第十話『婚約発表式』
目を覚ますとミレーユが迎えに来てくれた。アルの部屋で寝ていたオレに何も言わない。実にクールな女性だ。
彼女と一緒に自室へ戻る。この部屋は次期王妃の為の部屋だ。今の王妃様も使っていた部屋らしい。魔法によるロックが掛かっていて、次期王妃の許しがなければ王様でさえ立ち入る事が出来ない。
どうやら、数代前の王様は大層な好色王だったそうで、次期王妃を手篭めにしてしまった事があるそうだ。その為に厳重なロックが施されたらしい。王様だからと言って、何でもかんでも許されるわけではないという事だ。
部屋に入ると、ミレーユに身支度を整えてもらった。
「本日の御朝食は此方に運ばせて頂きます」
「はい、お願い致します」
いつもは王様達と一緒に食べているのだけど、今日は朝食後に謁見の間で婚約発表の為のちょっとした式を行う予定だ。その後は直ぐに迎えの者と共に自領へ向けて出発する。
本当はもう少しゆっくりと過ごしたいのだけど、帰りは馬車を使わない。飛竜船という乗り物を使う。名前の通り、飛竜が牽引する船だ。
飛竜船の利点はとにかく早い事だ。何しろ空を飛べるから、馬車でたっぷり三日掛かった道のりも半日あれば辿り着ける。
ただ、夜の飛行は危険を伴う為、日中に辿り着けるよう昼前に出発しなければならないのだ。
「ミレーユ。一週間、ありがとうございました」
「……勿体なき御言葉で御座います、フレデリカ様」
身支度を整え終わるとミレーユは部屋を出て行った。
「この部屋ともしばらくお別れか……」
少ししんみりした。
◆
ミレーユが運んで来てくれた朝食を食べ終えると、オレはもう一度ミレーユに髪や化粧を整えてもらった。
準備を終えて謁見の間へ向かう。
最初に来た時は空腹と緊張で酷い事になった。だけど、王様や王妃様とは食事の度に顔を合わせていたから緊張も前程ではない。体調も万全だ。
ミレーユと共に謁見の間の前に辿り着いた。
「では、フレデリカ様」
ミレーユは後ろに退がった。
そして、謁見の扉が一人でに動き出す。
「ヴァレンタイン公爵家の御令嬢、フレデリカ・ルーテシア・アン・ウィンコット・ヴァレンタイン様の御入場です!!」
バカでかい声の紹介を受けた。そして、直後に喝采の嵐が巻き起こった。
事前に知らされていたのだけど、それでも圧倒されそうになる。
広大である筈の謁見の間が狭く感じる程の大観衆。彼らは一人一人が貴族の長だ。
けれど、尻込みなどしていられない。オレは公爵令嬢だ。毅然とした態度を取らなければ公爵家の名に泥を塗る事になる。それに、婚約者であるアルの顔にも。
赤絨毯の上を進んでいく。なんだか、すごく長い道のりに感じられる。視線に心が抉られる。
思ったよりもキツい。
「……フレデリカ!!」
王様の傍に控えていたアルがオレの名前を呼びながら近づいてくる。
段取りと違う。だけど、戸惑ってはいけない。イレギュラーをイレギュラーと思われてはいけない。
アルが手を伸ばしてくる。オレはその手を取った。すると、途端に心が落ち着いた。
一人では耐え難かった視線の圧力も二人でなら耐えられる。
「……ありがとう」
小さな声で礼を言う。喝采は終わらず、そのおかげで声はアルにしか届かない。
二人で王様の前に向かう。そして、跪く。
「フレデリカ・ルーテシア・アン・ウィンコット・ヴァレンタイン!!」
いつもは優しく声を掛けてくれる王様の覇気に押し潰されそうになる。
これが本当の王様の姿なのだと悟った。
「アルヴィレオ・ユースタス・ジル・オルティアス・ベルトルーガ・アガリア!!」
大丈夫だ。隣にはアルがいる。オレは一人じゃない。
「今ここに! お前達二人の婚約を認める!! 皆の者!!! 喝采せよ!!!!」
まるで、爆撃を受けているかのようだ。拍手と歓声の声が全身を押し潰してくる。
息の仕方が分からない。意識が飛びそうに……、
「フリッカ」
聞こえない筈の声が聞こえた。
耳はとっくに麻痺している筈なのにアルの声が届いた。
そして、手を握られた。
「アル」
自分が情けない。仮にも高校生の男だった癖に十歳の子よりも意気地が無いなんて。
だけど、繋いでもらった手からアルの体温が流れ込んできた。凍りついていた体に血潮が巡り、心に勇気が湧いてくる。
オレ達は一緒に立ち上がった。
すると、歓声もピタリと止まった。100から0へ一気にボリュームが落とされ、耳がキーンとなる。
けれど、ここからはオレ達のステージだ。
「有難き幸せに御座います、陛下。わたくし、フレデリカ・ルーテシア・アン・ウィンコット・ヴァレンタインは王国の繁栄と王家の栄華の為、この身、この心、この魂のすべてをアルヴィレオ・ユースタス・ジル・オルティアス・ベルトルーガ・アガリア皇太子に捧げる事を御誓い申し上げます」
誓いの言葉と共にアルへ向けて跪く。
「わたし、アルヴィレオ・ユースタス・ジル・オルティアス・ベルトルーガ・アガリアも誓おう。フレデリカ・ルーテシア・アン・ウィンコット・ヴァレンタインを将来の妻と認め、共に手を携え、共に歩み、我が国の為に身命を尽くすと!」
三度、アルが手を伸ばしてくる。その手を取り、立ち上がる。
後は観衆に向けて二人で手を伸ばすだけだ。
「え?」
それなのに、アルは伸ばす筈の手をオレの顎に持って来た。
困惑していると、アルの顔が近づいてくる。
そして、唇と唇が重なる。ファーストキスは兄貴に奪われ、セカンドキスはアルに奪われた。
「さあ、観衆に手を」
頭が真っ白になっていたけれど、なんとかアルの言う通りに観衆へ手を伸ばせた。
だけど、どうしても言わせて貰いたい。
―――― 段取りと違ぇ!!
