英雄は人間になれない?
西暦2102年4月15日午前11時48分。
豪壮な高層ビルが天高く屹立しながらも、自然に溢れ緑が豊か。人の少ないところに歩みを進めれば、大小様々な動物や虫たちが暮らしているのに出会えるだろう。
ここは自然と都市が融合する生命最後の楽園――楽陽島だ。極東地域旧日本国に位置し、大革命を生き残った日本人が多く暮らしている。
今楽陽島に、一機の飛行機が着陸しようとしていた。
「ママ、みて! へんなのがとんでる!」
「あら、何かしら……?」
楽陽島は半鎖国体制を引いており、特別な身分を持たない一般人が出入りすることは一切認められていない。物資の輸入など必要最低源な外部とのやり取りは、空間移動系魔法を持つ魔法使いが一手に担うことになっている。そのため飛行場なんてものはもちろん、船着場すらこの島には存在しない。
そういった事情から、楽陽島の住人にとって飛行機は縁もゆかりもないものだった。島で生まれ育った生粋の島人は聞いたことすらない者が大多数だ。
楽陽中央公園に着陸したそれを一目見ようと、続々と人が集まってくる。
「あれがヒコウキってやつらしい」
「あんな重そうな物飛ばしてたの? すげえ魔法使いなんだな」
「ばか、あれは魔法じゃなくて旧世代のものだよ」
「まじ?」
「中に乗っているのは誰なんだろう?」
「スメラギ様かも!」
「いや、極東の英雄、藤原様だって」
突如として現れた未知の存在に、人々のボルテージは否応無しに高まっていく。
そしてついに、タラップが設置されドアが開く。降りてきたのは――
「第一高校の制服……?」
島に暮らす者なら誰でも知る、白を基調とした制服を身につけた1人の少年だった。
♢♢
西暦2102年4月15日午前11時50分。
楽陽島唯一の魔法使い養成学校、極東第一高校1年A組では、男性教師が教科書を片手に世界史の授業を行なっていた。高校生になってまだ数日の生徒たちはやる気に満ち溢れ、真剣な表情でペンをノートに走らせている。
そんななか、酷く退屈そうに視線を窓の外にやる少女がいた。ペンも握っていなければ、話を聞いている様子もない。教師はそんな彼女に目をやると、黒板を書く手を止めて生徒たちの方へと振り向いた。
「では、ここで質問をしよう。月宮、立ちなさい」
「……はい」
しんと静まりかえった教室に、ワンテンポ遅れて涼やかな声が響いた。彼女が席を立つのに合わせて、腰まで伸ばされた髪がふわりと舞う。射干玉のように美しい黒髪だ。
教室中の視線が彼女に集まる。それは、教師に指名されたことだけに起因するものではない。彼女――月宮希桜は入学して僅かしか経っていないにも関わらず、高校中にその名が知られるような有名人だった。
「中学の復習にはなるが、大事な話だからな。魔晶について説明してくれ」
「はい。魔晶とは、およそ今から100年ほど前に突然現れた高エネルギー鉱石型生命体のことを言います。見た目はただの鉱石ですが、魔獣を生み出す母体の役割を果たしています。魔獣は生命を滅ぼすことを目的としており、これが生命生息域をおよそ1/100に、人類の数を1/10まで減らしたといわれています。魔晶は世界に7つありますが、現在に至るまで1つも破壊することはできていません」
「座っていいぞ。完璧だ。月宮が言った通り、残念ながら魔晶の破壊は未だ成し遂げられていない。この楽陽島は唯一、魔獣の手から逃れられたが、これからも平和が続くとは限らない。魔晶破壊こそが我々人類の悲願であり、君たちが目指すべきことだ。第一高校に入学した君たちは軍人の卵と言うべき存在だ。しっかり学び、その力を世界に役立てるように。――今日はここまで、各自予習復習を忘れないように」
教師の言葉と同時に、授業の終わりを告げるチャイムが流れた。
生徒たちは思い思いに休憩時間を過ごし始める。彼らの会話に挙がるのは、先ほど模範回答を披露した少女、月宮希桜についてだ。
月宮はこの極東地域で知らぬものはいないだろうほどの名家だ。その中でも希桜は魔法使いとして高い実力を有し、月宮次期当主とまで噂されている。
さらに、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。人目を惹く美少女とあれば、注目されるのも致し方なしというところだろう。
