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1 ツヴァイの一目惚れ

 

 彼女を見た瞬間、頭から爪先まで雷が身体を駆け抜けるような衝撃と痺れを感じた。


 次に衝撃に心の臓が鼓動を止め、呼吸を忘れた。



 彼女の濡れた榛色の瞳がゆっくりと俺を映す。



 その、しっとりと憂いを帯びた悲しげな色、白い頬を伝う澄んだ雫が宝石のように美しい。

 彼女と目があった瞬間、俺の止まっていた鼓動が激しく脈打ち始めた。

 鼓膜にまで響く音が彼女に聞こえてしまうのではないかと顔が熱く、全身が痺れたように動かず、頭からみっともなく汗が伝う。



 ―――俺は、一目で恋に落ちてしまった。







「ツヴァイ!お前、正気か!?」


 王宮内兵舎近く。

 訓練後の兵士達の往来にも関わらず、驚愕の表情で友人が叫んだ。

 周りの兵士達が何事かとチラチラ此方を窺いながら通りすぎて行く。


「わかっている。俺と彼女では釣り合わないと言うんだろ?」


「わかっているなら、何故あのヘイゼルミア侯爵令嬢と結婚したいなどと言い出して婚約を申し込んだ!?ツヴァイは自分がマカダミック伯爵家次男で第1部隊近衛騎士の副隊長だと言うことを忘れたのか!?」


 友人の言うことは最もだ。

 己れの分を弁えろと言いたいのだろう。


 俺が懸想している相手は、国内有力の裕福な法衣貴族ヘイゼルミア侯爵家唯一のお子であるシェイラ嬢だ。

 領地を持たない法衣貴族とはいえイノンド王国に古くから続く家柄で、現当主であるヘイゼルミア侯爵は財務大臣を勤めている。血筋、財力、権力が揃った侯爵家とコネを繋ぎたい貴族はうようよいるだろう。


 そんな侯爵家の唯一の令嬢。


 当然、彼女の相手は侯爵家に相応しい優秀な婿でなければ結婚など許されないだろう。


 対して俺は同じ法衣貴族とは言え、何とか騎士として士官し食い繋いでいる並みの伯爵家。しかも次男。

 嫡男である兄に何かなければ実家を継ぐ可能性はないスペア。しかも下に弟達もいるからどうしても必要なスペアではない。


 俺はさっさと独り立ちすべく剣の腕を研き、早い内から軍の士官学校に通い入隊した。

 そのお陰で軍の中でもエリートと言われている第1部隊近衛の副隊長に最年少で就任できたのだが、忙し過ぎて女性と知り合う機会も暇も心のゆとりもなかった。


 そんな訳でいつまでも先の決まらぬ俺が有力貴族である筆頭侯爵家に婿入りできるのならば、両親や兄弟達からは大歓迎だろう。できるのならば、だが。


 問題はマカダミック伯爵家よりヘイゼルミア侯爵家の方が家格が上で釣り合っていないこと。

 さらに俺が近衛という王族専属騎士として勤めていることだ。

 しかも副隊長と責任ある職務の為にすぐに辞めることができないし、俺とて誇りを持って国や王家に剣を捧げているのでできれば辞めたくない。

 故に侯爵家への婿入り条件としてすぐ辞めろと言われたら素直に頷けないかもしれない。


 そして、最も釣り合わないのは俺の騎士らしく武骨な外見だろう。


 世間一般で御令嬢からモテる細身でスラッと背の高い貴公子にはほど遠い。

 俺の背はそこそこ高い方だが如何せん体躯がゴツい。

 騎士だから当たり前なのだが、護衛勤務でよく側にいる王太子殿下が細身の美形だからどうしても比べてしまう。

 しかも、人気の高い王族や高位貴族に多い金髪や明るい髪色には似ても似つかぬ真っ黒な髪。


 ・・・駄目だ。良いところがない。


 シェイラ嬢はたおやかで美しい白百合のような姫君だ。

 抜けるように白く滑らかな肌にほっそりとした肢体。憂いを帯びた榛色の瞳。

 すっきりとした気品溢れる顔立ちを縁取るアッシュブロンドの髪は透明感があり美しかった。


 そんな彼女の瞳に俺はどのように映っただろうか。


「忘れてなんかないさ。みそっかす次男坊で武骨な俺と違って彼女は完璧すぎる。だが、婚約を申し込んでみなければわからないだろ?」


「は?・・・ちょっと待て、何を言っている?あのヘイゼルミア侯爵令嬢と面識があった上で本気で言っているのか?」


 友人がぽかんと呆けた顔をしながら首を傾げてきた。


 欠片も可能性がないと言いたいのだろうか。

 まぁ、確かに出逢ったばかり・・・しかも一度だけ、目があったあの時に少し言葉を交わしただけの相手だ。


 忘れ去られているどころか、認識されていない可能性もある。


「ああ、本気だ。もしかしたら、彼女は男の外見に拘らず好みが少々変わっていて、ヘイゼルミア侯爵が騎士勤めを好意的にとらえてくれるかもしれない。俺は近衛の仕事で夜会には中々出席できないから彼女に近付くチャンスが少ないんだ。婚約の申し込みを機に仲良くなれるかもしれないだろ?」


 あの時、シェイラ嬢は王城の中庭のひとつで隠れるように泣いていた。

 俺は彼女の瞳から溢れる涙を拭い、憂いを晴らし慰めたかった。

 しかし、許可なく触れたら幻の如く消えてしまいそうな儚さだった。


 彼女の隣に寄り添う資格が欲しい。


 そう思ったが、実際彼女の前では緊張から上手く動けないという何とも情けない結果に。我ながら情けない。


 あの時の俺はガチガチに緊張して顔を火照らせ、喉がカラカラで息も荒く、みっともないほど汗を流しながらシェイラ嬢を食い入るように見てしまった。


 ・・・正直気持ち悪いと思われなかったか心配だ。


 客観的に見ても、興奮した野獣と涙を流す美女の図。ヤバい。控えめに表現しても印象が良いはずがない。

 いや、俺が泣かせた訳ではないし、泣き顔に興奮した訳ではないが。


 ただシェイラ嬢の美しさに見惚れてしまっただけなんだ!


