揺れる心
それから皇帝陛下は『停戦協定の交渉許可』を出してくださり、報告と相談さえ徹底すれば私たち主導で進めて良いと言ってくださった。
ほっと安堵の息をつくと同時に、極度の緊張状態から解放されたからでしょう。
私の意識は遠のいていき、崩れるようにしてその場に倒れ込んだ。
――・――・――・――・――
ここは、どこ?
音のない闇の中を、ただ一人たゆたう。
次第に意識がはっきりしていくにつれ、子どもの泣き声が聞こえてきて。
私はゆっくりとまぶたを開けた。
「おかあさまぁ、どうして……どうして、しんじゃったの……?」
暗い庭で、たった一人で泣いているこの子は……私?
さっきまでイグニスのリオン城にいたはずなのに、なぜかいま私はドラコ城の庭にいて。
月明かりの下、幼い日の私がしゃがみこんで泣いていた。
ああ。これはきっと、夢ね。
たまに、こういう『夢だとわかる夢』を見ることがあるから、今回のもそうだとすぐにわかった。
「オデット姫……こんなところにいらっしゃったんですね」
背後から現れたのは、焦げ茶色の髪に、柔らかなオレンジ色の瞳、そばかすが可愛らしい純朴な雰囲気の少年。
「マルク……」
私と幼き日の私は同時に声を発する。
「ねぇ、どうしたらいいの? さっき、おかあさまが……おかあさまがぁぁ……っ」
幼き日の私は、マルクの優しい顔を見た途端、わんわんと声をあげて泣き始めて。
一方のマルクは幼い私の隣に腰かけて、何度も背中をさすってくれていた。
ああ、これは……お母様が亡くなった日の夜のことだわ。
雲ひとつない夜空に、満月だけがぽっかりと浮かんだ、風のない静かなあの夜のこと。
「姫様、これから僕がずっと側で守り続けます。姫様が“もう大丈夫だ”と心から思えるその日まで」
幼いマルクは私の手を握りしめてきて、真剣な表情で言う。
「マルク……ありがとう」
子ども時代の私は、目に涙をいっぱいためながら、うなずいていた。
そう、この時からずっと、マルクは私のことを守り続けてくれていて。
危険を事前に遠ざけ、私の心が傷ついたり、穢されたりしてしまわないようにと、争い事や暴力的で悲しい情報からも引き離そうとしてくれていた。
過保護だと思うことも多々あったけれど、それだけ愛されているのだと、嬉しく思っていたんだっけ。
懐かしさにまぶたを閉じると、また場面は移り変わる。
今度は、大人になったマルクが噴水のへりに腰かけて、誰かを待っているようで。
彼の視線を辿っていくと、輝く満月が夜の空に浮かんでいる。
今度のはきっと、逢瀬の日。
マルクに、会いに行きたい。
また、彼の声が聞きたい。
温かな笑顔のもとで守られて、優しさに包まれてただ穏やかに生きていきたい。
彼に向かって足を踏み出そうとした瞬間、ふと左手首につけた金の剣飾りが目についた。
途端『戦争を平和的に終わらせる』なんて途方もない夢を真剣に語っていたエイデンの横顔が浮かんできて。
燃えるような真っ直ぐな瞳と精悍な横顔に、どくんと鼓動が跳ねた。
だけど、彼を想ったって、仕方がない。
エイデンには他に想う人がいるし、敵国の皇子である以上、停戦を迎えたとて結ばれるのは困難を極めるはず。
それでも、私自身を認めてくれて、隣で戦うことを許し、勇気を与えてくれた彼から離れるなんて、想像できなかった。
それはきっと、エイデンのそばにいれば、こんな私でも不思議と強くなれる気がするから。
私の心や願いを、彼は誰よりも尊重してくれるから。
ぐらぐらと揺れ動いて定まらない心に耐えかねた私は、その場でうずくまって膝を抱えた。
ねぇ。私は、いったいどうしたいの?