尊敬、憧れ、嫉妬――様々な感情を含んだ目に晒されながらも、当の希桜本人は表情一つ変えず、気にする様子はない。冷静と言えば聞こえはいいが、彼女は常に無表情だった。
彼女に惹かれた誰かが話しかけにいっても、その余りの無表情っぷりに撃沈されるということが繰り返され、今では遠巻きに見られるばかり。いつの間にか、《人形姫》と呼ばれるようにまでなっていた。
「まっおたーん! 今日も相変わらずの美少女っぷりだねっ」
そんな希桜と唯一交友関係が確認されているのが、同じクラスの花影朔だ。非常に明るい性格で、希桜とは違って交友関係も広い。
朔自身、水色の頭髪に丸っこい大きな瞳が特徴的な美少女だということもあって、朔と希桜のペアは周囲から常に熱い視線を集めている。
朔は希桜の前の席に座ると、弁当を広げ始める。
「この席の人、今日も来なかったねー」
「ん」
「不良さんかな? 折角まおたんのすぐ近くだってのに、もったいないよね〜。入学式すら来なかったみたいだし筋金入りってやつ?」
「そういうの、よくない」
「ごめんごめん、冗談だって」
「……」
「そういえば、聞いた? 飛行機がこの島に来たって話!」
「……窓から見えたかも」
「ボクも見たかったなあ。まあいいとも。とびっきりのニュースだ! なんとその飛行機には――転校生が乗ってたらしい!」
窓の外では春の麗らかな日の下、桜の花びらが風に揺れていた。
♢♢
幾万もの敵を打ち倒し、幾万もの無辜の民を救う。
弱き者に手を差し伸べ、悪を挫く。
自らを投げ打ってでも、歩みを止めることを是としない。
彼は英雄である。
彼――ヒイロ・ブレイヴァーは、英雄である。
♢♢
西暦2102年4月1日午前8時6分。
対魔獣三政府連合軍中央本部執務室にて。
「ヒイロ、お前学校に行け」
唐突にそう言い放った己の上司に、ヒイロは思わず思考を止めた。
「……申し訳ございません、クルース大将。もう一度仰っていただけますか」
「あん? だ、か、ら、学校に行けっつったんだよ」
――意味がわからない。
それがヒイロの正直な感想だった。
無茶苦茶な命令をした当の本人は、一目見ただけでも高級とわかる長机の上に足を乗せ、不遜な態度を貫いている。
真っ白な軍服に身を包んだその男の名は、対魔獣三政府連合軍大将ライオネル・クルース。若干40という若さで軍のトップに上り詰めた若き猛将だ。鋭い眼光と黄金に輝く頭髪から、ついた二つ名は《獅子》。
優秀な人物に違いはないのだが、ヒイロに言わせてみればただの不良中年だ。
「失礼ながら、私が今当たっている任務をご存知で……?」
「もちろん。アジア協会極東地域――旧日本国にある第五魔晶を破壊しろっつー任務だ。俺がこの前与えたばかりの」
「ええ、昨日あなたに与えられた任務です」
「で?」
そう、ヒイロはつい昨日に新たな任務を命じられたばかりだ。今も準備を進めている最中で、来週にでも極東に発つ予定だった。それを知ってなお学校に行けとは、バカなんじゃなかろうか。……いや、いつも通りのことだったかもしれない。
これでも自分の直属の上司だ。色々と特殊な立場にある己にお節介を焼いてもらった恩もある。ここで取り乱して詰め寄るのも不恰好だ。そう言うわけで、彼にはこの傍若無人な上司を罵ることも、無視して部屋を出るという選択肢も選べなかった。
「学校に行けと、仰る意図が分かりません」
「ヒイロ、今年で何歳になる?」
「……? 16になります」
「16って言ったら高校生だ。今までは義務教育だからお前でも卒業できたが、高校からはそうもいかなくなる。極東に行くついでに学校通ってこいって話だよ」
なるほど、確かに出席せずとも卒業できた小中と違って、高校からはそうもいかなくなるだろう。だがそれは――
「私は高校には進学せず、正式に軍に所属するとお伝えしたはずですが」
ヒイロにとっては無縁の話のはずだ。
ヒイロ・ブレイヴァーは僅か5歳のときから、軍から与えられる数々の任務をこなしてきた。もちろん、たった5歳の子どもを兵役に就かせるのが一般的なわけではない。いくらこの滅びかけた世界でも、このことが世間一般に知られれば軍への反発は必至だろう。
