旅立ち その1
2月26日。
ハナは南側にある村の入り口付近でいつも通り修行を行っていた。
迎えが来たら気が付くように。
多くの人はこの村に近づくことさえ困難であり、きちんと辿り着けるのか心配していた。
この村は特別な場所。
決まりや約束を一度でも故意に破るとそれだけで暮らせなくなるような村。
よほどの善人でなければ村に入ることすらできない。
その話をハナも商人からある程度聞いていた。
悪いことをすると村には入れない。子どものいたずらや困らせるだけのわがままもダメらしいのだと。
もちろん条件はそれ以外にもあるのだが、知られてはいない。
ハナは今、色々な視る方法を試している。
生き物が分かるように、温度を色で見分けることができる温度視。
動いているものだけが分かる動視。
遠くのものが大きく見える遠視。
他にも呼吸が分かるように二酸化炭素を見えるようにしたりと、色々試行錯誤を行っていた。
そんな時、青い上下のピシッとした服と帽子で長い金髪の目つきのするどい女性が肩からかばんを下げて道を走って来ているのが見えた。
ハナはもう来てくれたのかなと思い、手を振りながら近づいて声をかける。
「こんにちは、迎えの人ですか?」
「いや、そうではない。ハナ様にお会いしたいのだが、どこに居られるだろうか?」
「ぼくがハナです。他にハナはいませんよ」
「は?」
女性は目を見開いてハナのことをじーっと観察する。
「君はほんとに貴族か?」
訝しげに訊ねる女性にハナは手を振り否定する。
「いいえ、村人ですよ。ここには村人しかいません」
「……そうか、わかった」
そう話すとすぐに反対方向を向き、道を引き返して行ってしまった。
貴族の確認なのか、それとも村人だったから関係なかったのかなとハナはあまり気にせず修行を続けることにした。
3月3日。ハナが記憶を取り戻した日であり、ハナの生まれた日。
今度は金髪を後頭部でまとめた白い上下の軍服の若い女性が歩いてやって来た。
前回来た人と服の色も違い、細身の剣を腰に着けている。
木の棒を杖代わりにしたフラフラな状態だ。
今度こそ迎えなのだと思ってハナは手を振って近づいていく。
「ああ、やっと着いたのか……」
女性は息も絶え絶えにそう呟いた。
足取りが覚束ない。何から何までピシッとしていた前に来た女性とは大違いである。
この村にギリギリ来れる人のようだ。
「そこの君、すまないが、ハナ様に迎えが来たことを、伝えてもらえないだろうか。私は、これ以上、は、無理だ。……頼む」
「ぼくがハナです。他にハナはいませんよ」
「え!? 君が? どう、見ても、平民にしか、見えないのだが?」
女性はハナを上から下まで見て驚く。
「ここには村人しかいませんよ」
ハナは前と同じことを繰り返し答えると、女性は明らかに動揺し、何やら考え込んでしまった。
ハナは前の人から話を聞いていないのだろうかと軽く首を傾げ、女性を見つめる。
「……そうか、そういうことも、あるのか。私は、君の、護衛を任された、クリスだ。よろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします」
クリスと名乗った女性は考えが一先ずまとまったのか、ハナに自己紹介をして頭を下げる。
ハナも「あっ」とつられて頭を下げ返す。
「もう出発ですよね。ぼくは一度戻って出発の挨拶してきますね」
「ああ……」
クリスはこれ以上は進めそうにないのだろう。
体調もすごく悪そうだ。俯いてぶつぶつ言っている。
クリスをそのままにしてハナは急いで丘に行き、家族や村の皆に出発の挨拶をした。
自分の弟子たちには自分のリボンを渡し、「精進するのじゃー」と師匠っぽいことを言う。
最後に母親と妹にハグをしてから出発だ。
みんな大きく手を振ってハナを見送っている。
ハナも手を振って「行ってくるねー」と笑顔で答え、村に戻る。
そして家に戻ると置いてあったリュックを背負い、新しい緑色の服や新しい靴に着替えて出発の準備は完了だ。
「お待たせしました。行きましょう」
「ああ……」
ハナは第一歩を踏み出し、歩き出す。
大冒険? の始まりだ。
村から町までは森の中を平坦な道が続いている。
道は精霊によって常にきれいに整えられており、いつもの馬車が困らないようになっている。
ハナは商人から聞いてはいたが、この先の町まではこのきれいな道が続いているという話は信じられない。
「どういうことだ、体調が戻った」
「多くの人は村に近づこうとすると体調が悪くなって、戻ると良くなるようになってるんです」
少し歩くとクリスの体調はみるみる回復していった。
不思議に思ったクリスにハナは説明をしていく。
「この村って限られた人や動物しか行き来できないらしいです。この村に馬車で来る商人さんが言ってました。馬もここに来れるものを選ばないといけないんです。それで、ダメだった馬も帰る時にはすぐに元気になるんだそうです」
「そうなのか……、それにしても君は丁寧な言葉を使うのだな」
「はい、覚えました」
「私に気を遣わずに普通に話してくれ。道は長いんだ……」
「はい、ありがとう」
ド田舎なのに日本の道路よりも凸凹のない道を2人は歩く。
その間クリスはちらちらとハナを見ては何かを言おうとしてはやめるということを繰り返す。
「どうかしたの?」
「い、いや……、あ、君の髪や目は黒いんだなと思って」
「やっぱり黒髪って珍しいの?」
「他の国なら黒髪の人もいるらしいが、この国だと聞いたことないな」
「ふーん……」
とことこと2人は歩き続ける。
少ししてハナは再びクリスに尋ねる。
「どうかしたの?」
「え、えーと。かわいいなと思って?」
「男にかわいいは褒めてないよ」
「え、男の子!?」
「そだよ。そう思って見直すとかっこいいでしょ」
ハナは腰に手を当てて胸をそらす。どやどやぁ。
クリスは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
そんなこんなで1時間以上、森の中にある道を歩いていく。
その間もクリスはちらちらとハナを見ている。
「疲れていないか? 休もうか?」
「え、大丈夫だよ。いくらでも歩くことができるよ」
「そうか、すごいんだな……」
ハナの体力は無限大。
対するクリスの体力はごく普通。
クリスは少し休みたかったが、ただの護衛が休みたいと言う訳にもいかない。
そんなことに気づかないハナはとてとて歩き続ける。少し速足で。




