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1-下

 夕食の時、雄斗は声を上げた。

「父さん、今日は遅いのかな。」

 テレビだけが音を出している。母も妹も(しゃべ)らない部屋の中で、唐突(とうとつ)に雄斗の声が(ひび)く。一瞬たじろいだ(よう)に、母と妹の動きが止まる。

「さあ…、朝何も言っていなかったから、八時くらいには帰って来るでしょ。」

「今日の内に結論付けちゃいたいんだ。」

 ()れあがったデキモノに触れない(よう)にしている、もうこんな生活を続けたくない。

「もう良いの?ちゃんと考えた?」

 あやめは心配気(しんぱいげ)に反応する。

「ちゃんと考えたさ。」つい、イラついて声に(とげ)()える。「これ以上、()を置いたってしょうがないだろ。どっちかしかないんだから。」

「そうだけど…」

 あやめはどう対処して良いのか困っている。奈那は二人の様子を(うかが)いながら、黙って咀嚼(そしゃく)している。雄斗はそんな二人の様子を感じ取りながら、目を合わさない(よう)にして食事を続けた。

 父の明は、あやめの推測通り、八時過ぎに帰って来た。テーブルに着いて、冷めかけた夕飯を一人で()っている。

「あなた、雄斗が昨日の話の続きをしたいんですって。」

 お茶の入った湯呑(ゆのみ)をテーブルに置きながら、あやめがおずおずと声を掛ける。明は(はし)を口に運びながら、あやめを見上げ、視線をソファでスマートフォンを(いじ)っている雄斗に移す。

「あのさ、もう、決めたいんだ。」

 スマートフォンを(いじ)るのをやめて、雄斗は(あきら)を見る。

「そんなに(あわ)てなくても良いんじゃないか。お前の人生を左右するんだ。じっくり考えたら…」

「考えたよ。」どうしても、声に感情が乗るのを(おさ)えられない。「昨日から、ずっと考えたよ。」

 高々(たかだか)一日だと言われるかも知れない。でも、(いや)という(ほど)考えた。夜は眠れず、授業も(うわ)(そら)で、帰って来てからは部屋に引き(こも)って。もう、これ以上考えられないというくらい考えた。自分の事だから必死で考えた。もう、すっきりしたい。後で迷いが(しょう)じない(よう)に、大声でみんなに宣言して、覚悟を決めてしまいたい。

「…そうか。そうだな。」

 明は、雄斗の気持ちを察したのか、それだけ言うと食事に戻る。さっさと食事を済ませてしまってから、家族四人でまたテーブルを囲む。

「お前はどうしたいんだ。もう、お前の気持ちは決まっているのか?」

 最初に明から()いて来る。

「うん。…でも、先にみんなの意見を聞かせてよ。僕の気持ちはみんなの意見を聞いてから話すよ。」

 雄斗は、真剣(しんけん)眼差(まなざ)しで家族を見回す。

「じゃあ、父さんから話そう。」明は落ち着いた口調で話し始める。「雄斗が(かか)る可能性のある病気について調べたよ。薬で抑えられると医者は言った(よう)だが、薬の()き具合は人に()って違う(よう)だ。薬を飲んでいても、病気が進行してしまう場合もあるらしい。父さんは、雄斗が成人して独り立ちするのを見守っていきたいけれど、それ以上に、お前に病気になって欲しくない。なんの(うれ)いも無い人生を送って欲しいと思う。」明は、此処(ここ)(まで)話して、一度黙る。どう話そうか迷っていたが、もう一度口を開いた時は、一気に言葉を()いた。「後は、お前が決める事だ。」

 雄斗は小さく一つ(うなず)く。

「私?」(しばら)くの沈黙の後、あやめが周囲の雰囲気(ふんいき)(さっ)して、口を開く。「私は…、雄斗に元気でいて欲しい。大事な息子だから。雄斗が苦しむのは(いや)。それだけ。」