だから彼の立場は軍人ではなく、非公式に軍に協力をする"傭兵"ということになっていた。
そんなヒイロも年を重ね、この間16歳になった。正式に軍人になるため、この前七面倒な書類も書き終えたばかりだ。
「そりゃあ人類史上初の魔晶破壊を遂げた英雄サマだ、もう軍から逃げられねえよ」
ヒイロはつい一ヶ月前に前人未踏の魔晶破壊という偉業を成し遂げていた。破壊後の影響を見るための調査が入っているため未だ公表はしていないものの、軍内では連日のお祭り騒ぎだった。
確かに、これだけのことをしてから軍を辞めるというのは難しいかもしれない。しかしーーヒイロは眉を顰める。
そもそも、自分は軍から逃げるつもりなんてないし、逃げたいと思ったこともない。軍が自分に一番見合った場所だという自覚もある。
まあ、それを指摘したところで、十倍になって皮肉げな暴論が返ってくるのだろうが。
「……ならば何故?」
「英雄だからだよ。諸々の調査が終わり次第、ヨーロッパ連合α地区にあった第2魔晶の破壊に成功したって知らせは全世界に向けて発信される。ヒイロ、お前の名前も最大功績者として伝えられるだろうよ。晴れてお前は英雄だ。夢が叶ったな、オメデトウ」
「話が逸れています」
「おうおう、睨むなって。まあとにかく、ヒイロ・ブレイヴァーの名は全世界に轟く。そしたら当然、お前のことを調べるやつらが現れるだろう。前人未踏を成し遂げたのは、どんなやつなんだ? ってな。だがなあヒイロ、お前自分についてどれくらいの情報を教えられるか?」
「……」
「ああそうだ、答えられねえよな。軍とお前との関係は限りなく黒に近いグレーだ。過去は語れない。――わかったな?」
「学校に行って、新たに情報を作れということですか」
「学生としてのヒイロ・ブレイヴァーに注目を集めさせる。後ろ暗いのは英雄として相応しくない、だろう?」
「わかりました。ヒイロ・ブレイヴァー、その命令を謹んで受けます」
こうして、ヒイロの学校行きが決まったのだった。
たとえ、クルースが語った理由に納得しきれない点があろうともヒイロは構わなかった。英雄として相応しくない――それは、許されないから。
ヒイロは気がつかない。
「あいつ、最後まで口調崩さなかったなあ」
クルースが、軍内部からの反発を抑えてまで学校に行けといった理由が――
「これで人間らしくなってくれりゃあ、いいんだがな」
ヒイロのことを心配しているから、ということに。
♢♢
幾万もの敵を打ち倒し、幾万もの無辜の民を救う。
ーーそれを可能にするだけの強大な力を持つ。
弱き者に手を差し伸べ、悪を挫く。
ーーそこには正義は心なく、ただ義務感のみが存在した。
自らを投げ打ってでも、歩みを止めることを是としない。
ーー疑問すら感じず、ただ一人、突き進む。
彼は英雄である。
ーーそれは、人間なのだろうか?
彼――ヒイロ・ブレイヴァーは、英雄である。
ーーヒイロ・ブレイヴァーは……
♢♢
西暦2102年4月15日午後1時00分。
極東第一高校1年A組にて。
これから3時間目の授業「戦闘訓練」が始まるとあって、生徒たちは皆、これまで以上にやる気に満ち溢れている。訓練場が空く15分前には既に全員が集まり、個々で準備運動や軽い手合わせを行なっていた。
チャイムが鳴り、私語が消える。一糸乱れずに並んだその姿は、さすが軍人の卵と言えるだろう。
「全員集まったわね。では早速、訓練開始! ……と言いたいところなんだけど、その前にみなさんに一つお知らせがあります。入っていいわよ」
ジャージ姿の女教師の名前は、藤原縁。1-Aの担任でもある。
いつもならば、「無駄な時間はなくすこと!」とすぐにでも訓練が始まるのだが、今日に限っては違った。彼女に呼ばれ現れたのは、見覚えのない少年だ。
「はい」
「事情があって、今日からの登校になるヒイロ・ブレイヴァーくんです。ブレイヴァーくん、自己紹介を」
プラチナブロンドの髪にルビーのように輝く瞳、非常に整った顔立ち。第一高校の白い制服が恐ろしく似合っている。
