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2-上

 (くず)れた壁を(つた)(おお)い隠している。風雨に(さら)され続けたため、日当たりの悪い所はカビと(こけ)寝床(ねどこ)になっているが、(わず)かに(のぞ)く構造物の表面が、元は白い塗装を施した清潔な印象を与える建物だった事を想像させる。最早(もはや)、屋根は大方(おおかた)崩落(ほうらく)している。直接日射しが当たる、かつての室内は、土にまみれた床材の亀裂(きれつ)から、背の高い草が自由気ままにその枝葉(えだは)を四方に伸ばしている。元は室内だったその空間は、大きなスペースを有し、よく見ればそこかしこに(まゆ)(よう)な容器がいくつも横たわっている。防護服を着込んだ人間が数人、背丈(せたけ)並みに伸びた草の中を進み、一つ一つ、(まゆ)(よう)な容器に取り付いては、中身を調べている。どの容器も土埃(つちぼこり)で汚れきっている。容器の上半分の一部はプラスチック製で、元々は透明で内部を観察出来(でき)(つく)りになっていた(よう)だが、すっかり白く(にご)って、細かいヒビが一面を(おお)っている。容器によっては、プラスチックの部分が割れてしまっていたり、そっくり無くなってしまい、内部がむき出しになっている容器もある。

「チーフ。」

 その中の一つの容器を(のぞ)き込んで調べていた者が、(あわ)てて上体を起こし、周囲を見回す。それまで各々(おのおの)が別の容器を調査していたメンバーが、声を上げた(ぬし)を振り返る。その中の一人、チーフと呼ばれたであろう人物が、草をかき分けて声を上げた者に(あゆ)み寄る。他の者達は皆動きを止め、事の成り行きを見守っている。

「これ、まだ稼働しています。」

 チーフと呼ばれた男は、防護服で(おお)われた手で容器の基台(きだい)の部分を探り、それから繭型(まゆがた)の容器の一方の先端(せんたん)に移動して、その表面を()ぜて突起を探す。見つけた突起をつまんで回すと、ヒンジが開いて操作パネルが現れる。そこにはタイルのような操作ボタンと、長四角の表示盤が並んでいる。(こころ)みに男がボタンに触れてみれば、ボタンが反応して光を放つ。

「おい、回収班を呼べ。」

 チーフはパネルから顔を上げて、彼に注視している周囲の者達に言い放つ。それ(まで)それぞれの場所に立って様子を見守っていた者達は、指示を聞くなり一斉(いっせい)に動き出す。目で合図をかわし合った二人が、力強く草をかき分けて、回収班を呼びに急いでその場を後にした。


 国立生体研究所にあるサイガ博士の研究室は、久し振りに活気に満ちていた。予算は一般人からすれば充分過ぎる額を国家から割り当てられているが、研究には(かね)糸目(いとめ)をつけないサイガ博士の性格から、いつも年度末はインスタントコーヒーの購入にも困る有り(さま)だ。高価な分析機器が雑然と並び、それら機器に埋もれる(よう)に、離れた四ヶ所にだけデスクが置かれている。その一つがサイガ博士その人のデスクだ。太い筋肉質の両腕を動かして画面を操作する若い男が座っている。短髪を整髪料で固め、太い(まゆ)二重(ふたえ)の大きな両目がくるくると動いて、画面一杯に埋める数字とグラフと文字の海を読み解いていく。彼こそ、この研究室の責任者サイガ博士だ。理化学者のステレオタイプとはまるで違う、肉体派の好青年の容貌(ようぼう)(そな)えている。

「博士、どうですか。」

 研究室のドアを勢いよく開けて、もう一人の男が入って来る。余りの勢いに(とびら)がドアストッパーに(すさ)まじい勢いでぶつかって()ね返る。その振動で周囲の機器までガタガタと(ふる)える。こっちの男は、ヒョロヒョロと()せた高身長の体の上に、そら豆の形をした頭が乗っている。直毛の黒髪をツーブロックに()(そろ)えているせいか、どうみても十代(なか)ばにしか見えない。

