第十四話『オリジン』
勇者と竜王の睨み合いは十秒間続いた。やがて、メルカトナザレが口を開く。
炎を吐く気かと異形の右手を持ち上げる。けれど、勇者が片手で制した。
『何故だ……』
声が聞こえる。耳ではなく、まるで体の内側から聞こえてくるようだ。
『貴様も……いや、貴様ならばこそ分かる筈だ。邪魔をするな、勇者よ』
「退く気は無いようだな」
勇者の姿がブレた。剣が刹那の間に何度も振られた。
無数の光の斬撃がメルカトナザレに襲い掛かる。
『勇者、貴様ッ!?』
血潮が舞い踊る。メルカトナザレは苦悶の声を上げながら吹き飛ばされていく。そして、勇者の姿が消えた。かと思えば、メルカトナザレの上空に出現して剣を振り下ろした。巨大なメルカトナザレの体は縦に大きく斬り裂かれ、悲鳴は憤怒の叫びに変わる。
メルカトナザレの口から極光が放たれた。他のドラゴンが放った炎とは比べ物にならない。まさに光線だった。光線は大気を根こそぎ削り取り、漆黒の宇宙空間を表出させた。それほどの威力の光線を受けて尚、勇者は健在だった。それどころか光線の中を突き進み、メルカトナザレに肉薄している。
その時だった。開かれた宇宙に至る道の果てから見えない力が襲い掛かって来るのを異形の右手を通じて感じた。
「ハァァァァァァァ!!!」
咄嗟に異形の右手を伸ばす。真紅の光が手の先から溢れ出し、飛び出した。
真紅の光は天高く舞い上がると一気に破裂した。超巨大な真紅の紋章が空に描かれる。そして、宇宙より飛来した冷気の爆風を受け止めた。
「お嬢様!」
「大丈夫だ、アイリーン! バレットも! オレから離れるなよ!!」
飛竜船を牽引していた飛竜の姿はない。とっくに焼き殺されたか、あるいは逃げたのかもしれない。
この船に備わる姿勢制御魔法は一定の高度で停止する魔法だ。上下に揺らぐ事のない船を飛竜が牽引する事で移動を可能にしている。
けれど、その魔法もいつ消えるか分からない。なにしろ、メルカトナザレの攻撃で屋根が吹き飛んでしまって、壁や床にも亀裂が入っている。
崩壊は時間の問題だ。だけど、この右手の力を使えば何とかなる気がする。
「……メルカトナザレ。あまり世界を壊すな」
『ならば邪魔をするな、勇者よ!!』
勇者は余裕そうだ。空中を自在に飛び回り、メルカトナザレを刻んでいく。
けれど、メルカトナザレの方も弱ったように見えない。あれだけ血を撒き散らしても動きが鈍っていない。
ゲームではメルカトナザレと戦う機会など一度もない。『エルフランの軌跡』では名前すら出て来ないし、『ザラクの冒険』では息子であるメサイアと戦ったり、協力する程度だ。メルカトナザレ自身とは短い会話がある程度で終わる。
だけど、息子のメサイアはゲーム中でも屈指の強さを誇る。体力のゲージは十回ゼロにしないと倒せない。防御力も高くて主人公のザラクや剣聖のミリガンの攻撃以外は殆ど通じない有様だ。
その親であるメルカトナザレも相応の体力と防御力を持つという事だろう。
『何故だ……。何故、貴様は我の邪魔をする!? 分かっている筈だぞ!! どちらに正義があるか、貴様も!!』
さっきからメルカトナザレは何を言っているんだろう。
まるで、オレを殺す事が正義みたいな言い方だ。だけど、アイツはどこかの国や貴族が操って……、
「……そんな訳ない」
相手が普通のドラゴンなら分かる。だけど、相手は竜王メルカトナザレだ。人間が操る事など出来ない。
前提が間違っていた。この襲撃は人の意思によるものではない。ドラゴン達の意思だ。
「な、なんで……」
今まで普通に生きて来た。つまみ食いとか、淑女にあるまじき言動とか、悪い事をして来た自覚がある。
だけど、竜王に裁かれるような罪は犯していない。
「……この手?」
異形の右手は今も天から降り注ぐ冷気や紫外線を防いでくれている。
最初は驚いたけれど、この手が無ければ死んでいた。
だけど、そもそもの原因がこの手にあるとしたら……。
