな?」
雄斗は話そうとする。「山神雄斗」と口を動かし、発声すれば良い。辛うじて唇が動く。けれど、気管を空気が通っても、声帯を震わせる事が出来ない。
「あ、ああ。まだ難しいか。別に焦らなくても大丈夫だ。これから、徐々に元の人間に戻っていけば良いんだ。とても長い間眠っていたから、全身の運動機能が麻痺しているんだ。大丈夫、徐々に動かせるようになる。安心してくれ。まずは、こんな狭いカプセルから外の世界に出よう。」男は、彼の後方に控えていた男女を振り向く。「シュン、アイリーン、彼をストレッチャーに移動させてくれ。」
一番力持ちそうな体をしている男が脇に退き、か細い男性と、スタイルの良い女性が雄斗の両脇に進み、彼の体の下に敷かれた布の両端を掴む。二人は息を合わせて布ごと雄斗を持ち上げると、傍に置いてあるストレッチャーに乗せ換える。
三人は雄斗のストレッチャーを押して部屋を出る。出て来た部屋と同じ様に天井パネルがそのまま照明の役目をしている長い廊下を通って違う一室へと入り、雄斗は初めてまともな、人間が寝るのにふさわしい、柔らかいベッドの上へと移された。
雄斗は、唯一不自由なく動かせる両の眼球を動かして、部屋の様子を窺う。黄白色の間接照明で照らされた室内、落ち着いた色調の壁、ベッドの隣には、大きめのデスクが置かれている。ベッドの前には、雄斗を運んで来た三人、それともう一人、彼等に比べれば小柄な女性が加わっている。
「此処が、これから君が暮らす部屋だ。今はまだ、体の自由が利かないけれど、動けるようになったら、好きに使ってくれて良いんだ。」
キリっとした顔立ちに短髪、筋肉質の男が雄斗に向かって説明する。他の者も雄斗を見ている。
「君の名前はおいおい教えてもらうとして…」
僕の名前?さっきも最初に訊いてきた。どうしてそんなに名前に拘るんだ。そもそも、何故僕の名前を知らないのだろう。僕が入っていたコールドスリープのカプセルに名前が、仮死状態に入った日付と共に書かれていた筈だ。
「…我々の自己紹介をしよう。」筋肉質の男が微笑む。「私が、此処の主任を務めるサイガだ。」男は、右手を自分の胸に当てる。
「あ、シュンって言う。サイガ博士と研究をしている。」
ヒョロヒョロと背の高い男が、サイガと名乗った筋肉質の男に促されて自己紹介する。
「私はアイリーン。シュンと同じで、サイガ博士と一緒に働いている。」
メリハリの利いたボディと整った顔。きっと彼女は誰にも負けない。
「私はサクラです。これから、あなたの生活のお手伝いをさせてもらいます。よろしくね。」
小柄な女性は、頭を少し右に傾けて、柔らかく微笑む。顔も体も丸みを帯びていて、それだけで優しさが滲み出ている。歳は雄斗とあまり変わらない様に見える。こんな子が世話をしてくれるのか。自分で動けないから仕方ないけれど、ちょっと嬉しい様でも、恥ずかしい様でもある。
「僕等が、これから君をサポートしていくメンバーだ。」各自の自己紹介が終わると、サイガ博士が勢いよく話し始める。「ようこそ、現代へ。この世界の全てを満喫してくれ。老いも死も恐れずに生きていける、ここはパラダイスだ。君も元気になったら、その目で確かめてくれ。僕は君をずっと待ち望んでいたんだ。ずっと探していたのさ。君は、我々の救世主だ。」
