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第六十七話『赤と黒の帳』

 今宵のダンスの演目は『赤と黒の帳』。

 嘗て、二代目魔王ロズガルドを討伐した英雄であるウェントワース・レッドフィールドとスカイ・サリヴァンをモチーフにしたアガリア王国における社交ダンスの基本となる演目だ。

 初めに主賓である男女が『誓い合う二人』という静かな楽曲で踊り、曲が終わると主賓以外の人々も『喜び合う人々』という陽気な楽曲で踊り始める。その時はアルヴィレオとフレデリカもそれぞれ異なる相手とダンスを踊る。そこから先は幾つかのパターンがあり、今宵は『栄光ある輝き』と『月の乙女と太陽の勇者』が流れる事になっている。そして、最後に『愛し合う二人』を主賓が踊る事で締めとなる。

 序曲である『誓い合う二人』が流れ始めると、フレデリカの前でアルヴィレオが跪く。見上げる瞳を見つめながら彼女は倒れ込み、その体を抱きとめながら彼は立ち上がる。互いの瞳は互いの瞳だけを映し、二人は華麗にステップを踏み始めた。

 

「……アル」


 フレデリカは腰に手を回されて彼に引き寄せられると涙を零しそうになった。

 踊る前は不安で仕方がなかった。ダンスの練習自体はしていても、二人は一度も一緒に踊った事が無かったのだ。

 社交ダンスは手を取り合って、相手と自分のリズムを合わせながら踊る。技術だけではなく、互いの絆が何よりも重要なのだ。

 ちゃんと息を合わせる事が出来なかったらどうしようとフレデリカは何度も頭を悩ませてきた。けれど、そのような不安は踊り始めた途端に消し飛んでしまった。


「フリッカ……」


 社交ダンスは男女で踊るもの。男はどんな風に踊りたいかを女に示し、女はその意思を受け止める。そこには言葉に頼らない意思の疎通があり、だからこそ、相手の感情がダイレクトに伝わってくる。

 アルヴィレオの表には出さない情熱的な想いがダンスを通じて伝わってくる。その想いに応えたいと思えば、それがそのまま彼に伝わるのだ。

 今日になるまで離れ離れだった。フレデリカはずっと寂しかった。けれど、アルヴィレオも寂しかったのだ。もう二度と離れたくない。その想いが握り合う手や見つめ合う瞳を通じて互いの心に流れ込んで来る。

 気がつけば周りの事など意識から外れていた。そこには二人だけの世界があり、このまま永遠に踊っていたいと思うくらい夢中になった。

 けれど、どんなに惜しくとも終わりは来る。曲調がゆるやかになり、やがて止むと光が一気に大広間中へ広がっていく。

 他の人達もそれぞれのパートナーと踊りだし、アルヴィレオとフレデリカも別の相手と踊らなければならない。恋しく思いながらも手を離し、違う相手の下へ向かっていく。

 段取り通りの事だと言うのに、二人の胸はズキズキと痛んだ。


 ◆


 ジョーカー・レッドフィールドは大広間の隅で息を潜めながら主人達のダンスを見つめていた。

 

「……なるほど」


 今宵の夜会に到るまでの段取りについてはジョーカーも眉をひそめるものだった。なにしろ、主賓である二人が当日になるまで顔を合わせないなど通常ならばあり得ない事だ。

 ヴォルフ・リールの勧誘が重要である事は認めるが、それならば夜会の日程を伸ばすべきだと思った。王国の未来を背負う二人の門出は万全な準備を整えた上で行うべきだからだ。けれど、二人のダンスを見ている内に疑問が氷解した。

 アルヴィレオとフレデリカはどちらも立場を明確に自覚している。そして、その立場に相応しい能力を併せ持っている。

 二人に時間を与えれば、恐らくは完璧な社交ダンスを披露していた事だろう。そして、今踊っているようなダンスが披露される事は無かったのだろう。

 

「……素敵」


 近くにいた令嬢が呟いた。

 大広間の中心で踊る二人は上気した顔で互いばかりを見つめている。

 ダンスの本質は表現にある。彼と彼女の感情は互いだけでなく、見ている者達にも伝わってくる。心から相手を想い合う者同士の愛に満ち溢れた感情にあてられて、多くの令息や令嬢達が頬を赤く染めている。

 完璧ではなく、ありのままの二人のダンスだからこそ、誰も彼もが心を惹かれている。

 二人のダンスが終わると他の令息や令嬢も踊り始めた。彼らも完璧であるよりも感情を優先としたダンスを踊っている。楽しそうに笑い、汗を流しながらパートナーへ感情を投げかけ、感情を受け止め、感情を爆発させている。

 

「……お見事」


 為政者としての能力は学園生活が始まってから示していけば良い。

 ここで見せるべきは人間的魅力であり、このレクリエーションタイムで披露したダンスは二人のそれを十全に皆へ伝える事が出来た。

 こうなるようにアルヴィレオとフレデリカを遠ざけ、少々無理のある日程を組んだネルギウス王にジョーカーは感服した。


 ◆


「……あまり緊張してくれないのね」


 アルヴィレオの姉であるヴィヴィアン・アガリアはパートナーを務めるバレット・ベルブリックの隙のない所作に唇を尖らせた。

 