 しょうがないけれど、どんどん陰鬱(いんうつ)な雰囲気になっていく。雄斗は我慢(がまん)して聞いている。

「どっちが良いんだ?」

 明が自分もはっきり言わなかった事を(たな)に上げて、あやめに問い掛ける。

「どっちって。雄斗が苦しまないのは、どっち?」

「どっちとも言えない。発症しなければ、今のままが一番良い。コールドスリープしたとして、将来治療法が確立する保証は無い。」

 明は、テーブルに視線を落としたままで話す。

「いいよ。母さんの気持ちは分かったよ。」雄斗が助け船を出す。「今度は奈那だ。」

 雄斗は奈那を見る。奈那は、三人の表情を(うかが)ってから、居づらそうに腰を動かしつつ口を開く。

「私はぁ…別に…。」そこまで言って(うつむ)く。「…お兄が苦しむのを見るのは嫌だ。」

 最後の方は声が(ふる)える。奈那は(うつむ)いたままだ。

「そうか。ありがとう。」

 静かに雄斗は礼を言い、奈那を発言する立場から解放してやる。

「じゃ、最後は僕だね。」思い切り沈んだ空気を振り払う(よう)に、快活(かいかつ)に雄斗は声を上げる。「僕は、コールドスリープを選択しようと思う。」

 一度言葉を切って、家族の反応を探る。誰も肯定(こうてい)も否定もしない。それを確認してから、雄斗は話を続ける。

「このまま、(とし)をとって行けば、きっと病気を発症すると思う。薬が効くか分からないでしょ。自分の将来が制限されちゃうのは嫌だから。」

 家族が納得しやすい理由。今日、学校から帰って来て、意思を固めてから一生懸命考えた理由を口にする。本当はもう、逃げたいのかも知れない。遠藤さんと彼氏(かれし)の楽しそうな姿をこの先も見るのは(つら)いし、自分の病気の可能性を友人に知られて、変に気を(つか)われるのも(うと)ましい。何より、こんな(ふう)に、自分の事で家族が普通で無くなるのが一番(つら)い。自分の居場所が何処(どこ)にも無くなってしまう。雄斗も自分が(かか)るかも知れない病気について調べた。徐々(じょじょ)に体力を失って、日常生活が出来(でき)なくなっていく。最初こそ、健常者(けんじょうしゃ)と変わらない(よう)だが、その末期は悲惨だ。そんな姿を家族にも、知り合いにも(さら)したくない。自分の事でこれ以上迷惑を掛けたくない。それを正直に伝えれば、(かえ)って家族に気を(つか)わせる事態になるのは見えている。自分のために、まだ見えない未来に()けてみるとするのが、一番納得してくれるに違いない。

「そうか…雄斗はそれが良いんだな。」

 明はどこか寂し()だ。優しい目で雄斗の表情を見ている。

「うん。お金が掛かっちゃうけど、そうしたい。」

 コールドスリープに入るための初期費用は大きい。けれど、高額医療制度の適用が受けられ、個人の負担はそれでも抑えられていると、インターネットの情報に書かれていた。コールドスリープの施設は国の運営で、個人負担は初期費用以外に無いと医者は言っていた。病気を発症して生涯治療を続けていくよりも、家族の家計への負担が少ない事も、雄斗は自分で調べた。

「なに、そんな事、お前が心配しなくて良いんだ。」

 静かに(あきら)が口にする。あやめが雄斗の隣で大きく(うなず)いている。雄斗は何か大変な事をやり()げた(よう)に肩の力を抜く。その時は、それ以上の話にならずに終わった。なんとなく、互いの意思を確認し合って雄斗は結論が出たつもりになれた。

 夜遅く、雄斗の部屋のドアを(ひか)えめにノックする音がする。雄斗がベッドに寝ころんだまま(こた)えると、奈那が顔をドアから(のぞ)かせ、部屋に一歩入った所に立つ。

