第五十二話『再会』
アイリーンとミレーユにライを紹介した後、オレは部屋に戻って来た。
布団に寝っ転がり、王から渡されたアルの手紙を開いた。
「『我が愛しの白百合よ、君との逢瀬を恋しく思いながら筆を取っている。木々が新緑に染まる光景を君と共に眺めたかった。ボクはもうしばらくマグノリア共和国に滞在しなければならない。君に会いたい。夢や写真ではなく、本物の君の笑顔が見たい。もしも、二度と君と会えなくなったらと思うと恐ろしくて仕方がないよ。君に相応しい男になりたい。だけど、ボクは君に会いたい』」
手紙の文字が僅かにだけど歪んでいる。恐らくは筆圧が必要以上に強かった為だろう。彼の感情が伝わってくる。
おそらく、今頃は迷いの森にいる筈だ。エルフランに学園への招待状を渡すシーンはしっかりと覚えている。
ゲームはエルフランの視点で進むため、アルヴィレオがどうやって獣王の領域に辿り着いたのかは分からない。
だけど、これまで多くの事柄がゲームと同じように進んでいた。だから、きっと大丈夫な筈だ。
「……でも」
不安が過ぎる。アルは死を覚悟している。その事が手紙の文字から伝わってくる。
ゲームで大丈夫だったから安全だ。そんな風に高を括ることが出来ない。
「アルが死んじゃったら……、ヤダ」
ジッとしていられなかった。魔王再臨を発動して、アイリーンとライに念話を送る。そして、ゲートを開いた。一度、オズワルドに補助して貰いながら開いた場所だ。
エリンの上空で翼をはためかす。太陽の位置から方角を割り出した。この世界の公転周期と自転周期は地球と変わらない。エリンの位置が南半球である事を考慮し、現在の時刻と太陽の位置を照らし合わせる事で北が分かる。
脳裏に世界地図を広げ、迷いの森の方角を導き出した。
「アル……!」
もっと冷静にならなければいけない。だけど、出来なかった。
エリンで結界を張ってから、勇者を助けに行ったり、その勇者を従者にしたり、ミレーユとアイリーンの喧嘩を仲裁したりでオレはいっぱいいっぱいになっていた。だから、ライにダメだと言われた時は癇癪を起こしかけた。
アルに会いたい。もう、それ以外の事に思考を割く余裕など残っていなかった。
「これは!?」
その時だった。向かおうとした先で強大な存在が怒気を振り撒き始めた。
「アル!!」
オレは獣王の領域に向かって翔んだ。
◆
獣王の激怒によって森の魔獣達は狂騒に駆られた。周囲の木々は枯れ果て、森の外へ抜け出そうとした魔獣達はアンゼロッテが張り巡らせた結界と後続の魔獣に押し潰されていく。
その怒りの矛先を向けられて、人間に耐えられる筈もない。恐怖による死というものをアルヴィレオは体感しつつあった。
後方で待機していたバレットとジョーカーはアルヴィレオを守らなければと必死に手足を動かそうとしている。けれど、まるで石にでもなってしまったかのように動かない。
「ま、待って、ヴァイク……!」
エルフランは慌ててヴァイクを宥めようと手を伸ばした。けれど、ヴァイクは怒りで我を忘れている。
「ウギギギギギギギギギギィィィィィ!!!」
怒りの波動は間近にいたエルフランを吹き飛ばしかけた。
危うい所でアンゼロッテが彼女を保護したが、その間にヴァイクが動き出してしまった。
勇者や魔王すら上回る力を持つ獣王。その攻撃を受けた者に生き残る術などない。
アンゼロッテは咄嗟にヴァイクの動きを封じ込める為に魔王の権能を使った。けれど、それは刹那の間に振りほどかれた。
「……フリッカ」
アルヴィレオは一秒後の死を悟り、愛する婚約者の名を呟いた。
会いたかった。一目だけでいい。彼女の笑顔が見たかった。
本音を言えば、こんな寄り道はしたくなかった。だから、彼女の覚悟をちゃんと確かめてあげられなかった。
―――― 君にとって酷な話もしなければいけない。いいかい?
