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第二話『ヴァレンタイン公爵家』

 オレの日常は自室と勉強部屋でほぼ完結している。六つ上の兄貴が執務を行う時間だけ、オレの世界は広がる。

 調理場に顔を出したり、庭に飛び出して走り回ったり、騎士団の訓練を遠目に眺めたり、かなり自由に動き回る事が出来る。

 別に兄貴と仲が悪いわけではない。

 彼は仕事とプライベートを完全に分けているようだ。夕飯は必ず一緒に食べているし、オレが風邪を引いた時は仕事を放り出して看病してくれた。

 オレが視界に入るとオレを優先してしまう為の苦肉の策らしい。


「おお、フリッカ! 今日も別嬪さんだな!」


 兄貴は今日も頬がゆるゆるだ。折角のハンサムフェイスが台無しである。

 

「兄貴! オレ、従魔が欲しいんだ! 兄貴からも頼むぜ!」

「おう! 兄ちゃんに任せておけ! ……でも、父上の前ではお兄様な? あと、オレもダメだぞ。自分の事はわたくしと言うんだ」

「ほっほーい!」

「それも可愛いんだけどなぁ……。返事は『はい』だぞ、フリッカ」

「はい、お兄様!」

「俺の妹、めちゃ可愛い」


 今はこんなでも仕事モードの時は凛々しくて厳格らしい。きっと、忙しくて大変なのだろう。

 オレと接している時はリラックスしてくれているように見える。ならばせめて労ってあげたいと思うのが人の情というものだ。


 ◆


「旦那様が御戻りになられました」


 執事のグウェンダルが言った。彼も筋骨隆々だ。燕尾服が薄っすらと筋肉の形状を浮かび上がらせている。

 グウェンダルは兄貴の護衛も兼ねている。


「よし、行くぞ」


 兄貴に手を引かれながら玄関に向かう。

 個人的にはエスコートする側に回りたいものだけど、今のオレはエスコートされる側だ。

 しかも公爵家の御令嬢。甘やかされる事が仕事と言っても過言ではない。


「フリッカ。父上とは一年振りかな? どうだい? うれしいかい?」

「うーん。殆ど会ってないから別に……」

「あらら……」


 兄貴はぽりぽりと頬を掻いている。


「おっと、そろそろ意識を切り替えるぞ。わたしの事は?」

「お兄様!」

「父上の事は?」

「お父様!」

「父上の事、どう思う?」

「大好きです!」

「よし!」


 合格のサインが出た。兄貴の判定はガバガバだけど、アイリーンとグウェンダルも苦笑するだけで注意して来ないから大丈夫だろう。

 二人は優しいけれど、甘いわけではない。叱るべき時にはしっかり叱ってくる。

 だから、安心して親父に会いに行ける。


 ◆


 玄関フロアに辿り着くと屋敷の使用人が勢揃いしていた。

 普段は調理場や各々の仕事場から動かない人達まで全員だ。

 まさに圧巻の光景。親父の帰宅は我が家のビッグイベントという事だ。

 扉が開く。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 使用人達が一斉に声を揃えた。きっと、何度も訓練したに違いない。

 

「やあ、おはよう」


 この屋敷の主人であるギルベルト・ヴァレンタインは優雅に微笑みながら入って来た。


「私が不在の間に変わりないか?」


 親父は使用人のトップであるハウスキーパーのエレノアさんに話しかけている。

 オレ達の順番が中々回って来ない。

 だけど、姿勢を崩すわけにもいかない。実に面倒くさい。


「新しいメイドを二人雇い入れました。アガサとミリアが近々実家に戻る事になっておりますので」

「ああ、嫁ぎ先が見つかったと言っていたな。めでたい事だが……、相手先は問題無い相手なのだろうな?」

「はい。調査を依頼した者の調べによりますと素晴らしい縁談になる筈との事です」

「そうか」


 親父はホッとした様子でアガサとミリアにそれぞれ声を掛けた。

 それから新しく雇い入れられた二人のメイドにも一言二言。

 使用人達と話し終わると、ようやく親父がオレ達の方にやって来た。


「二人共、久しいな。ロベルト、よくやっているようだな」

「ありがとうございます」

「フレデリカ、縁談を持ってきたぞ。お前もようやく役に立つな」


 イラッと来る言い方だけど、おかげで思い出した。

 親父は嫌な奴なのだ。だから、覚える気にもなれなかった。

 


