矜恃
「我らが戦争の火種を? ふざけたことをぬかすな……その女に誑かされたか」
これまでとは違う射殺すような視線が飛んできて、思わずひゅっと息が止まる。
イグニスの皇帝はお若い頃、武に秀でていたと聞く。
これは、武人が放つと言われている、殺気……?
次第に冷たい汗が吹き出てきて、全身が細かく震えだす。
あまりの恐ろしさに身をすくめると、自分の首が剣で跳ね飛ばされるイメージが鮮明に浮かび、ひどいめまいに襲われた。
嫌だ、怖い、もうこんなところにいたくない。
早く逃げないと皇帝陛下に斬り殺されてしまう!
呼吸が浅く速くなり、視線さえ定まらない。
恐怖のあまり、震える足が何度も立ち上がろうとしてくるけれど、両手で必死にそれを押さえ付けた。
アクアとイグニスの兵士たちだって、死の恐怖と向かい合いながら戦っている。
私だって、平和のために戦うんだと決めたはず。
必ずやこの戦争を終わらせてみせると、心に誓ったはず。
王女たる私が、ここで逃げるわけにはいかない。
ドレスを握りしめて気を保とうとするけれど、少しずつ意識が遠のき、ぐらぐらと身体が揺れはじめる。
「陛下、もうおやめください」
エイデンの声がして、ふっと影ができた途端に緊張が解けて呼吸が楽になる。
顔を上げると、エイデンがマントを使って私を抱き込み、皇帝陛下の視線を遮ってくれていた。
「貴様、その女をかばうとは……! やはりアクアの姫をお前の側に置くべきではなかった」
「父上! まだおわかりになりませんか!? 強い殺気をあてられても、この場にとどまりつづける姫の想いと覚悟は、並大抵ものではありません。本当は、お気づきになられているのではないですか?」
「ぐっ……」
皇帝陛下は途端に言葉をなくし、謁見の間はしんと静まり返った。
しばらくして、エイデンは安堵したように小さく息を吐き出して、私から離れていく。
皇帝陛下からはもう、先程のような強い怒りの色は消え去っていた。
「皇帝陛下。どうか、私の話をお聞きください」
エイデンは呟くように言い、昔話を聞かせるかのように十年前の事件……アクア王妃の弔いでの誤解について語りだした。
◇
「なんということだ……」
皇帝陛下は、頭を抱えてうなだれる。
その表情は険しく苦しげで、事態を重く捉えてくださっているようだった。
「当時、陛下はブラン宰相に心を開いておられましたね。あの宰相は、他国にパイプを持ち、イグニスとアクアが懇意になるのを良しとしていなかったと、後から聞きました」
エイデンが諭すように言うと、皇帝陛下は長く深いため息をつき、苦しげに視線を落とした。
「ああ。余は信頼していた臣下に謀られ、王妃を亡くしたばかりのアクア王の傷をえぐってしまったのだな……」
「そういうことになるでしょうね」
エイデンは同情する素振りも見せず、突き放すように淡々と返す。
父親のしたことが許せない、といった様子だ。
「余は、最愛の妻を失う悲しみを、誰よりも理解していたつもりだったのに……外交に詳しいからとブランを頼るのではなく、慎重に事を運ばせるべきだったのだな……だが、しかし、アクア側も水害被害の温情を、戦争という形で返すとは……」
「皇帝陛下!」
エイデンが叱責するように大声を放ち、皇帝陛下は口をつぐんだ。
「どちらが悪いだとか、正しいだとか、そういう時期はとっくに過ぎているでしょうが」
エイデンは唸る獅子のように怒りをあらわにして、皇帝陛下は沈痛な面持ちで呟く。
「余は、どうすればよいのだ……」
様々な感情が巡っている様子の皇帝に、エイデンは小さく息を吐き出した。
