第八十話『次期王妃のお仕事』
夜会が終わった後、オレの日常は一気に様変わりした。社交界デビューを果たした事でいよいよ次期王妃としての役目を全うする時が来たというわけだ。
これまでは王妃様の付添として行動する事が多かったけれど、これからはオレが主体となる場面が増えていく。
「フレデリカ様、本日の御予定を確認させて頂きます」
朝はアイリーンに身支度を整えてもらいながらミレーユに一日の予定を聞く事から始まる。
「御朝食の後、カルネ伯爵との面会が御座います。後ほど、献上品のリストを御確認下さい」
献上品を貰う事も大事な仕事だ。
国というものは政治家や軍隊だけで成り立っているわけではない。そこに民が居なければ国は成り立たない。そして、民を生かす為には衣食住が必要であり、そうした物資を用意する者達が必要不可欠だ。
その人達とオレが会い、言葉を交わす事には大きな意味がある。
オレが献上品を受け取り、その人の名前と顔を覚える事でオレがその人の保証人となる事が出来る。
簡単に言えば信用を与える事が出来るわけだ。
王妃が信用した者ならば信用が出来る。その信頼が市場に秩序を齎す。
その秩序が乱れれば民の生活は困窮し、世情の乱れに繋がっていく。
だからこそ、責任は重大だ。
「ミレーユ。献上品のリストだけではなく、伯爵が経営するカルネ・ブランドの詳細な資料も用意しなさい」
「……フレデリカ様。御言葉ではございますがカルネ伯爵はカトレア王妃様が長年懇意になされていた御方で御座います」
ここ数日、同じやり取りを繰り返している。ミレーユはオレが一々相手の企業について詳細を知りたがる事に不満を抱いていた。
悪意があるわけではなく、単純にオレを心配してくれているのだ。なにしろ、オレに謁見を求める者はそれこそ星の数だ。それなのに一人一人を精査していたらキリがない。負担もかなりの物になる。
そもそも、オレの下へ来る時点で色々な人がその人の事を徹底的に調べ上げている。陛下や王妃様だけではなく、オルトケルン宰相や親父、他にも王宮で会計監査の業務を担っている人達も。
だから、オレはただ無心に彼らがくれる物を貰っておけばいい。それだけで十分に仕事を果たしていると言える。
「分かっています。けれど、わたくしは自分の目で見たいのです」
オレは未熟者だ。企業の不正を見抜く事など出来ない。だから、学んでいかなければいけない。
「信頼出来る者と信頼出来ない者をわたくしは見分けられるようにならなければいけないのです。その為にはまず信頼出来る者とは何かを知らなければなりません」
正解も知らずに不正解を見抜く事など出来るわけがない。
幸いにも、今は正解だけを知る事が出来る。彼らを正解だと判断した人達の基準を知る事が出来る。
「学ぶ機会が何時でも何処にでも転がっているわけではありません。そして、学ぶべき時に学べぬ愚か者が皇太子の婚約者として相応しいとも思えません。ですから、ミレーユ」
「……かしこまりました」
彼女は渋々と了承してくれた。だけど、納得はしてくれていない。
ミレーユだけではなく、アイリーンも不満を抱いている。彼女の感情が僅かにだけどラインを通して流れてくるから分かる。
客観的に考えれば仕方のない事だと理解もしている。オレは十二歳だ。十二歳の子供が昼も夜も働いていて、更に必要とは言い切れない事にまで手を伸ばそうとしている。見ていて気が気ではないのだろう。
だけど、あまりオレを舐めないでもらいたい。こういう頭脳労働は得意分野だし、魔王再演を使えば肉体的な疲労や不調を一瞬で取り除く事も出来る。ちょっと反則染みてるけど、肉体的な負担を無視出来るのなら、後はオレのやる気次第だ。
「それで、午後の予定はどうなっていますか?」
「はい。御昼食後はヴィルマ子爵が月の花の納品にいらっしゃります」
ヴィルマ子爵はこの国で一番大きな生花商を営んでいる。以前、オレに新種である《月の花》を献上してくれた相手だ。
オレは花が好きだ。昔から好きだったわけではなく、シェリーに色々と教わったからだ。
彼女が与えてくれた知識をアルに披露するタイミングが中々無くて、オレは仕方なく王妃様に披露した。すると、彼女は大胆にも庭園を丸々一つオレに貸し与えてくれた。そこはオレの部屋からとても近くて広さも手頃だった。
最初は王妃様に分けてもらった種から育てた花ばかりだったけれど、奉仕活動の為に赴いた教会や街で気に入った花の種を分けてもらった事で他とは一味違うものに変化していった。だけど、どうにもとっちらかった感じになってしまっていた。
オレには知識はあってもセンスは無かったらしい。どうにか調和を取れないか試行錯誤してみたのだけど余計に収拾がつかなくなっていた。
