『迷信』 その4
きーくんこと清水清彦君は僕と同じ学年であった。つまり清水さんよりは年が1つ下であり、しかし学年は同じ。
一年D組だから僕とはクラスが違う。D組……確か運動系の推薦組だったよな。やはり体格通りの人物なのだろうか。
「それにしてもきーく……清彦くんは」
「きーくんでいいぜ別に。姉貴が俺のことをそういうのはもう諦めたんだ」
「きーくんは良い体してるね」
ちょっとだけ、きーくんが僕から遠ざかった。
違う、そういう意味じゃないんだ。
「……姉貴が珍しく人を、それも男を連れてきたと思ったらそういうことなのか? まさか、俺が目当てなのか?」
「ち、ちが……」
はっきりと違うと言ってやりたいが、今日の目的はきーくんから昨日のことを聞くため。
だから、きーくんが目当てなのかと聞かれると、まあそうだと答えるしかないのだ。
どう答えようか……というかどうやって誤解を解こうかと悩んでいると、ここで助け舟が出された。
「きーくん、お医者さんには行った?」
清水さんであった。
不安そうに、こちらを気遣うように清水さんはきーくんに尋ねる。
「……こんなのしばらく放っておけば治る。医者なんかに行くのはめんどくせえ」
「ほらー、恥ずかしがってないで早く行った方がいいってお姉ちゃん言ってるでしょ!」
突然始まる姉弟の家族特有の空気。部外者はいては駄目な気持ちになる。
「痛くはないの?」
ここで話に混ざろう。
いつまでも誤解されたままではいられない。
「こんなの、パンツの中に氷を入れとけば問題ねえよ。それよりアンタ、俺に何の用があるんだ? さっきはふざけちまったが、どうやら真面目な話があるみたいだな」
きーくんが険しい顔をつくる。
先ほどまでのは冗談だったのか。顔に似合わず冗談なんて言うのか。
しかし真面目な顔をつくってみるときーくん、結構なイケメンだ。ワイルド系と言うのだろうか。
「きーくん……かっこいい」
そして清水さんは女の顔になる。
それ絶対、姉が弟に向ける顔じゃないね。だけど僕はあえて何も言わないよ。
だって怖いもの。
君子危うきに近寄らず。
「きーくん、君の昨日のことを聞きにきたんだ。何があったのかを。それと、今、それがどうなっているかを」
「アンタは医者か? 俺のこれを治せるのか? 我慢してはいるが、無駄な時間を使っている場合でもないんだぜ。アンタがこれを――」
「君が医者に行かないのは」
次第にきーくんの顔に脂汗が浮かんでくる。
きーくんの股間はズボン越しでも分かるくらいパンパンだ。
男としては羨ましい限りだが、その実情を聞けば、腫れているのだと聞いてみれば避けるべき事態だろう。
「君がそれを、その腫れ方が医者に見せてもどうしようもないことを自分で分かっているからだ。違うかい?」
少し話してみればきーくんは脳筋でも馬鹿でもないことが分かる。
結構、理知的に話している。あんなに腫れているのに冷静だ。
姉と違って、この男は賢い。……いや、姉が賢くないとは言わないけど。
「股間が腫れるだなんて何かの病気……それも性病に近いものだと普通なら思うだろう。危惧するだろう。だけど、君は冷やしていれば治るだなんて言った。打撲じゃないんだ。細菌由来の病気を冷やしていたって治るのが何時になるかなんて計り知れない」
下手すれば悪化する。
だが、それでもきーくんは冷やし続けた。
「これ以上、腫れることはないと、君は分かっているんだね?」
冷やすことはあくまでその場凌ぎに過ぎない。
だけど、凌ぐことが、耐えることが目的だとしたら?
