タイムリミット
祥次郎が発した言葉に、秋音はワインを眺める手を止め、祥次郎の方を振り向いた。
「今、何て言ったの、マスター?」
「だから、このワインの本物を見分ける術が、そのままアズレージョの件にもあてはまる、というのが俺の見立てなんだけど」
「ええ?あの2枚のアズレージョ、トイレにあった方がニセモノだというけど、私には一見してどこが違うのか、さっぱりわからないわよ。あえて言えば、作品の色合いの濃淡ぐらいかな?」
「今、俺の知り合いのバーテンダーや、ファドのお店のマスターに確認してもらってるよ。とりあえず、その報告待ちなのだが・・・自分の推理通りならいいんだがな」
「推理通りって?」
「俺も美術関係は素人だから、正直あまり自信はないんだけど‥アズレージョは、ポルトガルの民衆生活に強く根付いた芸術だから、著名な作家以外にも、一般民衆で隠れた名手がいることも考えられる。そういう連中は、著名な作家の作品も、あっさり真似して作り上げてしまう可能性があるから、すぐ見分けは付きにくい。けど、著名な作家自身が描いた本物って、展覧会以外ではおそらく簡単に国外に出ていくことはほとんどないと思う。あったとしても、相当な高額で、簡単に手に入るものではないし」
その時、入り口のドアがギギギと大きな音を上げて開いた。
「ショウちゃん。こんばんは」
宇都宮がにこやかな顔で、中に入ってきた。
「どうした?二人とも浮かない顔してるなあ。そんな暗い顔してちゃ、客も逃げちまうぞ」
「だって手がかりが何もないんだもん。理香さんの無罪を証明できるものが、何も出てこないんだもん」
「ハハハ、簡単には出てこないでしょうな。あ、そうそう我々は一応、池沢理香さんの逮捕について、明日の夜までをタイムリミットにするつもりですからね。証拠が何一つ出てこないってことでね」
「ええ!じゃあ、理香さん、逮捕されちゃうの?」
「そういうことだな。残念だけど」
秋音は、宇都宮のそっけない返事を聞いて、がっくりと肩を落とした。
宇都宮は、その姿を見て、ニヤッと笑ってタバコに火をつけた。
「ショウちゃん、今日は非番だから、一杯ひっかけて帰るわ。俺のスコッチのボトルで、ソーダ割り作ってよ」
「はいはい、そーだね」
「ん?何か言ったかい?」
「いや、何でも」
宇都宮は、目の前に出されたスコッチのソーダ割りのグラスを片手で揺らし、不敵な笑みを浮かべると、祥次郎の顔を斜め横から睨みつけながら、語りだした。
「今日は前祝だな。明日は池沢さんだけでなく、ここにいるお二人も御用になるってわけだからね。こんなに笑いが止まらない瞬間はなかなか味わえないからね」
理香はその言葉を聞き、握りしめた拳が震えだした。
何も言い返せない自分がもどかしかった。けど、宇都宮を唸らせるだけの証拠が全く提示できない。
「宇都宮さん、もし我々が証拠を出せたらどうしますか?その時は、あなたを名誉棄損で訴えればいいのかな?」
「め、名誉棄損?ガハハハ、笑わせてくれるねえ。俺を誰だと思ってる?仮に池沢さんが無実だとしても、無罪放免で釈放されるだけだ。それでおしまいだよ。いちいちこんなことで訴える訴えられるを繰り返してたら、俺たちの仕事なんて何もできなくなっちまうよ」
「仕方ありませんね。じゃあ、その時は、罰ゲームでもやってもらいましょうか、ね?」
「罰ゲーム?」
「何をやってもらうかは、お楽しみってことで」
祥次郎は、宇都宮が飲み干したグラスに、新しいソーダ割りを作ると、口を真横に開き、歯を見せながらニコッと不敵に笑い、グラスをテーブルに置いた。
「何?罰ゲーム?ほほお、面白いねえ。治安を守るため日々戦っている我々刑事に、一体何をさせるつもりなのか、今から楽しみだね。ま、その前にお二人とも留置場に入っていただくことになるかもしれないけど、ね」
「その言葉、倍にして返してやるから!」
秋音は、こらえていた怒りがとうとう抑えきれなくなり、拳を握りしめ、唸るような声で言い返した。
「ほほう、今、そんなこと言っちゃっていいのかな?秋音ちゃん。明日、今言った言葉を後悔しても、俺は知らないし、助けないからね」
そういうと、宇都宮はグラスのソーダ割りを一気に喉に流し込むと、立ち上がり、大きなゲップを1つ出すと、振り向きざまに片手を振ると、出口へと歩いていった。
「もう、二度とこの店に来ないでよ!」
秋音は、ドアに向かって金切り声で叫んだ。
「秋音ちゃん、良いんだよ。あの人は昔っからああいう感じだから。まあ、俺が探偵をやってることが、警察という立場の人間としては厄介なんだろうけどね」
「だ、だからと言って、何を言っても私たちが黙ってて良いわけじゃないでしょ?」
「でも、ここで喧嘩しても仕方ないよ。俺たちは、理香さんが釈放されるよう、しっかり証拠を出していかなくちゃ。そして、大人しく罰ゲームをやってもらわなきゃ、ね」
そう言うと、祥次郎はウインクし、秋音に口元を近づけ、ゴニョゴニョと耳打ちした。
「え、ええ~!ギャハハハ、面白そう!楽しみだね。これは、何が何でも、この事件を私たちの手で解決しないとね!」
秋音は張り詰め、怒りに満ちた表情から、突然、顔面をくしゃくしゃにして笑い始め、ついにはテーブルの上で顔を突っ伏して、拳でテーブルを叩きながら、声を出して大笑いしていた。




