第二十八話『家族ごっこ』
エルフランという名前になって何度目かの朝を迎えた。相変わらず記憶は戻っていない。
自分という存在が酷くあやふやに思えて、とても不安だ。
「……ジッとしていても仕方ないでしょ、わたし」
深く息を吐く。
「よし! がんばれ、わたし!」
後ろ向きな事を考えて事態が好転する事など無い。前を見なければ歩くべき道は見つからない。
身支度を整えて部屋を出る。リビングではアンゼロッテが紅茶を嗜んでいた。彼女が家庭菜園で作った茶葉から淹れたものだ。
「起きたか」
アンゼロッテは立ち上がった。
「待っていろ。今日はいい感じだぞ」
まるで男みたいな口調だけど、彼女はとても優しい人だ。
見ず知らずのわたしを家に置いてくれているし、生きる為の方法も教えてくれている。
こうして起きたらお茶も淹れてくれる。
「どうだ? ついでに蜂蜜と麦の粉を合わせた菓子も作ってみた。保存が効く上、茶との相性も抜群だ」
「美味しい!」
「そうか!」
彼女との共同生活は悪くない。
「……ねえ、アンゼロッテ」
「ん?」
「わたしは何者なのかな?」
彼女と初めて会った日、わたしは朝食の肉を手に入れる為に境界の先へ案内された。
境界とは獣王と呼ばれる魔獣の支配領域とそれ以外の領域の境目の事だ。
最初は信じられなかったけれど、境界の外の魔獣を見て、その魔獣を葬り去ったわたしの力を自覚した後も自論を維持し続けられる程頑なにはなれなかった。
この世界は剣と魔法のファンタジーだ。勇者と魔王がいて、獣王のような魔獣もいる。
そして、わたしもそんな世界の一部だった。
「言っただろう。私にも分からん」
アンゼロッテは困ったように言った。
「そっか……」
魔獣を消し飛ばした光の矢。わたしにとって、あれは異常な光景だった。そして、それはアンゼロッテにとっても同じだったようだ。
自分の正体を知る事が怖くなった。
もしかしたら、わたしはとても恐ろしい存在だったのかも知れない。
本当のわたしを取り戻したら、アンゼロッテに危害を加えるかも知れない。
「エル」
アンゼロッテはわたしの頭をワシャワシャと撫でた。
「つまらない事を考えるな! 今を生きる! それだけで十分だ! 未来の事や過去の事は今を充実させた後でいい!」
「……うん」
わたしは立ち上がった。
「朝ごはん、採ってくる!」
「おう」
わたしは玄関の脇にある大きな籠を背負った。
見た目の割に凄く軽い。まるで羽のようだ。
「よーし、やるぞー!」
◆
一日の始まりだ。わたしには三つの選択肢がある。
一つ目は家庭菜園の収穫だ。アンゼロッテの畑は作物の育ちが異様に早い。収穫後に種を植えて水を掛ければ一週間で再び収穫出来るようになる。
二つ目は森の散策だ。獣王の支配領域内には動物がいない。だけど、キノコや山菜を採る事が出来る。他にも不思議な力を持った鉱石や植物を採取する事も可能だ。薪や何かの用途に使えそうな素材を拾うのも良いだろう。
三つ目は境界の外へ向かう事だけど、考えるまでもなく今は無理だ。
「さてさて、散策に出掛けますか!」
森は鬱蒼としているからアンゼロッテが切り開いた道以外を進むのは危険だ。
わたしは地図を開いた。アンゼロッテがくれたものだ。羊皮紙で出来ていて、魔法が掛けられている。
この地図は最初無地だった。わたしが触れると地図の真ん中にアンゼロッテの家が描かれ、外に出ると周辺の地形が描かれた。そして、わたしが道を進めばその道が地図に描かれていく。
一度描かれた地形が消える事はなく、空白を埋めていけば完全な地図となるようだ。
「よーし、今日はこっちに行ってみよう!」
わたしは空白の道へ進んでいく。
「むむっ、キノコ発見! これはシイタケかな……?」
わたしは腕まで覆える手袋を身に着けた。迂闊に触れると毒を持っている可能性もあるからだ。
初めて見る物はとりあえず拾って、後でアンゼロッテに教えてもらう。
「おっとっと、これは毒キノコ」
赤くて禍々しいキノコだ。魔法薬の素材になるそうだけど、とても強力な毒を持っているから拾うなと言われている。
