第十二話『襲撃』
紆余曲折はあったものの、どうにか飛竜船は飛び立つ事が出来た。
修学旅行の時に乗った飛行機とは全く違う。まるで下から突き上げられたかのようだ。
「ひっ……」
思わずアイリーンに抱きついてしまった。
「大丈夫です、お嬢様。すぐに姿勢制御の為の魔法が起動して安定します」
冷静なアイリーンの声のおかげで少し落ち着いた。
薄目を開けてバレットを見る。心配そうな表情を浮かべているけれど、彼も取り乱していなかった。
そのままアイリーンに抱きついていると船室内が急に明るくなった。突き上げてくる感覚も無くなっている。
「……止まったの?」
「姿勢制御魔法が起動しました。後は飛竜が公爵領まで連れ行ってくれます」
そう言うと、アイリーンは窓のカーテンを開いた。
「お嬢様、よろしければ窓の外を御覧下さいませ」
言われるままに窓の外を見る。
「……わぁ」
そこには雲海が広がっていた。飛竜船は雲の上を飛んでいたのだ。
「すごい……。すごいよ! バレット、君も見て!」
オレはバレットに手を伸ばした。この絶景を独り占めになんて出来ない。
「……ははっ! すっごいな!」
バレットも窓の外の光景に圧倒されたようだ。
「おっ、親父殿だ!」
「え? どこどこ!?」
探してみる。すると、雲海から次々に飛竜が飛び出して来た。
それぞれの背中には騎士達の姿がある。
「うわぁ! すごい! かっこいい!!」
天を駆ける竜騎士達の姿にオレの興奮は最高潮だ。
「アイリーン! すごいよ! すごい!」
上昇中は怖くて仕方がなかったけれど、この光景を見れただけでチャラになる。
ヴォルス騎士団長の姿もあった。彼の飛竜は他の騎士の飛竜よりも豪華な装備が着せられている。それがまたかっこいい。
「オレも乗ってみたい!!」
「お嬢様……」
アイリーンは少し困った顔だ。
「ダメ?」
「……ひ、飛竜は気性が荒いもので」
オレは窓の外に視線を戻した。
かっこいい。オレもあんな風に飛竜に跨って空を飛んでみたい。
「じゃあ、オレが乗せてやるよ!」
バレットが言った。
「バレット?」
「今は無理だけど、飛竜を従魔にして乗せてやるよ!」
「本当!? 飛竜船じゃないよ!? 飛竜の背中だよ!」
「おう! 任せとけ!」
嬉しい。飛竜の背中に乗る姿を想像した。ワクワクしてくる。
バレットなら直ぐに飛竜を手懐けられる筈だ。そう遠い未来の話じゃない。
「楽しみ!」
◆
その後もオレの視線は竜騎士達に釘付けだった。
「……それにしても、寒くないのかな?」
飛竜船には様々な魔法が掛けられている。
姿勢制御魔法もその内の一つに過ぎない。中の温度や湿度を快適な状態に保つ魔法も掛けられている。
だけど、飛竜の背中には冷気を防ぐ装備が見当たらない。
「騎士団の鎧には色々魔法が掛かってるんだ。どんな環境でも戦えるように」
「へー」
改めて思う。魔法は便利だ。科学の力で騎士の鎧を再現しようとしたら宇宙服みたいになってしまう。
どんな環境でもと言うからには冷気だけでなく、熱気や毒気にも対応出来るのだろう。
「バレットの服にも魔法が掛かってるの?」
「おう! この服だけでも大抵の環境に適応出来るんだぜ! それに鎧程頑強ではないけど、それでもブレイダーの刃くらいなら防げるんだ」
「ブレイダーの刃を!? すごい!」
ブレイダーは刃を持った蟲だ。かなり大きい上にスピードもある。
ゲームの中だと『ザラクの冒険』のシナリオの序盤に登場する魔獣だ。最初の強敵として立ち塞がって来る。
その刃を防げるなんて、かなりの防御性能だ。
「バレットはブレイダーと戦った事あるの?」
「ははっ、さすがにまだ無いよ! そもそも近場の生息域が迷いの森だからね」
迷いの森。それは『エルフランの軌跡』のシナリオのスタート地点だ。
だけど、エルフランのシナリオではブレイダーとエンカウントしない。