 いや、言い訳はよくないな。

 気持ち悪いと思われるぐらいなら忘れ去られているか認識されていない方がマシだ。


 きっとシェイラ嬢ほどの美しい令嬢なら様々な男が日々アプローチしているだろうし、俺のことなどちょっと変な騎士ぐらいの認識から忘れ去られた可能性が高い。うん、そうに違いない。

 俺にとっては奇跡の出逢いだったが仕方あるまい。俺の記憶に永久に保存しておけば良いだけだ。


 ひとりで勝手に頷いていたら、友人が信じられないものを見る目で俺を見てきた。


「そ、そんなにストレスが溜まっているのか?暴挙に出るほど結婚に焦っているか、自棄になっているのか?お前が結婚を望むなら、もっとお前に相応しく可愛らしい令嬢が喜んで嫁に来てくれるぞ?」


「ふんっ、無謀と言いたいんだろ?俺は別にストレスが過度に溜まっている訳でも、結婚に焦っていたり、自棄になっている訳でもない。ただ、シェイラ嬢が欲しいから結婚したいだけだ。彼女に俺は相応しいとは言えないが、だからと言って他の令嬢などいらん。彼女が手に入らないなら一生結婚しないで終わるかもな。まぁ幸いにも俺は次男だから子供がいなくとも困らんぞ」


「ヘイゼルミア侯爵令嬢が欲しい?一生って・・・ツヴァイ、誰かとヘイゼルミア侯爵令嬢を間違えていないか?」


「間違える訳がない。彼女がそう名乗ったし、馬車まで送る際に家紋も確認もした」


 そう、あの一目惚れの衝撃を何とか抑え込み、シェイラ嬢に話しかけたのだ。

 泣いていたところを俺に見られて恥ずかしそうな姿が可愛らしくてまた興奮し・・・ではなく、美しいシェイラ嬢が不埒な輩に絡まれるのを防ぐべく、紳士的に馬車まで送ったのだ。


 内心ドキドキなのに俺はかなり頑張った!


「では、ヘイゼルミア侯爵位目当てか?婿に入れば裕福な侯爵様になれるからな」


「馬鹿にするな!彼女が妻になるなら爵位などいらんぞ!爵位などない方が競争相手が減り、俺を選んでもらえる確率が上がるからな。むしろ、なくなれと思っている」


 本当にな。

 ただでさえ美しい彼女を欲しい男が山の如くいるだろうに、爵位まで付いたら男が群がるのは必至だ。

 俺など即行で弾かれてしまうではないか。


 突然、友人が俺の顔の前で掌をひらひらと振ってきた。

 勘にさわったので叩き落としてやったら、静かに首を左右に振られた。何なんだ。


「・・・やはり正気を失ったか。もう一度ヘイゼルミア侯爵令嬢の顔をじっくり思い出して考えろ。彼女に愛を囁き、キスできるかを」

 

「き、キ、キス!?彼女に―――」


 想像しただけで顔から火が出そうだ。

 彼女を見るだけで呼吸が止まるのにキスなどできるだろうか。

 それ以前に、興奮した俺の顔が気持ち悪いと拒否されそうだ。


 くそっ、想像するだけでかなりのショックだ。


 苦虫を噛み潰したような顔になった俺に友人がホッとしたように息を吐いた。


「そらみろ。無理だろう?しかも、婿に入れば後継ぎをつくる為に抱かなければならないのだからな」


「だっ!?――――――くっ、駄目だ。幸せ過ぎて死ぬ」


 ヤバい。これは想像してはいけない気がする。

 シェイラ嬢への耐性がないまま考えたら、幸せを掴む前に頭が爆発して死ぬに違いない。


 はっ!まさか、実はこいつもシェイラ嬢を狙っているから、ライバルを減らす為に俺を殺す気か!?赦すまじ!


「はぁ!?いやいや、そうじゃなくて!ヘイゼルミア侯爵令嬢だぞ?人間じゃないだろ!?あれと閨に入れるのか!?」


「ああ、彼女は白百合の化身に違いないからな。美し過ぎて俺ごときが身の程知らずで烏滸がましいが、俺の身体は欲望に忠実だ。って卑猥な事を言わせるな!・・・まさか、これを彼女にバラして俺の縁談を潰す気か!?」


「阿呆か!?そんなわけないだろ!マカダミック、俺はお前の心配をしているんだよ!」


「俺の何を心配する必要がある」


 今になって、何かが噛み合っていない気がしてきた。


 この友人は何を言っているのだろう。

 俺がシェイラ嬢に相応しくない話だよな?

 別に婚約を申し込んで身の程知らずと言われようと構わないというのに、何故こうもしつこく確認されているのだろう。


 何かがおかしい。


 友人が真剣に俺の目を見て口を開く。


「なぁ、ツヴァイにヘイゼルミア侯爵令嬢がどう見えてるのか知らないが、俺や世間には、そのだな、―――――き、気味の悪い化け物にしか見えないんだ!ヘイゼルミア侯爵家の化け物令嬢って言えば有名だぞ!!」



 うん。どうやら、俺の友人の頭がおかしくなったらしい。




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