『迷信』 その2
「大変なのだよ、君」
「そりゃあ大変でしょうね」
まさか先輩の口から股間などという単語が飛び出すなど思いもしなかった。
何があったんだ?
「何があったんです?」
「だから、少年たちの股間が腫れあがったんだって! 先ほどもそう言っただろう!」
「いえ、だから……」
何があってそんな事態になったんですか……。
というか、先輩はそこまで少年たちの股間が重要なのか?
いや、そりゃあ男にとっては一生涯の宝物だけど。腫れ上がったりしたら一大事だけど!
想像しただけで痛みで顔が引きつる。
「ああ、そういえばその他の説明をしていなかったな。これだけだと何を言っているのか分からないか」
「ええ、それはもう、何が何だか……」
ようやく先輩は説明してくれるようだ。
苦節3分、思えば酷い顔をしていた甲斐があった。
「まず、昼だったかな? 昼食時、私のスマートフォンに1つのメールが届いた」
「おお、今度はちゃんとメールが……」
『ぐうたらばあちゃん』の店に行った時は今どき古風な筆書きの手紙であったが、今度はメールか。ようやく先輩も進歩した。……いや、これは相手次第か。先輩は悪くない。
はい復唱。
先輩は、悪くない!
「茶化さないでくれよ。私にだってメールをくれる友人の1人や2人いる。……いや、じゃなくて、そう、メールの内容だ」
これを見てくれ、と先輩が自分のスマホを見せてくれた。
『あのあの! 実は、私の弟のアレが腫れあがっちゃってぇ……困ってるんですよ。昨日の放課後に腫れちゃったみたいで、すぐ帰ってきたんですけど、今も腫れてるみたいで。お医者さんに行こうにも、きーくんは……あ、弟の名前なんですけどきーくん、お医者さんには恥ずかしくて行けないって言ってて……何があったのか聞いたら、ミミズにおしっこしっちゃったとかで、何が何だか……先輩こういうの詳しいと聞いたんですけど、どうやったら治るか分かりますか? このままだと私ときーくんが結ばれる未来が無くなりそう……』
うーん……絵文字は割愛して読ませてもらったが。後、先輩の手前、直接的な表現も避けさせてもらった。
纏めると……ミミズにおしっこかけちゃった少年の股間部が腫れあがったということだろうか。
いやいや……このご時世に街中で……。
「まず、誰ですかこの人」
「去年まで私と同じクラスだった清水さんだ。残念ながら今年は留年してしまったため後輩になってしまった。君と同じ学年になったはずなのだが、知らないか?」
「ああ……」
思い出した……というか、僕と同じクラスの人だ。
留年したというクラス内であれば間違いなく浮いてしまうポジションであるにも関わらず、不思議と周りに人は多い清水さんだ。しかしながら、テストの出来を見るに、今年も学年を上がれるかは分からないというちょっとどころかかなりお馬鹿なお人。
しかしこの内容を見るに、酷いな。
弟の……きーくんと結ばれるって……いやこれについては考えないようにしよう。深い闇がありそうだ。
「それでだな、その清水さんといくつかメールのやり取りをして知ったのが、同様の症状に陥った者が何人かいたということだ。調べていくうちに分かったのが、どれも同じトイレで用を足したということ」
ああ、良かった。トイレだったのね。
街中ではなくて安心したよ。きーくんには常識があった。
「そしてその他にも様々な症状……いや、病では説明できないような異変が身体に起きている者がこの街に多数いることが分かった」
「異変……」
「視力が落ちた者、気を失った者、腹痛を起こした者、体が柔らかくなった者、背が急激に伸びた者……他にもいくつもある。中には舌がなぜか短くなり会話が出来なくなった者までいる。それも、全て昨日から、急に起こったのだ」
異変だ……確かに前半はまだしも後半は病気とかじゃない。背が伸びたとか羨ましい限りだが、視力の低下や舌が短くなったとか、普通に一大事なものもある。……なんだ、体が柔らかくなったって。
「これらを纏めるうちにな、これらの発生した原因を、時間帯を記しているうちに気づいたのだが、これらは『迷信』なのではないかと思いついたのだ」
「迷信、ですか。あの、黒猫が横切ると不幸になるとかの」