「なんだ?」

 雄斗は上体を起こす。

「お兄は、ほんとにそれで良いの?」

 なんだか、少し(とが)める(よう)口調(くちょう)だ。

「なんの話だ?」

 大体(だいたい)、見当はつく。でも雄斗ははぐらかす。

「コールドスリープって、冷凍保存みたいなものでしょ。怖くない?」

「そりゃ、怖い気持ちもある。でも、将来、病気になるかも知れないのだって怖い。」

「病気にならないかも知れないじゃない。コールドスリープなんて方法取らなくても、あと数年すれば、治療法が見付かるかも知れないじゃない。」

 自分で言いながら、奈那は段々興奮してくる。

「そうならなかったら、どうするんだよ。」

 雄斗もなんだか、イライラしてくる。

「お兄は、私()家族と離れてなんとも思わないの?」

 (ようや)く、奈那の言いたい事が見えて来る。

「なんともない(わけ)ないだろ。だからって、どうしろって言うんだ。ほんとはどっちも選びたくなんかないのに決まってるだろ。」

「だったら、そう言えば良いじゃない。なんで、さっきみたいに、冷静でいられるの?」

(わめ)いたって変わらないじゃないか。」

 別に両親を困らせたい(わけ)じゃない。もう、それが許される(とし)だとも思っていない。

「なんでよ。なんで、そんな冷静に判断出来るのよ。もう、会えないんだよ。これで、お兄が冷凍になっちゃったら、二度と会えないんだよ。」

「分かっているよ。うるさいな。そんなの分かっているって。でも、しょうがないだろ。」

「おかしいよ。そんな簡単に(あきら)められるなんて、おかしい。」

 奈那はそれだけ、声を上げて言い(はな)つと、ぷいっと向きを変えて出て行く。勢いよく閉まるドアが大きな音を立てると、後は何も聞こえない。

 未来で、未来で頑張るんだ。それが良いんだ。

 雄斗の体の中に、どこにぶつけて良いのか分からない不満が渦巻(うずま)いている。昼間、電車の中で感じた気持ちが(よみが)えって来る。立ち上がり、右手の(こぶし)を強く握りしめると、目に付いた壁を思い切り(なぐ)る。(にぶ)く大きな音と右手の(ひど)い痛みを感じながら、雄斗は()っ立っていた。その夜以来、奈那とは口を()いていない。


 結局、結論を出したのか、まだなのか曖昧(あいまい)なまま、いつまでも中途半端(ちゅうとはんぱ)に放っておくのが嫌で、雄斗は母のあやめに、医者に行って結論を話したいと要求した。

「ほんとに良いの?」

 あやめは心配そうな様子を隠そうともしない。

「うん。考えたって二者択一でしょ。これ以上先延ばしにしたくない。コールドスリープするとなったら、きっと準備も必要なんだろうし。」

 自分の決意が揺らいでしまうのではないか。もしかすると、それを恐れているのかも知れない。迷って、どうしたら良いのか分からなくなったら苦しい。

 あやめは何度も雄斗に()かされて、(つい)に病院に連絡し、主治医と会う日時を決めてくれたが、まだひと月近く先だ。それでも日にちが決まったから、雄斗は我慢(がまん)して何事も無かった(よう)に毎日高校に通っている。勿論(もちろん)、学校の誰にもこの話をしていない。部活の顧問(こもん)にも、結論を出したとは話していない。

 ある朝、いつもは先に家を出る(あきら)が、家の中でぐずぐずして出掛けようとしない。特に気にしていなかったが、雄斗が家を出る段になって、駅まで一緒に行こうと声を掛けてくる。別に断る理由は無い。何だか薄気味悪(うすきみわる)く思いながら、雄斗は首を縦に振る。