 そら豆男は、サイガ博士の背後に立って、博士が操作する画面を見つめる。

「ん~、まだ、何とも言えないなぁ。」

 博士の甲高(かんだか)い声からは力が抜けていて、良い返事は期待出来(でき)そうにない。そら豆男は、視線を天井(てんじょう)から()るされたモニターに移す。そこには、別室に置かれた、廃墟(はいきょ)から運び入れた繭状(まゆじょう)の容器が映っている。

「環境制御装置に異常は無いんですか?」

 そら豆男は、視線を博士のモニターに(もど)して言う。

「異常は無い。奇跡的だ。」

「とはいっても、あんな外気に(さら)された場所にあったんですから、一分(いちぶ)(すき)もなく適切な環境に(たも)たれていたなんて事があるんですかね。」

 そら豆男は、少し離れた場所にある、機器に埋もれたデスクに向かう。

「シュン君は、悲観的な見方ばかりするね。」

 サイガ博士は、そら豆男に目もくれず、画面を操作し続けながら(つぶや)く。

 ゆっくりとドアが開いて、今度は、白衣を(まと)った女性が入って来る。身長は170センチ以上ある。(かかと)の高い靴を()いて大股(おおまた)で歩く姿からは、周囲を圧倒するオーラが放たれている。メリハリの()いた肉体が外から分かる服装を身に着けていながら、それを白衣で(おお)い隠している。美しい顔立(かおだち)の東洋人だ。(ほり)は深くない。後ろで(たば)ねられた金髪の髪は、きっと染めているのだろう。恵まれた肉体と美貌(びぼう)が、二十代と(おぼ)しき生命エネルギーの絶頂にある彼女に、この上ない自信を与えているのは間違いない。

「外部との断熱は良く出来(でき)ているから、可能性はあるわ。」

 彼女は大股に研究室の中を()っ切り、一番奥、窓際(まどぎわ)のデスクに向かいながら言い放つ。

「それはこの個体だけに限った特徴(とくちょう)じゃない。他の装置だって同じだ。なのに、(ほとん)どの装置が壊れて役に立っていないじゃないか。」

 シュンと呼ばれたそら豆男は、彼女に背を向けて、自分のデスクのモニターにデータを表示させる。

「確率の問題よ。当時作られた、何千という装置があれば、統計的に機能を失っていない装置が存在してもおかしくない。」

 彼女も、シュン達に背を向け、デスクの椅子に座って、モニター電源を入れる。

「確率というのなら、ちゃんと定量的に議論すべきだ。八百年という歳月(さいげつ)が、サンプル数の中に健全な機能を有する装置が残るのに対して妥当(だとう)かどうか。」

「確率論争は良いから、それぞれのタスクの進度について教えてくれ。」サイガ博士が口を(はさ)む。「シュン、蘇生(そせい)プログラムの準備は?」

「準備は出来(でき)ています。前回のプログラムと同じですが。内部の人間が仮死(かし)状態を維持しているならば、蘇生(そせい)出来(でき)(はず)です。」

「分かった。来週には起動させるだろう。シミュレーションテストをもう一度行っておいてくれ。」

「…はい。」

「アイリーン、個体の情報は?」

「パーソナルデータは失われてしまっていて不明です。装置内部を透過観察した結果ですと、恐らく、十代の男性だと思われます。」

「ふん、病変等(びょうへんとう)の有無は?」

「見当たりません。」

「じゃ、何故(なぜ)コールドスリープしたんだ?…ま、起きられたら()くか。」

「若い個体なので、対象としては申し分ないかと。」

「そうだね。」

外観(がいかん)で分からない病変(びょうへん)を持っていないとは限りません。」

 今度はシュンが口を挟む。

「君は、いつでもマイナス思考だね。」サイガ博士は画面を見たまま、顔をしかめる。「ま、良いけど。()(かく)、なんとしても蘇生(そせい)させなければならない。…きっと、これが最後だ。」

