第四話『アルヴィレオ王子』
アルヴィレオに個室へ案内され、促されるまま椅子に腰掛けると大分楽になった。けれど、相変わらず頭がグワングワンしている。
とは言え、相手は王族だ。これ以上の無礼は許されない。
「……誠に申し訳御座いません」
「謝る必要はない」
「しかし、ご迷惑を……」
「ん? ああ、聞こえていたのか」
アルヴィレオは頬を掻いた。
「あれは母上に対して言ったんだよ。本来なら謁見は明日の筈だったんだ。それなのに母上が一刻もはやく君の顔が見たいと我儘を言い出してね」
「まあ、それは光栄ですわ」
非常に迷惑な話だ。
「心にもない事を言わなくてもいい。今回の件は此方に落ち度がある。気にせず休んでいるといい」
見抜かれてしまった。なんだか居心地が悪い。
「食欲はあるかい?」
そう言えば、お腹がペコペコだ。
「はい、ペコペコです」
「そ、そうか」
取り繕う事すら出来なかった。一旦意識すると余計にお腹が減って来た。
目眩や吐き気の原因はこれだ。親父の手前、淑女らしく食事の量を減らしていたのが不味かったらしい。
「わかった。すぐに食べられる物を用意させるよ」
そう言うと、アルヴィレオは部屋を出て行った。
戻って来ると、その手にはクッキーの皿が乗せられていた。
「すぐにスープやパンを届けてくれるそうだ。とりあえず、今はこれを食べるといい」
「わーお! ありがとう!」
オレはひょいひょいとアルヴィレオが持って来たクッキーを口に運んだ。
チョコレートやラズベリーのジャムが乗っていて凄く美味しい。
「お、おい、慌てて食べると喉に詰まるぞ!」
「もぐもぐもごっ!? ぐぐっ……」
「ああ、言わんこっちゃない!」
アルヴィレオは慌てて紅茶をカップに注いでくれた。おかげで命拾いだ。
「あぁぁぁぁ、死ぬかと思ったぁぁぁぁ」
「相当空腹だったみたいだね……」
「だって、親父が見てる前だとあんまり食べられねぇんだもん」
「そ、そうなのかい?」
「ああ、淑女らしくないからな。でも、おかげで倒れる寸前だったぜ。マジ、サンキュー」
「あ、ああ、どう致しまして」
なんだか、アルヴィレオが挙動不審だ。
「どした?」
「いや……、戸惑っているんだ。君、そっちが素なのかい?」
「そっち……?」
言われて気がついた。今、オレの前には親父以上に取り繕わなければいけない相手がいる事に。
「あ、あぁぁぁぁ、やっべー!? い、今のなし!」
いくら婚約破棄される事が決定しているとは言え、王子に今の態度はまずい。
無礼千万で首を斬られかねない。
「で、でで、殿下! えっと、クッキー食べる所から……いや、この部屋に運び込まれた所からやり直してもいいですか!?」
「とりあえず、落ち着け」
「……はい」
冷や汗が止まらない。この状況で婚約破棄されても逆転出来る気がしない。だって、完全にオレが悪い。
いや、学園編での婚約破棄もフレデリカに原因があるのだけど、あれは同情の余地があった。
今のオレに同情の余地はあるか? 無いな!
「えっと、フレデリカ」
「はい……」
「とりあえず、顔を上げてくれ」
「……はい」
言われた通りにする。もう取り返しの尽かないレベルだと思うけど、これ以上不興を買うわけにはいかない。
「ボクが怒っているように見えるかい?」
「えっと……」
アルヴィレオを見る。怒った様子はない。ただ、少し呆れている様子だ。
「……呆れてる?」
「いや、戸惑いが抜け切っていないだけだよ。ただ、素の君を見せてもらえてホッとしている部分もある」
「ホッと?」
「うん。演技は疲れるだろう? 他の者の前では不味いがボクの前では今のままでいいよ」
「マジ?」
「ああ、仮面を被った相手よりも素顔の相手の方が親しみが湧くからね。ボク達は夫婦になるんだ。その方がいい」
そう言うと、彼は微笑んだ。
ああ、こいつは良い奴だ。その事が分かると肩の力が抜けた。
「おっと……、大丈夫かい?」
よろけてしまった。
「ごめん。食べたら眠くなって来て……」
「長旅の直後だからね。食事の用意が出来るまで少し時間が掛かると思う。それまで横になっているといい」
「そうする……」
アルヴィレオに手を貸してもらいながらベッドへ移動した。横になった途端、強烈な睡魔に襲われた。
「おやすみ……、アル」
「……ああ、おやすみ。フリッカ」
◆
目が覚めると朝になっていた。
「……あれ?」
頭がボーッとしている。
「ここ、どこだっけ……?」
「……ん、起きたのかい?」
隣で眠っていたらしい少年がもぞもぞと起きて来た。
「おはよう、フリッカ」
「お、おはよう」
一瞬、誰だか分からなかった。
そして、三度瞬きした後、彼がこの国の第一王子であるアルヴィレオ・ユースタス・アガリアその人である事を思い出した。
「あれ? オレ、やらかした?」
徐々に記憶が戻って来た。たしか、謁見の間で倒れかけてアルヴィレオに助けてもらったんだ。
それからこの部屋に運び込まれてクッキーと紅茶をもらった。その後、食事の準備まで仮眠を取る事にしたわけだけど……、
「……あのまま寝ちゃったのか」
見下ろすと服が変わっていた。
