第七十九話『王』
深夜、オズワルドはネルギウスの下を訪れた。
アザレア学園には他の多くの公共施設と同様に王の執務室が設けられてる。
壁にはアガリア王国の紋章が刻まれ、天井からは豪奢なシャンデリアが吊り下げられている。
綺羅びやかな内装は王の偉大さを示す為に必要な物だ。とは言え、仕事場としては少し派手過ぎて落ち着きにくいと愚痴を零す兄の姿をオズワルドは幾度となく見て来た。
「待っていたぞ」
ネルギウスは筆を置いて立ち上がった。執務机を離れ、その前に並べられているソファーに腰掛ける。
対面に座るよう促されたオズワルドも素直と腰を下ろした。
兄弟二人だけの空間故か、二人の間にはどこか弛緩した空気が流れていた。
メイドのララティナ・ゾアが淹れた紅茶を味わうと、オズワルドは深く息を吐いた。
「……やはり、シャロンは転生時に意識と記憶を持ち越していたようです」
その言葉はネルギウスにとって予想通りのものだった。そうでなければおかしいからだ。
嘗て、竜姫シャロンは魔王の権能を生み出し、異界に転生する事で権能による精神汚染機能を除去する抜け道を見つけ出した。
当然、彼女には何か目的があり、その抜け道を利用しようと目論んでいた筈だ。
だからこそ、竜王襲来事件の直後にネルギウスはオズワルドをヴァレンタイン公爵領へ向かわせた。
解析の結果、フレデリカの内にシャロンはいなかった。その後も本人に気付かれぬように定期的な解析を行っていた。結果はいずれもシロだった。
「ですが、レディ・フレデリカの内にシャロンはいませんでした」
だからこそ、この報告に関しても驚きはない。だが、奇妙だった。
ある筈のものがない。シャロンの意思や記憶は何処へ消えたのか? その答えを求める為にはフレデリカの前世を識る必要があった。
すまないと思いながら、ネルギウスはアルヴィレオと過ごす時のフレデリカの様子を幾度か遠見の魔法で盗み見ていた。そして、彼女が前世の意識と記憶を持ち越している事に気がついた。
ならば本人に前世の様子を確認しようと考えたが、問題が起きた。観察している中で彼女の前世の存在が男である事に気付いた為だ。
男から女になり、公爵令嬢として女性らしさを叩き込まれた挙げ句、皇太子の婚約者という立場になってしまったのだ。恐らく、常人では耐え切れない程の精神的苦痛を常に味わい続けている筈だ。
下手に突けば彼女の精神が崩壊する可能性すらあり得る。
不幸中の幸いというべきか、フレデリカとアルヴィレオの相性は抜群に良かった。互いに顔や性別ではなく心の在り方に惹かれ合い、深い信頼関係と強い絆を結ぶ仲になった。
今はまだ男としての自我が根強く残っている様子だが、アルヴィレオと絆を更に深めていけばいずれは今の性別を完全に受け入れる事が出来るようになるだろう。
だが、その為には極力前世の事を意識させないようにしなければならない。前世の事を根掘り葉掘り聞くなど最悪にも等しい。
ならばどうするか、方法を模索している中で今回の事件が起きた。
「確証を得たのか?」
「得ました」
オズワルドは二人の間にある小机の上に掌を翳した。すると、そこに一振りの剣が現れた。あくまでも彼が生み出した幻影ながら、嘗て実在した剣を細部に至るまで再現している。
「ゾディア・ヴライスか」
それは竜姫シャロンが魔王を名乗り始めた時から常に握り締めていた魔剣の銘だ。
彼女の死後、魔剣はバルサーラ大陸の南東にあるアヴァロン島という小島へ運ばれた。そこに祠が築かれ、二度と振るわれる事が無いように厳重な封印が施された。
ところが魔剣はある日忽然と姿を晦ました。幾度も調査を行われたが発見されないまま現在に至っている。
「ええ、竜姫シャロンを象徴する魔剣です。クリムゾンリバー号がウェントワース・レッドフィールドを象徴する船として彼の権能と紐付けられているように、ゾディア・ヴライスも竜姫の権能と紐付けられていたのでしょう」
「……フレデリカの前世の存在を仮にエックスとしよう。エックスが異界で権能を覚醒させ、ゾディア・ヴライスを召喚したと考えるのが妥当か」
「間違いないでしょう。そして、そこで何かが起きた。少なくとも、エックスは異界にて権能を用いた戦闘を複数回行っております。そして、恐らくはアンシーリーを含めたこの世界の魔獣とも交戦しています」
そう言うと、オズワルドは虚空にフレデリカが魔王再演や魔王再臨時に使用したブラッド・ジャベリンとアンシーリーが用いる投槍の幻影を投影した。