「その件ですが。」

 アイリーンと呼ばれた白衣の女性が、サイガ博士の方を振り返る。

「ん?その件って?」

蘇生(そせい)プログラムを見直してみてはいかがでしょうか?前回の(よう)に、蘇生(そせい)に失敗しないよう、万全(ばんぜん)()すべきかと思います。」

「ん~、それねぇ。前回の失敗は、個体の保存履歴(りれき)に問題があったのではないかと推定(すいてい)しているんだ。」サイガ博士は、椅子から立ち上がり、機器越しにアイリーンとシュンを交互に見遣(みや)りながら話す。「だから、今回は、仮死(かし)環境の履歴(りれき)に異常が無かったか精査(せいさ)している。何しろ、プラスマイナス0.3度の範囲でコントロール出来(でき)ていなければならない。温度が下がり過ぎて凍ってしまえば、その時点で終わり。温度が上がった時間があっても、恐らく組織を(いた)めてしまっている可能性が高い。今は、問題なく眠っている(よう)に見えてもね。」

「前回は三十代の男性でした。」シュンも椅子を回転させて、サイガ博士を見て言う。「何しろ、八百年の眠りです。若い組織の方が、生存の可能性は高いと思います。」

「ほぉ。」サイガ博士が大きく目を見開いてシュンを見る。「君は前向きな意見を言う事も出来(でき)るんだね。」


 雄斗は目を()ました。寝返りも打てないぐらい狭いカプセルの中だ。目の前、顔から10センチくらいしか離れていない場所に透明な小窓があり、外の様子を(うかが)う事が出来(でき)る。部屋が見える。照明は()いていないが、部屋の中に並んだ何かの装置のインジケーターランプが緑や赤の光を放ち、それがぼんやりと部屋の中を照らしている。雄斗は、その様子を見る気も無しに(なが)める。寝ぼけているみたいに頭がはっきりしない。目を開けていると、目の奥が痛い。耐えられずに目を閉じる。

 また寝ていた(よう)だ。こうして再び気付く(まで)に、どれだけの時間が()ったのか分からない。同じ小窓から部屋の中の様子が見える。一度目に見た光景と違うのは、部屋の明かりが()いている事だ。雄斗は、焦点の定まらない目で部屋の天井(てんじょう)煌々(こうこう)(とも)る照明を見る。天井全体がパネルの様に四角く分割され、そのすべてが光っている。

 不意(ふい)に小窓の視界に人の顔が入ってくる。若い女性の顔。女性は、雄斗と目が合うと、にっこりと笑って見せて、すぐに視界から消える。雄斗は視線を明るい天井に(もど)す。

 いつの間にか寝ていた(よう)だ。三度目に気付いた時も、小窓の向こうの部屋は明かりが()いている。今度は少し離れた所で、作業する白衣の男性の姿が見える。部屋の中に並んだ装置の前に立ち、何か操作している(よう)だ。雄斗からは、その背中しか見えない。

 不意(ふい)に男が振り返る。若い男性。雄斗と大して違わない年齢に見える。

「博士。」

 男は、小窓越しに雄斗が目を開けているのに気付くと、小窓の視界からは死角になっている誰かに声を掛ける。()ぐに男が一人、小窓の間近(まぢか)に顔を(のぞ)かせ雄斗を見る。これも若い男。遠くにいる男よりも年配だろうか。はっきりした顔立ちをしている。

「やあ、こんにちは。気分はどうかな。」

 近くに(のぞ)いた男の(しゃべ)る声。カプセルの中に設けられたスピーカーから外の音が聞こえている(よう)だ。男は(かす)かに()みを浮かべる。

「もう少し辛抱(しんぼう)していてくれ。君が此処(ここ)から出られる(よう)になるには、もう少し検査が必要なんだ。悪いね。」

 言い終わると、男の顔が視界から消える。離れた場所で最初に見えた男が笑っている。その男もすぐに背中を向けて作業に(もど)る。変化の(とぼ)しい景色を(なが)めている(あいだ)に、いつの()にか雄斗はまた意識をなくした。