「なんなんだよ、この手」
考えろ。このまま状況に流されていてはいけない。
オレの天才的頭脳なら現況を把握する事が出来る筈だ。
異形の手が発現した原因を探る。そんなもの、考えるまでも無かった。
「シャロンか!?」
「お、お嬢様?」
アイリーンの戸惑う声に応えている余裕はない。
十中八九、この手は王家の湖の小島で破壊してしまった七大魔王のシャロンの石像が関係している筈だ。それ以外に考えられない。
そして、これが魔王の力ならメルカトナザレが襲い掛かって来た理由も分かる。
竜王は魔王ではない。その逆だ。本来は世界を守る存在だ。だから、ゲームでも息子にザラクと協力するよう言い含めてくれる。
「そう言う事か……」
見えて来た。これはスキルだ。魔王ではないけれど、過去の偉大な存在の力を一時的に借り受けるスキルがゲームに登場している。
エルフランの『英雄再演』だ。彼女は七大魔王より前の時代に猛威を振るった二代目魔王ロズガルドを討伐した七英雄を演じるスキルを持っていた。
ゲームではフレデリカの力について語られていなかったがこの異形の手がそのスキルと同等のものだとしたら、ゲームでフレデリカ・ヴァレンタインがエルフランと常に拮抗する事が出来た理由にも成り得る。
言わば、『魔王再演』。
「グッ……」
「お嬢様!? どうなされたのですか!?」
左手で胸を抑えた。スキルだと認識した事でオレの中の何かが明確に変化した。
「……大丈夫。やっと理解出来た」
魔王シャロンはエルダー・ヴァンパイアだ。ヴァンパイア族にはドラキュラという別名がある。ドラキュラは竜の息子を意味している。
他の伝説やゲームでは聞いた事が無かったけれど、このゲームの世界観においてヴァンパイアは亜竜にカテゴライズされている。
亜竜とは飛竜を含め、ドラゴンでありながらドラゴンではない存在だ。
ヴァンパイアは人の形をしたドラゴン。だからこそ、この右手には鋭い爪が生えている。これはドラゴンの爪だ。
「……これは、船がッ!?」
それまで勇者と竜王の戦いを呆然と見つめていたバレットが船の異常に気がついた。
ギリギリで堪えていた飛竜船の残骸が遂に限界を迎えたのだ。
このままでは姿勢制御魔法も消えてオレ達は落ちてしまう。
「これがシャロンの力なら!」
思い出す。小島の石像には翼があった。エルダー・ヴァンパイアは通常のヴァンパイア以上にドラゴンとしての力を引き出す事が出来る。
爪だけではない。ドラゴンの翼で空を飛べる筈だ。
「頼む、シャロン! 力を貸してくれ!」
相手は魔王だ。だけど、さっきもオレの頼みを聞いてくれた。
オレだけではなく、アイリーンやバレットを守ってくれた。だから、信じる事にした。
―――― ■■■■。
背中に激痛が走る。何かが飛び出す。
「お嬢さ……、ま?」
アイリーンの目が見開かれる。だけど、気にしていられない。
「アイリーン、バレット! 飛ぶぞ!」
「……かしこまりました!」
バレットは直ぐに切り替えてオレの手を掴んでくれた。そして、戸惑っているアイリーンの腕も掴む。
同時に飛竜船が完全に崩壊した。
「か、間一髪……」
オレは空を飛んでいた。自分の意思というより、翼が勝手に飛ばせてくれている感覚だ。
恐らくはシャロンの意思なのだろう。
彼女はオレの頼みを聞いてくれた。
「ん?」
安堵していると、いつの間にか勇者と竜王の戦闘が止まっている事に気がついた。勇者はオレ達を守る位置で止まっている。そして、メルカトナザレはオレを見ている。
『……バカな、シャロンの力を支配下に置いたというのか!?』
どうやら正解だったようだ。支配下に置いたという点は勘違いだけど、正すべきではないと思った。
「御覧の通りだ」
『し、しかし……、世界を思うならば……。貴様も勇者ならば分かるだろう……?』
「メルカトナザレ。他の勇者がどう考えていたのかなど俺には分からない。俺は……」
