侍女の不安
「ノエル、さっきの続き。“帰ってくるあの方”について聞かせてちょうだい」
エイデンと別れたあと、貴賓室に戻りすぐさま尋ねた。
ノエルの表情はどこか強張っていて不安そうに見えるし、あまり話したい内容ではなさそうだけれど、このまま引き下がるわけにはいかない。
だって、どう考えてもさっきのエイデンの様子はおかしかったもの。
まっすぐ目を見つめるとノエルは観念したようで。困ったように笑って口を開いた。
「オデット姫様は……こうお思いになったことはありませんか? “なぜエイデン皇子殿下には婚約者がいらっしゃらないのか”と」
「婚約者? あまり気にしたことがなかったわ……アクアの王族は結婚相手を早めに決めておくことは基本的にしないから。でも、イグニスとアクアは違うし、確かにイグニスは十六、七歳を過ぎた頃に決めることが多いと聞いた気がするわね」
ノエルは、私の返答にこくりとうなずき、右手を顔の横に出して親指だけを折り曲げた。
「婚約者ですが、本当は過去にいらっしゃったんです。四人もの方が」
「四人って、どういうこと?」
ノエルの話が全くと言っていいほどにわからない。
イグニスは基本的に一夫一婦制で、跡継ぎの男子を授かれない場合にのみ、側室を迎えることを許される。そんなふうにエイデンから聞いたはず。
となると、婚約者は四人同時ではなくて……
ちらと視線を送ると、ノエルはこくりとうなずいた。
「はい……四回とも破談になりました。全て、他国の姫様や貴族のお嬢様から、婚約破棄のお申し出があったのです」
「婚約破棄ですって!? よほどじゃないとそんなこと起こらないわよ」
驚きのあまり目を見開いて、声を荒らげる。
王族の婚約は、本人だけの問題じゃない。
家が絡み、国が絡み、国民の未来さえも関わってくるような重大なこと。
そう簡単に破棄できるものではないし、皇族や貴族からの信用失墜、一族や領民の冷遇、没落まで覚悟する必要がある。
他人のことなのに、考えるだけでも恐ろしくて、頭から血の気が引いてしまう。
ノエルはそんな私を見て、困ったように笑った。
「姫様方にとって、その“よほどのこと”があったのです」
深く息を吸い込んだノエルは、物語を伝えるようにぽつりぽつりと話し出す。
「はじめは皆様、エイデン皇子殿下との婚約を大層喜ばれていました。殿下も婚約者様に心優しく誠実に接してらっしゃったようで、城内も“結婚の日が楽しみだ”と毎度湧き立っていたのです」
次第にノエルは物悲しげに視線を落とし、言いづらそうに口をもごつかせる。
「続きを聞かせて」と促すと、こくりとうなずいてまた話し始めた。
「誰もが幸せな結婚を疑いもしなかったのですが、四名様とも第一皇子ヨハン殿下のお姿を目にした途端、殿下にお心を奪われてしまい……。そこから、あれよあれよといううちに、婚約が破棄されてしまうのです」
「ヨハン皇子殿下って、隣国の王女と相思相愛、という? ご自身には想う方がいらっしゃるのに、不誠実にもほどがあるわ。人の女性を奪うのがお好き方なの?」
なんだか腹立たしくなってしまい、お門違いとわかっていながらノエルに苛立ちをぶつけてしまう。
けれど、ノエルはどこか遠い目をして、寂しそうに笑った。
「皆様、はじめはそうおっしゃるのです。エイデン皇子殿下がお可哀そうだ。私だけは殿下をお慕いする心は消えない、と。ですが、全員ヨハン皇子殿下の虜になってしまいました」
ノエルはきゅっとエプロンを握りしめて、再び口を開く。
「オデット姫様、私は明日が来るのが怖いです。姫様もまた、ヨハン皇子殿下にお心を奪われてしまうのではないか、と。心配でたまらないのです」
強張った顔に震える手……
ノエルがこんなにも不安に思うほどの方なのね……
でも、私はエイデンと離れたくなくて、共に二国の平和が訪れる瞬間を見届けたくてイグニスに残ることを決めたのだ。
その決意は何があったって揺らがないと断言できる。
「ノエル、大丈夫よ。私は、エイデン皇子殿下や貴女を悲しませるようなことは絶対にしないと約束する。だから、いつもみたいに笑って」
にこりと微笑みそう言うと、ノエルはまだ不安が残っているのか、どこかたどたどしい顔で笑っていた。




