第三十三話『ヴィヴィアン王女』
睨まれている。対面に座っている第一王女のヴィヴィアンはスープを口に運びながら物言いたげな視線を投げ掛けてくる。
朝食の時間を遅らせてしまった事、王に対する数々の無礼、魔王の力。
言いたい事が山のようにある筈だけど、王がオレを許した手前、何も言えずにいるようだ。
だけど、オレの方から『なんですか?』などと聞けるわけもない。
「……フリッカ」
「はい、殿下」
アルに声を掛けられて、オレは居住まいを正した。
「どうして、この場だったんだ?」
それはオレが『魔王再演』の事を打ち明けるタイミングとして朝食の席を選んだ事に対する疑問だった。
彼の表情には様々な感情が浮かんでいる。戸惑いや不安、そして、怒り。
オレが出来る事は誠実に答える事だ。
「……殿下の前で沙汰を受けようと思いました」
他にもいろいろな理由があった。だけど、なによりも大きな理由はアルに隠したくなかったからだ。
「ボクの前で……?」
「如何なる結果になったとしても、その事を殿下に知っていて欲しかったのです。誠に申し訳御座いません。わたくしの我儘です……」
本当は王の時間を奪う事になっても一対一で話すべき内容だった。だけど、王の沙汰次第で二度とアルに会えなくなる可能性もあった。
何も語れず、何も知って貰えないまま別れる事が嫌だった。
「そうか……」
アルはオレの頬に触れた。いつの間にか流れ落ちていた涙をすくい取ってくれたようだ。
「フリッカ。君はボクのものだ」
その通りなのだけど、こうして所有権を主張されるとむず痒くなる。
「……はい、殿下」
「ボクには君のすべてを識る権利があると思う。だから、教えて欲しい。君が何を考えて、どうして父上の沙汰を仰ごうと思ったのか……」
彼の顔には不安だけが残されていた。
その不安を取り除く事が出来るか分からないけれど、彼が望むなら答えよう。
「かしこまりました、殿下」
オレは語り始めた。
「……およそ一年前、わたくしの部屋に王宮専属魔法使いであらせられるオズワルド猊下が御来訪なされました。そこで猊下による『解析』が行われました。そして、『魔王再演』のスキルが判明した次第に御座います」
順序があるとは言え、いきなり一年前の事を語りだしたのにアルは口を挟まず耳を傾けてくれている。
オレがきちんと説明しようとしている事を分かってくれている。うれしい。
「わたくしは処刑される可能性もあると考えました」
そう言うと、アルは怖い顔をした。
「……ですが、わたくしの立場は変わりませんでした。それが勇者様の加護によるものだと考えました。わたくしは竜王メルカトナザレ襲来時に魔王の力を発現させましたが、勇者様が護って下さりましたので、その事実がわたくしを護っているのだと……。しかし、魔王の力を宿したわたくしを次期王妃の座に据え続ける事は王国にとって望ましくない事ではないかと考えました。陛下の御心に沿わぬ事ではないかと……」
「だから、君は自分の意思で王の沙汰を仰いだわけか……」
「その通りで御座います」
顔を見る限り、不安は払拭出来たようだ。だけど、変わりに不満を抱かれてしまっている。
「……君は、ボクとの婚約関係を解消される事も視野に入れていたのかい?」
その言葉には隠しきれない怒りが滲んでいた。
燃えるような眼差しを向けられて、顔を伏せそうになる。
「その通りで御座います。わたくしは殿下の伴侶には相応しくないと……」
「フリッカ!!」
アルに両肩を掴まれた。かなり痛い。一年前、釣り餌のワームで泣きそうになっていた子とは思えない力強さだ。
「君はボクのものだ。その事実は永劫変わらない!」
そう言うと、彼はオレの腕を掴んで持ち上げた。
ギリギリと腕が軋む音が聞こえて来るようだ。もしかしたら、服の中には兄貴のような筋肉の鎧が埋まっているのかも知れない。
「ボクから離れるな!! フリッカ!!」
「……殿下の御心のままに」
