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ノエル

 エイデンと侍女長は部屋をあとにし、私はノエルに勧められるがまま敷地内にある温泉に入った。


 イグニス皇国は火の神の加護を受けた国。

 火山が多く、温泉も豊富に湧き出ているとは聞いていたけれど、温泉がこんなにも心安らぐものだとは思っていなかった。



「毎日温泉に入れるなんて、とてもステキなお城ね」

 お部屋でアロマのヘアトリートメントをしてくれているノエルに話しかける。


「アクアの城には、ないのですか?」

 不思議そうな目で見つめられ、こくりとうなずく。


「ええ。温泉に入るのも初めて。イグニスは隣の国なのに、私は本当に何も知らなかったのね。イグニスの城がこんなにも重厚な造りをしていることも、明るくおせっかいな兵士がいることも、優しい顔で微笑む民たちの姿も全部知らなかったの。情けないわ……」


 無言のままのノエルは、どうしたんだろうとばかりに鏡越しの私の顔を見つめてくる。


 彼女たちを心配させては、ダメね。

 大きく息を吸ってにこりと微笑む。


「今日はありがとう。明日もまた、よろしくね」




 その日の夜は、長旅で疲れていたのと久々のベッドが心地良くて、一度も途中で目覚めることなく眠ってしまった。


「おはようございます、スティーリア王女殿下。カーテンを開けさせていただきますね」

 明るいノエルの声と、柔らかな日差しとで目覚める朝は心地よい。

 ここが敵国だということを、思わず忘れてしまうくらい。


「おはよう、ノエル。貴女方のおかげで、とても良く眠れたわ。それで、私の今日の予定はご存知……?」


 アクアにいた頃は他国の王族方をもてなしたり、貴族の方々のティータイムにお呼ばれしたりという毎日を送っていたけれど、まさか敵国ここではそんなことはしないはず。


 それに昨日、エイデンからは皇王への謁見は不要と言われてしまっていて。

 人質の私は、一体何をして過ごせばいいのかしら?


 私の問いに、ノエルは嬉しそうに微笑みながら口を開いた。

「最初に、ドレスにお召し替えいただきます」


「わかったわ、ドレスに着替えればいいのね……って、どういうこと? 私は人質のはずよ?」


 敵国の人質にわざわざドレスを着せるのは、こういうことにうとい私でも不思議なことだとわかる。

 考えたくはないけれど、私を奴隷として売る気なのかしら……


 唇を結んで悩んでいると、ノエルは「人質……?」と首をかしげ、柔らかく目を細めてきた。


「エイデン皇子殿下からは『大切な客人』と伺っております。本日、殿下から朝食のお誘いもお受けしておりますよ」


「殿下からのお誘い? それは名誉なことね……喜んで出席いたしますとお返事をしてくださる?」


「はい、承知しました!」

 ノエルは嬉しそうにうなずく。


 これまでエイデンは幌馬車の中に勝手にやってきて、勝手に隣で朝食を食べていたのに、城に来てからはなんだかどこか余所余所しい。

 

 皇族と王族という、国を背負う立場にある以上互いに礼儀を尽くす必要があるし、私もイグニスの第二皇子相手にフランクな対応も拒絶もできるわけがないから、お互い様なんだけれど。

 少しずつ打ち解けてきたかも、と自分でも思っていたのに、ここにきて私たちの関係性は形式的で表面的なものになってしまったような気がする。


 少し寂しいような、残念なような。

 王族という仮面を脱いで、本音で語れるような相手ではなくなってしまったからかしら。



「あのですね、スティーリア王女殿下。エイデン皇子殿下が、食事に女性をお誘いするのは滅多にないことなんですよ。本当に本当にほんっとうに珍しいことなんです」

 無言のままでいた私を心配してくれたのかなんなのか、ノエルはぐっとこぶしを握りしめて力説するように話しかけてくる。


「あら、そうなの?」

 それは意外。エイデンは間違いなく美形の部類に入っているし、地位もある。

 昨日の令嬢たちのように恋い慕う者も多々いるでしょうし、女性たちをはべらすことだってできるはず。



「もしかしたら、皇子殿下はスティーリア王女殿下に、お心を奪われてしまったのかもしれませんね」

 どこか嬉しそうなノエルの言葉に、どくんと心臓が大きく跳ねた。


 エイデンが私のことを好きなんて、ない。

 絶対に、ない。だって、第一皇子の話のときに言っていたじゃない。

 彼には想い人がいるのだもの。


 ビオラにしろノエルにしろ、どうしてエイデンと私を恋仲にさせたがるのかしら。

 


「いまは戦争中でデリケートな状況だから……それで気を使ってくださったのよ。それに、貴女は敵国の王女が誘惑しているとか、そんなふうには捉えないの?」


 令嬢たちは私を悪者に仕立て上げて、悪女だと罵ってきた。

 ノエルは、どうしてこんなにもよくしてくれるのだろう。


 私の問いにノエルは口元に手をあて、くすくすと面白そうに笑った。


「殿下は誘惑が通用するお方じゃありませんよ。私どもは貴賓室対応の侍女。殿下にアプローチをおかけになったお姫様やご令嬢を多数存じ上げております。実際にお客様が計画した誘惑作戦に参加したこともございますから」


「誘惑作戦? それはまた災難ね……」


「それも一度や二度ではなく、数え切れないほどですので、スティーリア王女殿下が誘惑する気があるかないかというのは、すぐにわかります」


 それに、とノエルは言葉を重ねる。


「私の母はアクア王国の出身。私も幼い頃はアクアに住む祖母のもとへ遊びに行っていましたので、イグニスの皇子殿下とアクアの王女殿下が仲睦まじくしてらっしゃるのが、嬉しいのです」

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