なにしろ、迷いの森は途轍もなく広い樹海なのだ。そして、エルフランが森を出るまでの行動範囲は獣王と呼ばれる魔獣の支配領域であり、他の魔獣は存在しない。
「迷いの森と言えば獣王の支配領域だよね?」
「うん。中央部分だけだけどね。ただ、獣王の気まぐれで支配領域が変動する場合もあるから迂闊に立ち入れないんだ」
ちなみに獣王は魔王ではない。魔王は魔族を束ねる王を指す言葉だからだ。
迷いの森に根を張る獣王・ヴァイクは魔獣の頂点に君臨する存在だ。
魔獣を束ねている訳ではなく、一番強い魔獣という意味で獣王と呼ばれている。
似たような例で炎王とか、霊王とか、竜王なんて存在もいる。
「獣王は穏やかな性格だって聞いたけど?」
「穏やかでも魔獣だからね。人の尺度で測れる存在じゃないんだ。何が獣王の逆鱗に触れるか分からない。そして、触れればすべてが無に帰してしまうんだ」
獣王はエルフランのシナリオにも登場する。しかも、最序盤にだ。
エルフランが目を覚ました時、最初に遭遇する存在が獣王なのだ。
オレがプレイした限りだと理由が明かされないままだったけれど、獣王はエルフランにやけに懐いていた。
シナリオのラストスパートではエルフランの窮地を救う場面もある。
だから、プレイヤーとしては心強い仲間という印象なのだ。
「興味があるの?」
「うん! だって、獣王って名前がカッコいいもん!」
「そりゃいいや! たしかに、獣王って名前はカッコいいよな!」
そんな風に話していると時間があっという間に過ぎていった。
雲の上にいるから現在地がよく分からない。
「……今って、どの辺りかな?」
ひょっとすると既に公爵領まで目と鼻の先かもしれない。
「少々お待ち下さい」
バレットと話している間、ずっと無言だったアイリーンがようやく喋ってくれた。
実はちょっと居心地が悪かった。もしかしたら出発前のやり取りがまだ尾を引いているのかも知れない。
アイリーンは手荷物から地図を取り出して呪文を唱えた。
「ゼロス アルト」
すると地図上に光が浮かび上がった。
「今はビーレフェルト男爵領の上空ですね。あと二時間程で公爵領の領空に入るかと思われます」
ようやく半分を過ぎた辺りらしい。意外と時間が掛かるけど、よく考えたら飛行機を基準にしていた。
この船はジェットエンジンではなく、飛竜に牽引してもらって動いている。速度に差があって当たり前だ。
「そろそろお茶の用意を――――」
その時だった。急に飛竜船が揺れた。
「おわっ!?」
「お嬢様!」
「クッ!」
姿勢制御魔法で安定していた筈なのにいきなり揺れたものだからびっくりした。
「な、何事なの!?」
「あれは……、なんだ?」
バレットが窓の外を見ている。つられて視線を向けると彼方に何か影が見える。
「なにあれ……?」
「……ドラゴンだ」
「え? 飛竜?」
「違います、フレデリカ様。ワイバーンではなく、ドラゴンです」
バレットが騎士モードに入った。顔が険しくなっていく。
「ドラゴンって……」
徐々に影が近づいてくる。そして、バレットの言葉の意味が分かった。
近づいてくるのはプテラノドンそっくりな飛竜じゃない。正真正銘の竜種だ。
「なっ……」
アイリーンが絶句している。
「で、でも、ドラゴンの生息域ってイルイヤ大陸だろ!?」
飛竜を含めて、ドラゴンは基本的に生息域であるイルイヤ大陸の竜王山脈にしか居ない筈だ。
騎士団の飛竜もそこで従魔の契約を結び、連れて来たに過ぎない。
それにアガリア王国と竜王山脈を直線上で結んだとしても、間にはレストイルカ公国やクラバトール連合国がある。
領空にドラゴンが現れれば撃退する為に動く筈だ。
「……もしかして、誰かの従魔?」
だとしたら目的は単純明快だ。
「バレット! 騎士団であのドラゴンの群れは倒せるか!?」
オレの言葉にバレットは口を噤んだ。即答出来なかったようだ。今も思考を巡らせている様子が傍目にも良く分かる。
