第二十一話『運命の始まり』
シェリーの後任はまさかの性教育担当アナスタシア・ラザフォードだった。
彼女は今でこそ奴隷くんと一緒に性教育の専門家庭教師になっているけれど、元々はシェリーと同じオールマイティタイプの家庭教師だった。
だから、ピンチヒッターとして白羽の矢を立てられたわけだ。
「よろしいですか? お嬢様のお役目はアルヴィレオ殿下の御子を授かる事です」
シェリーの時と方針が違い過ぎて辛い。
彼女はオレを王妃にする為に指導してくれた。
対して、アナスタシアはオレを国母にする為に指導してくる。
「そして、アルヴィレオ殿下が国王におなりあそばせた際には大いなる愛を持って癒やして差し上げねばなりません。国王とは国を束ねる者。その重責は計り知れぬものなのですから」
言いたい事は分かる。王様の責任は重大だ。なにしろ、その双肩には王国のすべての民の命運が掛かっているのだ。
実際、竜王襲来事件の時は大変だった。
あの時、勇者ゼノンがオレ達の下へ駆けつけてくれたのは偶然では無かった。王様が勇者を召喚してくれたおかげだ。
だけど、その決断はアガリア王国を世界から孤立させかねない大博打だった。
勇者は常に自由だ。その自由を阻害する者は大国の王ですらも許されない。何故なら、勇者は人類存続の希望だからだ。
そのルールを王様は破ったわけだ。ゼノンが教会を通じて話を通してくれたおかげで難を逃れたものの、アガリア王国は一時期国家存亡の危機に陥っていた。
仮にオレが王様の立場だったら迷った挙げ句の果てに動けなかった筈だ。それほど大きな決断だった。想像を絶する重責だ。
その重責をアルは担う事になる。そう考えた時、アナスタシアの言葉はもっともだと思った。彼を慰める存在は必須だ。
「殿方は辛い時、何かに溺れたがるものです。ですが、酒乱や薬物中毒者に進んで傅きたく思う者がおりますでしょうか? 王となる者は酒にも薬にも溺れてはならないのです。ならば、何に溺れればいいのでしょうか?」
「……わたくし?」
「その通りです!」
アナスタシアは言った。
「昼は淑女として陛下を支え、夜は娼婦として陛下を慰めるのです!」
何処かで聞いたようなフレーズだ。恐らく、オレが受けるに相応しい教育はアナスタシアの指導なのだろう。シェリーはそれを嫌がったわけだ。
彼女の本心は分からない。聞く間もなく兄貴達が追い出してしまった。だけど、彼女はオレを利用したかったわけではないと思う。もっと単純にオレがアルの慰安婦となる事を嫌ったのだと思う。だからこそ、オレに男を操る術を叩き込もうとした。
解雇された後の彼女の事は何も分からない。兄貴からは実家に帰ったと聞かされたけれど、公爵家の家庭教師を解雇された彼女が実家でどのように扱われるか分かったものではない。出来れば、彼女の思想が家庭教師としての責務を通じて培われたものだと信じたい。そうでなければ彼女は……。
「よろしいですね?」
「……はい」
オレを見てくれていたシェリー。オレを見ていないアナスタシア。
「……っ」
追い出したのはオレ達だ。今更、シェリーを恋しがる資格なんてない。
どうせ、オレはアルに婚約破棄される事になっている。
シェリーの思い。アナスタシアの考え。どちらも無駄になる。
だったら、今は素直に従おう。
◆
シェリーが解雇されてから半年が経過した。
時折、アルから手紙が届く。その手紙に返事を書く事がちょっとした楽しみになっていた。
メールのやり取りなら経験豊富だけど、文通なんて初めての経験だ。
公爵領と王都は馬車で数日掛かる距離にある。送った手紙の返事が返ってくるまでに時間が掛かる。その時間が妙にワクワクする。
「ふむふむ」
アルから届いたばかりの手紙を読む。どうやら一足早く王となる為の教育が始まったようだ。
