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蜚蠊と器

作者: Hans

 これも今となっては昔の話である。

 東の地に御器山という小さな山があった。麓には森で囲まれた小さな農村があって、農作物を育てたり織物や編み物を作ってそれを近くの町で売り生計を立てていたそうだ。

 中でもこの村で作られる御器、すなわちお椀はひときわ人気だった。この器は外側は漆塗りのような黒が花びらを接ぎ合わせたかのように塗られているのだが、漆とは比べ物にならないほどに艶やかで周りの景色を全て映し出すような深みを持っている。内側もまた赤黒く塗られているのだが、それがなんとも朱色の鏡のようで美しい。そして底を見やると楕円の金色の玉が描かれていた。

 当然、このような代物の名が広まらない訳も無く、また名が広まってもそれが良いように伝わるとは限らないもので、この器は蜚蠊で出来ているとか、朱色に人の血を使っているとか黒い噂が後を立たなかった。それでも各地の蒐集家や商人などが、この器の奇怪な魅力に囚われてそれを手に入れようとこの地にやってくる。

 だから森に囲まれた村もやっていけたし町もこの村のおかげで栄えていたから、この村が影でなにをしているのかなんてわざわざ詮索はしなかった。


 秋も暮れの頃、一人の男が村のはずれで立ち尽くしていた。

「いやぁ・・・参ったなぁ、これでは次の春までに故郷に帰るのは難しいかもなぁ・・・」

 男は困り果てていた。男は例の器の話を聞きつけ一攫千金の夢を見て西の遠方からはるばるやってきた馬鹿な田舎者である。だが本来器が売っているはずの町に行き着くはずが道に迷いこの村に着いたのだ。しかし奇妙なことに彼が行き着いた場所は器の生産地だったのだ。

 そんなことなど知る由も無い田舎者は村人を探して歩き出した。

 はずれからしばらく歩くと民家らしきものが姿を見せて、やがて遊んでいる子供たちの声が聞こえてきた。民家に近づくとかごめかごめと遊ぶ子供とそばで薪を割っている大柄な男が居た。

「もし、そこの人!」

呼びかけると大柄な男は顔を上げて驚くほど大きな声で答えた。

「旅人さんかぁ!?いやぁこんなへんぴなとこになんのようだい!」

男は薪割り斧をその場に置くと、長らく会っていない友に偶然会ったかのような顔でずんずんと歩み寄ってきた。男は七尺はあろうかという巨躯であり、歩くだけでも地響きしそうな印象はこの田舎者を萎縮させるにはじゅうぶんだった。

「い、いやぁこの近くの宿場町があるってぇきいたんですがねぇ・・・」

田舎者の返答は怯えがちで不安が態度に出ていたのかそれに気づいた男は声を少し落とした。

「ああこの山の反対側だなぁ・・・おまえさんそこになんか用かい?」

「いやまぁ、欲しい物がそこにあるって聞きまして、西国の田舎からやってきたんですよ」

 田舎者はこの時少し考えた。今ここで正直に答えれば自分がある程度金を持っていることが相手に知られてしまう。そうしたら下手すると追い剥ぎされるかも分からない、と。

「元気な童たちだなぁ」

話題を変えると男は「村の子供たちだよ」と答えた。

「いつも昼間はあずかってるんだ。大人たちのそばだと仕事のじゃまになったりするからね。」

「へぇ・・・」

「まぁ立ち話もなんだし、あがってったらどうだい?」

「はぁ・・・じゃあ、まぁお言葉に甘えてちっとだけ休ませてもらいます」

 実はこの時男はすでに相手が欲しているものを察していた。男からすればここらで有名な特産品は器しか無いのに、わざわざはぐらかすように答えた田舎者の言動がどうにもひっかかっていた。ゆえに男はこの田舎者の本当の目的を探ろうとしたのだ。

 「そういやあんたわざわざ西国からなにを買いに来たんだい?大概のものはこんなとこまで来ずとも手に入るだろうに」

囲炉裏をはさんで男が聞く。

「実は・・・病気のおかんが居ましてね。そのおかんが若いときにおとんと旅をしたそうな。それでその宿場町に泊まったときにおとんがかんざしを買ってあげたそうでして。それをおかんは肌身離さず持っていたわけなんですが、おとんが二年前に死んじまって・・・それから間もないころに巾着にいれて持ち歩いてたかんざしもすられちまったんですよ。以来おかんは体を悪くして・・・。だから同じ町で買った同じかんざしを持っていけばおかんもよくなるんでねぇかなと思ったんですよ。」