「付け加えますと、レディ・フレデリカ本人にアンシーリーを含めた魔獣との戦闘の記憶は無いようです。と言っても完全にではなく、戦闘時はシャロンの意識が肉体の支配権を奪い取っていた可能性も思案しましたが、記憶がそもそも存在しないのではなく、奥底に眠っている様子が見受けられました」
「戦闘に向く性格ではないからな。トラウマとなって、無意識の内に記憶を眠らせた可能性もあるか」
「思い出せない理由は恐らくそういう事なのでしょう。あくまでもレディ・フレデリカの言動や行動からの推測になりますが、エックスの死亡時の年齢は精々が十代後半でしょうからね……」
専門の訓練を積んだ者でも十代で戦士として完成に到れる者は少ない。加えて、フレデリカの人柄を見るにエックスの異界は比較的平和な世界だった可能性が高い。
「現在、確認されている異界の数は三つあります。嘗て、わたくしが開いた《神域》。レオ・イルティネスが神獣を追放した《未知の世界》。そして、この世界に異界の文化や理を広めたカルバドル帝国の始皇帝ハロルド・カルバドルの故郷たる《アース》。恐らく、エックスもまたアースの者だと思われます。その確証に至った理由が此方です」
ゾディア・ヴライスの幻影が揺れた。そして、一振りの剣は二振りの刀へ分かれた。
「これは?」
「昨夜、レディ・フレデリカが顕現させた物です。恐らく、エックスがゾディア・ヴライスをこのような形状に変化させたのでしょう」
魔剣ゾディア・ヴライスはそもそもシャロンが自ら鍛え上げたワンオフの逸品だ。
己の鱗や血液、髪の毛などを人類が未だ発見出来ずにいる未知の鉱物に溶かし込み、作り出したもの。
嘗て、シャロンは竜王の娘としてのポテンシャルと数百年の研鑽の結果を余す事なくその刀身に注ぎ込む事で勇者の一撃にも匹敵する斬撃を放つ事が出来た。
その破壊力は人類に絶望を抱かせた。決して抗えぬ絶対的な驚異としての認知を受け、彼女は魔王へ至った。
「刀だな」
「そうです。ハロルドが異界より持ち込み、広めた技術の一つ。ハロルド出現以降か、あるいは彼の世界を知らなければ決してこの形状にはなりません」
片刃の剣自体は歴史上に幾つも存在している。しかし、刀はただの片刃剣ではない。
折れず、曲がらず、よく切れる。その三つの条件を追求した剣というカテゴリーの極致の一つ。
切れる為と曲がらない為には鋼は硬くしなければならず、折れない為には鋼を柔らかくしなければいけない。
硬くて柔らかい。その矛盾を解決する技法こそが真髄だ。
ハロルドは炭素含有量が少なく柔らかな心鉄を炭素含有量が高く硬い皮鉄で包む技法をこの世界に伝えた。
それまで、剣とは只管頑強である事こそ至上とされてきた。その概念が覆され、現剣聖マリア・ミリガンも愛用するに至るほど、刀という物は優れた剣だった。
「素材が素材故にハロルド式と完全に同一ではありませんが、性質は一致しております。これは紛れもなく刀であり、それを生前のシャロンが生み出す事は決してありません」
「そうだろうな。刀の技術は偶然生み出せるものではない」
ゾディア・ヴライスが刀の形状となっている事がエックスの世界をアースだと証明している。
「ゾディア・ヴライスの形状を変化させた理由、エックスの世界にこの世界の魔獣が紛れ込んだ理由など不明点は幾つもありますが、とりあえずはシャロンの意識と記憶についてですね。十中八九、シャロンからエックスへ転生する際はゾディア・ヴライスに自らの意識と記憶を封じ込めて持ち越したのでしょう」
ゾディア・ヴライスは聖剣と同じく意思を持っている。より正確に言えば、意思を封じ込める事が出来る剣だ。
聖剣の意思は初代所有者であるアリエル・カトルオックスのものであり、ゾディア・ヴライスの意思はシャロンのもの。
その事実を唯一知っているオズワルドは当時ヴァルサーレという名で暴れ回っている真っ最中だった為にゾディア・ヴライスがアヴァロン島へ運ばれ、後に行方を晦ました事件に関与しないまま討伐された。
「そして、何らかの理由で二つに分けられたゾディア・ヴライスにエックス死亡時、その意識と記憶が封じ込められてレディ・フレデリカの下へ持ち越されたのかと思われます」
「……二つに分けたのは二つの意識と記憶を持ち越す為ではないのか? 一方にはエックスのもの、そして、もう一方にはシャロンのものを宿す為に」
「そうかもしれませんが、片方の刀は空になっており、もう一方の刀の意思はシャロンのものではありませんでした」
「ん?」
ネルギウスは眉を潜めた。