その問い掛けに彼女はちゃんと答えていなかった。それなのに気が急いて説明を始めてしまった。その為に彼女は泣き崩れ、ヴァイクは激怒した。
まさに身から出た錆だとアルヴィレオは思った。
迫りくる殺意に対して、アルヴィレオに出来る事など何もない。彼は戦う者ではないのだ。
◇
ゲームでは、フレデリカ・ヴァレンタインは父の期待に応える為に必死だった。
その為に仮面を外す事はなく、本来の自分との齟齬に苦しみ、アルヴィレオと絆を深める余裕を持つ事が出来なかった。
アルヴィレオはそんな彼女の機微を悟り、己との婚約が彼女を苦しめるばかりだと気づいていた。
彼は彼女を苦しめない為に出来るだけ接触を減らし、彼女はその事で父の期待に応えられていないと苦悩した。
そして、ゲームの彼もこの状況に至る。けれど、彼の心はフレデリカの婚約者である事と次期国王である事の間で揺れてはいなかった。
彼女との間に愛はなく、けれども彼女が次期王妃としての責務を懸命に全うしようと努力している事を知っていた彼は己も次期王としての責務を全うしようと心に決めていた。
それが故に余裕があり、彼女の覚悟を確りと確かめた上で話を切り出す事が出来ていた。
フレデリカはゲームの通りなら大丈夫な筈だと考えていたが、彼女が彼と絆を深め過ぎた時点で未来は大きく変貌を遂げていた。
だからこそ……、
◇
殺意と殺意がぶつかりあった。
獣王の爪を竜姫の爪が受け止め、背後に走る衝撃は真紅の防壁が散らしている。
「シャ、シャロン……」
アンゼロッテは唖然とした表情で呟いた。
薄闇の中で尚も輝く黄金の髪。鮮血を思わせる真紅の眼光。背中に生えるは竜の翼。そして、嘗てよりも細く、けれども強靭なる竜の腕。
その姿は紛れもなく、三百年前に滅びた筈の魔王のもの。
竜姫シャロンが獣王ヴァイクと睨み合っている。
「……ど、どうなっているんだ」
アンゼロッテは困惑した。シャロンが生きていた事に対してではない。その混乱はエリンの上空で彼女を目撃した数刻の後に収まっている。
困惑はこのタイミングで彼女が現れた事。そして、彼女がヴァイクの本気の攻撃を防いだ事に対してのものだ。
いくら強気な事を言っても、アンゼロッテではヴァイクに敵わない。そして、それはシャロンにも当て嵌まる筈だった。
七大魔王は初代や二代目とは異なり、本来の意味での魔王ではない。自ら魔王を名乗り始めた魔人や超人達の通称でしかない。
格が違うのだ。獣王に抗う事を許される存在は世界に唯一人、聖剣に選ばれし勇者のみである筈なのだ。
「アンゼ……」
「……だ、大丈夫だ」
アンゼロッテは震えているエルフランの保護に全力を尽くした。
どういうわけか、シャロンはアルヴィレオ達を護っている。
「ウギ……」
一見すると怒りが鎮まったかのように見える。
けれど、その殺意は些かも衰えていない。むしろ、研ぎ澄まされている。
「……ヴァイク」
対するシャロンもまた、突き刺すような殺意を放っている。
「あれがシャロンなのか……?」
三百年前とは比較にならない。自分が森の中で安穏と過ごしている間に彼女がどういう風に生きてきたのか想像する事すら出来ない。
それほどまでに隔絶した力を彼女は宿している。
「だ、だめ……」
二体の王の睨み合いに見入っていたアンゼロッテの腕からエルフランが抜け出した。
「バッ、バカ!」
慌てて連れ戻そうと手をのばすアンゼロッテ。けれど、その手は空を切り、エルフランはヴァイクの前に躍り出た。