勇者はオレを見た。その目はとても優しくて、なんだか泣きそうになった。
「俺の正義に従うのみ」
そう言って、勇者はメルカトナザレに視線を戻した。
『……勇者は変わらぬな。いつの時代も……』
メルカトナザレの声から敵意が消えた。
『お前達は優し過ぎる。その優しさ故に……、いつも要らぬ苦悩を背負う』
「先代達の話か?」
『ああ、一人残らずお人好しばかりだった。だから、勇者だけは……』
嫌いになれない。そう呟くと、メルカトナザレは全身から光を放った。すると、勇者に討伐された筈のドラゴン達が次々に戻って来た。
息子のメサイアも使っていた技だ。メサイア自体を倒さないと際限なく配下のドラゴンを復活させて来る。死者蘇生の類ではなく、瀕死の状態から完全に回復させる治癒スキルの極みだ。
どうやら、勇者はドラゴン達を殺していなかったみたいだ。
『お前を信じよう』
「感謝する」
メルカトナザレはオレ達に背中を向けた。他のドラゴン達も王に続き、彼らは彼方へ飛び去った。
戦いが終わった。メルカトナザレの光線によって抉り取られた大気もいつの間にか元に戻っている。
「……終わったんだ」
「終わっていない。まずは地上へ降りるぞ。このままでは捕まっている二人が凍死してしまう」
勇者に言われて気がついた。アイリーンとバレットの表情が虚ろになっていた。
騎士の服やメイド服には生命維持の為の魔法が込められているけれど、ここの気温は低過ぎる。
飛竜船が壊れた時から彼女達はこの冷気に晒されていた。オレが平気なのはシャロンの力のおかげだろう。
「わ、わかった!」
「少年。彼女を此方に」
「……ぁぁ」
バレットはか細い声で応えた。
「アイリーン……。バレット……」
二人が死にかけている。オレはその事に気づいてあげられなかった。
騎士達を何人も死なせてしまった挙げ句の体たらくだ。自分に嫌気がさす。
「気落ちしている暇はない」
そう言うと、勇者は指先から光を放った。メルカトナザレが最後に使ったスキルに似ている。
アイリーンとバレットの顔色が格段に良くなった。
「すごい……」
「感心している暇もない。降りるぞ」
勇者の言葉に頷き、一緒に地上へ向かって降り始めた。
相変わらず、どうやって飛んでいるのか自分でも分からない。だけど、オレの意思を翼はしっかりと反映してくれている。
雲の中は暴風と雷霆の嵐だった。バレットを守る為に持ち上げて抱き締めると右手から真紅の光が溢れ出した。その光は雲を吹き飛ばし、オレ達を包み込む球体になった。
「……そろそろ雲を抜けるぞ」
「う、うん!」
勇者の言葉通り、雲を抜けた。地上が見える。
「あそこだ。アガリアの王国騎士団を集めておいた」
「え?」
勇者が指差した方角を見る。そこに小さな影がいくつも見えた。
「生きてるの!?」
「良い鎧だ。全員気を失っているが命に別状はない。落ちて来る彼らのおかげでお前達の居所を掴む事が出来た」
視界がぼやけていく。生きている。オレの為に死んでしまった騎士達が生きている。
「生きてる……。みんなが生きてる……」
そして、オレ達はみんなが倒れている地上に降り立った。
体がやたらと重く感じるけれど気にしている暇などない。みんなの安否を確認しようと走り出すと翼のせいでよろけてしまった。すると翼が一気に引っ込んだ。すごく痛いけど、我慢する。
一人一人の呼吸を確認してみた。出発前に見た騎士達全員が無事だ。
「みんな……、良かった」
涙が止め処なく溢れる。
「……フレ、デリカ様?」
ヴォルス騎士団長が目を覚ました。
「バレット!! 騎士団長様が!!」
慌ててバレットを呼ぶ。彼は立ち尽くしていたけれど安堵の表情を浮かべて駆け寄ってくる。
「親父殿!」
「……バレットか、我々は一体?」
「勇者様です!」
オレは言った。
「勇者様が御救い下さりましたの!」
ヴォルス騎士団長は目をカッと見開いた。
「勇者様ですと!?」