「父上、そのような言い方は……」

「ロベルト。お前もいずれは公爵家を受け継ぐ身だ。息子が生まれた時は後継者が生まれた事を喜び、娘が生まれた時は有用な駒が手に入ったと喜べ」

「父上!!」


 親父の言葉に兄貴が激昂する。おかげでオレは親父の言葉を冷静に受け止める事が出来た。

 生まれ変わって十年。狭い世界の中で生きて来たけれど、それでも貴族というものを少しは理解出来るようになった。

 貴族の家に生まれた女は政略結婚で初めて価値を生む。すごく嫌な価値観だけど、だからこそフレデリカは努力嫌いの悪役令嬢に成長していくわけだ。

 なにしろ、努力に意味がない。親父はフレデリカをまともに見ていないし、兄貴も親父の思想に染まっていく。

 ゲームだと、兄貴は親父とクリソツな男として登場している。エルフランと出会う事で昔の自分を取り戻し、彼女に昔のフレデリカを見始めるわけだ。

 当主と後継者の意向に使用人が逆らえるわけもない。

 味方のいない狭い世界に押し込められて、道具として扱われる。これでまともに成長出来る筈もない。

 しかも、婚約が決まった事で本格的な花嫁修業が始まる。道具に不要な機能は要らず、人格も婚約者のオーダーに沿って作り変えられる。

 十歳の少女にとって、まさに地獄の日々が始まるわけだ。


「お父様」


 だけど、相手は公爵だ。逆らっても勝ち目がない。

 無駄な事はしない主義なのだ。


「拝命しました。公爵家の一助となれるよう勤めます」


 ドレスの裾を少し持ち上げながら頭を下げる。これが公爵家の御令嬢の所作だ。

 アイリーンが丁寧に教えてくれた。元学年トップの天才であるオレは一度覚えた事を決して忘れない。


「ああ、期待しているぞ」


 なんとも空虚な期待だ。それに対して、兄貴の圧が凄い。

 下唇を噛み締め、目を見開き、青筋を幾つも立てている。

 

「お、お兄様、落ち着いて……」

「……おち、おち、落ち着いているとも」


 グウェンダルの指導の下、鍛え抜かれた兄貴の筋肉が膨張している。

 背中の鬼神が服に薄っすらと浮かんでいる。

 

「……御部屋に戻りましょう、お嬢様」


 アイリーンが言った。振り返ると、彼女の見事な上腕二頭筋が震えていた。

 いけない。彼女の特注品のメイド服が悲鳴を上げている。


「ア、アイリーン……?」

「御部屋に戻りましたら、すぐにお茶を淹れますね」


 アイリーンの肩がチョモランマのように膨れ上がっている。

 兄貴の筋肉とアイリーンの筋肉に挟まれて、オレはそのまま部屋へ連行された。


「あれ? 兄貴? 親父の所に行かなくていいのか? いろいろと報告とかあるんじゃ……」

「すぐに行くよ。その前にフリッカ」

「ん?」


 兄貴はまるでシャベルカーのような両腕でオレの肩を掴んだ。

 ヤバい、肩が粉砕する……!


