第九話『夢』
焚き火の火がパチパチと音を立てる。その周りには三人が釣り上げた魚が串に貫かれて並んでいる。
「うーん、美味しそう!」
フレデリカが歓声を上げる。そろそろ頃合いかと魚に手を伸ばすとバレットが「待った!」と止めた。
「あら、まだ早かったかしら?」
「いいや、いいタイミングだよ。ただ、その前に……」
バレットは割り箸を取り出した。西洋風の世界観なれど、この世界には箸があり、割り箸もある。
彼は紙皿を取り出して器用にすべての魚の一部分を取り分けていった。
「バレット……?」
フレデリカは困惑し、アルヴィレオは不満そうだ。バレットは苦笑しながら取り分けた物を口に運んでいく。
その様子を見て、フレデリカは顔を伏せた。別に先に食べられた事を怒っているわけではない。彼の行動の意味に気がついた為だ。
要するに毒味だ。
「……ボク達が釣り上げたものだ。それに、お前が焼いた物だぞ」
「ははっ、お腹空いちゃってさ!」
言い訳が苦しい。バレットはアルヴィレオの性格をよく知っている。そして、フレデリカの性格も理解し始めている。
バレットが毒味をする事に二人がどんな気持ちを抱くか分かっていた。
騎士として、二人には心地良い時を過ごして貰いたい。それでも騎士として、二人の安全に気を配らなければいけない。
二つの事を両立出来ない自分を未熟と恥じ、すまなそうな表情を浮かべる。
「……焼き魚は焼き立てが一番ですわ!」
そう言って、フレデリカは毒味が済んだ魚に齧りついた。
あまりにも豪快な食べ方にバレットはポカンとした表情を浮かべる。
対して、アルヴィレオはフレデリカの意図に気づいた。
「そうだね」
自分も同じように齧りつく。
己の態度はバレットを困らせるだけだと気づいたからだ。
どんなに不服に思っても、王族とその伴侶の命は最優先であり、その為にバレットは最善の行動を取らなければいけない。
彼の思い遣りの恩恵を散々受けておきながら、彼を思い遣る事が出来ない自分に腹が立った。
「美味いな!」
だから、笑おう。楽しもう。喜ぼう。
それが王族として、騎士に対して出来る精一杯の思い遣りなのだから。
「絶品ですわ!」
「……どれどれ! じゃあ、オレも一本!」
バレットも焼き魚に齧りつく。
「うっめー!」
バレットは頬を緩ませた。
◆
焼き魚に舌鼓を打った後、三人は王宮に戻って来た。
ミレーユが茶会の用意を済ませてくれていて、三人は美味しい紅茶で喉を潤した。
「バレットは御父上の後を継ぐのですか?」
フレデリカが問いかけた。彼の領地は兄のウルフリック・ベルブリックが取り仕切っている。彼が領地を受け継ぐ可能性は低い。
「うーん、まだ分からないかなー! 騎士団長は強ければいいってものじゃないんだ。戦略を練る知性と仲間を団結させるカリスマを持たないといけないからね。オレは騎士団長の息子だし、騎士団のみんなに顔も知ってもらえている。だけど、それだけだ。騎士団長の選択一つで命を落とすかもしれない。顔を知っているからという理由だけで命を預けられる人なんていないだろ? だから、命を預けてもらえるに足るものをオレは手に入れなければいけない。その為にも……、オレは王国最強を目指す」
話している内にバレットの顔は騎士のものに変化していった。
燃えるような眼差しは彼方を見ている。
「王国最強……」
チープな言葉に聞こえる。けれど、彼は先を見据えた上で言っている。
何も知らない子供の戯言ではない。一人の騎士が掲げる決意の御旗だ。
「期待していますよ、バレット」
フレデリカの言葉にバレットは微笑んだ。
「必ずや」
神妙な顔つきで頷いた後、彼は破顔した。
「おっ! このクッキー、美味そう!」
◆
バレットは昼からの調練に参加すると言って出て行った。
もう少し話してみたかったけれど、いつまでも引き留めておくわけには行かない。
「バレットは凄いな」
二人っきりになったからお嬢様モードも解除した。
「ああ、本当に凄い」
アルは言った。
「彼は自分が何者になりたいか分かっているんだ。ボクには分からない……」
