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第二十九話『出会いと別れ』

 淑女の教育が始まり、もうすぐ一年が経過しようとしている。

 一通りの教養は既に修了していて、最近はダンスの特訓がメインになっている。


「うーん、エレガント!」 


 ダンスは専門の家庭教師であるヴァネッサ・アイビーに教わっている。

 凛々しい顔立ちの麗人だ。


「あとは体力だけですね、お嬢様」

「その体力が問題だな……」

 

 ダンスの振り付けは覚えられた。だけど、相変わらず体力が不足している。

 体力作りの為に散歩の時間を増やしているけれど、そもそも散歩でそこまで体力はつかない。

 

「本格的にトレーニングが必要かもしれませんね。今のお嬢様は精神力でカバーしている状態ですから」

「走り込みとか?」

「……あまりエレガントではありませんが、王妃教育が間近に迫っていますからね」


 オレはもうすぐ誕生日を迎える。その日に王宮へ迎えられる事になっている。

 残された時間は一月(ひとつき)もない。

 今からでは付け焼き刃もいい所だ。それでもやらないよりはマシだろう。


「アナスタシアに相談してみましょう。お嬢様は既に学ぶべき事をすべて学び終えていらっしゃいますから否とは言わない筈です」

「うん。よろしく頼むよ」

「お任せを、お嬢様」


 ヴァネッサは微笑んだ。


「……お嬢様」


 その微笑みが哀しげなものに変わった。


「もうすぐなのですね……」

「うん」

「一介の家庭教師でしかないわたくしに出来る事など限られていますが、もしもお力添え出来る事がありましたらいつ何時でも何なりと」


 まるで騎士の如く傅く彼女にオレは笑顔で応えた。


「うん。その時は頼りにさせてもらうよ。今までありがとう!」

「勿体無き御言葉で御座います」


 ダンスルームを後にしてアイリーンと共に部屋へ向かいながらオレはいよいよ差し迫る公爵邸との別れを意識した。

 フレデリカ・ヴァレンタインとして生まれ変わってから十一年、その殆どの時間を過ごした空間だ。

 オレはすべての使用人と深く関わって来たわけではないけれど、関わって来た使用人達は誰もがオレを大切にしてくれた。

 シェリーやアナスタシアだって、オレの未来の為に必要な事を教えてくれた。


「……寂しくなるな」

「お嬢様……」

 

 小学校の時の先生の言葉が脳裏を過る。


 ―――― 人生とは出会いと別れの繰り返しだ。別れを惜しめるという事は、その出会いが素晴らしいものだった証なんだ。だから、悲しむばかりではなく、喜びなさい。


 オレはその先生が好きだった。どんなに忙しい時でもオレが知りたい事を教えてくれた。元々好きだった勉強が更に好きになった。

 だから、卒業式の後にこっそり会いに行った。

 もっと教えて欲しい。もっと先生と一緒にいたい。そうやって泣きながら駄々を捏ねたオレに呆れる事なく、先生はその言葉を送ってくれた。

 

「アイリーン」


 だから、オレは笑顔を浮かべた。


「オレ、この家に生まれて良かったよ。みんなと出会えたから」

「……お嬢様」


 アイリーンは優しく微笑んだ。


「きっと、王宮でも素敵な出会いに恵まれる筈です。お嬢様は誰よりも魅力的な御方ですから」

「へへっ、ありがとう!」


 その言葉は単なる気休めじゃない。その証拠にオレは既に王宮で素敵な出会いをいくつも果たしている。

 

「……アルとバレットに会うのも一年振りだな。楽しみだ!」


 アルとは定期的に手紙のやり取りをしているけれど、やっぱり直接会って話がしたい。

 王妃教育に休みなど無いかもしれないけれど、共に王宮で暮らすのなら話す機会はいくらでもある筈だ。

 また、一緒に釣りにも行ってみたい。


「うん! 楽しみになって来た!」


 王妃教育はきっと淑女の教育以上に厳しいものとなる筈だ。

 それでもオレはきっと折れない。だって、みんなに確りと鍛えてもらったから。


 ◆


 そして、その日がやって来た。

 兄貴の顔は涙と鼻水で大変な事になっている。だけど、今日ばかりはオレも人の事を言えない。

 兄貴の泣き顔を見ていたら、自然と涙が溢れてきた。


「……お兄ちゃん」


 いつも抱き締められるまで待っていたけれど、今日は自分から抱きついた。

 この大きな体に抱き締められる事もなくなる。

 悲しい時、寂しい時、怖い時、どんな時でもオレを安心させてくれた兄貴の胸に顔を埋めた。


「行ってくるね、お兄ちゃん」


 普段は兄貴と呼んでいるけれど、外ではお兄様と呼んでいるけれど、今だけはお兄ちゃんと呼んだ。

 兄貴はそう呼ぶと喜ぶからだ。喜んで欲しかったのだ。だって、これからは何年も会えなくなるのだから。


「フリッカ……。フリッカァァァァ!!!」


 抱き締められた。

 