みんな、あんまり気にしている様子はない。王様も咎めなかった辺り、この場面でのキスはアリなのかもしれない。
それにしたって、いきなり過ぎる。アルを睨むとウインクが帰って来た。悪戯成功っていう感じだ。時と場合を考えろと説教したい所だ。
だけど、アルとはこれで暫しの別れとなる。仕方がない。今日の所は大目に見よう。
ちょっとずつ不安そうな表情に変わっていく彼に微笑みかけた。安堵の表情を浮かべる彼を怒る気にはなれない。
「……ふぅ」
観衆が謁見の間を出て行った後、オレは思わず息を吐いてしまった。
いけない。まだ、緊張を解いてはいけない。
「二人共、見事だったぞ」
さっきまでの覇気が嘘のように王様は優しく微笑んだ。
「でも、アル! あなた、フリッカちゃんに説明無くキスをしたでしょう! 前例はありますが、するなら相手にキチンと話しておかなければ驚いてしまうでしょう! 彼女にとっても今回の婚約発表は大切なものなのですよ!」
逆に王妃様は激おこぷんぷん丸だ。
正直、凄く怖い。
「も、申し訳ありません。ただ、フリッカがボクのものである事を皆に教えておきたいと……つい、衝動的に」
アルも王妃様の前では形無しだ。すっかり縮こまってしまっている。
「わたくしに謝ってどうするのですか! 謝るべき相手もわからないのですか!?」
「は、はい! あの……、フリッカ。すまなかった……」
「い、いえ! たしかに、ちょっと驚きましたけど……」
正直、事前に相談されていても困ったと思う。
ただ、あれで何か粗相をしていたら大変な事になっていた。
「……アル、次は先に言ってくださいね」
「はい……」
ションボリしてしまったアルにオレと王様は苦笑した。
王妃様はまだ御立腹の様子だ。オレが帰った後も説教がありそうで、ちょっと可哀想だ。
「アル」
オレは俯いているアルに声を掛けた。
「わたくしは既にあなたのものです。他の誰のものにもなりませんわ。だから、安心して下さい」
君が婚約破棄するまではずっと。
「……フリッカ。もう一度、キスしてもいいかい?」
「へ? あっ、えっと……、どうぞ」
やれやれ、アルは思ったよりもキス魔のようだ。
男相手のキスなんて、正直微妙だ。だけど、婚約者である王子の求めに応じないわけにはいかない。あまつさえ、ここには王様と王妃様がいるのだから。
「アル! だから、もう少しフリッカちゃんの事を考えなさい! わたくし達や観衆の前で見せびらかすようにキスするなんて、彼女の心を傷つけかねない暴力的な行為ですよ!」
「そ、そんなつもりは!?」
しまった。オレがチラッと王様達に視線を向けてしまったせいだ。
このままだとアルがますます可哀想な事になってしまう。
仕方がない。オレも男だ。覚悟を決める。
「アル!」
アルの頬に手を当てて此方を向かせる。そして、オレの方からキスをした。
「おやおや」
「まあ!」
一応、性教育の授業で舌の使い方は習ったけれど、今やる事ではない。
触れ合う程度のキスで終わらせてアルから顔を離す。
「申し訳御座いません、王妃様。わたくしもしたかったのです」
そう言うと、王妃様は吹き出した。彼女は優しくて聡明であると同時にとてもユーモラスな女性でもある。
オレの気持ちをちゃんと汲んでくれた。
「分かったわ、フリッカちゃん。両思いなら仕方が無いわね。お説教は挨拶中のキスだけにしておきます」
「感謝致します」
さて、そろそろ別れの時間だ。
オレはアルと向き合った。彼は真っ赤だった。
「自分からキスしようとしたのに!?」
思わず素で突っ込んでしまった。
慌てて口を手で抑えると、王様達は肩を震わせていた。
「……アルヴィレオ殿下。どうかお元気で」
アルは途端に悲しげな表情を浮かべた。
オレが寂しいと感じているように、彼も寂しいと感じてくれている。
それはとても嬉しい事だった。
「フレデリカ嬢……。君もどうかお元気で」
アルと見つめ合った後、最後に王様と王妃様に頭を下げた。
こうして、婚約者との親睦を深める為の一週間の滞在期間は幕を閉じた。
アルとミレーユと共に王宮の外へ向かう。自領に戻ったら、いよいよ社交界デビューの為の教育も始まる。
忙しくなりそうだ。
「お嬢様、お迎えにあがりました」
王宮の外ではアイリーンが待ってくれていた。親父は王都に残る事になっているからオレは彼女と飛竜船に乗る。
正直、それを聞いた時はホッとした。親父と一緒だと息が詰まる。それに、アイリーンには話したい事が山程ある。
「アル、またね」
ここにはアイリーンとミレーユしかいない。
ミレーユなら黙認してくれそうだ。だから、最後にお嬢様モードを解いた。
「うん。また……」
アルの目尻に涙が浮かんでいる。オレの視界も少しぼやけている。最後に思いっきりアルを抱き締めた。
そして、アイリーンと共に飛竜船へ向かう馬車に乗り込んだ。
「アルヴィレオ殿下は素敵な殿方なのですね」
「……うん」
アイリーンはそっとオレを抱きしめてくれた。
久しぶりの彼女の上腕二頭筋は相変わらずモリモリで安心感が凄かった。