慌てて起き上がるものだからよろめいた。
「だ、大丈夫ですか?」
「も、問題御座いませぬ」
そう言いつつもヴォルス騎士団長は勇者を探し求めている。その姿はまるで少年のようで微笑ましい。
「おお、勇者様!!」
ヴォルス騎士団長は勇者に感動した様子を見せている。
「わ、我らを御救い下さるとは!! 何と御礼を申し上げてよいものか!!」
「親父殿……」
バレットはその姿を微笑ましいとは思わなかったようだ。なんだか怒っている。
「アガリアの王国騎士団団長だな? 眠っている部下を起こせ」
「かしこまりました!」
使いっぱしりにされるヴォルス騎士団長。なんだか威厳がない。
微妙な気分になっていると勇者がオレの方に来た。
「俺はゼノンだ。お前の名は?」
勇者ゼノン。ゲームに登場した勇者とは名前が違う。どうやらゲームの勇者の先代らしい。
「フレデリカ・ヴァレンタインと申します。勇者様、この度はわたくし達を御救いくださり誠にありがとうございます」
「礼は不要だ。それより聞け」
空で戦っている時にも思ったけど、この勇者は喋り方が少し淡白だ。
「お前も気づいているようだが、その力はシャロンのものだ。今回はお前と二人の仲間を守ったが、お前の心が闇に染まれば魔王としての本性が目を覚ます。心を強く持て。それとコレを渡しておく」
そう言って、勇者はポケットから首飾りを取り出した。
「物自体は大した事の無い物だが俺の力が染み込んでいる。御守り程度にはなるだろう」
「……重ね重ねの御厚意に感謝申し上げます」
恭しく頭を下げると勇者は「礼は不要だ」と言った。少しは受け取って欲しい……。
オレは勇者から貰った首飾りを見た。そして、驚いた。
これはゲームに登場するアイテムの一つだ。『勇者の御守り』という名前でゲームの最終局面でフレデリカがエルフランへ渡すものだ。
―――― もはや、わたくしには不要の物です。貴女が使いなさい。
そのセリフと共に渡される。どうして彼女がそんな物を持っているのかツッコミを入れた記憶がある。
このアイテムを持っているとすべてのステータスが増幅される上に『英雄再演』のスキルが限界突破する。
まさに最終局面に相応しいアイテムだった。当時はゲーム故の御都合主義だと考えていたけれど、こういう形で手に入るとは驚きだ。
いつかエルフランに託す時が来る事だろう。
「さて、俺は行く。公爵領にはこの道を進めば辿り着ける筈だ」
それだけ言うと、呼び止める間もなく勇者は去って行った。
「……ありがとうございます、勇者様」
オレは彼が去って行った空をしばらく見つめ続けた。
◇
フレデリカは知らない。
細かな違いはあれど、ドラゴンによる襲撃までの流れはゲームのフレデリカ・ヴァレンタインと同じ流れを辿っている事に。
彼女はアルヴィレオ王子と婚約を結び、彼と絆を育んだ。そして、王家の湖の小島でシャロンの石像を破壊してしまう。その後、魔王の力を手にした彼女を滅する為にメルカトナザレが現れる。
運命の分岐路はシャロンの力を理解出来たか否かだ。本来の彼女は理解など出来なかった。暴走させ、アイリーンを死なせてしまう。それが彼女の精神を乱し、さらなる暴走を巻き起こす。
勇者は暴走するフレデリカとメルカトナザレを同時に相手取り、メルカトナザレに深手を与える結果となる。だからこそ、ザラクのシナリオでは寝床から動かない。この時の深手が彼から力の大半を削ぎ落としてしまった為だ。
フレデリカの暴走は勇者によって止められ、彼女は勇者に心酔するようになる。それが彼女の今後の人生を更に歪なものにしていく。
そして、バレットもこの場にいた。人類最強である勇者の力を目の当たりにして、自らの理想の到達点を知ってしまった。決して登れぬ頂きに手を伸ばし、彼の心は徐々に捻れていく。姉の死がそれを助長してしまう。
これはフレデリカ・ヴァレンタインにとっての始まりの物語であり、フレデリカにとっての始まりの物語だ。