「ああ、そうだ。きっとそれも起こっているだろう。だが、不幸なんてどこにでも転がっているからそれは本人が気にしなければそれまでだ。あくまで、主観的にも客観的にもまずいと思われたものが私のところにきた」
なるほど。
つまりこれも先輩の好きな奇々怪々な類の1つというわけか。
「なんで迷信だって思ったんですか?」
それこそ幽霊の仕業とまでは言わないが、何かしら他の要因だって考えられるだろう。極論、新しい流行り病の類だって考えられる。
勿論、そんなことは科学的に無理やり説明しようとすればというだけで、幽霊の存在や他の奇々怪々な類の存在を知っている僕や先輩であれば、なるほど迷信かーとも言われれば理解はできるけど。
理解はできるが、自分から迷信という発想はできないな。
「まず発生した現象。これらはいくつもある。それらは先ほど説明したね。それらに共通するのは、発生前に皆何かしら行動していたということだ。それも、大小関わらず人には言いにくいことを。後ろめたいことをな」
「後ろめたい……悪事ですか?」
「悪事とまではいかないさ。それこそご飯を少し残してしまったとかいうものだってある。しかしそれだって大手を振って他人に言えることではない。そういった後ろめたいことを直すために迷信というものはつくられたんだよ」
なるほど。
迷信とは教育か。
「ミミズにおしっこをかけると股間が腫れるというのも迷信の1つだ。清水さんからメールが来たときからあたりを付けていたのだが、他のも恐らくそうだ。だが、迷信通りではないものもある」
僕はこの時すでに、スマホで迷信に何があるか調べていた。
「視力が弱くなるというより、失明する、目が潰れるというものがありますね。……舌が短くなるというのも見当たりません」
「恐らく本来ならば失明が正解だったのだろう。舌が短くなるというのも、嘘をつくと閻魔に舌を抜かれるというのが元だろうな」
「なるほど……」
「つまり、若干だが、迷信よりも弱くなってこれらは発現している。今もなお、死者は出ていないと考えていいだろう。良くて気絶程度に収まっているはずだ」
気絶……確か先輩が先ほど言っていたな。
「まだ、なぜ迷信通りに目が潰れたり、死人が出たりしていないのかという理由は分からない。あえて弱めているのか、それとも弱っているのか。あるいは迷信とは何ら関係ないのかもしれないな」
関係ないって……ここまで共通点があって関係ないわけないじゃないですか。
どんな偶然でミミズにおしっこかけた少年の股間が腫れあがるんです。
僕が何も言わなくても、先輩は自分で考えを改めたようで、
「いや、違うな。これは『迷信』だ。ならば考えることは1つ」
「どうやって、異変が起きた人を治すか、ですか?」
一体、何人の人の体に異変が起きているかは分からないけど、嘘をついたりとか、そんな簡単な条件で異変が起きてしまうなら、結構な数がいそうだ。
「いや……それよりも原因を突き止めて、止めることが先決だろうな。対処してもしても、これはきっと終わらない。どんどん被害者とでも言うべき人間は増えていく。ならば一刻でも早く止めるべきだ」
おお……ならば人海戦術かな?
でも、
「誰かに助けを求めるんですか? 僕も先輩もそんなに知り合いいないと思うんですけど」
「いやいや、いるよ私には。そう、清水さんだって私にメールをくれたのだから。きっと話しかければ答えてくれる者は多いはず!」
……その清水さんも、きっと先輩に対しては暗く、教室の端っこにいるイメージを持っているんだろうと容易に推測できる。
だって、普段の先輩って口数は少ないし、顔は俯いているしで明るいイメージはない。
その美貌だって俯いているから知らない者は多いだろう。
そもそも話しかければ答えてくれると言っている時点で、話しかけてくれる人がいないことの証拠だ。語るに落ちている。
まあそんな酷なことは言わない。
ただ黙って、頑張ってスマホの連絡帳とにらめっこしている先輩を温かい目で見守ってあげよう。
「ぐぬぬ……よく考えればこういうことに他人を巻き込むのは止めておいたほうがいいな。せいぜい、依頼人である清水さんくらいだろう。うん、清水さんなら適任だ。弟が被害者の1人なのだし、さっそく話を聞きに行くとしようか」
あ、逃げたな。
そう思ったが、これも言うのは止めておいた。