出来ればアルに見せて感心させたいと思っていたのだけど、これではむしろ呆れられてしまうと落ち込んでいた。
けれど、月の花が加わった事で一気に状況が改善された。混沌としていた原因はアレもコレも目立たせたいとし過ぎた為だった。
メインに据えるべき花が現れた事で他の花々の主張を抑える事が出来た。もう少し整えればアルを招待しても恥ずかしくない出来栄えになりそうだと思っていた所だ。
「ヴィルマ子爵には御礼を申し上げたいと思っていたところです」
「フレデリカ様。それでしたらお墨付きを与えてはいかがでしょうか?」
「お墨付きですか……」
オレに献上品を持って来てくれる人達に与えているものはあくまでも《王室献上品》という箔だ。
それだけでも十分な保証となるのだけど、お墨付きとはオレが特に気に入っている物である事を公言する事だ。要するに《次期王妃御用達》という一段階上の箔を与える事が出来る。
王妃様も幾つかの企業に与えた事があるそうだけど、軒並み急成長して国家有数の大企業となっているそうだ。それだけの影響力があるという事であり、安易に与えて良いものではない。
それでも、オレはヴィルマ子爵にお墨付きを与えたいと思っている。
オレの為に新種の花を開発してくれた。その並々ならぬ努力を決して軽んじてはいけないと思う。なにより、オレ自身が月の花をこの上なく気に入っている。
陛下達の精査でも信頼して問題ないと判断されたのだろうし、ここは思い切ってお墨付きを与えてみよう。
「そうですね! あれほど素晴らしい花を献上して下さったのですから、今後も末永くお付き合いさせて頂く相手でもありますし」
アザレア学園に入学後は庭園の管理を他の人に任せる他ないけれど、アザレア学園でも専用の花壇くらいなら融通してもらえる筈だ。大分小規模になってしまうけれど、そこをオレ好みの花園にする為に子爵には色々な種を用意してもらう必要がある。
「その後の予定は?」
「はい。ブロッサム侯爵が面会を御求めです。ただ、此方に関しましてはフレデリカ様の御判断でとの事で御座いまして……、フレデリカ様?」
ブロッサム侯爵。その名を聞いて、オレは取り乱しそうになった。
アイリーンも凍りついている。
「……シェリー」
つい声を震わせそうになった。
彼女との思い出は楽しいものではなかったけれど、オレにとっては大切なものだった。
花の事を含めて、オレにとって大切な事をいくつも教えてくれた。
オレは彼女の事が好きだった。本音を言えば、アナスタシアではなく、彼女にもっと色々な事を教えて欲しかった。
「会います」
オレはミレーユに言った。
シェリーの事がずっと気になっていた。彼女は次期王妃の教育係を途中でクビにされてしまった。その事を彼女の実家がどのように受け止めたのかをオレは知る事が出来なかった。
いくら聞いても兄貴は教えてくれなかった。分からないの一点張りだったけれど、そんな筈はない。元雇用主であり、公爵家の当主である兄貴にブロッサム侯爵家が隠し事など出来るわけが無い。
彼女は女性の地位向上を望んでいた節がある。その理由が教育して来た過去の教え子達にあるのか、あるいは実家であるブロッサム侯爵家の内情にあるのかは定かではない。けれど、どこかに彼女がそうなった原因がある筈なのだ。
幸せに生きていて欲しい。そんな事を願う資格などオレには無いのだけど、それでも願ってしまう。もし、彼女が不幸になっていたのならそれは紛れもなくオレのせいだ。
「……お嬢様」
心配そうに見つめてくるアイリーンにオレは笑いかけた。
彼女の実情を知れたとして、そこに問題があっても解決出来るとは限らない。
次期王妃の立場を利用するわけにはいかないからだ。オレの立場は国の為にある。国益にならない事の為に利用するなど決してあってはならない事だ。
それでも何か出来る事があるのなら……。
「今日の予定はそれで全てですか?」
「以上になります。……アルヴィレオ殿下も夕刻以降の御予定はないとの事をマルチネス様より伺っております」
ウィリアム・マルチネスはアルの執事だ。恐らく、使用人同士で連携を取って、オレとアルの為の時間を工面してくれたのだろう。
アルとの時間を過ごせる。それだけで心が浮き立ってくる。ここ数日は互いに忙しくて食事中くらいしか話も出来なかったから尚更だ。
折角だから庭園を見てもらおう。完璧ではないけれど、二人で花を弄るのも悪くない気がする。シェリーに教わった事を実践する良い機会でもあるかもしれない。
「……アル、褒めてくれるかな」
ヴィルマ子爵が持ってくる花も楽しみだ。何本か見繕って、アルに花束でも作ってみようかな。




