あの手この手
秋音は、カクテルバー「メロス」に戻り、重いドアをギギギ・・・と音を立てて開けると、薄明かりの中、マスターの祥次郎がカウンターの上に頭を突っ伏して寝込んでいた。
テキーラの空き瓶が何本か転げ落ちている所を見ると、おそらく祥次郎が1人で飲んだのであろうか。
案の定、祥次郎は上半身裸になり、黒い胸毛をさらけだしながら深い眠りについていた。
「ちょっとマスター!起きてよ!」
秋音は、呆れかえりながらも祥次郎の背中をゆすった。
「ふにゃ~・・・オレ様は、絶望と悲しみに満ち溢れたこの世界のチャンピオンなんだ~・・・乱暴なまねをする奴は許さん!」
「ふにゃ~じゃないっての。一大事なんだっての!さ、その毛むくじゃらの汚い裸を曝さないで、着替えてきて!理香さんを守らなくちゃいけないんだから!」
「汚い?この世界のチャンピオンに向かってその言い草はなんだ!」
「チャンピオンでもチャンポンでもいいから、早く着替えてきてよ!」
そう言うと、秋音は床に脱ぎ捨ててあったワイシャツとネクタイを 祥次郎の顔に投げつけた。
「このままじゃ理香さんが、無実の罪で逮捕されちゃう。彼女を守れるのは私たちしかいないわよ。今は一刻を争うんだから!さ、早く準備して」
「逮捕・・・?理香さん、宇都宮さんに見つかっちゃったのかい?」
秋音は、祥次郎から電話を受け、理香を自宅に匿ったことや、理香から聞かされた「ウエストサイドホテル」の実情をすべて話した。
「話は分かりました。社長さんは、エクセレントグループ代表の息子さんだったのか。」
「エクセレントグループだから、政財界とのつながりも深いよね?仮に今回の黒幕が社長だったら、相当手強い相手だよね。」
「う~ん・・・・・・何とも言えないけど、面倒くさい相手であることは確かだな。」
しばらく考え込んだ後、祥次郎はスマートフォンを取り出し、電話をかけ始めた。
「あ、もしもし、岡崎ですが・・・小野田さんいますかね?ちょっと話があるんで、今から伺ってもいいか、訊いてもらえますか?」
祥次郎は、しばらくスマートフォン片手に話し込むと、やがて通話を止め、秋音の方を振り返った。
「秋音ちゃん、これから俺は、昔のバーテン仲間の所に行ってくる。君は、ウエストサイドホテルに行って、理香さんのアリバイを確認してきてくれ」
「アリバイ?彼女は、ずっと控室でモニターチェックしていたんじゃ?」
「いや、もう一度調べてほしい。特にチェックしたモニターの内容をね。それと、俺たちは昨日、トイレでニセモノのアズレージョを見つけたわけだけど、いつ誰がそれを置いたのかも、モニターで確認してきてほしい」
こうして、祥次郎と秋音は分かれて調査に向かった。
祥次郎が向かったのは、エクセレントグループが経営する『エクセリアスホテル浜松町』であった。
このホテルに入居しているカクテルバー『フロイデ』のマスター、小野田千博は、祥次郎がバーテンダーを目指していた時、銀座にあるバーでともに修業した仲間であった。
15階建てのホテルの2階ラウンジに、『フロイデ』の名前を見つけた。
ドアを開けると、軽快なモダンジャズが流れ、薄暗い店内には乳白色のシャンデリアが灯り、その下で何人かの外国人旅行客がグラス片手に会話を楽しんでいた。
カウンターの中には、やや細身のスーツに身を包んだ、白髪の男性がシェイクを振っていた。
「小野田くん、久しぶり。岡崎だよ、祥次郎だよ」
「ああ!祥次郎君、久しぶりだなあ。どうしたんだ、今日は?」
白髪の男性は、バーのマスターである小野田であった。
シェイクを振る時の表情は、真剣そのものだったが、祥次郎の顔を見ると、シェイクを置き、穏やかな笑顔を浮かべた。
「今も、『メロス』は続いてるのか?一時は赤字続きで、閉めるかもしれないなんて話も聞いてたけど」
「ああ、優秀なアシスタントが入ったんでね。彼女がしっかり店の財布の管理をしてくれてて、大分赤字も減ってきたんだ」
「ああ、関口さんって言ったっけ?まだ若いんだよね?」
「まあな。俺とは正反対の性格でね。性格はしっかりしてるけど、キツイ所もあるんで、しょっちゅう怒られてるんだ」
「アハハハ、そりゃ大変だ」
祥次郎は椅子に腰かけると、葉巻を取り出し、火を灯した。
「ところでさ、小野田君。このホテルの社長のことだけど」
祥次郎は、ウエストサイドホテル新宿で起きた、アズレージョの盗難事件について、訥々といきさつを語った。
「へえ、うちの社長の息子が、社長をやってるんだね。まあ、ちょっと変わり者だって聞いたことはあるよ」
「社長とか会社関係の人達は、この店に来るのかい?」
「社長は来ないけど、重役の人達はたまに、ね。お酒が入ると色々話していくから、会社の話も話題に出ることがあるよ」