「言っておくけど、着替えさせたのはメイドだ」
「あの……、いろいろと御迷惑をお掛けしてしまったようで……」
小さくなるオレにアルヴィレオは肩を竦めた。
「妻の面倒を見る事は夫の責務だ。それを迷惑と思うほど、ボクの器は小さくないよ」
「御配慮に痛み入ります」
「……言葉遣いが戻っているね」
残念そうな口調だ。
「いや、だって……、迷惑掛けまくったし……」
「同じ言葉を繰り返させる事はたしかに迷惑だね」
「……わーったよ! これでいいか!?」
「ああ、それでいい」
アルヴィレオは嬉しそうに微笑んだ。
「ったく、殿下は思ったより意地悪だな」
「そうかい? では、折角だからもう一つ。ボクの事はアルと呼んで欲しい。殿下ではなく、アルだ」
どうやら愛称呼びを御所望らしい。
「へいへい、アル。これでいいかい?」
「ああ」
アルは立ち上がった。
「君の御父上はすでにタウンハウスへ戻っている。君の事はボクに一任してくれるとの事だ」
「マジ? 助かるわ―」
「……御父上と不仲なのかい?」
「いや、互いに関心がないから同じ空間にいると息が詰まるというか……」
「そ、そうなんだ……」
どうやら滞在期間の間はずっとアルの部屋で寝起きする事になるようだ。
十歳の子供同士だからこその対応だろう。
「とりあえず身支度を整えたら食事に向かおう。父上と母上が君と話したがっているんだ」
「かしこまりました、殿下」
「……まあ、他の者の前では仕方ないか」
残念そうな顔をされると罪悪感が湧いてくるな。
◆
「レディ・フレデリカ、わたくしはミレーユ・アイニーレインと申します」
アルに案内された部屋には筋肉モリモリのマッチョマンがいた。
「これから貴女様の御世話係を務めさせていただきます。どうぞよしなに」
この世界のメイドさんの採用基準には筋肉の要素が含まれているのだろうか?
アイリーンと比べると小柄だけど、それでも190cmを超えていそうだ。
「ミレーユはベルブリック伯爵家と共にアガリアの二本槍と呼ばれているアイニーレイン伯爵家の御令嬢だ。武術に重きを置くベルブリック伯爵家とは反対に魔導を究めんとするアイニーレイン伯爵家だけどミレーユは武術にも秀でた才能を持っているんだ。君の事を確実に守ってくれる筈だよ」
「へ、へー、そうなんだー」
だから、娘を戦士に鍛え上がるの止めろよ。貴族の娘は政略結婚の道具の筈だろ。
メイド服越しなのに腹筋部分の見事な6LDKが浮かび上がっている。
「よ、よろしくお願い致します」
アルが退出すると、オレはミレーユに身支度を整えてもらった。
洗練されていて見事な手際だ。
リネン生地のドレスを着ると、オレは食堂へ案内された。
心臓がバクバクと五月蝿い。昨日は空腹のせいで倒れてしまったけれど、今度は緊張のせいで倒れそうだ。
「失礼致します。レディ・フレデリカを御案内致しました」
それだけ言うと、ミレーユは食堂を出て行った。
取り残されたオレは慌てないように気をつけながら食卓へ数歩進む。
ドレスの裾を持ち上げ、頭を下げる。
昨日はきちんと挨拶が出来なかったから言葉を慎重に選ばなければならない。
まずは昨日の謝罪を……、
「フリッカ。緊張しているみたいだね」
「え? あっ、殿下!?」
口を開きかけたところでアルに横槍を入れられた。
「これこれ、アルヴィレオ。フレデリカ嬢が困っているぞ」
王様が言った。その口調は思ったよりも軽い。
「そうですよ、アル。はやく座らせてあげなさい」
「はい。さあ、フリッカ」
挨拶も出来ていないのに座っていいのだろうか? 困惑しながらも王子のエスコートを断るわけにはいかない。
席に座ると王様が声を掛けてきた。
「いやはや、昨日はすまなかったな。アルヴィレオに叱られてしまったよ」
「え? あっ、いや……」
「本当に申し訳ない事をしたわ。どうしても未来の娘の顔がはやく見たかったの。許してちょうだいね、フリッカ」
想像していた百倍くらい距離感が近い。戸惑っていると、アルが手を叩いた。
「父上、母上、フリッカが困っていますよ」
「ん、そうか?」
「ああ、わたしったらまた……」
「あっ、いえ! あの、昨日は大変な粗相を……、誠に申し訳御座いません」
頭を深く下げる。王への謁見は決して軽く考えていいものではない。
オレの昨日の粗相は笑って済ませられる事ではない。
「頭をあげなさい、フレデリカ嬢。君はアルヴィレオの婚約者なのだから」
「あなたは私達の娘になるのよ? 仲良くしましょう」
「も、勿体ない御言葉です……」
なんとも距離感が掴み難い。相手は王族だ。言葉通りに気安い態度など取れない。かと言って、他人行儀な態度を続ける事も不敬に当たる。
「とりあえず食事にしましょう。その後は……、フリッカ」
「は、はい!」
「城の裏に湖があるんだ。美しい場所だから案内しよう」
「あ、ありがとうございます!」
アルが話を変えてくれてホッとした。
我が婚約者は出来る男だ。
その後もアルは積極的に声を掛けてくれた。オレが王様や王妃様に絡まれない為だ。
それはそれで大丈夫か心配になるけれど、二人は微笑ましげにオレ達を見ている。
ここは彼の気遣いに身を委ねよう。