第七話『魔王の亡骸』
アガリア王と王妃は跪く二人の姿に困惑していた。
王家の湖に向かい、その中央の小島にある石像を壊してしまったと言う。
それはあり得ない事だった。
「あの石像をフレデリカ嬢が……、本当に?」
「誠に申し訳ございません、陛下」
言い訳の言葉もない。誠実と言えば聞こえはいいが、もう少し詳しく話してもらいたい所だ。
「石像はどのように壊れたのかね?」
「わたくしが無思慮に触れた為、崩れ落ちました」
「しかし! フレデリカ嬢は欠片も力を込めていませんでした! 恐らくは経年劣化によるものかと!」
アルヴィレオの必死な表情に王妃は驚いた。
人よりも早熟であり、思慮深い子だ。王の後継に相応しい精神性だが、その為か情緒が希薄だった。
状況が状況故に手放しでは喜べないものの、これほどの感情を顕にさせたフレデリカを王妃は心良く思った。
「フレデリカ嬢に悪気が無い事は分かっている。そうではなく、どのように壊れたのかを聞いているのだ。崩れ落ちたと言ったが、具体的には?」
その言葉にアルヴィレオは戸惑った。石像の壊れ方にどうして固執するのか分からなかったからだ。
「す、砂に変わりました」
フレデリカが言うと、王は険しい表情を浮かべた。
「……お前達はミリガンの名を知っているか?」
◆
「え?」
いきなり話が飛んだ。ミリガンと言えば、一人思い当たる人物がいる。
「カルバドル帝国の剣聖様の名ですか……?」
「ああ、そうだ。今代の剣聖であるマリア・ミリガン。その曽祖父は先代の勇者だった」
「勇者……」
知らなかった。ゲームに登場するマリア・ミリガンは別大陸で覇を唱えるカルバドル帝国の最強騎士だ。
プレイヤーが彼女と戦う事はない。ただ、関わらないわけでもない。
エルフランのシナリオでは帝国からの使者として現れ、ちょっとした協力者になってくれる。
ザラクのシナリオでは序盤に当代勇者と激戦を繰り広げて主人公とプレイヤーに最上級クラスの戦闘を垣間見せてくれる他、かなり親密な関係になる相手でもある。
ぶっちゃけるとザラクのヒロインの一人だ。
「メナス・ミリガン。彼は七大魔王を屠った英雄として知られている」
これまた胸躍るワードが飛び出して来た。
七大魔王と言えば、ザラクのシナリオの重要ワードの一つだ。
なにしろ、ザラクの能力は七大魔王と深い関係にある。
「彼が屠った魔王の一人、エルダー・ヴァンパイアのシャロン。彼女はメナスに討伐されると石像に転じた」
石像。話の流れから、王が困惑した理由が分かって来た気がする。
「……え? あの石像って、魔王なんですか?」
横を見ればアルヴィレオも唖然とした表情を浮かべている。
「そうだ。調査の結果、あの石像に生命反応は残っていないと分かった。しかし、仮にも魔王の亡骸だ。完全に消滅させる為にあらゆる手段が行使された。だが、メナスの最大奥義を始め、あらゆる攻撃が通じなかった」
「あの……、どうして、そんな物が王家の湖に?」
言葉遣いに気を使う余裕がない。
思った以上に大変な事をやらかした可能性が浮上して来た。
「破壊出来ない為、火口や海溝に沈める案も出た。しかし、目の届かない所に捨てる事は危険だと主張する者達がいた。その為、初代勇者が聖剣を引き抜いた地に置く事が決まった。聖なる加護に守られ、魔に属する者にとっては死地となる。魔王であっても例外ではない。そして、それこそが王家の湖の小島なのだ」
オレが壊した石像は魔王だった。そんな話、ゲームには登場していなかった。
そもそも、ゲームで王家の湖に入る事は一度もない。存在だけは示唆されていたし、マップにも登場していた。けれど、常に『立ち入る事が出来ない』と表示されて入れなかった。
魔王の死骸が置かれているような重大な場所だなんて想像も出来なかった。
「およそ三百年の間、何事も無かったのだが……」
「あ、あの、も、申し訳ございません。わたくしはとんでもない事を……」
「フ、フリッカ!?」
頭を床に擦り付ける。
魔王の亡骸が崩れた。アルヴィレオの言った通り、経年劣化の可能性もある。だけど、そうではない可能性もある。
オレが触れてしまった事が原因で魔王復活なんて事になれば責任など取れない。シナリオ終盤辺りの力を振るえるようになれば魔王や勇者にも引けを取らないけれど、今は無理だ。
今代の勇者が倒してくれるかも知れない。だけど、犠牲者が出るかも知れない。そう考えると震えが止まらない。
「落ち着きなさい。おそらく、君が危惧している通りにはならない」
王は言った。