「ああ……そうだ。俺は知っている。なぜ俺の股間が腫れたのか。そしてこれ以上腫れないことも。だが、具体的な治し方は分からねえ。分からねえが、ずっと続くものでもないことくらいは分かる」
「詳しく聞いても、いいかな?」
そうしてきーくんは話してくれた。しかし清水さんは席を外されて。
やはり姉に聞かせるには恥ずかしいらしい。ちなみに医者に対しては特段何も思わないとか。
昨日の放課後、きーくんが所属するレスリング部――ラグビーはやったことすらないらしい――が休みの日であったため、友人らと共に帰宅路についたらしい。束の間の休息。きーくんにとっては何より大事なもの。それを噛みしめながらきーくんは友人との会話に花を咲かせた。
その途中で催したきーくんは通りかかった公園のトイレに入った。友人も一緒に。
小便器は2つしかなかったため、きーくん含め4人は2つの便器を交代で使ったらしいが、きーくんが用を足し終えた後、急に股間部に熱を感じた。慌ててみてみると、それはそれは今まで見たこともないくらいに膨れ上がっていた……つまり腫れあがっていた。
その直後、きーくんと同じ便器を使っていた友人も股間に痛みを訴え、聞いてみるときーくんと同様に腫れあがっていたらしい。
その後、その友人は病院に、きーくんは家に帰って氷で冷やし今に至る。
「なぜ君は病院に行かなかったの?」
「俺の使った便器にはな、微かな記憶だしそこまで良く見ていないんだが、ミミズがいたんだよ。同じのを使っていたやつに確認したから間違いはねえと思うが。それで思い出したんだ。うちの爺さんが言っていたことを」
曰く、ミミズに小便をかけると股間が腫れあがる、と。
「それだけならただの迷信だ。俺も医者に行くさ。だが、爺さんはこうも言っていた。この街の守り神は間違った信仰をすると、間違った恩恵を下さる。祟りにも近い恩恵を正すには、正しい信仰を奉げなければならない。……実際、爺さんが子供の頃に同じようなことが起こったらしい。爺さんは米粒を残して視力が低下したんだとさ」
「ええと……確か……ご飯を残すと目が潰れるとかだっけ?」
さっき道すがらスマホで調べた迷信の中にそういったのがあった。
「そうだ。だが、爺さんは一週間ほどで回復したらしい。他のやつらも程度は違えど似たような期間で元に戻った。爺さん曰く、恩恵は続かない。信仰が続かないのと同じように、だそうだ」
「つまり、その神様に祈るでも捧げものをするでも、続けないとこの迷信絡みの異変も続かないということか」
「だから、俺はそれまで我慢すると決めたんだ。……姉貴が言っているような医者に見せるのが恥ずかしいとかじゃないからな」
そう言って顔を赤くするきーくん。
「一週間か……」
しかし数十年前ならいざ知らず、現代で一週間もこんな異常事態を続けさせるわけにはいかない。
それになにより、原因を解明しないと再び繰り返してしまうかもしれない。
とりあえずきーくんから聞けることはもうないかな。
それどころか、より多くの情報を聞けたのではないだろうか。
『先輩、きーくんから話は聞けました。このまま何もしなければ一週間でこの現象は収まるみたいです。他にもいくつか話は聞けたので合流して合わせましょう』
ざっとこんな感じの文章を先輩に送ると、数分後、了解のメールが返ってきた。
「清水さん、先輩をこの家に呼んでもいいかな?」
部屋の扉を開けるとそこには清水さんが聞き耳を立てていた。
「姉貴……」
「ち、違うの! これはきーくんが心配だったから……」
始まりかねない姉弟喧嘩を仲裁し、清水さんに了承を得ると、清水さん宅に先輩を呼ぶ。
そして10分後、
「やあ待たせたね。いやはやこちらも大変だった。なにせ話が変わるわ変わるわで、目的の『迷信』に関わることを聞くのに随分と遠回りをしたものだ」
まあこっちは話せば意外と話せるきーくんに対して先輩は話してみても話が通じないお年寄りだ。
先輩の苦労が窺い知れる。
「さて……ではまず君達の話から聞こうか」
僕はきーくんから聞いた話を一言一句違わず話す。
隣にきーくんがいるのだからきーくんから話して欲しかったが、これも意外や意外。きーくんは女の人と話すのが苦手らしい。スポーツ一本の人生だから免疫がないのかもしれない。
話し終えると先輩は、
「そういうことか……ではまず、きーくんが言うところのこの街の守り神。それは――」
先輩のきーくん呼ばわりに、きーくんは顔をしかめる。
いいじゃないかあだ名呼び。僕なんていつになったって後輩呼びだからな。
「それは、鬼子母神の眷属の一柱。名も無き神の一柱だ」