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『迷信』 その1

 今朝は何だか早く起きてしまった。いつもより30分程ではあるけど。

 いつも起きる時間は6時半だけど今は6時。別に昨夜は早く寝た覚えはないんだけどね。


「これはもしや先輩が僕を呼んでいるのでは!」


 いや、ないね。うん、多分先輩は起きているだろうけど、僕のことを考えてはないね。


 両親もこの時間なら起き出すだろうと、着替えて部屋からリビングに向かうと、すでに母さんが朝食の支度を始めていた。


「あら、今日は随分と早いのね」

「うん……久しぶりにすっきりと目が覚めた」

「いつもこうならいいのに。朝ごはんすぐ作っちゃうからちょっとだけ待っててね」


 何でだろう。早く起きればそれはそれで文句を言われている気がしてならない。

 6時半に起きるのだって家と高校の距離からすればまだ早いほうなのに。


 まだ朝食には早かったみたいなので、洗面所で顔を洗う。

 ついでに髪をセットしておこう。僕の髪はそこまで強質なわけではないため、寝癖はそこまでひどくない。軽く水で濡らしてやり、手でさっと整えればそれで完了だ。


「ん?」


 ふと、鏡越しに背後の壁に蜘蛛がいるのを発見した。

 蜘蛛の巣は張っていないため、どこからか潜りこんできたのだろう。

 足の1本が不自然に曲がっており、それ故に自然がいかに厳しいものか思い知らされる。僕はこんなところでぬくぬくと育てられているけど、蜘蛛は厳しい環境で生き抜いているんだな。


「母さんに見つかると厄介だな……」


 母さんは大の虫嫌いだ。苦手なのではなく、大嫌い。

 つまり、見つけ次第、殺虫剤と丸めた新聞紙で殺しにかかる。

 殺した死体を嬉し気に僕に見せるのは、本当に勘弁してほしい。父さんに至っては怯えてその日は1人になろうとしないんだから。


 母さんの機嫌取りのために、いつもなら僕も虫は発見次第殺虫剤を撒く。その後の処分は母さんに任せ、僕は部屋に戻るのが通例だ。だが、今朝は爽やかに起きたため爽やかに過ごしたい。朝っぱらから鬼面に迫りかねないような迫力の母さんを見たくはない。


「お前は運がいいな」


 ティッシュを一枚手に取ると、蜘蛛に近づける。

 蜘蛛は最初は警戒して近づかなかったが、徐々に近寄り始め、ティッシュに脚を伸ばした。


 良し……良し……。

 そのままだ。そのまま、ティッシュの上に乗ってくれ。


 そう思っていると、僕の思った通りに、蜘蛛はティッシュの上に乗った。

 普段なら、こういうとき母はティッシュをくしゃっと丸めて蜘蛛を殺すだろうが、今は違う。そのまま急いで窓を開けると、ティッシュを外に放り出してさっさっと振る。


「そろそろいいかな……?」


 ティッシュを窓の外から戻すとティッシュの上には何も乗っていなかった。ただの真っ白なティッシュであり黒い蜘蛛の体躯も脚も、赤や青の体液もそこにはなかった。


 どうやら無事に蜘蛛を外へと逃がせたようだ。


「何だか良いことをした気分だ」


 母さんからしたら、とんでもないことをした気分になるだろうが、それはそれ。黙っていれば問題ない。


 ティッシュはさすがに他の用途に使うわけにもいかないからそのままゴミ箱へ。


 洗面所からリビングへと戻る。何もなかった風を装いながら。


「朝ごはんできてるわよ」

「ありがとう。頂きます」


 こうして、母さんに蜘蛛のことがバレることなく、朝食の時間が過ぎていった。

 そして、いつもより少し早めの登校となった。



 僕の家から高校までは歩いて20分くらい。自転車での登校は一定の距離離れていないと許可されない。

 僕の家はその一定の距離からわずかに内側だっただけのこと……解せない。


「早起きは三文の徳って言うけれど、僕的には得が欲しいね」


 果たして30分程度で徳も得も得られるのか分からないけど、もしかしたら先輩に会える可能性があるかもしれない。

 普段は部室くらいでしか先輩と話せないけど、登校時に会えば一緒に話しながら登校できるかもしれないな。


 いつもより時間の余裕があるため周りの景色を楽しめる。

 新緑に満ちた歩道。風が吹けば枝が揺れ葉が舞う。何だか景色が変わって見えるようだ。


 あんなところにこんな店があったのか。

 この店、こんな時間からやっていたのか。

 あのお爺さん、近所に住んでいる人だ。散歩しているのかな。

 