ちょっと驚いた。だけど、アルはまだ十歳だ。来月の誕生日を迎えても十一歳。
大人びていても子供という事だろう。癇癪を起こす姿は新鮮で、少し可愛いと思った。
「……アル。ママ、ちょっとドン引きよ」
「パパもドン引きしてるぞ、アルヴィレオよ」
「お姉ちゃんもドン引きだわ……」
あっ、アルが固まった。
「……フレデリカ」
ヴィヴィアンが声を掛けてきた。
「はい、ヴィヴィアン殿下」
「ヴィヴィアンでいいわ。妹に殿下って呼ばれたくないの。まあ、公式の場では仕方ないけど……」
なんだかイメージと違う。きつい人かと思ったけど、声色も優しい。
「分かりました、ヴィヴィアン」
「うん。この後、ちょっと付き合ってくれない? 王妃教育もあるし、あんまり時間は取らせないから」
「かしこまりました」
◆
食事が終わると固まったままのアルを第二王子と第二王女がツンツン突きながら遊び始めたのを尻目にオレはヴィヴィアンと彼女の自室へ向かった。
アイリーンとミレーユ、それにヴィヴィアンの専属使用人であるエシャロットも同伴している。
「エシャロット。紅茶とケーキをお願い」
「かしこまりました」
ヴィヴィアンはエシャロットに命令するとオレを部屋に招き入れた。
華美な装飾のない落ち着いた雰囲気の部屋だ。
「そこ座ってちょうだい」
「はい」
言われるまま椅子に座ると対面にヴィヴィアンも座った。
「まず、一言。貴女、アルの奴隷じゃないんだからモノ扱いされる事に不満を持ちなさい」
「は、はぁ……」
奴隷のつもりは全く無いのだけど、傍からはそう見えていたのか……。
「ですが、わたくしがアルヴィレオ殿下のものである事は事実で御座いますし……」
「婚約者でしょ!」
ヴィヴィアンはガオーっと怒った。
「……まったく。いい? アルはあんまり物事に執着して来なかったのよ。だから、程度ってものが分からないの。さっきもとんでもない事を言っていたけど、早い内に矯正しとかないとエスカレートする一方よ? ほら、腕を見せてみなさい」
「あ、まっ……」
「待たないわよ。ああ、もう! アザになってるじゃないの!」
そこはアルに握りしめられた部分だ。やはりと言うか、アザになっていた。
「この傷、後でアルに見せに行くわよ」
「そ、それは……」
「見せないとあの子の為にもならないの!」
ヴィヴィアンは息を深く吐いた。
「……わたし、叔父様から聞いていたのよ。貴女の『魔王再演』の事」
「そうだったのですか……」
叔父様とはオズワルドの事だろう。彼はネルギウス王の弟なのだ。
「だから、食卓で貴女が『魔王再演』の事を話し始めた時は肝を冷やしたわ。アルがこうなる気がしたから」
彼女はオレのアザを見つめながら言った。
「アルは貴女が思っている以上に貴女を愛しているわ。そういう男をつけ上がらせた結果、両足を斬り落とされた子がいるの」
「りょ、両足を!?」
ゾッとした。あまりにも猟奇的過ぎる。足を失ったら自由に動き回る事も出来なくなる。
「言っておくけど、これは本当の話よ。だから、肝に銘じておきなさい。妻の足を切り落とす男を王に据えるわけにはいかないでしょ?」
アルに限って、そんな事はしないと思う。
だけど、奴隷と主人に見られる事は避けなければいけない。
外聞が悪過ぎる。アルの評判にも関わる事だ。
「……肝に銘じます」
「うん。まあ、そういう教育を受けて来たんだと思うけどね……」
言われて気がついた。オレは無意識の内にアスナタシアから施された教育を実践していたようだ。
冷静に考えてみると、所有物扱いされたり、腕にアザを付けられた事を不満に思う事なく受け入れているのは変だ。
「フレデリカ。いろいろ大変だと思うけど、困った事があったら相談しに来なさい。わたし、貴女のお姉ちゃんになるんだから」
「……はい。ありがとうございます、ヴィヴィアン」
「うん。さて、アルに説教しに行くわよ!」
「は、はい!」