「ウギ!?」
「……お前は」
シャロンはエルフランの姿に目を瞠った。
「エル!!」
「フリッカ!!」
アンゼロッテがエルフランを守る為に彼女の前に躍り出るのと、真紅の防壁に守られていたアルヴィレオが叫ぶのはほぼ同時だった。
「アル……?」
フリッカという叫び声の意味をアンゼロッテは咄嗟に理解する事が出来なかった。けれど、シャロンはそれまでの殺意を途端に霧散させた。
「フリッカ! ヴァイクは敵じゃない! 怒らせたのは、ボクが彼女……、エルフランを悲しませてしまったからなんだ!」
「エル……? え? だって……、え?」
シャロンは混乱している。
「エルフランだ!!」
アンゼロッテは叫んだ。
シャロンは二代目魔王ロズガルドと親友同士だった。だからこそ、彼女の姿に驚き、彼女がエルフランと呼ばれている事に困惑しているのだろうとアンゼロッテは考えた。
彼女が知っている名こそ、エルフランの本当の名前なのだろう。その名が彼女の記憶を呼び戻し、本当の彼女に戻る切っ掛けとなるのかもしれない。
本来在るべき姿に戻る。それは良いことである筈なのに、アンゼロッテにとっては堪らなくイヤな事だった。
だからこそ、彼女は叫んだ。
「この子はわたしの娘だ!! エルフラン・ウィオルネだ!!」
「ア、アンゼ……」
エルフランは己を強く抱きしめながら必死に叫ぶアンゼロッテを見つめていた。
「……どうなってるんだ?」
シャロンが困惑しているとヴァイクが彼女に近づいていった。
「ヴァイク」
シャロンはヴァイクを見つめた。互いに殺意はなく、けれども煮え切らないモヤモヤ感を抱いていた。
「そ、そうだ! ヴァイク! 違うの! アルヴィレオは悪くないの!」
慌てたようにエルフランがヴァイクに言った。
「ウキ?」
ヴァイクは首を傾げている。
「だから、怒らないで! ね?」
「……ウキ」
ヴァイクはショボンとなった。エルフランを困らせる事は本意でなかった為だ。
その光景を見て、シャロンも真紅の結界を解除した。
「フリッカ!!」
壁が消えると共にアルヴィレオはシャロンの下へ駆け寄った。
「フリッカって、シャロンの事か?」
アンゼロッテは首を傾げた。
「あっ、いや……」
アルヴィレオは慌てて口を押さえた。
「……ップ」
その光景を見て、シャロンは吹き出した。
「フリッカ……?」
「あははっ」
朗らかに笑いながらシャロンは姿を変えた。
金の髪は銀に、瞳の色も青くなっていく。翼は消え、腕は人のものに変わっていった。
「シャロンではありません」
真紅のドレスだけをそのままに、変貌を遂げた少女はスカートの裾を摘みながら頭を下げた。
「わたくしはアガリア王国のヴァレンタイン公爵家が長女、フレデリカ・ヴァレンタインに御座います」
「……は?」
アンゼロッテはポカンとした表情を浮かべた。
「こ、公爵令嬢!? っていうか、変身した!?」
エルフランも目を白黒させている。
「フリッカ……」
柄にもなく取り乱しているアルヴィレオに対して、フレデリカは肩を震わせた。
「フリッカ?」
「ええ、フリッカですよ」
フレデリカは満面の笑みをアルヴィレオに向けた。
その笑顔を見て、アルヴィレオは何も言えなかった。再会した時に言おうと思っていた言葉の数々が吹き飛んでしまっていた。
ただ、胸の内から湧き立つ衝動のままに彼女を抱きしめていた。
「会いたかった、フリッカ」
「……わたくしもです、殿下」




