名探偵と秘密のパズル(其ノ伍)
「約束は切ることで決まったんだ。彼には気の毒だが死んで貰おう。」
その一言が重い鉛となってシーナを襲う。どうしようもならない葛藤がシーナの心に見えない傷を与えていたのだ。
「やめて! ルインはシーナの大切な……大切な……」
「もう止まれない。これは決定事項や。裏の社会ではなぁ、大切なものを捨てなければならなくてもやる時はやらねばならんのだ。それが出来なければこっちが危うくなる。」
ルインと正義の結んだ約束────
ルインは健治から得た警察の情報や状況を正義にも共有する。
正義はシーナをルインに託し、自身は娘との縁を切る。
契約書は存在しない。
しかし、これは守るべき約束。
その約束を破り、自身の立場を守るために正義はルインを殺す決断を下したのだ。
「シーナよ。そういうことだ。」
「待って……」
銃が正義の頭蓋骨に向けられる。
シーナは悲しげな表情でロックを解除し、引き金に指を入れた。
時間が止まったような雰囲気が漂った。
「こういうことでしょ。望まないなら……殺すしかない。」
シーナにとってルインは大切な人だった。
闇社会で生きる正義の子どもであったシーナは子どもながらに理不尽な社会に揉まれていた。母親は死んでおり、頼れるのは父親のみ。その父親は残虐な行為も厭わない。その姿を見て生きてきた。
毎日、英才教育と闇社会の行き方を教えられる。そんな日々が続いた。
英才教育は後々戦略的に組織を動かす逸材とするため。そこには愛情の一つもなかった。
シーナは愛されることを知らなかった。
目の前で愛される様子を見て羨望する日々を繰り返す。正義にとってシーナは駒なのだ。
廃れてた心でたまたま見つけた探偵業の求人情報。そこでシーナは応募することにし、見事ルイン探偵事務所の助手になった。
ただ、応募する時に提出した自身に関する情報は嘘まみれ。闇社会で生きてきた情報を渡して合格する気がしなかったからだ。そして、合格したということはそれが嘘まみれだとは気付かれていないということだ。
そう思っていた。
流石は探偵業。すぐにシーナの個人情報を掴んでいた。嘘だと知っていた。あれが嘘だと知っていてシーナを合格させたのだ。
務める先のルインは優しい心の持ち主だった。
シーナは生まれて初めて愛情を注いで貰った。注いでくれたのがルインだった。すぐに、ルインの親友の健治が遊びにきて、その健治がいつしか部下の祥子を連れて、四人となった。四人でたわいない時間を過ごすことは人生で一番幸せな時間だった。
しかし、生まれた血筋は変えられない。シーナの父親は正義なのだ。幾らシーナがルインや健治、祥子を家族だと思っても本当の家族は正義に変わりない。
だからこそ、ルインは危険を顧みずに正義と会った。そして、あの"約束"を結んだのだ。
シーナの苦しみを解放させ、楽しい生活にするために。
詳しいことは分からないがそこにはルインの優しさが見え隠れしていた。シーナはこの約束が結ばれたことを知って人生一泣いた。嬉しさが胸を刺激し、涙腺から涙が溢れ出す。
そして、二度と離したくない。そう思ったのだ。
新しい大切な家族────
血の繋がった本当の家族────
その二つがシーナを押し潰した。例えルインの方が大切だとしても血の繋がった家族を切り捨てられる訳ではなかった。
銃を構えても引き金を引くことができる程覚悟を持っていなかったのだ。
そのことを感じた正義は半ば呆れながらシーナを見下した。
「そんな愚かだとは思いもしなかったや。」
手が震えだし、銃も震える。
「どうせシーナには撃つことは出来ない。天才の血が通い、英才教育を受けさせたがやはり未熟者と言わざるをえん。」
正義の頭に浮かぶ一人の女性。浮かんだ彼女は篠田茜、正義の妻であり、シーナの母親である。
聡明で戦略的な思考を持つ女性。学問第一主義の人生に何もかも嫌気が指し敢えて転落した場所に落ちた。そのせいか、疑心的で世の中を睨む印象を与えていた。
いつしか正義と茜は互いに気になる存在になり、両想いとなり、性的関係へと変わっていった。
シーナが生まれてすぐに正義は茜を失った。闇社会の厳しさを忘れていた正義への天罰だった。子どものシーナは物心つく前に母親を失ったこととなった。
正義は残されたシーナを育てることを決心した。愛情ではなく、闇社会なりの育て方で。
茜の残像がシーナと重なりかける。
しかし、重なることなく通り過ぎていった。
茜とシーナは同一ではないことを示していた。
「二者択一を強いられるのは当たり前や。どっち選んでも誰かは死ぬ。選ばなくても死ぬ。儂の生きてる社会は残酷だ。」
正義は立ち上がってどこかへと向かった。
シーナはそこに取り残された。
的を失った銃は地面に落ちる。
身体から力が抜けて崩れ落ちた。
後から来た谷川組のメンバーがシーナを掴み拘束する。銃やスマホなどが没収され、シーナは逃げられない牢屋のような家に閉じ込められた。
愛情の一つもない。ただ裏社会の中に飲み込まれた裏社会の延長線である。
シーナにとっては地獄と同じような場所だった。
ルイン探偵事務所でルイン達と話し合ったことを思い出す。
健治がルインに向かって首を傾げながら聞いた。
「シーナってどんな奴なんだ?」
ルインは少し考えた後、すんなりと答えた。
「私に言わせればシーナは"謎に包まれた少女"だな。」
「謎に包まれた少女────!?」
「ああ、相当秘密と苦難を隠している。私にも分からない謎が未だにあるからね。」
そのやり取りが思い出された。
シーナは何事もないように聞いていたが、そのやり取りの中で出てきた"謎に包まれた少女"という一言を気に入り心の中で反芻させていた。
謎に包まれた少女────
まさにその通りだと思う。
シーナはルイン達の会話を思い出すことで不安を消し去っていった。
*
今宵は月が赤い。
正義は手元のスマホを見ながら、車を走らせていた。
目的地まで人知れずに一人暗闇を進んでいく。誰も正義のことに気づかないし、気付かせない。
朱色の光に導かれて外に出る。
長嶋は龍を助っ席に乗らせて車を走らせた。乱雑なテクニックが危険性と爽快感を生み出していた。
目的地は人里離れた無人の港工場。
目立つはずのその車を暗闇が隠し、誰にも気付かれることなく走っていった。
雲が赤い月を隠し始めていた。
飯田は誰も気づかないはずの闇に生きる者の動向を掴んだ。そこで、その者を追うように車を走らせた。
雲のかかった赤い月。
ルインは手に持っていた機械を確認した。日本の誇る科学者藜慎也の作った機械である。
小型で滅多にバレることのない程度の機械で、その場所を特定し、その周りを見渡せて、その機械の周りで話されたことを盗み聞くことができる。
その機械から得られた情報を元にルインは人知れない暗闇の港工場へと車を走らせた。
雲が紅月から外れる。
今夜は美しい赤色の月が真っ暗な暗闇を優しく照らしてくれた。