「お前は、何かやりたい事があるのか。」

 道を並んで歩きながら、早速(さっそく)、明は口を開く。

「え?」

 急な話で、要領(ようりょう)(つか)めず()き返す。

「いや、だから、コールドスリープする事に決めたじゃないか。それで、未来に行って健康な体を手に入れたら、雄斗は何がしたい。」

 余りにも仮定が多い話だ。目の前の選択に汲々(きゅうきゅう)としているのに、その先の事なんか考える暇なんか無かった。

「別に…。」

「じゃ、未来でなくても良いから、何かやりたい事は無いか。」

 まるで、クリスマスのプレゼントを探る(よう)な質問だ。

「特に無いよ。」

「お前、陸上部で中距離やってたよな。陸上競技で目標にしている大会とか。」

「え~。そんな才能がある(わけ)じゃないよ。ただ、走るのが好きでやってるだけだから。」

「じゃ、将来なりたい職業とか。」

「そんなの…、まぁ、なんとなくなら。」

「なんだ。何をやってみたいんだ?」

 雄斗のちょっとした発言に勢い込んで(たた)みかけて来る。正直うざい。

「英語以外の外国語をマスターして、ヨーロッパと日本を(つな)ぐ職業が出来たらなって考えた事はある。」

「通訳か。外国語って、なんだ?」

「特に決めてないよ。なんとなく考えた事があるだけだって言ったろ。」

「なんで、ヨーロッパなんだ?」

「だから…。」

「そうか。じゃ、大学に行って勉強しなきゃな。」

「…うん。」

 会話が途切(とぎ)れる。これから長い眠りに()こうという息子に、こんな話をして何になるのか。

「お前が大学に行くのを応援してやれなくて残念だ。」

 急に真面目(まじめ)な声で(あきら)が話し始める。雄斗は驚いて明の顔を見るが、父は真っ直ぐ前を見たまま話している。

「一緒にキャンプに行ったのを覚えているか?」

 急に何言い出すんだ。随分(ずいぶん)昔の話じゃないか。

「うん、まぁ。」

「テントの立て方教えたら、全部自分でやるんだって意地張って、ペグが上手(うま)く打てる(まで)何度も挑戦して、結局、最後はちゃんとやり切ったよな。」

「最初は、設置する場所選びを知らなくて、夜寝る時、背中で石がゴツゴツしていて寝られなかったけどね。」

「ハハハ、そうだったかな。」

 今なら、一人で素早くテント設営出来(でき)る。無駄(むだ)な技能だ。

「…お前は遠い未来に、自分の力で道を切り(ひら)いていかなけりゃならない。それはきっと大変だ。くじけそうになるかも知れない。…でも、お前なら、きっと出来(でき)ると信じている。」

 雄斗は明の表情をずっと見ていた。何か決意したような硬い表情をしている。

「何しろ、俺の子だからな。」

 明は、不意(ふい)に視線を雄斗に向けて、おどけて言った後で笑って見せた。


 医師にコールドスリープを選択したと告げると、()ぐに話は動き出した。一週間で身の回りの整理をしなければならない。未来に目覚めた時に必要な物、(たと)えば、身分を証明する物や自分が大切にしている物、将来も使いたい物などは、まとめてコールドスリープセンターに送る。個人毎に、次に目覚めた時に渡せる(よう)に管理してくれる。要は、身の回りを整理すれば良いのだが、一週間は短い。学校に状況を説明して、クラスで挨拶(あいさつ)をし、陸上部の顧問(こもん)にもお礼を言った。気の合う友達は、別れを惜しむというよりは、興味本位でコールドスリープについて()きたがった。これで一生会えなくなると思えばこそ、雄斗はそんな一つ一つに丁寧(ていねい)に対応した。

 結局、遠藤さんには何も言えなかった。一対一でお別れの話をする(ほど)、特別仲が良かった(わけ)じゃない。それに、彼氏が出来た遠藤さんになんて言えば良いのか思いつかない。迷惑に思われるだけだ。雄斗は、自分の未来に目を向けると決めた。

 コールドスリープセンターに行ってもすぐに眠る(わけ)じゃない。まずは、センターで雄斗を担当する医師と面談する。そこで、装置に入る(まで)のスケジュールを教えてもらう。まずは、体の精密検査だ。凍らない程度の低温を維持して生命活動を抑制する。当然、免疫(めんえき)機能も抑制されるので、感染症に(かか)っていると、低温で寝ている間に病原体に負けてしまうらしい。だから、ほんの小さな場所でも病原体が取り付いている部位があれば、徹底的に治療を(ほどこ)す。体の外側だけじゃなく、臓器まで念入りに検査される。この結果で、いつコールドスリープに入るのかが決まる。最悪の場合、コールドスリープに入れない可能性もある。

 雄斗は(しばら)く、コールドスリープセンターの宿泊棟に泊まり、検査三昧(ざんまい)の日々を過ごす。雄斗は一室を与えられ、コールドスリープ装置に入る(まで)の期間、そこで過ごす。個室で一人、何もせずにいると、どんどん不安になってくる。自分でコールドスリープに決めた時を思い返せば、なんだか今の世界から自分を消してしまいたい気になって、勢いで決めてしまった(よう)にも思える。後悔はしていない。結局、熟考(じゅくこう)したところで、結論は同じだったとも思う。でも、他に気を(まぎ)らわせる物も無く、それだけ考え込んでしまうと、どんどん不安になってくる。

 治療法が確立された未来に生き返ると言うが、治療法がいつまでも見付からない可能性だってある。そうなったら、自分はどうなるのか?もうあきらめて、生き返りますと言う(わけ)には行かない。自分は意識の無い仮死(かし)状態だ。