 嘘である。この田舎物には病気の母などいないし、もちろんかんざしなどはなから存在しないものなのだ。男は目の前の田舎者が平然と嘘をついた事に気づいてますます警戒心を強めた。

「へぇ・・・そいつぁ親孝行なことだ・・・ああ、でも今日はここに泊まっていったほうがいい」

男が言うと、田舎者はあわてて断った。

「いやぁそれは遠慮しときますよ。山の裏なら今から歩いて行っても日が暮れる前には宿場町に着くだろうし、なにより急いでてね。次の春までにはなんとか故郷へ帰らなくちゃいけねぇ」

「ところがどっこい、こっから山の裏まで行くには遠回りをしなくちゃいけねぇんだ。それにこの近くには熊も出るしな。悪いことは言わん、無事に故郷に帰りたいなら今日は泊まっていくことだ」

 嘘である。この近くに熊などいないしわざわざ遠回りする意味もない。田舎者は目の前の男が平然と嘘をついた事に気づいてますます警戒心を強めた。

 だがこの男の口調は脅しのようだった。見た目も声も相まって田舎者は相手の言うことを聞かざるを得なかった。


 話し終えるとこの村にとっての異邦人は子供たちにやいやいと囲まれた。どうやらこの村に旅人が来るのは珍しいようで、子供たちの目線は珍獣を見るような好奇のものだった。

 民家の前で子供たちと遊んでいたが、日も暮れるころになると彼らは家に帰っていった。昼のころは子供たちの遊び声で賑わっていたが、もう辺りはすっかり暗く静かになっていた。

 田舎者はどうにも不安を抑えられなかった。男は田舎者に食事と寝床を約束したが、当然そんなものは田舎者からすれば信用できるはずが無いのである。食事に毒が盛られてないか、寝床が安全かどうかが神経質なほど気になった。

 日は完全に落ちて、いよいよ寝るかという時刻になった。田舎者は寝床のすぐそばに自分の荷物を置いて寝ることにした。場所は男にお願いしてわざわざ離れの蔵を貸してもらった。蔵は思ったより広く月明かり差し込んでいた。

「ほんとにここでいいのかい?」

男は心配そうにたずねた。

「ええ、ええ、ここで結構ですよ!もう、ご飯もタダで頂いて雨風しのげる場所までもらおうってんですからこれ以上あんたに迷惑かけられねぇや」

田舎者がきさくな態度で返事をすると、男はじゃあと引き下がって自分の寝場所に向かった。

 寝床の安全を確認するためにろうそくを灯すとひんやりした蔵に若干の温かみが感じられるようになった気がした。

 辺りを見渡すと蔵というよりは汚い作業小屋のような印象を受ける室内だった。奥に行くと作業机があった。蔵の隅には蜘蛛の巣が張り巡らされており、地面に蜚蠊がはびこっている。

 だが、田舎者の目に映ったのは蜘蛛の巣でも蜚蠊でもなかった。

 視線の先には黒い器があった。

 彼はあわててろうそくを置いてまさしく蜚蠊の如く這いよった。

 作業机の横にさかさまになって置いてある。外側には艶のある黒が蓮の花びらのような重ねて塗ってあった。恐る恐るひっくり返して内側も見るとやはり艶のある黒塗りがとても綺麗で底の中心には黄金の玉がはめ込まれている。

 その美しさは田舎者の想像を絶していた。黒い器には田舎者自身の顔が映りこんでいた。

 田舎者は間が差した。辺りを見回し誰もいないことを確認すると、それがさも自分のものであるかのようにすっと器を自分の荷物に紛れ込ませた。

 そうして満足した蜚蠊は床にはいって眠ってしまった。

 

 どうにも寝苦しい。首筋に何かが張り付いているようないやな感覚がに目が覚める。そんな不穏な気配を感じ取った田舎者はこっそりと寝床から這い出た。あたりは暗闇につつまれていて目を慣らすのに時間がかかった。空気は秋の宵とは思えないじっとりとした重いものだった。

 器が入った荷物を持って蔵の扉をゆっくりと開ける。外は一切風が吹いておらず、虫の鳴き声も木の葉が揺れる音も一切聞こえなかった。いやな空気の中で一寸先は闇である。月明りも無い中、頼み綱であるろうそくもいつの間にか燃え尽きていて、頼りに出来る明かりなどなかった。

