父の手紙
マルタの店に顔を出し、一通りの歓迎を受けた後、二人は街外れの丘の上にあるミレイユの家へと帰ってきた。こじんまりとした家には立派な温室が併設されており、ここにも色とりどりの花や草木が所狭しと並んでいた。
「荷物、運んでくれてありがとう。色々歩き回って疲れたでしょう?」
「これくらい大したことないよ。俺の方こそ、街を案内してもらった上に宿まで提供してもらって……。なんてお礼を言っていいか」
アスティは抱えた荷物を机の上に置いて、ミレイユに再度礼を言う。
「気にしないで、私は一人暮らしだから部屋はたくさん余ってるのよ。気なんて使わず、ゆっくりくつろいでね」
「ありがとう。何かお礼が出来ればいいんだけど、実は俺、金もそんなに持って無くて……」
「ふふふ、そんなの気にしなくていいってば。……あ、そうだ! 明日、花を届に行くのを手伝ってくれない?」
「俺が出来るのは力仕事くらいしか無いけど、それでよければ喜んで手伝わせてもらうよ」
「よかった! とても助かるわ! それじゃあ、私は夕飯の支度をするから、アスティは準備が出来るまで部屋でのんびりしててね」
ミレイユに案内された部屋はとても綺麗に片付けられていて、まるで民宿のようだった。窓際に置かれた植木もしっかり手入れが行き届いている。
アスティは部屋の壁一面設けられた本棚に目をやった。その一冊を手に取りパラパラと開いてみる。
「難しすぎて読めないな……」
あまり文字に自信のないアスティは本を読むのを諦め元の位置へと本を戻した。
他に何もやることがないので、部屋の中を色々と見て回っていると、机の横に備え付けられた棚が目に入った。黒塗りのその棚は、何故かきれいに掃除された部屋の中で不自然に埃をかぶっていた。
「掃除し忘れたのかな?」
何となく中に何か入っているのか気になり、扉に手をかける。
棚に鍵はかかっておらず、扉は難なく開いた。中は薬品棚になっていて、様々な種類の薬が並べられていた。その中の一つに透明の液体の入った瓶があった。その瓶の中には花や草木が入っていて、まるで水中花のように美しかった。
「これは…」
もっとよく見ようと瓶に手をのばす。
瓶に詰められた花のなかに、別のものが入っている気がした。
それは、とても白く、しなやかで……まるで、人の指のような…――
「アスティ、ご飯できたよ」
部屋の外でミレイユの呼ぶ声がした。
「あ、うん、ありがとう。すぐ行くよ」
アスティは瓶の中身を確かめるのを諦めそっと扉を閉めた。
「ごめんね、大したもの作れなくて……」
「そんな事ない! ……すごいご馳走だ、これは!」
食卓に並べられた食事にアスティは感動の声を上げた。アスティが村を出てからまともな物を口にしたのはこれが初めてだった。
「ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ。あ、サイハさんにもらったパンもあるからたくさん食べてね」
野菜やハーブなどを使った料理が並ぶ食卓は確かに派手さはないが、それでも暖かいスープやパンはアスティにとって最高の食事だった。
「あ、これは毒消しのハーブ?」
「え? アスティ、それが何かわかるの?」
サラダに盛られたハーブをフォークですくい上げ、ミレイユに問いかけた。
「いや、さっきちょうど部屋で見た本に挿絵があったから、似てるなって思って」
「そうなのね、でもちょっと違うかな。それは症状を和らげる効果があるだけで、毒消しにはならなの。主に食用のハーブね」
「へー、さすがだな。あの部屋の本は全部君のもの?」
「……ううん。あれは全て父の物よ」
「お父さん? じゃあ、あの部屋は……」
「元々父の書斎だったんだけど、今はもう使う人がいないから、客間として使っているの。……と言ってもお客さんなんて来たことないから、アスティが初めてなんだけどね」
「そうだったんだ」
(じゃあ、あの瓶の中身は…)
ミレイユの口ぶりからしても、彼女に両親がいない事はなんとなくわかったので、さっき部屋で見た瓶の事が気になったが、あまり踏み込んでもいけないだろうと思い、アスティは黙っておくことにした。
「この家に一人で住んで、どのくらい?」
「そうねぇ、10年くらいかしら?」
「10年……」
「母は私が6歳の時に亡くなったの……。小さかったからもうあまり覚えてはいないんだけど……。その後、父はずっとあの部屋にこもりっきりになって、花の研究に没頭していたわ」
そう語るミレイユの瞳には思い出を懐かんでいる様子はなく、ただ淡々とした表情で目の前の食事を見つめていた。
「でもある日突然、行くところがあると言って出て行ったきり帰ってこなくなったの」
「え? それじゃあ、まだどこかで生きて……」
ミレイユはゆっくりと頭をふった。
「しばらくしてから、父から手紙が届いたの。手紙には、"必要なものは揃えた、後は頼む"って……。ただそれだけ」
「必要なもの?」
「私にも意味が分からなくて……。それから、しばらくして、父は魔物に襲われて死んだって王都からの知らせが届いたわ」
「………」
ミレイユは一息ついて、パンを頬張った。アスティも彼女にかける言葉が見つからず、同じようにパンを口にした。
「昔からそうなの。私には父の考えてる事がちっとも理解できなくて……。母さんが死んだ時だって、あの花だって、なんで……」
「あの花?」
「あ……。ご、ごめんなさい。父とはあまりいい思い出がなくて……。こんな話を会ったばかりのあなたにするなんて。ちょっと疲れてるのかも。今日は早めに寝ようかな」
その後、ミレイユはいつも通りの明るさを取り戻し、二人は他愛もない話に花を咲かせた。
食事を終えたアスティは部屋に戻り、しばらくベットに横になって考え事をしていたが、久々のベッドはとても暖かく柔らかで、すぐに深い眠りへと落ちて行った。