第五十七話『主従』
魔王の権能でゲートを開き、オレはアル達と共に王宮へ戻って来た。
王宮騎士団の人達に見せても大丈夫なのかと思ったけど、陛下の指示なのだから問題無いのだろうと判断した。
「お嬢様!」
ゲートを開いた先は王宮の中庭だった。陛下の手紙に場所も指定されていたからだ。
そこにはアイリーンが待ち構えていた。
「アイリーン、ただいま」
「おかえりなさいませ、お嬢様!」
アイリーンはオレを抱き締めた。ちょっと痛い。
彼女はオレに永遠の忠誠を誓う事で『忠義の騎士』というスキルを得た。
その効果によって、彼女の筋肉隆々だった肉体はすっかりスリムになり、とても女性らしい体つきに変化した。
けれど、それは肉体を最適化されただけの事であり、彼女のパワーが失われたわけではなかった。
もちろん、オレを傷つける気など無いのだろう。だけど、心が乱れているせいで力加減を間違えてしまったようだ。
どうやら、かなり心配させてしまったらしい。
「アイリーン。心配を掛けてごめん」
「お嬢様はどうして……」
「え?」
最後の方は聞こえなかった。だけど、彼女の声には悔しさや怒りのようなものが含まれていた。
「アイリーン……?」
「……なんでもありません。それよりも怪我は御座いませんか?」
なんでもないと言っておきながら、アイリーンはとても哀しそうな表情を浮かべていた。
「あっ……」
オレは青褪めた。
相手は幼い頃から一緒に居てくれた大切な人だ。永遠の忠誠を誓い、オレに人生を捧げてくれた人だ。
それなのにミレーユとの確執にも気づいてあげる事が出来なくて、今また彼女が悲しんでいる理由を察する事が出来ずにいる。
「お、お嬢様!?」
オレは本当に頭が悪い。陛下に悪癖だと言われても余計な事ばかり考えてしまい、挙句の果てに一番考えるべき事から目を背けていた。
彼女の顔をまともに見たのは何時以来だろう? そんな事を考えてしまう時点で最低だし、すぐに思い出す事が出来ない自分が嫌になる。
居てもらう事が当たり前。やってもらう事が当たり前。そんな風に考えていたんだ。
「ごめ……、ごめん、アイリーン……」
泣くなんて卑怯だ。最低だ。あまりにも男らしくない行為だ。
それなのに涙が流れる。声が震える。
堪える事が出来なかった。アルに受け止めてもらって、心は安定した筈なのに……。
「ちがっ、お嬢様は何も悪く御座いません!! わ、わたくしが至らぬばかりに!!」
ああ、本当に最悪だ。アイリーンを泣かせてしまった。
「ア、アイリーンは悪くないの!! オレが……、オレが悪いんだ!! ごべ……、ごめん、アイリーン……」
落ち着いて話をするべきなのに、頭が回らない。
涙を止める事も出来ない。アイリーンに酷い事をしてしまった。それが辛くて仕方がない。
だけど、耐えなきゃいけない。それなのに耐えられない。そんな自分が嫌になって、余計に苦しくなっていく。
情けない。かっこ悪い。ずるい。卑怯だ。
「そこまでよ、二人共」
誰かに頭を撫でられた。この声は王妃様のものだ。
「王妃様……」
「貴女達はどちらも悪くないわ。故郷を離れて、新しい環境の中で忙しなく日々を過ごして来たのだから……」
王妃様は悔いるような表情を浮かべた。
「だから!」
その表情が明るい笑顔に一変する。
「お茶会をしましょう!」
「……へ?」
「さあさあ、二人共! いっくわよ―!」
王妃様はその細身の体からは想像もつかないパワーでオレとアイリーンを引っ張った。
「アル」
そして、一度だけアルに顔を向けた。
「おかえりなさい。ちょっと二人を借りるわね」
「……は、はい」
アルはポカンとした表情を浮かべていた。無理もない。オレだって、逆の立場だったらポカーンだった事だろう。
「お嬢様……」
「アイリーン……」
公爵家の屋敷の中ではいつも二人っきりだった。兄貴よりもずっと一緒にいた。家族よりも家族だった。
だから、甘えてしまった。
彼女なら分かってくれる。彼女なら大丈夫。そんな風に考えてしまった。
オレの事を大切にしてくれて、守り続けてくれている彼女を蔑ろにした。
「さあ、着いたわよ!」
王妃様に連れて来られた場所はいつも彼女と茶会をしている部屋だった。
「さあ、二人共座ってちょうだい」
アイリーンは慌てた。
「わ、わたくしが座るわけには!!」