小野田は、ポケットからタバコを取り出すと、火を灯し、少しずつ吸いながら、会社内部での話について切り出した。
「社長の息子の丈明さんは、元々そんなにホテル業に興味があったわけじゃなく、社長も最初、丈明さんに継がせるつもりはなかったみたい。美大出て、ヨーロッパにデザインの勉強に行ってたから、重役の間でも、弟の裕恒さんが継ぐんじゃないかって噂が出ていた。けど、裕恒さんが去年、病死してから状況が一変した。跡を継げる人が親族では丈明さんだけになったからね。ちょうどその頃かな?ウエストサイドホテルから経営譲渡されたのって。社長はこれを契機に、跡継ぎの修行先としてウエストサイドに行かせた‥って話だったかな」
祥次郎は、葉巻を口にくわえたまま、微動だにせず小野田の話を聞き入った。
「その丈明さん、美術品を世界中から集めて、ホテル中あちこちに展示していてね。その中の一つが、盗まれたみたいなんだ」
「ふーん。どんな美術品?写真か何か、残ってるかい?」
小野田は興味深そうに、盗まれたアズレージョの話を聞きたがっていたので、祥次郎は、自分のスマートフォンの写真アルバムを開き、アズレージョの写真を探そうとした。
「あれ、写真が、無い、無い!無いよ~!!あ、確か、これで事件が解決したと思って、写真を撮るのを忘れちゃったんだ!ちくしょ~!俺の馬鹿野郎!!」
祥次郎は、頭を何度も拳で叩いて喚き散らした。
すると、周囲の客が、何事かと思って、カウンターに目を向けた。
「あ・・・・・・ご、ごめんちゃい。つい取り乱しちゃって。うちのアシスタントが、写真を撮ってるかもしれないから、聞いてみるね」
祥次郎は周囲の視線に気づくと、正気に戻り、頭をかいて、スマートフォンから秋音に電話をかけた。
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その頃、秋音は、ウエストサイドホテル新宿で、警備カメラの過去の記録をチェックしていた。
先日と同じく、支配人の重田と、アシスタントの坂口が立ち合い、一緒に映像を調べてくれた。
「・・・池沢さんの当番の日も、その前後の日も、モニターに何も映っていないですね。」
「じゃあ、池沢さんが犯行に及んだという証拠は、ここからはつかみ取れないですね。あ、そうそう、昨日私たちがトイレでニセモノを見つけた時の映像記録にも、不審な人物が写っていませんでしたか?」
「トイレですか?トイレには警備カメラを付けていないので」
「そうかあ。じゃあ確認しようがないですね」
秋音がガッカリしていたその時、スマートフォンの着信音がけたたましく鳴り響いた。
「もしもし!あ、所長ですか?え?写真?アズレージョの?はい、ありますが・・・・・・昨日見たニセモノのやつですけど。え?それでいいって?じゃあ、送信しますね。」
そう言うと、秋音はスマートフォンのアルバムから、昨日撮影したアズレージョの写真を見つけ、送信しようとした。
その時、重田がニコッと笑って、手元にあったファイルを秋音に見せてくれた。
そこには、館内に展示されている美術品の数々が、1つ1つ写真に収まっていた。
「支配人さん、これって・・・・・・」
「館内で保管している美術品の写真一覧です。社長の命令で、きちんと写真を撮って、確認作業の時に使っています」
そこには、控室に飾られたアズレージョの写真も残されていた。
秋音はじっと目を凝らして写真を見つめ、手元のスマートフォンに写っているニセモノのアズレージョと比較したが、見た限り、昨日見つけたニセモノとの違いは、ほとんど分からなかった。
「これ、どこが違うのか、まったくわからないわ」
「そうですよね。我々ですら、違いが判りませんでしたし」
その時、秋音は、作品の色合いや線の太さ、そしてわずかに書かれた日付などの文字の濃淡の違いに気づいた。
「ああ・・・・・・確かに、ほんのわずかではあるけど、違いがあるかな」
秋音はスマートフォンに、写真に写っていたアズレージョを撮影し、昨日撮ったニセモノの写真と共に、祥次郎へ送信した。
秋音は、理香のアリバイを確かめようとホテル内を色々捜査したが、結局手掛かりになりそうなものは出てこなかった。
だが、一つだけどうしても気になることがあった。
理香に対しひどいいじめを繰り返しているはずの重田が、にこやかに捜査に応じ、警備カメラの映像も、本物のアズレージョの写真も惜しげもなく見せてくれることに、どことなく違和感を感じた。
普通、何かしらやましいと思うことがあれば、あれこれと隠蔽を図ろうとするし、時には妨害を加えることがあるはずである。
それが、ここまでの所一切ない。むしろ、捜査に対し協力的である。
これが重田の本心からなのか、それとも笑顔の裏に隠された「何か」があるのか‥闇に包まれたままである。




