第八話『バレット・ベルブリック』
翌日、オレはアルヴィレオと共に王国騎士団の兵舎に向かった。
「広いですね……」
さすがに騎士団の前で遮音結界など使えない。
アルは不満そうだけど、今のオレはお嬢様モードだ。
「騎士団と一括に呼んでいるけれど、彼らの仕事は多岐に渡るからね。それだけ人員も必要となるんだ。奥には調練場もあるよ」
「バレット様も此方に御住まいなのですか?」
「ああ、彼は騎士団長と寝食を共にしている。ボク達と同い年ながら、既にベルーガーを討伐した実績も持っているんだ」
「ベルーガーを!?」
ベルーガーはゲームに登場する魔物の一種だ。狼に似た外見で群れを作る習性がある。序盤に戦う相手の中では強い部類に入る魔物だ。
恐らくは群れの一頭を討伐したという事なのだろうけど、十歳である事を考えたら凄い事だ。
「それは凄いですね」
兵舎の前に辿り着いた。後ろを歩いていたミレーユが扉を開いてくれる。
中に入ると直ぐに巨人が待ち構えていた。
「お待ちしておりました、殿下。フレデリカ様」
彼こそが王国騎士団団長のヴォルス・ベルブリックだ。
実は前にも会った事がある。
「お久しぶりで御座います、ベルブリック騎士団長」
「覚えていて下さいましたか」
「もちろんですわ。アイリーンにはとても良くして頂いておりますから」
彼はオレの専属使用人であるアイリーンの父親でもある。
世話になっている人の父の顔を忘れる程、オレも薄情ではない。
「勿体なき御言葉に御座います」
それにしても、改めて見ると凄い筋肉だ。騎士団の正装越しにも分かる。
彼の息子であり、アイリーンの弟。バレットもさぞかし素晴らしい恵体の持ち主なのだろう。
ゲームにも登場していた気がするけれど、なにしろ十年だ。記憶に留めておける情報には限りがあった。
そもそも、フレデリカが登場する『エルフランの軌跡』は女の子用のシナリオだから、あまり熱心にやり込んでいた訳でもないのだ。
「では、此方へ」
ヴォルス団長に案内されながら兵舎を歩く。道行く騎士達が頭を下げて来た。
未来の君主と伴侶の来訪は彼らにとってビッグイベントなのだろう。
「此方です」
通された部屋には明るい金髪の少年がいた。
「オッス、殿下! 嫁さんもよろしく! オレがバレットだ!」
思わず呆気に取られた。オレは公爵令嬢だ。だから、生まれ変わってから今に至るまで、兄貴以外に気安く話し掛けられる事が皆無だった。
「馬鹿者! 殿下とフレデリカ様に何たる口の利き方か!」
「良い! プライベートな場ではバレットにそうしてくれと頼んだのはボクだ」
「しかしですな……」
ヴォルス団長の視線はオレに向いている。
「わたくしとしても飾らぬ態度で接して頂きたく思いますわ」
「……かしこまりました」
渋々ながら納得してくれた。
「へっへー! 親父殿の負けー!」
調子に乗ったバレットはゲンコツを落とされた。
どうやらお調子者な性格らしい。
「だ、大丈夫ですか?」
悶絶しているバレットに声を掛ける。すると、彼はニカッと笑った。
「嫁さん、めっちゃ可愛いな! 殿下、うらやましー!」
「……ああ、フリッカはとても可愛い」
アルは嬉しそうだ。どうやら、二人は良き友人らしい。
正直、オレの方が羨ましい。
「お二人は仲がよろしいのですね」
「親友だからな!」
「ああ」
親友と言われて、アルは照れる事なく頷いた。
その関係に満足している証拠だろう。
「……ちょっと、妬けますわね」
「はっはー! ますます可愛いな! 殿下、しあわせものー!」
「ああ、幸せ者だ」
何はともあれ、バレットは感じの良い少年だ。
思ったより筋肉は無かったけれど、よく考えると十歳で筋肉モリモリだと成長に悪影響だ。
「釣りがしたいんだって?」
「はい。我儘を言って申し訳ないのですが……」
「任せな! バッチリ準備しておいたぜ!」
ババーンとバレットは釣具一式を3セット運んで来てくれた。
「嫁さん、虫とか平気か?」
「うーん、モノによると言いますか……」
「これは?」
バレットが取り出したのはワームの盛り合わせだった。
「お、おい、バレット!?」
アルが焦った声を出した。
「フリッカが怖がるだろ!」
その言葉に吹き出しそうになった。
「大丈夫ですよ。釣り用の餌ですわね?」
「ぷっぷー! 殿下、こわがりー!」
「あら?」
バレットの言葉にアルの方を向くと彼の顔は引き攣っていた。
どうやら、怖かったのは彼の方らしい。
「……まあ、可愛いものではありませんからね」
オレの言葉にアルは「こ、怖がってなどいない!」と虚勢を張った。
失敗だ。ここは平然としていないで怖がるべきだった。アルが苦手意識を持つ可能性を考慮していなかった。