「アイリーン」
青褪めるアイリーンの顎に手を添えて、王妃様は言った。
「座りなさい」
「……は、はい」
普段は穏やかで優しい王妃様の有無を言わさぬ命令にアイリーンは怯えた表情を浮かべながら椅子に座った。
オレも言われた通りに座り、アイリーンを見つめた。今にも目を回しそうな表情を浮かべている。
「王妃として命じます」
自然と背筋が伸びた。
普段、気安く接する事を許してくれているけれど、彼女はこの国の王妃様なのだ。
その命令権は王命に次ぐ。
「本音で語り合いなさい。貴女達にはそれが必要です」
アイリーンがますます青褪めていく。
彼女を苦しめる事は本意じゃない。だけど、こういう形を取らなければ本音で語り合う事が出来ない関係性に落ち着いてしまった理由はオレにある。
「……怯えないで、アイリーン」
アイリーンはビクッとした様子でオレを見た。
「アイリーン。まず、オレから話すね」
「……はい、お嬢様」
オレはアイリーンの瞳を見つめながら言った。
「オレにとって、アイリーンは家族だ。ずっと傍に居てくれて、守ってくれて、世話をしてくれて、失礼な話かもしれないけれど母親のように思ってる」
「お、お嬢様……」
アイリーンは目を見開いた。
「だから、甘え切ってたんだ。アイリーンはアイリーンなのに、まるでオレの体の一部みたいに考えてしまったんだと思う。アイリーンが居てくれる事が当たり前で、何かしてもらう事が当たり前になっていたんだ。君を……、君を蔑ろにしたんだ……、オレ……、本当に最低だ……」
「違います!!」
アイリーンは叫んだ。
「お嬢様が最低などと……、そんな事ありません!! わ、わたくしは……、わたくしにとってもお嬢様は……、貴女は妹や娘みたいに……」
彼女は涙を零しながらオレに手を伸ばしてきた。オレはその手を掴んだ。
「不敬だと分かっているのです……。でも、初めて会った日……、貴女は化け物みたいなわたくしを怖がらずにいてくれた……。笑いかけてくれて……、甘えてくれて……、だから、だから……」
アイリーンの言葉はオレの心を大きく揺らした。
未婚の女性に対して、母親扱いなんて失礼だと思った。だけど、彼女もオレを娘のように思ってくれていた。
涙ながらの言葉を嘘とは思わない。王妃様の命令もある。だから、これは紛れもなく彼女の本音だ。
うれしかった。この世界に生まれ変わって、もう前世の両親とは会えない事を悟り、この世界の母親とも決別する事になってしまったオレにとって、彼女は救いだったのだから。
「……わたくしはお嬢様を守りたいのです。甘えて欲しいです。我儘を言って欲しいです。だけど……、だけど!」
アイリーンは意を決したように言った。
「お嬢様はわたくしを置いて危険に飛び込んでしまう!! それがイヤなのです!! お嬢様に万が一の事があったらわたくしは……、わたくしは……」
赤くなったと思ったら、また青褪めて、オレの死をイメージしたのか恐怖の表情を浮かべながら俯いた。
それがあの時言い掛けた言葉だったのだろう。
「……わたくしはお嬢様の為に死ぬ為に生きているのです」
彼女は言った。
「やだ」
オレは言った。
「それはやだよ!!」
「……お嬢様」
「アイリーン……。母親が自分の為に死ぬ事を喜べる人間がいると思う?」
「それは……」
つい、言い方がキツくなってしまった。
「……って言うか、さすがにもうしないよ」
今回、迷いの森に行った事も次期王妃としてあり得ない蛮行だ。
オレは冷静さを欠いていた。陛下が怒るのも当然だ。
「心配掛けてごめん……」
「……お嬢様」
別にヒーローになりたいわけじゃない。喧嘩は嫌いだし、力をひけらかす趣味もない。
ゲームのストーリーを考えると、また戦う日が来る筈だけど、その時はみんなが一丸となる時だ。
勝手に一人で動いて、みんなを心配させるのは止めよう。それは陛下達が認めてくれたオレらしさや自由とは関係ないものだ。
「うんうん! アイリーンちゃんは心配だったし、フリッカちゃんは甘えていた! でも、お互いにそれがイヤなわけではないのよね?」
王妃様の言葉に自然と頷いていた。
「はい。アイリーンが心配してくれた事はすごく嬉しいです」
「わたくしもお嬢様が甘えて下さる事が無上の喜びで御座います」