「復活したのならば分かる筈なのだ。そういう魔法が幾重にも張り巡らされている。メナスとシャロンの時代よりも遥かに優れた探知魔法の数々だ。ずっと意識を保っていたとしても、復活してすぐにすべての魔法に対処する事など不可能だ」
「で、でも、魔王なら……」
「魔王と言っても、七大魔王は初代と比べると普通の魔物や魔族よりも強かったという程度のものだ。実際、メナスは圧倒していた。格別の存在である事は確かだが、君が思っている程に途方もない存在というわけでもないのだよ」
「な、なるほど……」
とりあえず、復活という最悪の事態は避けられたようだ。
「すまないね。魔王の亡骸の崩壊に私も戸惑ったのだ。しかし、これは悪い事ではない。むしろ、ようやく王家が果たすべき義務の一つを終えられたとも言える」
王は表情を和らげて言った。
「少し脅かすような話をしてしまったが、いずれは二人にも知ってもらう必要があった話だ。とりあえず、調査の為にオズワルドを向かわせよう」
オズワルドは王宮専属魔法使いであり、王弟でもある。
王族にも関わらず、彼は独身を貫いて魔法の研究を行っている人だ。
それが許されるだけの成果を上げているのだから凄い。
ただ、ゲームだとマッドサイエンティスト感のある奇人だった。
「さあ、二人共。石像についての話は以上だ。二人の時間を楽しんで来なさい」
「……陛下、寛大な御言葉に感謝致します」
今一度頭を深く下げてからアルと一緒に王の執務室を出た。
謝罪の為とは言え、王としての重要な仕事の手を止めさせてしまった事に対する叱責もなかった。
エルフラン視点だと結構厳しい人物だと思っていたから意外だ。
◆
すっかり遅くなってしまったけれど、ミレーユは不満一つ零さずにアフタヌーンティーの仕度をしてくれていた。
「大丈夫かい?」
アルヴィレオが気を使ってくれる。
「うん。陛下も王妃様も優しいな……」
「軽く触れた程度で崩れたんだ。遅かれ早かれさ。あんまり気にしないほうがいいよ」
「……うん」
「それより、この前美味しそうに食べていたラズベリーソースのクッキーがあるよ。ほら」
アルがクッキーを取ってくれた。オレはそれを口で受け取った。
「うまっ!」
相変わらず、このクッキーは絶品だ。
アルがテーブルの周りに遮音結界を張ってくれて良かった。
この美味しさの前では取り繕えない。
待たせた挙げ句に蚊帳の外へ追いやったミレーユには本当に申し訳ないと思うけど……。
「……こっちはどうかな? ブルーベリーソースだ」
「あーん!」
さっきよりも口に近い所へ運んでくれたから楽に食べられた。
「うまー! 最高!」
「……ああ、最高だね。ほら、オレンジのもあるよ」
それからしばらくクッキーを堪能した。
食べる度にアルがクッキーを口へ運んでくれた。
「フリッカは食べる事が好きみたいだね。あの時は単純に空腹だったからだと思ったけど」
「うん! 食べるの大好きだぜ! 甘い物は特に! でも、辛いのもキライじゃないぜ!」
「そうなんだね。魚も?」
「うん!」
「なるほど、だから釣りか……」
アルは苦笑した。
どうやら魚が食べたいから提案したと思われたようだ。
否定はしない。魚はオレの好物の一つだ。
「釣った魚を焚き火で焼くって、楽しそうじゃね?」
「ああ、楽しそうだ。バレットもよくやっているみたいだしね」
「へっへー。焼き魚はそのままでも美味いからな―」
おっと、ヨダレが垂れそうになった。
「他にもやりたい事はある?」
「とりあえず、夕飯の後はゲームしようぜ! トランプとか、ウノとか!」
この世界の良いところはトランプやウノがある事だ。さすがにテレビゲームは無いけどね。
ちなみに醤油や味噌、米もある。日本食も食べたい時に食べられる。
「いいね。でも、二人で遊べるゲームとなると限られるな……」
「チェスもいけるぜ!」
「そっちも準備しておくよ」
「いっそ、風呂も一緒に入るか!? 背中流すぜ!」
「風呂!? い、いや、それはさすがに……」
「別に婚約者だし、良くね?」
一人で入るよりも友達と入る方が絶対楽しい。
10歳同士で間違いなんて起こりようもないし、名案だと思った。
「こ、婚約者と言えども節度は守らないと!」
「ダメ?」
「……だ、ダメだ」
ちょっとしょんぼり。
「そ、その代わり! ゲームはいろいろ種類を揃えておくよ! そ、そうだな! お菓子も準備しておこう!」
「ほんと!? やったー!」
「あはは……、はは……」
この滞在期間はオレとアルの関係を深める為のものだ。
つまり、その為ならお菓子とゲームで夜更ししても許される筈だ。
うーん、楽しみ!
◆
「殿下、お嬢様、そろそろ就寝のお時間です」
許されなかった……。