第四十七話『英雄』
フレデリカが目を覚ますよりも少し前の事――――。
エリンの事件の後、アルヴィレオは共和国の首都であるエルドスレイカを訪れていた。そこで大統領であるロバート・ネルグラントと面会している時の事、大統領補佐官が火急の報せを運んできた。ロバート大統領はアルヴィレオとの面会中という事もあり補佐官を叩き出そうとした。けれど、アルヴィレオが待ったをかけた。異国の王子と大統領の面会を邪魔立てする事の意味など補佐官ならば当然理解している筈だと考えた彼は補佐官の話を聞くべきだと大統領に告げた。そして、彼らは補佐官から勇者の訃報を聞かされた。
ロバート大統領は青褪めた。迷いの森から現れた魔獣達によってエリンを失いかけたばかりだった事もあり、早急に対策を練らなければならない。しかし、宗主国であるアガリア王国の王子を蔑ろにする事も出来ない。勇者亡き今、アガリア王国との関係性は今まで以上に重要となる。なにしろ、あの王国には史上最高の魔法使いがいるのだから。
「閣下」
その考えを読み取り、アルヴィレオは言った。
「今は国民の為にも早急に対策を練るべきでしょう。私はこれにて失礼致します」
「……歓待もままならず、誠に申し訳ございません。エリンの守備隊に対する御助力、重ねて感謝申し上げます」
その後、アルヴィレオは大統領官邸を離れた。
迎賓館に腰を落ち着けるとアルヴィレオは王国騎士団団長であるヴォルスに声を掛けた。
「ヴォスル騎士団長、王宮に手紙を届けたいのだが……」
「それでしたらウィリアムに行かせましょう。飛竜ならば一昼夜の内に王宮へ辿り着ける筈ですから」
ヴォルスの言葉と共に騎士の一人が傅いた。
王国騎士団は全員が飛竜と従魔契約を結んでいる。二年前、フレデリカが竜王に襲われた際に一度は竜王と共にイルイヤ大陸の竜王山脈へ飛び立ってしまったが、それから数ヶ月の後に王宮へ帰って来た。
ウィリアムは飛竜の扱いに最も長けた騎士である事をアルヴィレオも聞き知っていた為に迷う事なく彼へ二通の手紙を託した。
「殿下。手紙には何と?」
バレットに問われ、アルヴィレオは答えた。
「叔父上に御助力を求めた。王国へ戻る前にやるべき事が出来たからな」
「やるべき事ですか?」
「ああ、ボク達を救ってくれた少女の件だ」
その言葉にバレットや騎士達は人智を超えた力でエリンを救った二人の女性の姿を思い浮かべた。
「バレット。勇者は人類の守護者だ。その存在が在ったからこそ、人類は今日まで生き延びる事が出来た」
アルヴィレオは言った。
「だが、勇者はいつの時代にも常に存在していたわけではない。ならば、何故我々は生きているのか? その理由は英雄と呼ばれる者達にある。二代目魔王を討伐した七英雄が有名だな。他にも初代剣聖、覇王、渡り鳥、星光の旅団など、勇者不在の時代を守り抜いた英雄達がいた」
「……あの二人がそうなると?」
英雄は勇者程絶対的な救世主ではない。七英雄は七人の英雄が集う事で初めて勇者に比肩する戦果を挙げる事が出来た。彼ら以外の英雄と謳われた者達も勇者の力には遠く及ばない。その精神性も善性の化身の如き勇者とは違い、善良な者もいれば、悪しき者もいた。けれど、彼らの存在があったからこそ、勇者不在の時代を人類は乗り切る事が出来たのだ。
そして、エリンを救った二人の女性には英雄と呼ばれるだけの力があった。そして、少なくとも彼女達はエリンを救ってみせた。
「そうだ。マグノリア共和国としては彼女達の存在が是が非でも欲しい筈だ」
そのままマグノリア共和国が彼女達と交渉し、協力を得られるならいい。問題は交渉が失敗に終わった時だ。
次はマグノリア共和国の動向を見張っている他国の者が彼女達を手に入れる為に動くだろう。そして、マグノリア共和国は他国に奪われる前に確保しなければならないと焦りだす。
「この状況で戦争は悪手だ。だけど、最終的に英雄を得られるならば利が勝る。……始まってしまえば、まさに泥沼だ」
「だから、先んじて彼女達を手に入れると……?」
「いや、話すだけだ。今の世界の状況と彼女達の立場、これから起こり得る事についての予想を話す。その後の選択肢は彼女達に委ねるさ」
「……しかし、迷いの森は危険ですよ? 生きては帰れないかも……いえ、その可能性の方が高い」
「それでも恩義には報いなければならない」
アルヴィレオは言った。
「ボクは命を救われた。その恩には命をもって返すべきだろう」
「し、しかしですね……」
バレットは困り果てた。迷いの森から抜け出してきた一部の魔獣達にさえ生き残るビジョンが見えなかった。その巣窟に踏み込むなど自殺行為に他ならない。
エリンの時とは違う。アルヴィレオは不必要な危険を犯そうとしている。
「無論、ボク達だけで向かっても無駄死にするだけだ。だから、叔父上に手紙を出したんだ」
「なるほど……」
アルヴィレオの叔父、オズワルド・アガリアは史上最高の魔法使いと呼ばれている。その魔法によってアガリア王国の領土は常に完璧に守られている。
彼の助力を受ければ迷いの森へ入る事も可能な筈だとアルヴィレオは考えている。
「……ところで、もう一通の手紙は?」
「フリッカに宛てたものだ」
そう言うとアルヴィレオは俯いた。
「もう一年以上も顔を見ていない……」
「移動が多かったから手紙のやり取りも殆ど出来ませんでしたからね……」