女のオレが怖がらなければ、男の彼も怖がれない。それが男の意地というものだ。
「殿下、無理すんなって! 一応、疑似餌もあるぜ。見た目はあんまり変わらないけど、偽物なら……」
「無理などしていない! 行くぞ! フリッカに美味しい魚を釣ってあげるんだ!」
そう言うと、アルは釣具セットを二つ分持って部屋を出て行った。
その姿にバレットはおろか、ヴォルス団長も呆気に取られている。
「ありゃりゃ、殿下ってばマジじゃん」
「これはこれは……」
二人は顔を見合わせると破顔した。
「よっし! 行こうぜ、嫁さん! 我らが王が待ってるぜ!」
「ええ!」
ここに来る前よりもウキウキして来た。
◆
王城内には王家の湖以外にも調練場の奥に川が流れていた。
調練場で汗を掻いた騎士団員達が汗を流す為にも利用しているらしい。
横目で調練の風景を少し見る事が出来た。
「騎士団の皆様は毎日あのように厳しい鍛錬を積んでおられるのですね」
「まあね! オレも参加してるんだけど、いつか全員超えてやるんだ!」
バレットは瞳を燃やしている。
「……もしかして、今日も鍛錬に参加する筈だったのでは? でしたら……」
「気にしなくていいよ。力を磨く事も大切だけど、オレは王国の騎士だからね」
バレットは真面目な顔で言った。
「殿下やフレデリカ様を守り、釣りを御指導させて頂く。騎士として、このような機会を与えられた事に感謝致しております。どうか、今は殿下と過ごす時間をお楽しみ下さい」
これが騎士としてのバレットなのだろう。さっきまでの言動はアルが頼んだからこそのもの。
「……あなたは騎士なのですね」
純粋にカッコいいと思った。
十歳の少年だけど、彼は既に騎士だったのだ。
一応は高校生だったオレなんかよりもずっと大人だ。
「行こうぜ、嫁さん!」
バレットはニカッと笑う。
「殿下ってば、どんどん先行っちゃうんだもんな! 急ごうぜ!」
「はい!」
◆
川辺に辿り着いた。
「よし! 釣りのやり方を教えるぜ! しっかり付いてきてくれよ!」
「ああ」
「はい」
バレットが用意してくれた釣り竿は魔道具だった。もっとも、魚を勝手に探知して釣ってきてくれるお手軽アイテムではない。
そういう釣り竿もあるみたいだけどバレットは気を利かせてくれたみたいだ。
オレ達はあくまで釣りを楽しむために来たのだから。
「まず、餌は自分で取り付けるんだ! 針には気をつけてくれよ? ワームは動くから怪我しないように!」
「あ、ああ」
「はい」
さて、オレもワームを針に付けるとしよう。
「ま、待て! フリッカの餌もボクがつける!」
「え? でも……」
「針なんて危ないだろ!」
「……ア、アル?」
バレットもポカンとしている。
「あの……、わたくしも裁縫で針は使うので……、大丈夫ですよ?」
「だ、だが、怪我をしたら大変じゃないか!」
どうやら、ワームに対する恐怖心を殺す為にいっぱいいっぱいな様子だ。
そうでなければ淑女としての教育で裁縫も習っている事を彼も知っている筈だ。
「……では、お任せ致しますわ。殿下」
それからオレとバレットはアルがワーム相手に四苦八苦する様を眺めた。
本当に苦手なのだろう。表情が凄い事になっている。顔中に皺が寄り、口は酸っぱい物でも食べたかのようだ。
「あっちゃー……」
バレットは頭を抱えた。
「嫁さん、あんまり殿下のかっこ悪い所を見ないでやってくれよ……」
そう言われてもオレは首を横に振った。
「カッコいいですよ」
辛くて苦しい事から逃げない姿をかっこ悪いとは言わない。
むしろ、その姿は凄くカッコいい。
「……そっか」
それっきり、バレットは何も言わなくなった。
たっぷり一時間の奮闘の末、アルは二つの針にワームを仕掛ける事が出来た。
その手は針を何度か刺してしまったせいで傷だらけだ。
「殿下、治癒しますね」
「いや、ワームを触った手だから……」
「治癒呪文で傷を癒やしてからにしましょう。染みてしまいますからね」
治癒魔法の良い所は消毒が不要な点だ。バイ菌やウイルスも治癒と同時に浄化する。
「スラル ヘカト ミレル」
アルの手を包み込みながら呪文を唱える。
まだ、使える呪文は多くない。だけど、治癒魔法や強化魔法は必須だと思ったから優先して覚えた。
大正解だった。
「痛みますか?」
「……いや、痛くない。ありがとう、フリッカ」
「此方こそ、ありがとうございます」
それからオレ達はバレットの指導の下で釣りを開始した。
アルは悪戦苦闘の甲斐あってか、二度目以降はワームの取り付けに慣れたようだった。
すんなり針にワームを通して渡してくれるアルは実に頼もしかった。
「ありがとうございます、殿下!」
「どういたしまして、フリッカ」