弟妹達が一緒に過ごせない事に不満を訴えてくると書いてあった。きっと、それが嬉しいのだろう。文字が少し和らげに見える。
「文字だけでも伝わるものがあるんだなぁ」
真面目な話の時は固くなるし、悲しい話の時は文字が少し歪む。
書いている時のアルの心の機微が読み取れて、それが凄く嬉しい。
「さーて、返事を書くぞー!」
まずは時候の挨拶からだ。
「そう言えば、今日から4月か」
この世界の暦は生まれ変わる前の世界と変わらない。
一年は365日。それを12の月で分けている。
「4月って言えば、たしか……」
その時だった。急に目眩がした。
「あ、あれ……?」
椅子から転げ落ちる。なんとか立ち上がろうと藻掻いていると、急に地面が柔らかくなった。
「あっ……、え?」
よく見たら右手が異形のものに変わっていた。その手が床を抉っていた。
「な、なんで!?」
目を見開くと全身が張り裂けそうになった。
「あがっ……」
悲鳴すら上げられない。そして、左腕まで異形と化していた。
「な、なにが……」
いきなり過ぎる。竜王襲来の時以来、今まで一度も異形化していなかった。
混乱する頭でドレッサーを見た。すると、鏡に映っているのは銀髪の令嬢ではなかった。
髪が金色に変わっている。瞳の色は青から赤へ転じ、着ていた白のネグリジェも真紅のドレスに変わっている。そして、両腕は異形と化し、背中にはドラゴンの翼が生えている。
「だ、誰だ……、グッ!?」
頭が痛い。割れそうだ。
「なん……だよ、こ、れは……」
腹の底から怒りが湧いてくる。とにかく何かに当たり散らしたくて堪らない。
何でもいいから壊したい。誰でもいいから殺したい。
「ガッ……」
すると、今度は胸が熱くなってきた。押さえると、そこには勇者から貰った首飾りがあった。
勇者からの贈り物は最高級の宝石をあしらった物すら褪せて見えるほどの価値を有している。だから、シェリーもアナスタシアも首飾りは常に『勇者の御守り』を身に着けるようにと言った。
「あつっ……、でも」
怒りに染まりかけていた思考が少しだけ晴れた。
チャンスだ。わけがわからないけれど、とにかく力を抑えないといけない。
これは『魔王再演』の暴走だ。何が切っ掛けか分からないけれど、エルフランも『英雄再演』を暴走させるシーンがあった。
必要なのは意思の力だ。オレの意思でオレ自身を支配する。誰にもオレを支配させたりしない。
「オレの体はオレのものだ!!」
異形の手を握り締める。そして、開く。この手がオレ自身の物だと確信する。
棒立ちとなり、深く息を吸う。そして、ゆっくりと吐き出していく。
すると体がゆっくりと元に戻っていった。
「……ふぅ」
疲れた。オレはベッドに倒れ込んだ。今日は週に二日の休日だ。
アナスタシアは指導の日を週に五日と定めた。だから、今日はゆっくり出来る。
「お嬢様!! 御無事ですか!?」
アイリーンが慌てた様子で部屋に入って来た。だけど、説明するのも億劫だ。
「ごめん……、起きたら説明する……。おやすみ」
「お、お嬢様……」
◆
同時刻、バルサーラ大陸の南に位置するマグノリア共和国の岸辺から勇者ゼノンは対岸に見える迷いの森を見つめていた。
その上空には奇妙な光が浮かんでいる。
「……来たか」
光から一人の少女が零れ落ちた。
ゼノンは助けようと地面を蹴りかけたが、その前に一匹の猿が少女を救い出した。
その猿こそが獣王ヴァイク。最強の魔獣だった。
「警戒されているな……」
勇者と獣王の間には200キロメートル近い距離がある。
にも関わらず、両者は互いを認識している。
海面にはプカプカと気絶した魚が浮いてくる。その様子を見て、勇者は頬を掻いた。
「このままでは生態系が崩れてしまうな」
勇者は迷いの森から視線を外した。そして、そのまま何処かへ消えていく。