◇
ゆっくりとまぶたを開けると、見慣れた貴賓室のベッドで横になっていた。
きっと謁見の間で気絶してしまって、部屋に運ばれたのね。
目覚めの気分は……最悪。
同時に二人の男性に惹かれていると、夢に突きつけられて気づいてしまったから。
十年恋し続けたマルクに少し会えなくなっただけで、近くにいるエイデンに心惹かれてしまうなんて。心変わりが早すぎて、情けない。
それに何より、二人を同時に愛するなんて、こんなのは不誠実もいいところだわ。
もしも誰かが許してくれたとしても、私自身が許せない。
頭を抱えて、深いため息をつく。
もう、自分で自分がわからなかった。
コンコンと扉を叩く軽い音がする。
「王女殿下、お目覚めになられましたか」
声の主は恐らく、侍女のノエル。
「ええ。入ってきて大丈夫よ」
「お目覚めになられたようで、良かったです。おかげんはいかがですか?」
にこりと微笑むノエルに、心癒されてほっとする。
彼女のおかげで、さっきまでの混乱も嘘のように落ち着いてきた。
「まぁまぁ、かしら」
なんて、大嘘をつく。
目覚めは最悪、なんて話した日には、侍女たちを無駄に心配させてしまうものね。
「体調も落ち着かれているようで、安心いたしました。殿下。謁見大変お疲れ様でございました。なにかお飲み物をお持ちしましょうか?」
「ええ、そうしてくれると嬉しいわ」
長い青髪を手ぐしで整えて返事をすると、なぜだかノエルはぽおっとした顔で私を見つめてきていて。
「どうしたの? どこか体調でも悪いの? それなら無理をしなくていいのよ」
心配のあまり声をかけると、ノエルは慌てた様子でわたわたと両手を振ってきた。
「あっ、ええとその、すみません……先程の光景を思い出してしまって」
「先程の光景?」
照れたようにはにかむノエルに首をかしげると、彼女は幸せそうに口を開いた。
「エイデン皇子殿下自らが、意識のない王女殿下を大切にお運びになられていていまして」
「殿下が私をお運びに? あぁ、なんて申し訳ないことを……」
最近イグニス料理が美味しくて少し太ってしまったし、きっと重かったに違いない。
申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいになっていたのだけれど、ノエルはそんなことなどお構いなしに、再び口を開いた。
「横抱きで王女殿下を抱える姿は、物語のワンシーンみたいで素敵で。さらにしかも、皇子殿下はベッドに王女殿下を横たわらせられたあと、王女殿下の髪を愛おしそうに手ですかれ、頬にそっと、くちづけを落とされていたんですっ!」
「ーーっ!?」
「その時の皇子殿下の穏やかで優しい瞳といったら! もう思い出すだけで、胸がとろけてしまいそうで」
両手を前で合わせて、とろんと憧れるような表情をするノエルに慌てて首を横に振る。
「ノエル、頬へのキスは親愛のキス。挨拶みたいなもので、誰にだってするものよ」
「いいえ、あの瞳はそんなものじゃありませんでした! 私、幾度も皇子殿下誘惑作戦をお手伝いさせていただいていたので、わかるんです!」
自信満々に言い張るノエルに、困惑が止まらない。
「きっと、貴女の勘違いよ。殿下には、想う方がいらっしゃるようですから」
にこりと微笑んだつもりだったのに、多分ぎこちない笑顔になっているのが、鏡を見なくてもわかる。
自分で言った言葉に、自分で刺さるなんて、間抜けにもほどがあるわ。
でも、これでエイデンへの想いを断ち切れるのなら、それもありなのかもしれない。
敵国の王女に好かれたって、向こうもきっと迷惑でしょうから。
そう思っていたのに……
「えっ、想い人? そんなの初耳ですよ。私は、エイデン皇子殿下の想い人って、王女殿下のことだと思っておりましたが。あんなにわかりやすいのに、違うのですか?」
マルクの容姿に関する記載を忘れていて、いまになってしまいました。
イメージと大きく違っていたら、すみません!
初登場時の部分に、容姿の記載を付け加えています。