必死に考えなければ勝機が浮かばない程に絶望的という事だ。
「アイリーン! 扉を開けてくれ!」
「何を仰られているのですか!?」
アイリーンが恐怖の表情を浮かべた。聡く、オレの事を誰よりもよく知ってくれている彼女は一発でオレの考えを看破したようだ。
「勝てない相手に特攻しても無駄死にだ! 一人で済むならその方がいい!」
「じょ、冗談ではありません!!」
「ふ、二人共何の話を……待て、一人で済むならって……」
バレットにも気づかれたようだ。愕然とした後、鬼のような形相を浮かべた。
「フレデリカ様! 貴女様の命は我ら全員の命よりもずっと重いのですよ!?」
「状況が状況だ! 全員死ぬか、一人が死ぬかだ! オレが飛び降りればドラゴンも追ってくる筈だ! その間にアイリーン達はこの場から逃げ」
最後まで言い切る事が出来なかった。
アイリーンに抱き締められたからだ。
「……お嬢様が死ぬなら、わたくしも死にます」
「ア、アイリーン! 気持ちは嬉しいけど、みんなが無駄死にする事になるんだぞ!?」
「フレデリカ様!」
バレットが叫んだ。
「……騎士は主の盾となる者。主を盾とする者など、我らの中には一人として居りません!!」
「だからって、死なせられるわけないだろ!!」
飛竜船の扉は魔法でロックされている。
力づくでは絶対に開かないし、オレは解錠の魔法を使えない。
なんとかしてアイリーンを説得しないと全滅だ。
「アイリーン!! 命令です!! 今すぐ扉を開きなさい!!」
「イヤです!!」
アイリーンが叫んだ。
彼女の瞳には涙が溢れていた。
「お嬢様を失うくらいならばわたくしは……」
アイリーンの涙に動揺していると、遂にドラゴンが襲い掛かって来た。
「だ、ダメだ!!」
窓の外に向かって叫ぶ。
騎士達が次々にドラゴンへ向かっていくからだ。だけど、ドラゴンは一匹一匹が飛竜の何倍も大きい。
勝てるわけがない。このままでは本当に全滅してしまう。
「アイリーン、お願いだ!! みんなが死んじゃう!!」
「イヤです!!」
「アイリーン!!」
叫んだ瞬間、船室の壁が赤く輝いた。
振り返るとドラゴンが炎を吐き出していた。
炎に飲み込まれた騎士達が落ちていく。
「あっ……」
この高度から落ちて無事に済む筈がない。
死んだ。死なせてしまった。
オレなんかの為に血の誓約書を結ぼうとしてくれた騎士達の命が失われていく。
「アイリーン!! お願いだよ!! 早くしないとまた!!」
その言葉と共に第二波が来た。今度は複数のドラゴンが火を吐いた。
そして、騎士達はオレが乗っている船の盾になった。
「やめろ!! やめてくれ!! やめろおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
飛竜が焼け死に、振り落とされた騎士が窓の外に激突して、落ちていく。
オレが飛び降りていれば失われなかった筈の命が一瞬で消えていく……。
「開けて……、開けてよ!!! こんなのヤダ!!! 開けてよ……、開けろよ!!!!」
その瞬間、声が聞こえた。何を言っているのか分からなかったけれど、それは確かに声だった。
―――― ■■■■。
急に腕が動いた。そして、窓のロックが解除された。
「……え?」
伸ばした手には鋭い爪が生えていた。そして、腕に真紅の雷霆が迸っている。
左手を見てみた。けれど、そちらに異常はない。
ただ、右手だけが異形と化していた。
「な、なんだ、これ……」
「お嬢様!!」
「フレデリカ様!!」
アイリーンとバレットがオレを守る為に動いた。
ドラゴンが開いた扉の向こうで口を開いたからだ。口内に紅蓮の炎が灯る。
「これ以上……」
怒りが際限なく湧いてくる。
とにかく、目の前のドラゴンが憎くて仕方がない。
「これ以上、殺すんじゃねぇ!!!!」