 脇目もふらずに通学路を進むいつもとは違う。

 脇道を見る余裕もある。


 脇道……小道を。


「へえ、こんな細い道が」


 生まれて早16年。

 16年もこの街に住んでいながら知らない道があった。

 どこに通じているのか、それともどこかで行き止まりなのか。


「時間は……まだあるな」


 ちょっとくらい寄り道してもいいだろう。

 時間が危なくなったら戻ればいい。

 どこに行きつこうとも、その道から通学路に戻ることだって可能なはずだ。


 と、思っていたのだが……


「すぐに行き止まりになったな」


 脇道を歩くと、すぐに曲がり角になり、そこを少し歩くとまた曲がり角に。

 表の道からは全く視認できないような、場所には2つの小さな祠があった。


 1つは立派な賽銭箱があり、饅頭や飲み物といったお供え物もいくつかある。

 饅頭の賞味期限からして、最近供えられたもののようだ。綺麗にされていることから、きっとお年寄りがここにお参りしに来ているのだろう。


 対して、もう一つの賽銭箱は酷い有様だった。賽銭箱の備えすらなく、お供え物は1つもない手入れされていないため祠の中は埃が積もり、雨風で削られた表面は痛々しい。


 なぜ2つある祠がこうも対照的な扱いを受けているんだろう。

 

「ついでだし、僕も手くらいは合わせておこうかな」


 信心深くはないけれど、それでもそこに祠があったら手を合わせてしまうのは僕の中に日本人の血が流れているからに違いない。


 豪華な祠に手を合わせる。


「……」


 そして、貧相な祠は少し考えた後に、手で埃などをパッパッと払い、祠の台座に百円を置いて手を合わせた。


 別に僕が捻くれた性格をしているからこちらの祠にお金を置いたわけではない。

 何だか、負けそうな方を応援したくなる、そんな気持ちと同じような気持ちになってしまったのだ。

 同情、というと少し嫌な言い方になってしまうが、まあどう言い繕っても僕はこちらの貧相な祠に同情してしまったのだ。


 同じ場所にある祠なのに、恐らく違う神様であるとは思うが何かしらの繋がりがある紙様の片方だけが優遇されている。

 何だか、可哀想ではないか。


 さて、いい具合に時間を潰せた。

 早く起きるだけで良いことを2回もした気分だ。


 もと来た道を戻り、表の道へ合流し通学路を進もうとしたとき、背後から『ありがとう』とお礼を言われたような気がした。





 結局、高校に到着した時間はいつも通りで、そんなわけだから授業もいつも通りに過ぎていく。

 時々集中して、時々退屈が続き、そして放課後になる。


 しかし放課後になり、部室に赴くも、部室の扉は開かなかった。


「あれ……今日休みだっけ?」


 ……いや、文芸部は活動日は基本毎日。今日が木曜日であろうが、やっている。

 そして部室の扉の鍵は先輩が持っているから、開いていないということは先輩がまだ来ていないということだ。

 決して、先輩が中で着替えているから鍵が閉まっているわけではない。中に人影はないし、灯も付いていないからね。

 ということは、


「今日は何か用事があるのかな?」


 ブーンブーン


 部室の前で立ち尽くしていると、先輩からメールが届いた。


『悪いけど今日は休みにする。今日は外出を控えて家で勉強するように』


 ん? 何だか不思議な内容だ。

 休みの連絡というだけなら分かるけど、外出を控えるようにって?

 まあ放課後になってまで遊ぶような友人がいるわけでもないからいいけど。

 帰ったら……本でも読むか。たまにはゆっくりと放課後を過ごすのも良いだろう。





 さて翌日。登校も授業もホームルームも特別何も記憶に残ることはない。……いや授業は記憶に残さなきゃいけないけど、まあ印象深いことはそこまでなかった。よく思い出せばやけに休みが多いなってくらい。


 放課後になれば先輩との時間だ!

 さあこんな詰まらない教室とはさっさとおさらばして部室へ向かうぞ!


 ブーンブーン


 ん? 先輩からメールが来た。


『非常事態。急いで部室に集合するように』


 そうか……先輩も僕に会いたかったんだな!

 今行きますよ先輩!


 ……なんて思うわけがない。

 非常事態というからには本当に非常事態なのだろう。


 また先輩はよく分からない幽霊に勝負でも挑んで負けたのか?


『了解です。5分程お待ちください』


 この教室から部室までは一度校舎を出た後、旧校舎棟に入るためどうしてもすぐ行けるとは言えない。

 だからせめて、この5分は先輩のことを考えよう。


 ああ、先輩、先輩、先輩、先輩……。

 黒く長い濡れ羽色の髪。

 白く透き通る人形のような肌。

 軟らかな肢体は触れただけで容易く折れ曲がりそうな程。しかしその本質は強い心を持っている。


 いつもの、やれやれまったく困った後輩だね、という言葉を聞きたい。


 ……なんで今日の僕はこんなに変態じみているのだろう。

 そんな四六時中先輩のこと考えてないぞ別に。せいぜい24時間のうち2.3時間程度だ。全然まともだろ。


 廊下を走ってはいけませんを忠実に守り、だけどなるべく急ぎ足で。

 下駄箱で急いで靴を履き替え、隣の旧校舎棟に入り部室の前で少し息を整える。

 

「すぅーはぁーすぅーはぁー」


 急いで来たなんて先輩には知られたくない。

 そんなの、まるで僕が先輩に一刻でも早く会いたかったみたいではないか。


 ……良し、このくらいでいいだろう。


「先輩、どうしたんですか? 何か大変なこ――」

「来たか! 大変なんだ。少年たちの股間が腫れてしまった!」


 僕にとっての大変なことは先輩の口からそんな言葉が出たことであった。


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