「お悩みになるのが体裁の問題だけならば、甘んじてご自身の失策と恥を受けいれるべきでしょう。私たちは皇族として、民と国を守る責務がございます。国を壊してまで守る矜恃に、一体なんの価値がありましょうか」
「そうで、あるな……。アクアの姫君。先程は恐ろしい想いをさせてすまなかった。二度とそなたにあのようなことはしないと、我が名にかけて誓う。アクア側のそなたはどう考える? どのような意見でも良い、率直な想いを聞かせて欲しい」
皇帝陛下は、まっすぐに私のことを見つめてきている。
真剣な表情に、身体を傾け、他人の声を排除せず真摯に聞き入れようとする姿勢。
きっと、本来の皇帝陛下の姿はこうだったのだろうと窺い知ることができた。
私は深く息を吸い込み、一つ一つ言葉を選びながらゆっくりと話し出す。
「アクアにいた頃、私はこの戦争の意義がわかりませんでしたし、いまもよくわかっていません……自国を愛する国同士が争い、傷つけ合っています。互いが互いの大切なものを守りたいだけだったはずなのに」
ふと不安に襲われて皇帝陛下を見ると、穏やかで真剣な表情をされており、こくりとうなずいてくださった。
「よい。まだ言いたいことはあるのであろう? 続けてくれ」
「はい。ありがたく存じます。私は……イグニス皇国に来てエイデン殿下と出会い、気づいたことがあります。私達は相手のことをなにも知らないどころか、ひどい誤解さえしていました」
イグニスは残忍で冷徹、アクアは礼に欠けて信仰心が薄い。
お互いが抱いていた印象と実際の姿は大きくかけ離れていたことを思い出しながら、再び口を開く。
「対話を重ね、皇国の姿を知るにつれて、様々なことを知りました。私や、アクアの民が作り上げていたイグニスの姿は、幻想でしかなかった。アクアと同じように、イグニス皇国も慈しみに溢れた素晴らしい国なのだと知ったのです」
重ねた自身の両手を握りしめて、皇帝陛下をまっすぐに見据える。
自分の父相手でさえ、進言するのは恐ろしい。
ましてやそれが、敵国の皇帝陛下が相手となればなおさら。
けれど、ここで勇気を出して伝えなければ。
戦争が続けば、これから何人……いえ、何千何万の民が犠牲になるかわからない。
「皇帝陛下、恐れながら申し上げます。憎しみが連鎖し、悪しき感情、歪んだ認識だけが募る戦いなど、終わりにしなければなりません。私は故郷アクア王国はもちろん、イグニス皇国もどちらも愛しくて大切で……傷つけ合う姿など見たくはないのです」
次第に声が震えて、涙声へと変化する。
恐怖と不安と、歓喜と未来への心配と希望とで、心の中はぐちゃぐちゃだった。
「姫?」
「スティーリア……?」
皇帝陛下とエイデンが不安そうな目で私を見つめてきていて。
こぼれてきそうな涙を慌てて指で拭った。
「ああっ、申し訳ございません。皇帝陛下の御前で私は何てことを……」
慌てる私に、ふっと皇帝陛下は柔らかく微笑みながら立ち上がり、壇上からゆったりと降りてくる。
その姿に目を丸くして、息をのんだ。
王や皇帝が謁見者のもとへ降りてくることは、ほとんどないに等しい。
それは、王や皇帝は国の代表者であるだけではなく、臣下や民とは違い、神にも似た存在だから。
その矜持をさておいて、下々の者と同じ高さまで降りてくるというのは、賢王と呼ばれるような王でもなかなかできることではなかった。
「余が怖いか?」
どこか不安げな表情で尋ねられる皇帝陛下に対し、首を横に振る。
「いいえ、とても優しいお顔をなさっています」
にこりと穏やかに微笑むと、陛下も同じように目元を緩めてくださった。
「オデット姫、貴女は強い人だ。アクアに貴女のような姫がいるのだと知ることができてよかった」