「大丈夫、施設は半永久的に公益(こうえき)法人によって運営、管理されます。」

 主治医は、そう言った。それは眠り続けられる事を保証しているだけだ。必ず覚醒(かくせい)する未来が保証される(わけ)じゃない。

 雄斗は、不安に押し(つぶ)されそうになっている自分に気付き、考えるのをやめた。自分は高校生途中で眠りに入ってしまう。失われる学びの時間を少しでも(おぎな)うために、本を読んで知識を付けよう。そうしている内に、いずれ眠る時間がやって来る。雄斗は、只管(ひたすら)本を読み(あさ)(よう)になった。

 母のあやめは、毎日の(よう)に、雄斗の所に着替えを持ってやって来た。雄斗がコールドスリープを選んだ後、(しばら)くは動揺している(よう)だったが、雄斗の身の回りの整理を手伝いながら、少しずついつもの母に戻って行った。

「これ、着替え持って来たから。」

 今日も雄斗の個室に入るなり、あやめは手提(てさ)げバックをテーブルの上に置いて言う。

「うん。」

 雄斗は、視線を本の上に落としたまま返事する。

「検査結果は何か出たの?」

「いや…、まだ。」

「そう。結果、問題ないと良いわね。」

 母の声に元気がない。雄斗はふと母親の表情に目を()る。別にいつもと変わらない。雄斗は視線を本の文字の上に戻す。

「明日ね、土曜日でしょ。だから、父さんも奈那も雄斗に会いに来るって。」

 声はいつもの調子に(もど)っている。張りのある、明るい声。

「良いのに、わざわざ来なくても。」

「そんなこと言わないで。」

 今度は強い口調(くちょう)で否定する。雄斗はもう一度あやめの表情を(うかが)う。彼女は、眉間(みけん)にうっすらとしわを寄せて雄斗を見ている。

「もう、何日かしたら、会えなくなっちゃうじゃない。」

 そう言われれば、そうだ。

「うん…。」

 でも、この世界に残れる家族の事など気にしている余裕はない。自分の事だけでいっぱいいっぱいだ。もしかしたら、この一日、一時間が最後の自分の人生になるかも知れない。

「母さんね、雄斗に言うべきじゃないのかも知れないけど、ほんとは、あんたに何か異常が見つからないかなって思ってる。」彼女は片頬(かたほお)に引きつった()みを浮かべる。「異常があって、これじゃコールドスリープは無理ですって、言われたら良いなって。」

 結局、母さんはコールドスリープに反対だったって事か。

御免(ごめん)ね。雄斗が病気になったら大変なのも分かっているけど…。」

「コールドスリープが駄目(だめ)なら、薬で押さえれば良いよ。別に、そうなったら(あきら)める。」

 雄斗も、コールドスリープ出来(でき)ないなら出来ない結果でも仕方(しかた)ないという気持ちだ。このセンターで生活する内に、それ(ほど)コールドスリープに(こだわ)っていない自分を自覚した。

「そう…、そうだね。」あやめは、ちょっと雄斗を見て、作り笑いをすると、()ぐに目を()らす。「じゃ、母さんは洗濯物持って行くから。」

 雄斗が洗濯物を詰め込んでおいたビニール袋を床から手早く取り上げて、あやめは個室の出口へと足早(あしばや)に歩く。

「じゃ、明日は父さんも奈那も来るから、ちゃんとお話ししてね。」

 ドアから帰り(ぎわ)に、あやめは雄斗を振り返ってそれだけ言うと、()ぐに姿が見えなくなった。


 結局、検査結果に問題は無かった。ここから、コールドスリープに向けて体の準備が始まる。主治医が雄斗に説明する。

「胃腸の中を空にします。内臓に消化途中の物が残っていると、それが寝ている間に腐敗(ふはい)してしまう。そのリスクを回避するためです。一方で体力は維持しなければなりません。点滴(てんてき)(おぎな)いますが、完全には(おぎな)い切れません。食事制限を始めてからコールドスリープに入る(まで)の時間が長くなると、体力が落ちていってしまいます。なので、このフェイズに入ったら、タイムスケジュール通りに進めなければなりません。もし不測(ふそく)の事態が起きたら計画を中止し、一旦通常生活に(もど)り、体力が完全に戻るのを待ちます。安全を見て、再度チャレンジするのは一年後と言うところでしょうか。」