「緊張してますよ」


 そう言いながら、バレットはヴィヴィアンの腰を引いた。

 

「こんなに美しい人と踊っていて、平常でいられる男などいませんよ」


 耳元で甘く囁くバレットにヴィヴィアンは愕然となった。

 ずっと弟のように思ってきたバレットの口からこんなにもキザなセリフが飛び出してくるとは思っていなかったのだ。

 心を掻き乱され、平静を取り戻す為に一旦距離を離そうとしたらその手を持ち上げられてクルクルと回された。そして、気づけばバレットの腕の中に戻されてしまった。


「……むむっ」


 丁度視線の先にフレデリカがいた。相手をしているのはゾア公爵家のギルバート・ゾアだ。

 ギルバートはあまりダンスに慣れていないようだけど、フレデリカは見事にフォローしている。

 義妹(いもうと)は立派に責務をこなしている。対して、ヴィヴィアンはさっきからバレットに翻弄されっぱなしだ。

 このままでは義姉(あね)としての沽券に関わる。

 

「バレット……」


 ヴィヴィアンはバレットから遠ざかるのではなく、自分から近づいた。

 腕を背中に回し、抱き合うように二人で回る。そのままバレットのリードに全力で身を委ねた。

 彼の動作の一つ一つを確りと観察して、バレットが踊りたいように踊らせてあげる。

 思い描く通りに動けて、バレットは楽しそうだ。その笑顔を見て、ヴィヴィアンも嬉しくなった。

 婚約したと言っても、まだまだバレットは子供だ。恋愛よりも優先したいものがたくさんある筈なのだ。だから、今は無理に婚約者を演じなくてもいい。

 その想いが伝わったのか、バレットは少し困った表情を浮かべながらも微笑んだ。

 そして、手を取り合いながら二人で同じ方向を見た。そこにはアルヴィレオがいた。彼はとんでもない仏頂面でレーベルンヴァルク公爵家の令嬢と踊っていた。


「で、殿下……?」

「ア、アル……?」


 二人は同時に悟った。

 ネルギウス王のアルヴィレオとフレデリカのありのままの姿を引き出す作戦は成功し過ぎてしまった。

 彼は独占欲の強い男なのだ。フレデリカが他の男と踊っている事が我慢ならない様子だ。パートナーを務めているアイリス・レーベルンヴァルク嬢は泣きそうになっている。


「あ、あの子ったら……」

「ど、どうしますか? フォローするにも……」


 このままだとアイリスが可哀想だ。けれど、ダンス中に声を掛けるわけにもいかない。

 困っていると、一組の男女が回りながらアルヴィレオとアイリスの下へやって来た。

 ヴォルフ・リールとキャロライン・スティルマグナスだ。ヴォルフ達はそのままアルヴィレオ達と鏡合わせのように同じダンスを踊り始めた。ヴォルフは仏頂面のおまけ付きだ。

 すると、アルヴィレオはハッとしたような表情を浮かべた。それで満足したらしく、二人は離れていった。

 そこからはアルヴィレオも皇太子に相応しい様を取り繕えるようになった。

 彼がすまなそうな表情を浮かべると、アイリスは苦笑した。


「……ヴォルフ・リール。さすがは叔父様が見込んだ子ね」

「そうですね……」


 バレットは少し複雑そうだ。自分が手を拱いている内に先を越されてしまったからだ。

 こういう子供らしい部分を見つけるとホッとする。

 アルヴィレオやフレデリカにも言える事だけど、背伸びをし過ぎているのだ。

 焦らなくてもいい。学ぶ時間は十分にあるのだから。


 ◆


 最後の曲である『愛し合う二人』が流れ始めると大広間は再びアルヴィレオとフレデリカのものになった。

 クライマックスに相応しく、情熱的な曲が流れる中でアルヴィレオは燃えるような眼差しをフレデリカに向けた。

 

「……フリッカ」

「アル……」


 力強く、大胆にリードするアルヴィレオにフレデリカは負けじと複雑なステップを踏んだ。

 他の男と踊るフレデリカを見たアルヴィレオが平静ではいられなかったように、他の女と踊るアルヴィレオの姿を見て、フレデリカも胸を痛めていた。

 寂しかった。妬ましかった。辛かった。

 その思いを伝え合う事で二人の心に灯った炎は際限なく燃え上がっていく。

 余人の立ち入る隙がない二人の固い絆を誰もが感じていた。


「……フレデリカちゃん」


 貴族の所作など何も知らず、大広間の片隅で佇む事しか出来なかった少女もまた、その事を強く感じていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] フリッカとアルの関係とても好きです! [一言] 更新を毎回楽しみにしていた作品なので、更新再開されたようでとても嬉しいです。 次話も楽しみにしております。
[一言] 久々の投稿からの連続更新で嬉しい限りです。
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