「あっ、これ美味しいヤツ!」
桃色の実がブドウのように寄り集まったフルーツを籠に入れる。
甘くて美味しいのだ。一昨日くらいにアンゼロッテがこのフルーツを使ったお菓子を作ってくれたのだけど、それがまた絶品だった。
また作って欲しい。
「これ、辛いやつだよね。こっちはちょっと苦いけど……」
動物がいない森だけど果物や山菜の種類は実に豊富だ。
植物の受粉は虫に手伝ってもらっているものとばかり思っていたけれど、虫のいない森でも彼らは逞しく生きている。
その恩恵に預かる身として、わたしは一度拝んでおいた。
「美味しい木の実をありがとう」
それからたっぷり三十分程かけて籠をいっぱいにすると家に戻った。
「よし、今回は毒のある物を拾って来ていないな。ふむ……、これなら煮込み料理が良さそうだな。コレとコレはいい出汁が出る。こっちは後から入れろ」
アンゼロッテにアドバイスを貰いながら料理を作る。
どれも未知の食材だけど、彼女の言う通りにすると絶品料理に早変わりだ。
おかげでわたしの料理スキルもぐんぐん上がっている気がする。
「昼はどうする? 私は肉と魚を調達してくるが……」
付いて行きたいと言えば連れて行ってくれる。だけど、わたしはまだ腰が引けていた。
「お、お勉強タイムにしとくよ」
「分かった。いつも言っているが鍵の掛かった書棚には触れるなよ。今のお前には危険だ」
「う、うん!」
危険な本。それはエッチだったり、グロテスクだったりするわけではない。
物理的に危険なのだ。一度だけ開いて見せてもらった。鍵の掛かった書棚の本は文字が浮き出して開いたアンゼロッテを取り込もうとした。
そんな危険な物をどうして置いているのか聞いてみると、どうやら処分する手段が無いみたい。
安易に捨てるわけにもいかない為に保管しているそうだ。
「じゃあ、行ってくるぞ」
「うん! いってらっしゃい! 気をつけてね!」
「ああ」
肉や魚の調達に出掛けていくアンゼロッテを見送りながら呟く。
「わたしも謎だけど、アンゼロッテも謎だよね」
どうして森に住んでいるのか、どうして危険な本を保管しているのか、何を聞いてもはぐらかされる。
あんまり詮索しても何だけど、どうしても気になってしまう。
「分からない事ばっかりだ」
◆
エルフランと生活するようになってから日々の生活に充実を感じるようになった。
やはり、一人でボーッと生きるのは精神衛生的に良くない事らしい。
「……まったく、可愛い奴め」
出産どころか結婚した事もない。だから、娘など持った事がない。その事に後悔した事など無かった。
けれど、思いの外に楽しいものだ。
「厄介事が舞い込んできたと思ったのだがな……」
エルフランは強大な力を秘めているようだが対処出来ない程ではない。
わざわざ私に面倒を見させているくらいだから、いざとなればヴァイクも力を貸すだろう。
「このまま一緒に……」
世迷い言を言いかけた時だった。
「……シャロン?」
一瞬だった。そして、微かだった。
私と同じく七大魔王と呼ばれた少女の気配を感じた。
「気の所為……、だよな?」
シャロンは既に死亡している。勇者メナスによって討伐された。
肉体は不滅でも、勇者の剣は魂そのものを斬り裂く。
討伐後、石と化したシャロンの肉体は人間の手によって何処かへ隠されたそうだが魂無き器が再び動き出す事などあり得ない。
「シャロン……」
一度だけ魔王となる前の彼女と会った事がある。
そもそも、ウェスカーにシャロンをラグランジアへ連れて行く事を提案したのは彼女だった。
幼く、ウェスカーに甘える姿は竜王の娘とは思えなかった。
彼女が幸福になれる筈だと信じての提案だった。
不幸になる事など一欠片も望んでいなかった。
「……帰ろう」
過去や未来よりも今を大切にするべきだ。
いずれ、エルフランが記憶を取り戻すまで期間限定の家族ごっこを楽しもう。
「ああ、やはり……」
笑いが込み上げてきた。
「……わたしは聖女などでは無かった」