 次に意識を取り戻したのは、カプセルに大きな振動が加わったせいだ。小窓の外では、数人動き回っているのが見え、カプセルに何かがぶつかる(よう)な音と振動が伝わって来る。やがて、はっきりした顔立ちの男が小窓から(のぞ)き込む。一度見た事のある男だ。どうやら雄斗の様子を(うかが)っている。その男の顔が小窓から見えなくなったと思った次の瞬間、空気が()れる音とともに、カプセルの上面がゆっくりと開く。肌に空気の動きが感じられる。今迄(いままで)カプセルの中を(おお)っていた生ぬるい空気とは違う、少し冷えたサラリとした空気。

 同時に視界が開ける。雄斗の前に二人の男性と一人の女性が立っている。いずれも、一度は見た事のある顔だ。

「いやぁ、待たせてしまったね。退屈だったかな。」

 筋肉質の体で、目鼻立(めはなだ)ちがはっきりした男が最初に口を開く。見た目に合わず、甲高(かんだか)い声をしている。

「君の体やカプセルの内部に、菌やウイルスがいないかチェックするのに時間がかかってしまってね。何しろ、君が住んでいた時代には普通に存在していた細菌が、現在では存在していない。君達が獲得している免疫(めんえき)を僕()は持っていないから、もし、少しでも入っていたら、大変な事になってしまう。」

 男はにっこりと、絵に描いたような笑顔を作って見せる。

「君の名前は、何て言うのかな?」

 雄斗は話そうとする。「山神雄斗」と口を動かし、発声すれば良い。(かろ)うじて(くちびる)が動く。けれど、気管を空気が通っても、声帯を(ふる)わせる事が出来(でき)ない。

「あ、ああ。まだ(むずか)しいか。別に(あせ)らなくても大丈夫(だいじょうぶ)だ。これから、徐々(じょじょ)に元の人間に(もど)っていけば良いんだ。とても長い間眠っていたから、全身の運動機能が麻痺(まひ)しているんだ。大丈夫(だいじょうぶ)徐々(じょじょ)に動かせるようになる。安心してくれ。まずは、こんな狭いカプセルから外の世界に出よう。」男は、彼の後方に(ひか)えていた男女を振り向く。「シュン、アイリーン、彼をストレッチャーに移動させてくれ。」

 一番力持ちそうな体をしている男が(わき)退()き、か細い男性と、スタイルの良い女性が雄斗の両脇(りょうわき)に進み、彼の体の下に敷かれた布の両端(りょうはし)(つか)む。二人は息を合わせて布ごと雄斗を持ち上げると、(そば)に置いてあるストレッチャーに乗せ換える。

 三人は雄斗のストレッチャーを押して部屋を出る。出て来た部屋と同じ(よう)天井(てんじょう)パネルがそのまま照明の役目をしている長い廊下を通って違う一室へと入り、雄斗は初めてまともな、人間が寝るのにふさわしい、柔らかいベッドの上へと移された。

 雄斗は、唯一(ゆいいつ)不自由なく動かせる両の眼球を動かして、部屋の様子を(うかが)う。黄白色の間接照明で照らされた室内、落ち着いた色調の壁、ベッドの隣には、大きめのデスクが置かれている。ベッドの前には、雄斗を運んで来た三人、それともう一人、彼()に比べれば小柄な女性が加わっている。