サイガ博士は、大仰に両手を広げて叫ぶと、満面の笑みを作って雄斗を見た。
『君も元気になったら』とサイガ博士は言ったが、その日はなかなか来なかった。雄斗の回復はゆっくりと進んだ。声が出せる様になり、首を回し、食事が出来る様になる。そうやって、何ひとつ自分では出来ないところから、一つ一つ取り戻していく。サクラは毎日雄斗の部屋に来て世話をしてくれる。最初に全身を拭いてもらった時は、この上なく恥ずかしかったが、体の自由が利かないからどうにもならない。サクラの介添えにボディビルダーの様な若い男が来て、雄斗の体を持ち上げたり、裏返したりした。その度に露わになった肉体をサクラが優しく拭いてくれた。
どうにか自力で上半身が起こせる様になった頃、サイガ博士が二人の助手を連れて、雄斗の部屋に来た。
「調子はどうだい?」
部屋に入って来るなり、サイガ博士は軽い調子で話し掛ける。
「はい、だいぶ動ける様になりました。」
最初は何も自分で出来ず、これからどうなってしまうのだろうと陰鬱な気分になっていたが、段々回復していくのを実感出来て、雄斗の気持ちは上向き始めている。
「えっと、名前はユウト君で良いのかな?」
自身の名前は、喋れる様になった直ぐ後に、サクラに訊かれて答えていた。きっと、その情報が彼等にも伝えられたのだろう。
「はい。そうです。」
「私の名前は憶えていてくれたかな?」
「あ、はい。…サイガさん。」
「お~、そうそう。」
博士は如何にも嬉しそうに上体を仰け反らせる。
「それじゃ、このお嬢さんの名前は?」
博士は、隣に立つ美人を指して問う。
「アイリーンさん。」
綺麗な人の名前を忘れる訳がない。
「こんにちは。」
アイリーンは笑顔を見せる。雄斗までつられて笑顔になる。
「じゃ、こっちは?」
今度は少し後ろに下がって立っている痩せた男を指差す。
「あ、…シュンさん。」
「上出来だ。」
シュンは、何か気に入らないのか、不満気に呟く。
「うん、良く出来ました。」サイガ博士は上機嫌だ。「それじゃ、ユウト君。…おっと、そう呼んでも良いかい?」
雄斗は黙ったまま、首を縦に振る。
「…ありがとう。じゃ、僕等は知りたい事があるんだ。質問に答えてくれ。君は、何故コールドスリープなんか利用したんだい?」
あれ?何で知らないのだろう?
雄斗は一気に不安になる。仮死状態から目覚めた時も、名前を知らない事が引っかかった。
「あの、僕が眠っていた施設にデータがありませんでしたか?」
「データ?」
サイガ博士は訝し気な顔をする。
「コールドスリープしている人に関するデータが、一緒に保管されていた筈です。」
「あ、ああ、そうか。…残念だが、それは失われてしまった。君は、壊れた施設の中から辛うじて救出出来たのさ。君を救い出すので精一杯だったんだ。」
博士は、済まなそうな顔をする。
「え、壊れたんですか。」
施設は半永久的に管理されると聞かされていた。大きな地震があっても、決して壊れない丈夫な施設だと医者は言っていたのに。だから、名前も分からなかったのか。
「他の人は?施設で眠っていた他の人はどうしたんですか?」
雄斗が施設に入った時、稼働しているコールドスリープ用カプセルが既にフロア一杯に並んでいた。自分と同じ様に、コールドスリープの準備をしている最中の人も見た。あの人達は、自分よりも先に目覚めたのだろうか?