「大丈夫だ!」

「え? 肩が!?」

「肩? いや、縁談の話だ! フリッカが不自由な思いをしたり、嫌な思いをしなくて済むように話をつけてくる! 兄ちゃんに任せろ!」


 兄貴は決意に満ちた表情を浮かべている。だけど、相手が相手だ。


「兄貴、大丈夫だよ」

「フリッカ……?」

「オレだって、やる時にはやるんだぜ? 兄貴も忙しいんだし、次期後継者が当主に逆らうもんじゃね―よ」

「俺の事を気にするんじゃない! あんな言い方されて、辛くない筈がないだろう!」

「大丈夫だって! オレ、別に親父の事どうでもいいし」

「……ど、どうでも?」

「そうそう。興味ないヤツに何言われたって気にしないって。だから、兄貴もあんまり気にすんなよ」

「そ、そうか……? あの、フリッカ……」

「ん?」

「お、お兄ちゃんの事は……?」


 筋骨隆々の巨漢がプルプル震えている。

 

「もちろん、大好きだぜ!」

「フリッカ!!」


 兄貴がベアハッグを仕掛けてきた。

 持ち上げられ、腕を背中に回される。


「あ、兄貴!?」

「うおおおおおお、フリッカ! 辛い時は言うんだぞ! 兄ちゃんはいつだってフリッカの味方だからな!!」 

「わ、わかった! わかったから下ろしてくれ、お兄ちゃん!!」

「うおおおおおお、フリッカがお兄ちゃんと呼んでくれたぁぁぁぁぁ」

 

 兄貴、そんなにお兄ちゃんと呼ばれたかったのか。

 感激のあまりキスして来た。前世含めてのファーストキスが兄貴に奪われてしまった。


「坊ちゃま、そろそろ執務室へ向かいませんと……」


 見るに見かねたグウェンダルが助け舟を出してくれた。


「ああ、すぐに行く! こうなったら急いで父上から当主の座を譲り受けるぞ! フリッカ! お兄ちゃんは頑張るぞぉぉぉぉぉぉ!」

「ぼ、坊ちゃま! 筋肉の膨張で御召し物が破けております! まずはお着替えを!!」


 兄貴のテンションが天元突破してしまった。


「だ、大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ。ロベルト様は本当に凄い御方ですから」


 アイリーンが嬉しそうに言った。


「お茶の用意を致しますね」

「頼むぜー!」


 アイリーンが部屋を出ていくと、オレはふかふかなソファーに座り込んだ。

 

「縁談かぁ……」

 

 親父は縁談相手を教えてくれなかった。オレからも聞かなかった。

 兄貴の怒りを鎮めるのに手一杯だった事もあるけれど、そもそも相手を知っているからだ。

 オレの婚約者はアルヴィレオ・ユースタス・アガリア。本当はもっと長いみたいだけど、そこまでしか覚えていない。

 重要な点は彼がこのアガリア王国の王子という点だろう。しかも、王位継承順位一位。


「やれやれだぜ」


 前世のオレは男だった。今は女だけど、野郎と結婚する気なんてない。

 結婚したら肉体的には問題なくても、精神的にはホモだ。オレはノンケなのだ。

 

「まあ、余裕だな」


 親父には悪いけど、オレにアルヴィレオと結婚する気はない。

 だけど、結婚阻止の為に動く気もない。親父の言う事に逆らっても碌な事にならないと分かっているからだ。

 

「悪役令嬢で良かったぁ」


 オレは悪役令嬢のフレデリカ・ヴァレンタイン。悪役令嬢あるあるの一つは婚約破棄される事だ。

 アルヴィレオはいつも退屈している。そんな彼をエルフランが変える。そして、フレデリカは婚約破棄されて奈落に落とされる。

 もはや様式美とさえ言える結末だ。まあ、それで終わると悪役令嬢要素の意味がなくなる。絶望の中から這い上がり、逆転してみせるから悪役令嬢は人気なのだ。

 もっとも、それは学園編が終わった後の話だ。

 要するに婚約破棄されても破滅する事はない。


「へへっ、イージーモードってヤツだね、これは」

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[一言] 悪役令嬢が悪役たる意味をこの子理解してない!?
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