此処(ここ)が、これから君が()らす部屋だ。今はまだ、体の自由が()かないけれど、動けるようになったら、好きに使ってくれて良いんだ。」

 キリっとした顔立ちに短髪(たんぱつ)、筋肉質の男が雄斗に向かって説明する。他の者も雄斗を見ている。

「君の名前はおいおい教えてもらうとして…」

 僕の名前?さっきも最初に()いてきた。どうしてそんなに名前に(こだわ)るんだ。そもそも、何故(なぜ)僕の名前を知らないのだろう。僕が入っていたコールドスリープのカプセルに名前が、仮死(かし)状態に入った日付と共に書かれていた(はず)だ。

「…我々の自己紹介をしよう。」筋肉質の男が微笑(ほほえ)む。「私が、此処(ここ)の主任を(つと)めるサイガだ。」男は、右手を自分の胸に当てる。

「あ、シュンって言う。サイガ博士と研究をしている。」

 ヒョロヒョロと背の高い男が、サイガと名乗った筋肉質の男に(うなが)されて自己紹介する。

「私はアイリーン。シュンと同じで、サイガ博士と一緒に働いている。」

 メリハリの()いたボディと整った顔。きっと彼女は誰にも負けない。

「私はサクラです。これから、あなたの生活のお手伝いをさせてもらいます。よろしくね。」

 小柄な女性は、頭を少し右に傾けて、柔らかく微笑(ほほえ)む。顔も体も丸みを帯びていて、それだけで(やさ)しさが(にじ)み出ている。(とし)は雄斗とあまり変わらない(よう)に見える。こんな子が世話をしてくれるのか。自分で動けないから仕方(しかた)ないけれど、ちょっと(うれ)しい(よう)でも、恥ずかしい(よう)でもある。

「僕()が、これから君をサポートしていくメンバーだ。」各自の自己紹介が終わると、サイガ博士が勢いよく話し始める。「ようこそ、現代へ。この世界の全てを満喫(まんきつ)してくれ。老いも死も恐れずに生きていける、ここはパラダイスだ。君も元気になったら、その目で確かめてくれ。僕は君をずっと待ち望んでいたんだ。ずっと探していたのさ。君は、我々の救世主(きゅうせいしゅ)だ。」

 サイガ博士は、大仰(おおぎょう)に両手を広げて叫ぶと、満面(まんめん)()みを作って雄斗を見た。


 『君も元気になったら』とサイガ博士は言ったが、その日はなかなか来なかった。雄斗の回復はゆっくりと進んだ。声が出せる(よう)になり、首を回し、食事が出来(でき)(よう)になる。そうやって、何ひとつ自分では出来(でき)ないところから、一つ一つ取り(もど)していく。サクラは毎日雄斗の部屋に来て世話をしてくれる。最初に全身を()いてもらった時は、この(うえ)なく恥ずかしかったが、体の自由が()かないからどうにもならない。サクラの介添(かいぞ)えにボディビルダーの(よう)な若い男が来て、雄斗の体を持ち上げたり、裏返したりした。その(たび)(あら)わになった肉体をサクラが(やさ)しく()いてくれた。

 どうにか自力で上半身が起こせる(よう)になった頃、サイガ博士が二人の助手を連れて、雄斗の部屋に来た。

「調子はどうだい?」

 部屋に入って来るなり、サイガ博士は軽い調子で話し掛ける。

「はい、だいぶ動ける(よう)になりました。」

 最初は何も自分で出来(でき)ず、これからどうなってしまうのだろうと陰鬱(いんうつ)な気分になっていたが、段々(だんだん)回復していくのを実感出来(でき)て、雄斗の気持ちは上向き始めている。