「…一年後。」

 一度決断した後は、勝手に物事が進んでいく。今の雄斗は、(ただ)、それに乗っかって流されているだけだ。もし、コールドスリープに入る前にトラブルでもあって中断したら、きっともう挑戦しないだろう。なんだか、そんな予感がする。

「体の外側にも内側にも病原菌や細菌が残っていると、寝ている間に体を(おか)される危険があります。無菌室に移って、全身を滅菌(めっきん)していきます。」

 雄斗に関する個人情報は、何故(なぜ)コールドスリープを選択して未来に望みを(たく)したかを含めて、施設のデータベースに保管される。雄斗が未来に持って行く私物は、小さなトランク程度の空間に収まる量に制限された。小さい頃からの写真が貼られたアルバム、家族の写真、お気に入りのゲーム、スマートフォン。きっと、未来のゲームも携帯ももっと想像もつかない物になっていて、現代の物を持って行っても使えないだろう。それでも、未来で自分は浦島太郎になるんだ。何も無しでは(つら)すぎる。

 内臓が空になった後、最終段階だ。雄斗はクリーンルームに入る。此処(ここ)に入ったら、外界と接する事はなくなる。この先には、コールドスリープのカプセルが待ち受けている。勿論(もちろん)、自分の意思で中止する事だって出来(でき)る。この()(およ)んで、中止を主張する理由もない。この施設の何か大きな流れに乗って、何も考えようとせず(ただ)(ただよ)っている自分が、(つい)に最後に流れ着く海を目の前にしていると感じる。

 カプセルに入る当日、リモートで家族と最後の対面をする。映し出された画面の向こうで両親と妹がこっちを見ている。きっとベッドに横たわる雄斗の姿も向こうに届いているのに違いない。

「雄斗…。」

 最初から、母は泣いている。

「おい、聞こえるか。」

 父は、余裕の無い声で呼び掛けてくる。

「ああ、聞こえてるよ。僕の声が聞こえるかな。」

 何だか自分の葬式を見ている(よう)だ。きっと、もう二度と会えないのだから同じ(よう)な物か。こんな(ふう)に家族の顔を見ても、自分がひどく冷静なのは意外だ。

「ああ、聞こえる。良いか、雄斗、遠い未来に行っても、お前は一人じゃない。現代から俺達がお前の事を見守っているからな。」

 父が早口で(まく)し立てる。まるで何かに追い立てられている(よう)だ。

「うん。わかった。」

「お兄、元気でね。」

 そう言えば、あの夜、自分の部屋に来た奈那と言い争って以来の会話だ。

「ああ、奈那も元気でな。」

 奈那が何度も首を縦に振る。顔がくしゃくしゃだ。

「おい、お前も何か言ってやれ。」

 (あきら)があやめに(うなが)すが、母は下を向いたまま、首を横に振るばかりだ。

「父さん、母さん、長生きしてね。」

「ああ、俺達の事は心配しなくて良いから、お前の事だけ考えろ。」

「じゃあ、行くよ。」

 父が、画面の向こうで二、三度(うなず)く。結局、母が雄斗の姿を見ていられたのは、最初の一瞬だけだった。奈那は鼻を赤くしながらも、こっちを見ている。

「もう、良いですか?」

 雄斗の(かたわ)らに立つ防護服で全身を(おお)った看護師が声を掛ける。

「はい、大丈夫です。」

 防護服の看護師二人に両側から(かか)え上げられて、雄斗はベッドから専用のストレッチャーに移される。きっと事の一部始終(しじゅう)を家族はモニターで見守ってくれているのだろう。

ストレッチャーはカラカラと乾いた音を立てて、少し離れた場所で大きな金属製のワニの(よう)に口を開けたカプセルへと運ばれる。ストレッチャーの(あし)が広がり、カプセルを(また)いで進み、雄斗の体を乗せた布地は、両側をストレッチャーの骨組みに支えられたままカプセルの真上で止まる。看護師が操作すると、徐々(じょじょ)に雄斗の体は下がって行き、布地と一緒にカプセルの中に(おさ)まる。

「それじゃ、おやすみなさい。」

 看護師の一人がそう声を掛けて、カプセルの(とびら)を閉める。冷却が始まる前に、カプセル内に麻酔剤(ますいざい)が充満し、雄斗は眠りに落ちた。



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