第五十五話『親心』
アガリア王国の国王であるネルギウスはフレデリカがアルヴィレオの下へ向かったという報告を受けて苦笑を浮かべた。
「お転婆娘め……」
共に報告を受けていた彼女の父であるギルベルト・ヴァレンタインは顔面蒼白になっているが、ネルギウスは欠片も心配していなかった。
本人は自覚していないが、彼女は魔王の力に加え、勇者の力まで併せ持っている。現状、彼女は世界最強の力を宿している。
嘗てのように竜王が襲い掛かって来ても、もはや彼女に危害を加える事など不可能だろう。
「さて、ギルベルト。フレデリカに『魔王の権能』によるゲートでアルヴィレオを帰還させるように書簡を送った。明日には戻って来るだろう。先延ばしになってしまっていた二人の社交界デビューのための準備を進めるぞ」
「……フリッカ」
聞こえていない様子だ。
普段は氷の如く冷徹な男なのだが、娘の事となると途端に取り乱してしまう。
やれやれと肩を竦め、使用人を呼ぶ為の鈴を鳴らした。
ギルベルトを落ち着かせる事が先決だと判断し、気付けになる苦味の強い茶を用意させた。
勧められるままに飲んでしまい、目を大きく見開く友の姿にネルギウスは腹を抱えて笑った。
「……陛下」
「ギル。娘が心配な気持ちもわかるが、その娘の為なのだ。社交界デビューが貴族の令嬢にとって、どれほど大事なものかは分かっているのだろう?」
「無論です」
「ならば、シャキッとする事だな。今回は異国の者も多数招く事になるのだから」
「……ええ、心得ております」
ゼノンからフレデリカに勇者の力が渡った事は公表していない。把握している筈の教会からも声明は出ていない。
それでもフレデリカが勇者になった事を感づく者達がいた。
ポティファル大陸のレリュシオンの民の長老、アイギス・メルクスティン。
イルイヤ大陸の神護の森の守り人、アイメス・シグン・スラーン。
パシュフル大陸のブリュートナギレスの棟梁、ガドベド。
この三者から『ライ』宛に手紙が届いている。
「この三者はライから信頼して大丈夫だと言質を取っている」
「……問題は分かる者には分かってしまうという事ですな」
「そうだ」
彼らと同等の力を持つ者ならば勇者の力の所在を掴めるという事だ。その者達が良からぬ事を企む可能性は非常に高い。
しかし、フレデリカ自身に手を出す事は無いだろう。人類の総戦力を合わせても勇者の力には敵わない。万が一、勇者の力を打ち破る策などが編み出されたとしても、彼女には魔王の力がある。
明確に敵対行動を取れば、それは勇者と魔王の力を同時に敵に回す事になる。そんな愚を犯す者は居ない筈だ。
だからこそ、力ではどうにもならない方向から攻めてくる事だろう。
「あの子は無垢で善良だ。だからこそ、我が国の王妃に相応しいのだが……」
「人間相手に力を振るう事が出来るかどうかですな」
「出来るとは思えぬし、するべきでもない。彼女は王妃になるのだからな」
「……しかし」
「不安か?」
ネルギウスの言葉にギルベルトは顔を顰めた。
「……権能。そう、権能です!! 本当に大丈夫なのですか!? 権能は人格を歪めると言います。フリッカはその中でも極めて強力な……、最強と言っていい権能を二つも宿してしまっている!! 最悪、勇者と魔王の権能によってフリッカの人格が擦りつぶされる可能性も……」
ギルベルトは最悪の未来を予想して青褪めた。
目の前に王が居る事を理解して尚、取り繕う余裕が無かった。
その時だった。
「その心配は御無用で御座います、ギルベルト公爵閣下」
音もなく現れたオズワルドが言った。
「……オ、オズワルド猊下。そ、それはどういう意味で御座いますかな!?」
「そのままの意味です。彼女に新たに備わった権能は、しかして彼女を染める事叶わず。なにしろ、権能とはこの世の理故に」
オズワルドの難解な言い回しにギルベルトは眉をひそめた。
「まるで、フリッカがこの世の理から外れた存在かの言いようではありませぬか……」
険しい表情を向けるギルベルトにオズワルドは微笑んだ。
「その通り。竜姫の魂は一度世界の理より外れ、再びこの世に舞い戻った」
オズワルドは言った。
「彼女の魂を覗くまで、シャロンの思考を読み切る事が出来ませんでした。しかし、さすが……」
彼は寒気を抑えるかのように自らの体を抱き締めた。
「彼女は『魔王の権能』を生み出し、世界の調律を目指し、そして、このわたくしですら掴む事が出来なかった権能の抜け道を見つけ出した」
「……フリッカの今の状態がシャロンの目論見通りという事ですか?」
「いえ、勇者の権能が備わる事は恐らく想定外の筈です。シャロンには勇者の素養などありませんでした。これはレディ・フレデリカ、あるいは……、彼女の前世の存在に新たに備わりし素養です」
「前世の存在……、世界の理から外れた時の事を言っているのですか?」
「その通りです」
ギルベルトの言葉にオズワルドが頷いた。
「嘗て、今では二代目勇者と称されているレオ・イルティネスがとある邪教の企みを打ち砕く為に時空を切り裂いた事があります。そして、その向こう側にこの世界とは異なる空間が広がっている事も確認しています」
「フリッカの前世はその世界の者だったという事ですか?」
「そうです」