「えっと、名前はユウト君で良いのかな?」

 自身の名前は、(しゃべ)れる(よう)になった()ぐ後に、サクラに()かれて答えていた。きっと、その情報が彼()にも伝えられたのだろう。

「はい。そうです。」

「私の名前は(おぼ)えていてくれたかな?」

「あ、はい。…サイガさん。」

「お~、そうそう。」

 博士は如何(いか)にも(うれ)しそうに上体を()()らせる。

「それじゃ、このお(じょう)さんの名前は?」

 博士は、隣に立つ美人を()して問う。

「アイリーンさん。」

 綺麗(きれい)な人の名前を忘れる(わけ)がない。

「こんにちは。」

 アイリーンは笑顔を見せる。雄斗までつられて笑顔になる。

「じゃ、こっちは?」

 今度は少し後ろに下がって立っている()せた男を指差(ゆびさ)す。

「あ、…シュンさん。」

上出来(じょうでき)だ。」

 シュンは、何か気に入らないのか、不満気(ふまんげ)(つぶや)く。

「うん、良く出来ました。」サイガ博士は上機嫌(じょうきげん)だ。「それじゃ、ユウト君。…おっと、そう呼んでも良いかい?」

 雄斗は黙ったまま、首を縦に振る。

「…ありがとう。じゃ、僕()は知りたい事があるんだ。質問に答えてくれ。君は、何故(なぜ)コールドスリープなんか利用したんだい?」

 あれ?何で知らないのだろう?

 雄斗は一気に不安になる。仮死(かし)状態から目覚めた時も、名前を知らない事が引っかかった。

「あの、僕が眠っていた施設にデータがありませんでしたか?」

「データ?」

 サイガ博士は(いぶか)()な顔をする。

「コールドスリープしている人に関するデータが、一緒に保管されていた(はず)です。」

「あ、ああ、そうか。…残念だが、それは失われてしまった。君は、壊れた施設の中から(かろ)うじて救出出来(でき)たのさ。君を救い出すので精一杯だったんだ。」

 博士は、済まなそうな顔をする。

「え、壊れたんですか。」

 施設は半永久的に管理されると聞かされていた。大きな地震があっても、決して壊れない丈夫な施設だと医者は言っていたのに。だから、名前も分からなかったのか。

「他の人は?施設で眠っていた他の人はどうしたんですか?」

 雄斗が施設に入った時、稼働(かどう)しているコールドスリープ用カプセルが(すで)にフロア一杯に並んでいた。自分と同じ(よう)に、コールドスリープの準備をしている最中(さいちゅう)の人も見た。あの人達は、自分よりも先に目覚めたのだろうか?

「いや。」サイガ博士は軽く目を閉じて首を横に振る。「僕()は、生存者を探していたんだ。…壊れた施設に残る生存者を見つけて救い出す為にね。」

 博士は、そう言いながらアイリーンの方を向く。アイリーンは横目でどこか冷たい視線を博士に返す。二人のやや後ろに立つシュンは、傍観者(ぼうかんしゃ)になりきって、全ての成り行きを見守っている。

「もう、君しか見つからなかったよ。他の人は残念ながら、手遅れだった。」サイガ博士はすまなそうな顔になる。「それで、君はどうしてコールドスリープを?」

「僕は、自分の遺伝子(いでんし)配列から、将来病気を発症するリスクが高いと言われました…。」

 雄斗は、自分の知っている限りの経緯(いきさつ)を話す。将来病気を発症する可能性が80%ある事、当時、症状を抑える薬はあっても、治療法(ちりょうほう)は確立されていなかった事、そのため、未来に治療法が確立され、自分が生き延びられる世界になる(まで)コールドスリープする決断をした事…。

()(ほど)。僕等は、生化学の専門家ばかりだ。染色体(せんしょくたい)のどの部分に問題があるのかね?」

「説明されたけど、憶えていません。資料が一緒に保管されると聞かされていたので、憶える必要もないと思っていました。」

「ふん、そうか。そうだよね。…どっちにしても、君のゲノムは調べる予定だったから、その際に問題の箇所が無いか探してみるよ。」

 サイガ博士は、また、雄斗に笑って見せる。

「二十代で80%の確率で発症するのなんか、心配()らないさ。」不意(ふい)にシュンが話に割り込む。「今をどんな世界だと思っている。死ぬ心配をする必要なんかない。最初は覚悟(かくご)がいるかも知れないが、一度慣れてしまえば…」