 蔵の中から這い出てきた田舎者は周りを注意深く観察した。全てが暗闇に隠れている中、田舎者はやがてゆっくりと足元を探りながら前へと進み始めた。

 田舎者は不安だった。音も途絶えた闇の中で足元だけを見て歩みを進めていた。幸いなことに足元には獣道が見えていた。

 じっとりとした空気にじっとりと冷や汗をかいて足を運んでいた。周りをどれだけ見渡しても一寸先は闇のままである。

 しばらくすると田舎者は妙なことに気がついた。どうも足元の道が動いてるように見えるのだ。それは道というより雨が降ったときに出来る小さな水の流れにも似ていた。

 田舎者が良く見るためにかがもうとしたその瞬間周囲が薄明かりに包まれた。顔を上げると月が雲の隙間から田舎者に明かりを投げかけていた。

 これ幸いと足を速めると田舎者の視界の端にきらりと光るものがあった。とっさに身構えてその方向を注視すると、そこには黒い器が落ちていた。蜚蠊は駆け寄って少しの間考えた。荷物を確認するとさっきの器はしっかりと納まっている。

 そしてそれを確認すると、その器の隣に器を納めた。そして顔を上げるとその先にもまた同じように器が落ちている。その先にも、またその先にもまるで道しるべのように器が一定間隔で落ちていた。

 蜚蠊はしめしめと何も考えずにそれを次々と拾っては荷の中に入れた。等間隔で落ちている器の怪しさを疑うことすらせずに。

 5,6個拾ったころに田舎者は奇妙なことに気がついた。

 器の近くにも流れる水のようなものが見えたのだ。今度こそ彼は目を凝らし近寄ってよく見てみる。

 蜚蠊であった。蜚蠊の大群が皆同じ方向に列をつくり黒いてかてかとした川を成していた。

「ひぃやあああぁぁぁ!!」

田舎者はのけぞって逃げ出した。


 やがて田舎者はひとつの小屋の前に行き着いた。

 彼は息を切らして扉の前に倒れこむようにもたれかかった。じっとりとした冷や汗をかいていた。走ってきた彼は休むために小屋に入ろうとした。

 扉を開こうとした彼は、とっさに手を引っ込めた。

 扉が薄く開いていて、中から薄明かりが少し漏れている。そしてその隙間から蜚蠊が入っていっている。先ほど川を構成していた蜚蠊がどうやらここまで来ているらしい。先ほどは恐怖を覚えた田舎者であったがなぜだか好奇心に駆られた。

 蜚蠊はゆっくりと戸に近づき、他の蜚蠊に紛れるように隙間から中を盗み見た。

 一人の大柄な男が座って手先を動かしていた。ろうそくは一本だけ灯っているらしく、影がただでさえ大きな体をさらに大きく映し出していた。手先をもぞもぞ動かす大きな影は田舎者にはまるで鬼が人の頭をひねっているようにもみえただろう。田舎者は目を見張った。

 男の手元には蜚蠊と器があった。男は足元に来た虫をむんずとつかみ、そいつの黒塗りの羽を二枚とももぎった。羽をもぐと次に胴を潰して一枚の皿の上に広げた。その一連の動作を5,6回繰り返すと今度ははけで皿に広げたのり状のものを木の器に塗り一枚づつ羽を張っていった。そうして羽を張り続けていくとまるで黒い艶のある花びらを張ったようであった。内側も同じようにして張っていくとやがて男はふところから金色の何かを取り出した。それは足のようなものが6本、長い眉が2本ありてかりをもっていた。

 そしてそれを器の中心のくぼみにはめ込むと例の黒塗りの器が出来た。

 田舎者はその様子をじいっと見つめていた。やがて恐怖と陶酔の入り混じった感情でその光景に心を奪われていた蜚蠊はうっかり姿勢を崩して扉に手をつき物音を立ててしまった。

 男がばっと振り向く。それは田舎者に飯と寝床を提供した彼の男だった。

 両者はしばらくみつめあった。長い間時が止まったようだった。

 やがて田舎者は逃げ出した。大柄な男はその姿をじいっと見つめていた。最後に大柄な男の目に映っていたのは田舎者の首筋に張り付いた大きな蜚蠊であった。

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