透明人間の人間投下事件(其ノ弐)
まだまだ続きます
賑やかな空間。
窓に映る雲が笑顔を浮かべて過ぎ去っていく。
「本題に入ろうか。迷宮入り確実という厄介な事件の依頼である【透明人間の人間投下事件】について教えて貰いたい。」
黄色の紙に黒い点が浮かぶ。その黒を見逃すことは出来ない。その点が雲に亀裂をかける。
真剣な眼差しで健治は語り始めた。
「それは二日前、犯行及び死亡推定時刻は朝十一時頃に起きた。」
「被害者は四階建てのアパートで、最上階の一角に住む七十代の男性だ。名前は確か阿賀島 晴秀。仕事からは引退していて年金暮らしをしていた。娘の内藤 友香と二人暮らしだった。」
「なるほど。それで?」
「被害者はその時刻に一人で家に居た。」
頭の中に浮かび上がる想像。
朝焼けが過ぎ、小鳥は飛び去り、人々は仕事へと向かう。そんな中、皺が印象的なお爺さんがフローリングに敷かれたマットに佇む。
「娘の友香はその時いなかった理由を教えてくれないか?」
「ああ。友香は犯人による犯行が行われる一時間前にはこの家から出ている。出る間際の数分間、友香の夫である内藤 竜也がこの家の中にいた。友香は車の免許を持っていなかったために、夫の竜也に送迎して貰っていたようだ。
同じフロアの近隣の証言によると、竜也が家に入ったのを九時四十五分頃に見たようだ。さらに、家主からはその十分後の十時頃に友香が竜也と共にアパートから出ていくの確認し、挨拶を交えたようだ。この夫婦の証言とも一致してたため間違いないだろう。」
その横に座る友香と、近くで立っている竜也。彼らは荷物を纏めて玄関の戸を開けた。一人残された晴秀。日差しが窓から射し込んでいる。その先を見返すと太陽が嗤っている。
「そして、一時間の間は変わったことはなかった。犯行時刻になると、何者かが部屋に侵入。犯人は縄跳びを何重か折り束ねて輪っかの中に先端を入れた。つまり、引っ張るだけで首の絞まる首掛け自殺なんかで使われる手法だ。その縄跳びで被害者の首を強く絞めた。絞められた痕から男性の力で力一杯絞めたのだろうと考えられる。」
晴秀の背後に現れる犯人は縄跳びを手に取る。その縄を折りたたみ、首を縄跳びで囲む。その縄を力一杯引っ張った。晴秀の首は強く絞まっていった。
白目を剥ぎながらもがき苦しむ。その後は苦しみの無い世界へと飛び立った。
「犯人はその後死んだ晴秀を窓から外へと投げた。晴秀は四階から落下したんだ。犯人は証拠を拭い取った後にそこから去ったとしたいんだが……」
「だが?」
「何せ、犯行時刻への出入りがないことは確かなんだ!!その時、水道工事のために来ていた業者が出入りがないことを確認している。」
意識の存在しない老人を抱える。窓を開けてその老人を投げ捨てた。抵抗なく落ちていく老人。強く地面に叩きつけられても死ぬことはなかった。もう既にその老人は死んでいるからだ。
犯人は急いで指紋を拭き取りそこを後にした。
だが、その犯人を見た者は誰一人としていなかった。
まるで透過して逃げていくように……その犯人はまさに透明人間と言っても過言ではない。
何も無い空間に二つの紅く憎しむ眼が宙に浮かんでいた。
「ふむ。死体の第一発見者は?」
「第一発見者は被害者の娘、の夫竜也が見つけた。彼は忘れ物があると家へと取りに帰ろうとしたら鈍い音が聞こえたから寄ってみたら死体だったと。それで彼は警察へと通報した。」
「その竜也……が怪しい。」
「しかしな、《アリバイ》がある。死体を落としてから通報なんか不可能だし、四階なために窓から飛び降りた説も有り得ない。」
「なるほどな……」
妻の実家に荷物を忘れてしまった竜也はユーターンをしてそのアパートへと戻ってきた。
その時響く鈍い音。
怪しいその音が耳の中で反芻する。その音に導かれて竜也は歩んで行くとそこには倒れていた晴秀の姿があった。
竜也はすぐにスマートフォンを取り出して警察へと通報した。
警察が駆け寄る。その時の晴秀はもう息はない。首に縄跳びの縄が巻かれている。すぐに窒息死だと察する。
この世にはもういない晴秀を弔うかのように空風が靡いていた。
「そういう理由で迷宮入りさ!! 飯田探偵事務所が利益のために事件を解こうと必死になっているが、それでも解決されない!」
飯田探偵事務所という言葉が頭の中で強調された。それがスイッチとなって大きな溜息を吐き出した。ルインは「やれやれ」と頭に手を当てていた。
「飯田探偵事務所に解かれるぐらいなら迷宮入りはしないだろう。相変わらず彼らの行動には呆れさせられる。」
飯田探偵事務所はよく他の探偵の仕事を横取りして奪っているなど法的に違法にならないことなら手段を厭わない。富を築いているもののルイン探偵事務所と比べると質が劣る。今回は警察から金を得るために事件を解こうと必死になっているようだ。
「そうだ。お前の追い求めてる黒幕とか裏社会の覇者"M"とかは関係ないよな?」
「シーナ……どうだ?」
「先生。この事件には追っている黒幕も"M"も関係ありません。」
「健治。そういう事だ。」
「そりゃあそうか、関わってたらもっと狡猾で隠蔽の質が高いはずだもんな」
ルインには追っている敵がいる。そして、警察にも追っている敵がいる。その敵とこの事件は関係がなさそうだ。
「それでも仕事は引き受けてくれるよな?」
「勿論。折角の仕事だ、引き受けるに決まっている。それに、旧友の助けでもある。さらに言えば、探偵の助っ人が飯田だけでは心配だからという理由もあるな。」
「山内警部補、まずは一段落しましたね」
「油断するなよ! 一息つけるのは事件が解決し終わってからだ!」
健治はその場で立ち上がった。同時に膝が椅子を後ろに動かした。
それに合わせてルインと祥子が立ち上がる。その後に、ゆっくりと丁寧に立ち上がるシーナ。シーナは冷静にルインの方を見ていた。
「先生。どうしますか?」
殺風景なこの部屋に持ち込まれた謎でできた不穏な空気。その空気は一つに収集していき固体となっていく。いつしかジグソーパズルへと変形していた。
「事件の推理はジグソーパズルだ!! まずは、パズルを埋めるための欠片を集めよう。」
ルインは地味な薄茶色のコートを羽織る踝まで延びたコートの両袖はリラックスして垂れていた。
部屋の中に妙な陽動の空気が流れ込む。
その空気を吸い込む。ルインは片手で眼鏡を押さえつけて言った。
「そのために、事件現場を見せて貰いたい。」
「勿論だ! 行くぞ!!」
肩並ぶルインと健治を先頭に、追いかける祥子、ゆっくりと歩むシーナ。
事務所のある建物のドアを開けると一筋の陽射しが射し込んできた。その光が四人を麗しく照らし出していた。