叫んだ瞬間、右手から真紅の光が溢れ出した。光はアイリーンやバレットをすり抜け、飛竜船の壁をすり抜け、ドラゴンが吐き出した炎を阻む壁となった。
「……結界魔法?」
バレットが呆然と呟く。
「これはお嬢様が……?」
アイリーンも戸惑っている。
「……オレの?」
オレにもわけがわからない。真紅の壁はドラゴンを押し戻していく。
「すげぇ……」
バレットは呟いた。
「なんで……」
オレは怒りで頭がおかしくなりそうだった。
「なんで、もっと早く出来なかったんだよ……」
原理なんて分からない。だけど、こんな事が出来るならもっと早く出来て欲しかった。
騎士達は死んでしまった。死んだ命は戻らない。この世界に死者蘇生の魔法なんて存在しない。
「落ち着いて下さい、お嬢様!」
「こんな事出来るなら……、なんで……、みんなが死ぬ前に……」
腹が立つ。心底腹が立つ。まるで、みんなの死で力を得たみたいだ。
「……巫山戯るな」
腸が煮えたぎる。今すぐに自分を絞め殺してしまいたい。
だけど、ここにはアイリーンとバレットがいる。
この二人だけは死んでも守らなければいけない。
「だから、お前達は」
異形と化した右手をドラゴン達に向けて広げる。
この力の正体なんてどうでもいい。使った後に死が待っていたとしても構わない。
二人を守れるなら、どんな代償を支払う事になっても構わない。
「死ね」
開いた手を握り締める。それでドラゴン達を押し潰す事が出来る。
その筈だった……。
「なっ!?」
握ろうとした手が途中で止まった。
何か、恐ろしい存在が迫ってくる。よく分からない感覚がそう告げている。そのせいで体が凍りついてしまった。
そして、ソレは現れた。
「……なんだよ、おまえ」
それはドラゴンだった。だけど、他のドラゴンとは明らかに違う。
眩く輝くその身はまるで黄金で形作られたかのようだ。
その真紅の瞳はまっすぐにオレを貫いている。
「あぁ……」
勝てない。この異形の右手の力を使っても絶対に勝てない。
よく分からない感覚がそう告げている。
黄金の竜が迫ってくる。巨大で鋭い爪を振り上げる。船が大きく軋みを上げた。
耐えた。王宮が設えた飛竜船は黄金の竜の一撃に耐えてみせた。
けれど、それで限界だった。ドラゴン達の羽ばたきによる暴風によって屋根が吹き飛ばされてしまった。
もう、オレ達を守るものはない。
「アイリーンとバレットだけは……」
この手が何なのか分からないままだけど、それでも願う。
「お願いだから……、この二人を守る力をオレにくれ!!」
再び赤い光が溢れ出した。オレ達を守るように壁を築いている。
その壁に向かって黄金の竜が炎を吐き出した。
「お嬢様!!」
「フレデリカ様!!」
アイリーンとバレットの声以外なにも聞こえない。何も見えない。それでもオレは生きている。生きている限りは守り続ける。
そして、その声を聞いた。
「……よく頑張ったな」
「え?」
光が瞬く。そして、ドラゴン達が引き裂かれていく。
「なにが……」
困惑していると傍に知らない人が立っていた。
「……勇者様」
アイリーンの言葉に息を呑んだ。
勇者。それは魔王の対となる存在。人間の臨界を超えた者。
「メルカトナザレ」
勇者は言った。
それは竜王と呼ばれる存在の名前だった。
「退くなら善し。退かぬなら……」
光を帯びた刀身が黄金の竜へ向けられる。
「斬る」
◇
これはフレデリカが知らない物語……。
何故、フレデリカ・ヴァレンタインは悪役令嬢となったのか?
何故、フレデリカ・ヴァレンタインは主人公が強くなればなるほど無限に強くなっていくのか?
それをゲームだからと気にしていなかった。そういう設定なのだと考えていた。
しかし、それは違う。
物語には必ず始まりと終わりがあるように、フレデリカ・ヴァレンタインがそういう存在となる切っ掛けも存在していた。
これはエルフラン・ウィオルネという名の主人公の視点では語られなかった物語。