本当は一刻も早く王国へ戻りたいのだろう。それでも恩義を受けた者の為に耐える事を選ぶ王子にバレットはより一層の敬意を抱いた。
「……きっと、嫁さんも寂しがってるよ。今回の一件が片付いたら急いで帰らないとね!」
「ああ!」
◆
アルヴィレオの手紙を届ける任務を請け負った王国騎士団のウィリアムが王宮へたどり着いたのは深夜0時を少し過ぎた頃だった。
王国騎士団の騎士とはいえ、先触れなく王宮へ直接乗り込む事は出来ない。その為、王国南部のアイニーレイン伯爵領の関所前に降り立ち、そこから再び空へ上がると王都アザレアの南部に広がる湖水地方の草原に向かった。
そこは嘗て、フレデリカが公爵領へ向かう為に飛竜船へ乗り込んだ時の場所である。ウィリアムが飛竜から降りると駐在の騎士が駆け寄ってきた。
彼に目的を告げて馬に乗り換え、彼は全速力で王宮へ向かった。
昼頃にエルドスレイカを発ち、深夜にアガリア王国の王宮へ辿り着いた事はまさしく快挙であるとウィリアムは自分を褒めてあげたくなった。
しかし、そんな暇はなく、殿下からの火急の要件である事を門兵に告げ、急ぎ王の執務室へ向かった。深夜であるにも関わらず、王は休む事なく政務をこなしていた。
「夜分、誠に申し訳御座いません。アルヴィレオ皇太子殿下より此方の手紙を至急届けるようにとの御命令を拝命致しました次第にて!」
「御苦労。……相当に無理をしたようだな。すぐに体を休ませよ」
ウィリアムが退出した後、ネルギウス王はアルヴィレオからの二通の手紙の内の一方を開いた。
「なになに? 『我が愛しの白百合よ、君との逢瀬を恋しく思いながら筆を』……これはフレデリカ宛てだな」
フレデリカに宛てた普段の息子からは想像も出来ないような甘い言葉の数々に目が眩みそうになった。
頻繁に手紙のやり取りを繰り返している事は知っていたが、その内容の検閲まではしていなかった。
「やはり、オズワルドとゼノンの案を受けて正解だったようだな」
苦笑しながら手紙を閉じ、もう一通の本命を開いた。
そこに記されていた内容はエリンで起きた一連の出来事の顛末と英雄クラスの力を宿した少女の件だった。
「……ふむ」
エリンの件はオズワルドから報告を受けていた。フレデリカがアルヴィレオ恋しさのあまりに魔王の力でエリンに向かい、そこで魔獣の群れが街へ向かっている事を知り、結界を張ったらしい。
次期王妃としては迂闊にも程があるが、そのエキセントリックな行動のおかげで我が国は皇太子を失わずに済んだわけだ。
「それにしても、光の矢で百の魔獣を討伐した少女か……」
報告によるとフレデリカは結界で魔獣を抑えるに留めたようだ。そして、その少女が現れたという。
「見た目は十代前半。『森の魔女』と名乗る二十代の女性が同伴していた。その女性は特異な転移術を使い、エリンの人々を避難させていた」
ネルギウス王は本棚に向けて手を伸ばした。すると、一冊の本が勢いよく飛び出し、彼の手に収まった。それは勇者メナスの手記だった。竜姫シャロンの遺体を王家の湖に移した際、メナスは先々代にこの手記を託した。そこには真実が記されている。
一般には七大魔王すべてを討伐した事になっている勇者メナスだが、実際に討伐した魔王は四体だった。
竜姫シャロンは自ら命を断った。朱天ネルゼルファーはメナスに力を貸し、雷帝ザイン討伐後に姿を眩ませた。そして、破壊神アンゼロッテはメナスによって迷いの森に匿われた。
「……魔王アンゼロッテ。少女の方は娘か?」
アルヴィレオは少女の力を求めて各国が動き出すと考えているようだ。その推測は正しい。
メルセルク王国はともかく、マグノリア共和国は国として若く、ラグランジア王国は疲弊し過ぎている。
特にラグランジア王国は死物狂いとなるだろう。
「だが、今はオズワルドを動かせぬ。ここは……」
王は一通の手紙を認めた。それを執務室の隅に置かれた鳥の模型に結わえた。
「セラ コルン」
これは古き時代の遺物だ。今は失われた技術によって作られている。
模型はネルギウス王に注がれた魔力を外皮に変え、羽ばたき始めた。
「アルヴィレオに届けてくれ」
「クルックー!」
鳥が飛んでいく。
「……さて、そろそろか」
丁度、ノックの音が響いた。
「入れ」
「失礼致します」
入って来たのはギルベルト・ヴァレンタイン公爵だった。
◆
鳥の鳴き声で目が覚めた。
「クルックー!」
「……ん?」
随分と近い。瞼を開くと、目の前に鳥がいた。
「窓は……」
窓は閉まっていた。
「……ああ、そうか」
寝ぼけていたようだ。この鳥は父上が寄越してくれた魔道具だ。
触れると鳥は模型に戻った。
結われている手紙を取る。
「叔父上は来れないのか……。レッドフィールドの子孫?」
手紙には叔父上を寄越す事は出来ないが、代わりにレッドフィールドの子孫を頼るようにと記されていた。
「七英雄の一人、大海賊レッドフィールドか」
アウトローながら、人々を守る為に戦った彼の物語は大衆演劇の定番の演目となる程に人気だ。
彼の子孫が生きているとは知らなかったが、父上の手紙にはマグノリア共和国の南部に居を構えていると書いてあった。
先祖が英雄だろうと子孫が英雄なわけではない。けれど、父上が頼れと言ったからには何か考えがある筈だ。
「……よし、行くか」