「ヒイロ・ブレイヴァーです。見識を広げるため、ヨーロッパ連合σ地区からきました。日本語に不慣れなところがありますし、こんな見た目ですが、仲良くしてくださると嬉しいです。ーーちなみに、ここまでの自己紹介は飛行機の中で頑張って練習してきました」
少し照れたように笑う美少年の姿は、文句なしに女子生徒の心を掴んだ。
新たな仲間、しかもあの飛行機に乗って現れた外国人の新たな仲間に、皆心が浮き足立つ。誰もがヒイロに好印象を抱き、仲良くなりたいと考えているようだった。
「ゆかりちゃん! 質問タイムは?」
「だーめ、今は授業中だから。でも、その代わりと言ってはなんだけど、折角だから彼の実力を見せてもらいましょう? ブレイヴァーくん、みんなの前で模擬戦闘、お願いできるかしら」
ここは魔法使い専門の訓練学校だ。実力と言ったらもちろん、魔法使いとしての戦闘能力のことを指す。
藤原が行うこの授業では、必ず最初に彼女が指名した生徒同士で模擬戦闘を行うことになっている。
クラスメイトたちは期待の目をヒイロに向ける。基本的にこの学校の生徒は血の気が多いのだ。魔獣被害が大きい外国から来た少年がどのくらいの実力を持つのか気になって仕方がないようだ。
ヒイロは少し困ったような顔をして、己の制服に目を向けた。
「こんな格好ですけど、大丈夫でしょうか?」
「魔獣との戦いはいつ起こるかわからない、格好のせいで負けたは言い訳にならないわよ」
その挑発的な物言いに、ヒイロは勝気な笑みを浮かべた。
「折角の新しい制服です。汚さないようにしますね」
「あら、なかなか言うじゃない。うちの生徒はそんな一筋縄でいかないわよ? じゃあ、お相手は……月宮さん、お願いできるかしら」
「……はい」
ヒイロの前まで歩いて来たのは、綺麗な黒髪をポニーテールにした美少女、月宮希桜。
「お手柔らかにお願いします」
「……」
外国から来た少年と、1年では間違いなくトップの実力を持つ少女の戦い。
一体どちらが勝つのだろう、どんな戦いを魅せてくれるのだろうーーそう思う彼らは気がつかない。
この楽陽島に外国から入ってこれた理由を。
誰もが少年に好感を抱いた理由を。
出会ってばかりで、話したことすらない少年を強いと認めた理由を。
違和感に気がついたのは一人だけ。
それは学年1の実力の持ち主月宮希桜でも、教師である藤原でもなかった。無良瞳ーー学年1の落ちこぼれの少女だ。
「(何か……おかしいです)」
第一高校の面々は魔法使いとして相応にプライドが高い。容姿や性格は確かに人間関係を円滑にする一助にはなるが、ここで最重要視されるのは実力だ。
実力が高ければ無表情でも愛想が悪くても容姿が良くなくても暴力的でも、尊敬される。
実力がなければ美少女でも美少年でも聖人のような性格でも、見下される。
出来損ないの魔法をもつ瞳は、所謂ぼっちだ。
「(皆さんブレイヴァーくんを受け入れるのが、早すぎないでしょうか)」
だからこそ、気がついた。
友達どころか話し相手すらいないこの状況を脱するべく、日々自主練を繰り返しているからこそ、そして出来損ないーー『魔法無効化魔法』という魔獣相手では全く意味を成さない魔法をもつ瞳だからこそ、気がついた。
あまりに、ヒイロに状況が良すぎることに。
なんとなしにヒイロを見て、瞳は絶句する。
「(彼、何も思ってない)」
希桜と向き合い、今まさに模擬戦闘を始めようとするヒイロの顔には僅かな笑みが浮かんでいる。手合わせを楽しみにしているんだろうな、と見る人が感じるような笑みだ。
だが、違う。
「(なんて、無機質なーー)」
ヒイロの目には、何も映っていない。戦闘への高揚も、緊張も、対戦相手の希桜でさえ。
ルビーのように、ただ無機質に輝くのみ。
♢♢
ヒイロ・ブレイヴァーは、英雄である。
ーーヒイロ・ブレイヴァーは、英雄になるために生まれたのだから。
・世界観
100年くらい前に魔獣という化け物が現れて滅びかけた地球。魔獣のスポーンが魔晶。
・魔法使い
魔獣に唯一対抗できる存在。各々固有の魔法をもつ。
・ヒイロ・ブレイヴァー
主人公。ぼくのかんがえたさいきょうのえいゆう。
設定だけ考えて放置していたものの供養のために。ざっくり言うと、怪物的な力と精神性をもつ主人公が学校に通ってなんやかんやあって人間らしくなっていくお話です。