「だったら、これで解決ね」
彼女は言った。
「二人共、よく覚えておいてね。心は目に見えないもの。だからこそ、言葉は必要なのよ。言わなくても伝わる事はあるけれど、伝わらない事もあるのだから」
今回の事はまさにその通りだった。勝手に伝わっていると思って、互いの心がわからなくなっていた。
王妃様はいきなり泣き出したオレ達を見て、一目で見抜いてその事を教えてくれたんだ。
すごい人だと改めて思う。陛下がよく王妃様の叡智を褒め称える事があるけれど、それは決して大袈裟ではない。
本当に頭のいい人というのは彼女のような人を指すのだろう。
「はい、ありがとうございます。王妃様」
「肝に銘じます」
「うん! じゃあ、お茶にしましょうか!」
「す、すぐに御用意いたします!」
慌てて立ち上がろうとするアイリーンの肩を王妃様が押さえた。
「だーめ。今日はわたしとフリッカちゃん、そして、アイリーンちゃんのお茶会なんだから」
そう言うと、王妃様は近くの鈴を鳴らした。
「エレノア、お茶の用意を御願いね」
「かしこまりました」
応えたのは王妃様の専属使用人であるエレノア・ルーテシアだった。
彼女はアガリア王国の四大公爵家の一つであるルーテシア家の令嬢でもある。
王家の使用人は公爵家の令嬢や令息があてがわれる。オレもアルの婚約者に選ばれていなければ王家の使用人として別の道を歩んでいた筈だ。
「どうぞ、フリッカちゃん」
「ありがとうございます、エレノアさん」
エレノアから受け取った紅茶を飲むとホッとした。
彼女の淹れる紅茶は本当に美味しい。一緒に運んで来てくれたクッキーも絶品だ。
「美味しい!」
◆
フレデリカとアイリーンが王妃に引き摺られていった後、アルヴィレオはネルギウス王から呼び出しを受けていた。
「よく戻って来たな。此度の件、よくやった」
「ありがとうございます、父上」
労いの言葉と共にネルギウスは息子へ資料を手渡した。
「さて、早速だが幾つか伝えておくべき要件がある。まず、獣王の一件以来、先延ばしになっていたお前とフレデリカの社交界デビューの件だ。来月、夜会を開く予定だ。そこに記されているのは将来的に必要となる人材達だ。よく目を通しておけ」
「かしこまりました」
「そして、一つやってもらいたい事がある」
「なんでしょうか?」
「彼だ」
ネルギウスは一枚の紙をアルヴィレオに渡した。
それは他の資料と同じように顔写真やプロフィールが記されている。
「ヴォルフ・リールですか……」
「他の者達からは参加を承諾してもらえたのだが、彼からは断られてしまったのだ」
残念そうに言うネルギウスにアルヴィレオは目を見開いた。
ネルギウスが比較的穏やかな気性の王である事を踏まえても、王からの招待を断る事は異例中の異例だ。
「本人の希望ですか?」
「それとは別にリール侯爵からも素行不良である事を理由に次男を代理とする提案書が届いている」
「……それでも、ヴォルフを招待したいと?」
「そうだ」
ネルギウスは言った。
「彼はオズワルドが推薦した少年だ。そして、彼の事を詳しく調べた所、是が非でも欲しくなった。資料の下部を読んでみろ」
「……『ベルーガーズ』?」
「愚連隊として認識されているが、実際には彼が独自に組織した自警組織だ。そこに所属している者の多くは貴族の末端であったり、庶民であるようだ」
「これは……」
資料を詳しく読むと、ベルーガーズという組織は行き場を失った者達の受け皿になっているようだった。
その組織力は侮れず、彼らは王国の騎士団や警察組織の目の届かない部分の犯罪者や野盗を討伐しているという。
「……これを十二歳の少年が組織したというのですか!?」
アルヴィレオは驚きのあまり父王を問い質した。
「そうだ」
ネルギウスは言った。
「驚くべき手腕だ。この歳で軍団を組織し、運用出来る者などそうはいない。従魔術にも精通しているようだ」
「では、やってもらいたい事とは……」
「そうだ。彼と接触し、勧誘しろ」
アルヴィレオは再び資料に視線を落とした。
一昔前に一部の男性の間で流行したリーゼントヘアが特徴的な少年だ。
目つきも鋭く、粗暴そうな印象を受ける。
一筋縄ではいきそうにない。
「かしこまりました。明日、リール侯爵領に向かいます」
アルヴィレオの言葉にネルギウスは頷いた。