「いつでも帰って来ていいからな! 王子の婚約者である事も、次期王妃である事も気にしなくていい!! お兄ちゃんが絶対にフリッカを護る!! だから、辛くなったら我慢なんてしなくていいからな!!」


 その言葉に嘘はなかった。十一年も妹をしていたら分かる。兄貴は本気だ。

 オレが逃げて来たら、何が何でも護ってくれる。だから、オレは兄貴から少し離れて言った。


「兄貴! オレを舐めんなよ! 立派にオレの責務を全うしてみせるぜ!」


 親指をグッと立てて笑顔を浮かべる。

 

「フリッカ……」


 兄貴は顔がグシャグシャだ。


「本当に立派に……、昔から凄い子だったけど、本当に……」


 感極まった兄貴にオレはまたしても唇を奪われてしまった。

 これから未来の婿の家に向かう女に対して、困った兄貴だ。


「……行ってきます」


 兄貴の顔が離れた後、オレから一度だけキスをした。

 ポカンとした表情を浮かべる兄貴。イタズラ成功だ。

 オレは振り返って馬車へ向かった。そろそろ限界だ。これ以上名残を惜しんでいると出発出来なくなってしまう。

 

「フ、フリッカ!! 元気でな!! しあ……、幸せになるんだぞ!! お前が幸せにならないと、兄ちゃんは……、兄ちゃんは……」

「任せとけって、兄貴!! 手紙書くからな!! 兄貴も体を壊すなよ!! 辛い事があったら教えろよ!! オレ、兄貴の妹なんだから!!」


 兄貴はもう何も言えなくなってしまった。口を何度もパクパクさせて、顔をグシャグシャにしている。


「さあ、行こう!」


 オレは共に馬車に乗ったアイリーンに声を掛けた。


「……はい、お嬢様」


 アイリーンが御者に声を掛ける。馬車が動き出す。

 オレは窓から身を乗り出した。


「行ってきます!! みんな!!」


 すると、それまでオレと兄貴の別れを見守ってくれていた使用人達が一斉に声を上げた。

 声が重なり過ぎて何を言っているのかさっぱり聞き取れない。

 だけど、アナスタシアやヴァネッサ達は泣いてくれていた。カロスも兄貴に負けないくらい顔をグシャグシャにしている。

 手を振ると、一人残らず全員が引き千切れんばかりに手を振り返してくれた。兄貴に至っては両手を必死になって振っている。

 その光景を見て、オレは自分が幸せである事を噛み締めた。

 別れを惜しめるという事は、その出会いが素晴らしいものだった証なんだ。


 ◆


 その日のアルヴィレオ・アガリアは今か今かと公爵家の馬車の到着を待つ事に必死で何も手につかなかった。

 学ぶべき事はいくらでもある。やるべき仕事はそれこそ山の如し。

 それでも彼を叱る者はいない。両親であるアガリア王と王妃はその姿に苦笑している。

 彼の側仕えを命じられたバレット・ベルブリックも苦笑している。

 

「……フリッカ。ようやく、会えるんだな」


 普段の彼はほとんど表情を見せない。王族はみだりに感情を他者へ悟らせてはならない為だ。

 そんな彼の表情がコロコロ変わる様は見ていてとても面白い。

 彼はすっかり余裕を失っている。王族である事よりも重要な存在がいるからだ。


 ―――― アルはもう王様なんだね。


 彼女は言った。


 ―――― オレ、アルが王様で良かったよ。


 その時、彼は恋に落ちた。

 その前から彼の心を大きく惹きつけていたけれど、それは見事な止めの一撃となった。

 王族に自由恋愛など認められない。けれど、政略結婚の相手に恋をしてはいけないというルールなど存在しない。

 

「会いたい……。はやく、会いたいよ」


 そして、王都に公爵家の馬車が辿り着いた。

 その報せが届いた時、アルヴィレオは誰の目も気にする事なく走った。王宮の前で近づいてくる馬車を待つ。

 馬車が止まると、最初にメイドが降りて来た。姿が大きく変化しているけれど、彼女が一年前にフレデリカを迎えに来た彼女の専属使用人であるアイリーンだと手紙で教えられていたアルヴィレオはすぐに気がついた。

 彼女に手を貸されながら降りてくる少女を見た。

 そして、その可憐な姿にアルヴィレオは再び恋に落ちた。

 落ちて、落ちて、どこまでも落ちて、深い愛情を抱きながら彼女の下へ向かう。


「待っていたよ、フリッカ」

「アル!」


 花が咲いたような笑顔で駆け寄ってくる彼女をアルヴィレオは迷う事なく抱き締めた。

 メルカトナザレの襲来によって、一度は失いかけた婚約者の存在を体全体で確かめた。


「会いたかったよ、フリッカ!」

「オレも! アル!」

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