第一王子の彼は余程の事が無い限り王になる定めだ。
もちろん、第二王子や第三王子が王位継承権を簒奪する為に動く可能性はある。
本人にその気が無くとも、彼らを支える貴族達の思惑が彼の王位を揺らがせる可能性もある。
つまる所、王になる事が絶対の未来というわけではない。
「アルは王になりたくないの?」
「そういうわけではないよ。王子として生まれ、生きる以上は覚悟を決めている。ただ……」
不安の表情を浮かべながら彼は言った。
「ボクはどんな王になりたいのかなって……」
なりたい王の形。アルは既に王になった先の事を考えているんだ。
「……きっと、それは直ぐに答えの見つからないものだ」
バレットが王国最強を語った時のように彼方を見つめながらアルは言った。
「だから、ボクは色んなものを見なければいけない。聞かなければいけない。経験しなければいけない」
そう言って、彼は苦笑した。
「バレットに比べて、ボクは本当に情けない……」
「どうして?」
オレには分からない。未来を見据えて、その為にやるべき事が分かっている。
「オレにはアルの事も凄いと思ったよ? むしろ、凄過ぎると思ったくらいだよ。情けないなんて、どこが?」
「……だって、ボクは何も知らないんだ。王宮の中でずっと生きて来た。本や家庭教師の授業で習った事以外、何も知らない。何も……、行動出来ていない」
「まだ、十歳だよ?」
「もう、十歳だ。王になる者が民も知らず、国も知らず、世界も知らず! 現実を知らないまま十歳を迎えてしまった……」
アルの顔には焦燥が滲んでいる。その顔を見て、分かった。
「……アルはもう王様なんだね」
「え? いや、ボクは……」
「王様だから、今の自分に危機感を抱いているんでしょ?」
バレットが騎士であるように、アルはとっくに王だった。
だから、いつか王位を継承するまでに知ればいい事を今知らない事に焦っている。
「そして、君は王として民を知りたいと思っている。アルは民を思う王なんだね」
「……フリッカ」
「オレ、アルが王様で良かったよ」
民を思い過ぎてもいけないと思うけれど、それを指摘出来る人が傍にいればいいと思う。
「うん。だから、アルにお願いしたい事があるんだけど、いい?」
「な、なんだい?」
「孤独にはならないで欲しいんだ。何があっても、一人にならないでよ。そうすれば、君は絶対に良い王様になれると思うから」
アルは大きく目を見開いた。そして、嬉しそうに微笑んだ。
「ああ、約束するよ」
アルはオレの手を掴んで持ち上げた。
「孤独にはならない。必ず、良い王様になるよ。だから、見届けてくれ」
「……もちろん」
その時は力になりたい。
心からそう思った。
◆
それからもオレはずっとアルと一緒にいた。
一緒にバレットの調練風景を見学させてもらったり、王妃様に誘って頂いた王家の庭園を見て回ったり、宮廷道化師のサルバドールの様々な芸を楽しんだり。
そして、最後の夜を迎えた。
「明日、帰るんだね」
アルが言った。
「うん……」
「寂しいよ」
「オレも……」
この一週間は本当に楽しかった。朝から晩までアルと一緒に笑いあった。
もっと一緒に居たい。もっと一緒に遊びたい。
だけど、オレは公爵令嬢であり、アルは王子様だ。
互いに学ばなければいけない事ややらなければいけない事が山程ある。
「次は来年だね。その時は今みたいに遊べないと思うけど……」
「それでも、君と会えるなら……」
しんみりとした空気が流れる。
「今日は一緒に寝ようぜ」
「それは……」
「ダメ?」
「……ダメじゃないよ」
オレとアルは同じ布団に入った。
アルのベッドは広いから、子供二人なら余裕たっぷりだ。
「おやすみ、アル」
「おやすみ、フリッカ」
アルはオレの手を握った。その手を握り返しながら瞼を閉じる。
寂しさが和らいで、オレは緩やかに夢の世界へ旅立った。
◇
夢を見た。
一人の女の子がオレを見ている。
まるでドラゴンのような翼を生やした不思議な子だ。
そして、目を覚ました。
「……あ、れ?」
夢の内容は思い出せなかった。