「シュン。」調子に乗って(しゃべ)り出したシュンの言葉を(さえぎ)(よう)にサイガ博士が声を掛ける。「セイヤ君を呼んで来てくれるか。彼の、ユウト君のリハビリの話をしなければならないから。」

 博士とシュンは、無言で(しばら)く視線をぶつけあっていたが、シュンがフンと鼻で笑う。

「分かりました。」

 プイと出口に向き(なお)って、シュンは部屋を出て行く。

「ああ、彼の言った事は本当さ。僕等は、死なずに生き続けている。君もそうなれる。でも、君が言っていた染色体上の問題が何なのかは調べよう。どんな問題なのか把握(はあく)して、(なお)せるなら(なお)してしまった方が良いからね。」

 会話から取り残されていた雄斗に向かって、博士は説明を加えて、また微笑(ほほえ)んで見せる。

「まずは、歩けるようになりましょ。」

 隣でアイリーンも微笑(ほほえ)む。

「そう、君は普通の生活を取り(もど)すために、筋肉を付けなけりゃならない。」

 博士は()()()たりとばかりに(うなず)く。

 ()ぐにドアが開いて、二人の男性と一人の女性が現れる。一人はシュンが連れて来たボディビルダーだ。雄斗の体を()くのを手伝っていた男だ。後ろから付いて来る小柄な女性はサクラだ。

「彼が君のリハビリを担当してくれるセイヤ君だ。」

 博士がボディビルダーを雄斗に紹介する。いかにもボディビルダーだ。肌は褐色(かっしょく)をしている。他の研究者はみな青白い、どちらかと言えば不健康に思えるくらいの肌の色なのに対して、セイヤのそれは、上手(うま)く焼けたパンケーキの色だ。よく見れば、青い(ひとみ)をしている。鼻が高く、目が落ち(くぼ)んでいて、金髪の短髪(たんぱつ)と合わせて、とても東洋人には見えない。

「やあ。」セイヤは大股(おおまた)でベッドの上の雄斗に近付いて来て、片手を差し伸べてから、博士を不安そうに振り返る。「…えっと。」

「ユウト君だ。」

 博士が告げる。

「やあ、ユウト、よろしく。」

 セイヤはもう一度、雄斗を振り返る。雄斗が(おもむろ)に差し出した手を、しっかり握って上下に激しく()する。セイヤにとっては普通の力加減(ちからかげん)なのだろうが、(ようや)く握力を取り戻し始めた雄斗にはきつい洗礼(せんれい)だ。

「明日から、君のリハビリを担当するセイヤだ。君が跳んだりはねたり出来(でき)(よう)になる(まで)、しっかりサポートするからね。覚悟しておいてくれよ。」

 セイヤはそう言うと、片目を(つむ)って見せる。

「あの、リハビリってどんな事するんですか?」

 雄斗はセイヤの勢いに不安を感じて、彼を取り巻く人間達の表情を探る。

「あれ、君の住んでいた時代でもあったんじゃないかな。」博士が首を(かし)げる。「長い間ベットに寝たままだと筋肉が落ちてしまう。日常生活に(もど)るには、リハビリで筋肉を戻して行かないとならないんだ。長い眠りから覚めた君なら尚更(なおさら)だ。大丈夫、元々健康体の君ならば、()ぐに元に(もど)れるさ。」

「日常生活の行動も」この機を待っていたかの(よう)に、サクラが口を(はさ)む。「自分で出来(でき)る様にチャレンジしていきましょう。」

「他に質問はあるかな?」

 サイガ博士は雄斗の発言を待っている。『質問は』と言われれば、()きたい事は無限にある。でも、何故(なぜ)だろう。雄斗を取り巻くこの人達に質問する気になれない。今の雄斗と向かい合う人達との間には、容易に越えられない大きな(みぞ)が横たわっている。

「…いえ、今は良いです。」

 小さな声で、雄斗はそれだけ言った。



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