「どういう事だ? 空になった方がエックスのものではないのか? いや、そもそもシャロンはいないと言っていたな。ならば、残っている意思は一体……」
「分かりません。空になった方は兄上の言う通りエックスのものかと。その意識と記憶がレディ・フレデリカと一体となり、今の彼女となっているのでしょう。ですが、もう一方の意思については今の段階では不明としか……」
「危険はあるか? フレデリカに何らかの悪影響は……」
「分かりません。ですが、ゾディア・ヴライスはシャロンのものであり、エックスのものであり、レディ・フレデリカのものです。彼女が望まぬ者の魂が入り込む事はあり得ないかと」
「そうか……」
オズワルドの言葉が確かならばフレデリカの内にシャロンの存在はなく、ゾディア・ヴライスにも彼女の意識と記憶は宿っていない。
「……シャロンは何処へ行ったのだと思う?」
「推測の域を出ませんが、よろしいですか?」
「構わない」
「恐らく、アースにて何らかの確信を得たのでしょう。彼女の目的の為に自らよりもエックスの意識と記憶を持ち越させる方が理に適っていると考えたからこその事かと。そして、彼女自身はアースで完全なる終焉を迎えたのでしょう」
「何らかの確信か……」
現状、分かり得るすべての情報を下に可能な考察はここまでが限界だろう。
ネルギウスは長く息を吐いた。
「御苦労。すまないが、これからもフレデリカのフォローを頼む」
「構いませんよ、兄上」
オズワルドは微笑んだ。彼の脳裏には二人の男と二人の女の姿が浮かんでいた。
嘗て、彼らは夢を見ていた。その実現の為に頑張っていた。
この国は完璧ではない。けれど、彼らが夢見た理想郷に最も近い。だから、守りたい。
「今日はゆっくり休め、オズ」
「ええ、そうさせて頂きます。少々、疲れました……」
オズワルドは常にアガリア王国全体を結界で守っている。それだけでも相当な負担が掛かっている中でメサイアやアンゼロッテ、ヴァイクの対処に奔走し、並行してフレデリカの調査を進めていたのだ。
如何に傑物と言えども限度がある。
「すまないな」
オズワルドが退室した後、ネルギウスは顔を顰めながら呟いた。
フレデリカを手元に置いておける期間はもう長くない。彼女がアザレア学園に入学すれば、そこから先は寮生活となってしまう。
彼女の内にシャロンが潜んでいる可能性をゼロにしないまま送り出す事は出来なかった。だからこそ、その精神性を識りながらキャロライン・スティルマグナスに招待状を出した。
神護の森の長老であるアイメス・シグン・スラーンに手紙を認め、メサイアを呼び寄せた。夜会の準備と銘打ち、オズワルドに少々の過重労働を強いた。そして、アルヴィレオとフレデリカを引き離した。
結果、愛するフレデリカと引き離されたアルヴィレオは寂寥感から幼少期の最もフレデリカと近く触れ合えていた頃の記憶を思い出し、同じベッドで語り合いながら眠る事を願った。そして、愛情と妄想力が豊かなフレデリカはアルヴィレオの言葉を見事に勘違いして、その逞しい妄想力でめくるめく熱い夜を想像してライや騎士団を遠ざけた。
メサイアの対応に加え、破壊神アンゼロッテや獣王ヴァイクの対応に奔走した事でオズワルドは普段の余裕を失い、彼は本性とも言うべき真面目さを発揮し始めた。それにより最も被害を小さく出来る対応を取った。それがキャロラインによるフレデリカ襲撃へ繋がっていった。
現在、アガリア王国には世界屈指の戦力が集結している。如何なる状況に陥ろうとも力ずくで解決する事が出来る状況にあった。
加えて、ネルギウスやオズワルドの息が掛かった者がフレデリカを襲ったとしても、その内にシャロンが存在していたのならば容易に裏を見抜き、自らの存在を徹底的に隠してしまっていただろう。
だからこそ、オズワルドの余裕を徹底的に奪った上でキャロラインというジョーカーを使った。ただ、フレデリカと戦いたいと立場や倫理を度外視して襲い掛かれる理外の存在はシャロンを表に引き摺り出す唯一の手段だった。
結論としてシャロンはフレデリカの内に存在しなかった事を確信する事が出来た。安堵と共に罪悪感が襲い掛かって来た。
フレデリカには怖い思いをさせてしまった。アルヴィレオには寂しい思いをさせてしまった。オズワルドには苦労を掛けてしまった。キャロラインや他の多くの者にも迷惑を掛けてしまった。
王とて人なのだ。その双肩にはアガリア王国の未来が掛かっている。それ故に背負う苦悩は計り知れず、それでも彼は俯く事を己に許さなかった。何故ならば、彼は王だからだ――――。