「いや。」サイガ博士は軽く目を閉じて首を横に振る。「僕等は、生存者を探していたんだ。…壊れた施設に残る生存者を見つけて救い出す為にね。」
博士は、そう言いながらアイリーンの方を向く。アイリーンは横目でどこか冷たい視線を博士に返す。二人のやや後ろに立つシュンは、傍観者になりきって、全ての成り行きを見守っている。
「もう、君しか見つからなかったよ。他の人は残念ながら、手遅れだった。」サイガ博士はすまなそうな顔になる。「それで、君はどうしてコールドスリープを?」
「僕は、自分の遺伝子配列から、将来病気を発症するリスクが高いと言われました…。」
雄斗は、自分の知っている限りの経緯を話す。将来病気を発症する可能性が80%ある事、当時、症状を抑える薬はあっても、治療法は確立されていなかった事、そのため、未来に治療法が確立され、自分が生き延びられる世界になる迄コールドスリープする決断をした事…。
「成る程。僕等は、生化学の専門家ばかりだ。染色体のどの部分に問題があるのかね?」
「説明されたけど、憶えていません。資料が一緒に保管されると聞かされていたので、憶える必要もないと思っていました。」
「ふん、そうか。そうだよね。…どっちにしても、君のゲノムは調べる予定だったから、その際に問題の箇所が無いか探してみるよ。」
サイガ博士は、また、雄斗に笑って見せる。
「二十代で80%の確率で発症するのなんか、心配要らないさ。」不意にシュンが話に割り込む。「今をどんな世界だと思っている。死ぬ心配をする必要なんかない。最初は覚悟がいるかも知れないが、一度慣れてしまえば…」
「シュン。」調子に乗って喋り出したシュンの言葉を遮る様にサイガ博士が声を掛ける。「セイヤ君を呼んで来てくれるか。彼の、ユウト君のリハビリの話をしなければならないから。」
博士とシュンは、無言で暫く視線をぶつけあっていたが、シュンがフンと鼻で笑う。
「分かりました。」
プイと出口に向き直って、シュンは部屋を出て行く。
「ああ、彼の言った事は本当さ。僕等は、死なずに生き続けている。君もそうなれる。でも、君が言っていた染色体上の問題が何なのかは調べよう。どんな問題なのか把握して、治せるなら治してしまった方が良いからね。」
会話から取り残されていた雄斗に向かって、博士は説明を加えて、また微笑んで見せる。
「まずは、歩けるようになりましょ。」
隣でアイリーンも微笑む。
「そう、君は普通の生活を取り戻すために、筋肉を付けなけりゃならない。」
博士は我が意を得たりとばかりに頷く。
直ぐにドアが開いて、二人の男性と一人の女性が現れる。一人はシュンが連れて来たボディビルダーだ。雄斗の体を拭くのを手伝っていた男だ。後ろから付いて来る小柄な女性はサクラだ。
「彼が君のリハビリを担当してくれるセイヤ君だ。」
博士がボディビルダーを雄斗に紹介する。いかにもボディビルダーだ。肌は褐色をしている。他の研究者はみな青白い、どちらかと言えば不健康に思えるくらいの肌の色なのに対して、セイヤのそれは、上手く焼けたパンケーキの色だ。よく見れば、青い瞳をしている。鼻が高く、目が落ち窪んでいて、金髪の短髪と合わせて、とても東洋人には見えない。
「やあ。」セイヤは大股でベッドの上の雄斗に近付いて来て、片手を差し伸べてから、博士を不安そうに振り返る。「…えっと。」
「ユウト君だ。」
博士が告げる。
「やあ、ユウト、よろしく。」
セイヤはもう一度、雄斗を振り返る。雄斗が徐に差し出した手を、しっかり握って上下に激しく揺する。セイヤにとっては普通の力加減なのだろうが、漸く握力を取り戻し始めた雄斗にはきつい洗礼だ。
「明日から、君のリハビリを担当するセイヤだ。君が跳んだりはねたり出来る様になる迄、しっかりサポートするからね。覚悟しておいてくれよ。」
セイヤはそう言うと、片目を瞑って見せる。
「あの、リハビリってどんな事するんですか?」
雄斗はセイヤの勢いに不安を感じて、彼を取り巻く人間達の表情を探る。
「あれ、君の住んでいた時代でもあったんじゃないかな。」博士が首を傾げる。「長い間ベットに寝たままだと筋肉が落ちてしまう。日常生活に戻るには、リハビリで筋肉を戻して行かないとならないんだ。長い眠りから覚めた君なら尚更だ。大丈夫、元々健康体の君ならば、直ぐに元に戻れるさ。」
「日常生活の行動も」この機を待っていたかの様に、サクラが口を挟む。「自分で出来る様にチャレンジしていきましょう。」
「他に質問はあるかな?」
サイガ博士は雄斗の発言を待っている。『質問は』と言われれば、訊きたい事は無限にある。でも、何故だろう。雄斗を取り巻くこの人達に質問する気になれない。今の雄斗と向かい合う人達との間には、容易に越えられない大きな溝が横たわっている。
「…いえ、今は良いです。」
小さな声で、雄斗はそれだけ言った。