「……異界の理によって彼女の魂は守られているという事だ」
ネルギウスが言った。
「へ、陛下は御存知だったのですか!?」
「……ああ、オズワルドから報告を受けていた。そうでなければ、あの子に『魔王の権能』を使わせたりはしない」
「何故、話して下さらなかったのですか……?」
ギルベルトが不信の目を向けると、ネルギウスはつぶやくように言った。
「すまない、ギル。事が事だから慎重になっていた。だが、父親であるお前には話しておくべきだった。これは私の落ち度だ」
「い、いえ! 陛下、わたくしめの方こそ誠に申し訳ございません……」
素直に謝罪するネルギウスに対して、ギルベルトは己の不敬を悟り、平伏した。
「……ともかくだ。フレデリカを護る為にも精強な者達で周囲を固めねばならぬ。メルクスティン老、スラーン殿、ガドベド殿が寄越して下さる事になった者達を含め、選び抜いた者達を社交界の場で会わせるとしよう」
「かしこまりました。選定を進めましょう」
ギルベルトは深く息を吸うと共に資料を捲り始めた。
「まず、彼女ですな」
「ああ、わたしも彼女を第一候補としてあげようと思っていた」
ギルベルトが開いた資料には写真が添付されていた。
鷹の如き眼光を宿す騎士服の少女。写真の隣には彼女の名前が記載されている。
「アイニーレイン家の三女、イザベル=アイニーレイン。苛烈な性格だが、能力はずば抜けている」
「頭脳明晰。身体能力も高く、既にスキルを複数取得していますからな」
「些か融通がきかない面もあるが、そういう者との付き合いを学ぶ為にもフレデリカの側近に相応しい」
一人目は早々に決まり、それからネルギウスとギルベルトは選定を進めた。
その中でオズワルドは一人の少年に目を留めた。
「この少年も有望かと」
その少年はギルベルトが早々に候補から外した少年だった。
貴族の子でありながら気品を感じず、あまりにも粗暴な印象が強い。
「ヴォルフ・リールか……」
「何故、彼を推薦する?」
「以前、彼と会った事があります。素晴らしい潜在能力を秘めた少年です。性格も粗暴に見えますが悪しきものではありません。彼のような者もお二人の傍には必要かと」
「……なるほど」
ネルギウスはヴォルフ・リールの資料を候補者達の資料の方へ移した。
そうして選定を続けていると、不意にギルベルトがため息を零した。
「……何故なのでしょうか」
「ギル?」
ギルベルトは俯きながら言った。
「何故、フリッカは魔王の力を宿してしまったのでしょうか……」
「あの子はシャロンの生まれ変わりだ。シャロンの肉体と接触した事で魔王の力が活性化されたが、接触していなくてもいずれは魔王の力を発現させていた事だろう」
「そこが分からんのです!! 何故、私の娘だったのですか!? 我が一族は竜姫シャロンと何の関係も持っていないのですぞ!?」
「転生はそういうものだ」
激高するギルベルトにネルギウスは諭すように言った。
「この世の森羅万象に宿りし魂は大いなる海より生まれ落ちたもの。生まれては死に、死んでは生まれる。これを繰り返す事こそが転生であり、あまねく生命が等しく円環の内に在る。人から人へ転生する事すら稀なのだ。生まれ変わった肉体が生まれ変わる前の自分にとって赤の他人の子供である事はむしろ当然の事なのだ」
「……ですが、納得がいきませぬ!!」
ギルベルトは涙を零していた。
「魔王の力だけならばまだしも、何故! 何故、勇者の力まで……」
「それはフレデリカが素養を備えていたからだ」
「ですが、ゼノンが魔界でセレネとやらに敗れなければ……いや、そもそも魔界になどいかなければ……」
「……運命というものかもしれないな」
「運命……?」
ネルギウスは憂うように言った。
「竜姫シャロンの生まれ変わりとして誕生したフレデリカ。彼女は我が息子の婚約者となり、息子は彼女を王家の湖に導いた。そこで前世の自分の肉体と接触し、魔王の力を活性化させた。それにより、シャロンの生みの親である竜王メルカトナザレが自らの咎を濯ぐ為に彼女を襲い、勇者が救う。その勇者が彼女の為に渡した首飾りは、彼女が彼を救う切っ掛けとなった」
「……これは」
ギルベルトは恐怖した。あまりにも出来過ぎている。
「偶然だ」
ネルギウスは言った。
「すべては偶然であり、だからこそ恐ろしいのだ。誰かが敷いたレールならば取り除く事も出来るが、そもそも存在しない物は取り除く事が出来ない。ならば、どうすればいい?」
王の問い掛けに臣下は囁くような声で答える。
「……守らねば」
「そうだ。そうなのだ、ギルベルトよ」
ネルギウスは言った。
「あの子が背負ったものはとても重く、とても苦しいものだ。いずれ、その責務を自覚する時が来るだろう」
その言葉に震えそうになるギルベルトの肩にネルギウスは手を置いた。
「護るのだ。そして、その為に必要な事をするのだ」
「……陛下」
「あの子は我が息子の妻となるのだ。私にとっても大切な娘だ。お前の気持ちはよく分かる。共に護ろうではないか、我が友よ」
「ありがとうございます……」
その光景をオズワルドはジッと見つめていた。
そして、ネルギウスが発した運命という言葉を口の中で転がした。
「……ああ、さすがは我が兄上」
恐ろしい人だ。そう、心の中で呟いた。




