9 ツヴァイの困惑
それは、一瞬の出来事だった。
俺達は観劇の後、劇場の吹き抜けの広いロビーを出入り口へ向かって歩いていた。
シェイラ嬢はエスコートする俺の腕を興奮したように握り、舞台のセットや俳優達の演技について楽しそうに話していた。
表情筋があまり動かないシェイラ嬢の口角が僅かに弧を描き、頬を染める姿は凄く可愛かった。暢気に見惚れてしまった。
この時、開演前のシェイラ嬢からの励ましの言葉もあり、俺は馬鹿みたいに浮かれていたんだ。
いつもの癖で当然のように自分を卑下してしまった。
そんなカッコ悪い俺に、シェイラ嬢は優しく素敵だと言ってくれた。奇跡だ。
俺以外にシェイラ嬢をエスコートできる奴などいないと。(父親であるヘイゼルミア侯爵を除く)
貴族の社交にありがちなお世辞や媚びではなく、今日初めてまともに会話をした俺を見て判断した言葉だった。
王太子殿下の近衛の仕事柄すり寄ってくる者は多いので、その辺りの人の上辺や嘘は見抜ける自信がある。
シェイラ嬢のあれは本気で言っていた。
何故そんなに評価が高いのかはわからないが、俺でも頑張ればシェイラ嬢の隣に立つことができるかもしれないと、少し、ほんの少し期待してしまう。
馬車に乗った時の絶望が嘘のようだ。
完全に浮かれていた。惚れ直すしかない。
だから、直ぐに反応ができなかった。
そんなの言い訳にならない。
ヘイゼルミア侯爵に全てのものからシェイラ嬢を守ると宣言したのに。
本当に、一瞬だった。
劇場に着いた時から、嫉妬を孕んだ目でシェイラ嬢を睨む令嬢方はいたが、帽子を被って尚滲み出るシェイラ嬢の神々しいまでの美しさを妬んだものだと思い気にしてなかった。
開演前にロビーを通った時も、幕間の休憩時間でも、俺やシェイラ嬢に声をかけてくるものはいなかった。
シェイラ嬢は社交が苦手で知り合いが少ないと言っていたし、すれ違った俺の知り合いも俺が珍しく令嬢と連れ立っている姿を見て驚いた顔をした後は軽く手を上げて挨拶するに留めて去って行った。後日面白がって弄られるのだろう。
誰にもシェイラ嬢との時間を邪魔されることなく劇が終わり、俺の警戒心は薄れていた。
その時を狙っていたかのように、人混みに紛れて近づいてきた令嬢がいた。
劇が終わったばかりの興奮冷めやらぬ人々。
楽しそうなシェイラ嬢の可愛らしさと、劇場の退場ゲート前の混雑に気を取られていた時。
一人の令嬢が俺のいる反対側からシェイラ嬢にぶつかってきたのだ。
最初は偶然かと思った。それくらい混雑していた。
左腕はシェイラ嬢のエスコートに差し出していたので、よろめくシェイラ嬢を支える為に折れそうなほど細い腰へ咄嗟に右手をのばした。そのせいで両手が塞がり、シェイラ嬢を引き寄せるしかできなかった。
ぶつかってきた令嬢は、わざとらしく振り返りながら扇を持った手を払い、扇の先端がシェイラ嬢の帽子の鍔を押し上げた。
俺が引き寄せていなかったら、シェイラ嬢の顔を引っ掻けていたかもしれない。
明らかにわざとだ。
帽子に隠されたシェイラ嬢の顔を傷付ける気だったに違いない。
振り返った令嬢の目は失敗したことに怒り、嫉妬に眩み、暗くギラついていた。
視線で射殺さんばかりにシェイラ嬢を睨みつけていた。
ぱさり、と
シェイラ嬢の被っていた帽子が押し上げられた拍子に後ろへずれた。
サイドに流されていたアッシュブロンド髪が俺の鼻先を掠め、素晴らしく良い香りが漂う。
俺が庇うように引き寄せたシェイラ嬢から帽子が外れたのだ。
その美しい顔をまともに目にした令嬢は目を驚愕に見開き、顔を真っ白にした。
嫉妬から白百合の化身のようなシェイラ嬢を傷付けようとしたのだ。
自分が仕出かしたことをやっと自覚したのだろう。
俺はこれ以上シェイラ嬢に令嬢が手を出せないよう、細い腰をさらに引き寄せ距離を取ろうと――――
「っぃ、いやあぁぁあーーーーーー!!!!!!」
混雑のざわめきを切り裂くような悲鳴。
「え?」
シェイラ嬢の顔を見た令嬢から鳴り響く甲高い声に呆気にとられた。
いや、うん。何で?
シェイラ嬢の美しさに驚き、自分が仕出かしたことにショックを受けるのはわかる。
けど、この悲鳴や恐怖に青ざめたような表情はおかしい。
もっと違う、何か。まるで・・・
「――――ば、化け物がっ」
そう。化け物を見たような表情だ。
「げほっ、うぷっ、」
「ひぃっ!?」
あれだけ混雑していた退場ゲートに、ぽっかりと穴が空いた。
甲高く耳障りな悲鳴。
逃げ惑う足音に、真っ青、白、赤と様々な顔色で倒れる影。
踞り口元を押さえて醜態を晒すもとから漂う悪臭。
俺とシェイラ嬢の周りから人々が消えた。
正確には、現在進行形で逃げるように距離をとられている。
え?本当に何事?
腕から振動が伝わり、ハッとして視線を落とす。
「シェイラ嬢?」
事態が飲み込めず困惑する俺の腕の中で、シェイラ嬢が顔を両手で覆い震えていた。
「・・・ごめんな、さい、ごめっ、なさい、ツヴァイ副隊ちょ、さま」
震えながら嗚咽を堪えるような謝罪が聞こえた。
何故被害者であるシェイラ嬢が謝っているのか。しかも俺に。
え~っと?本当に何事ですかね、シェイラ嬢?
混沌と化した退場ゲートの混雑の中、俺は冷静になるために一度目を瞑る。
3秒にもみたない間に俺の頭に浮かんだのは、
・・・シェイラ嬢を泣かせた俺はヘイゼルミア侯爵に殺されるかもしれない。今後、シェイラ嬢に会えなくなるのは嫌だなぁ。
という自分勝手なものだった。




