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100m男 前編

 ぽつりぽつりと雨が降り出していた。

 校庭で1人走っていた男は空を見上げる。

 先ほどまでは雲一つなかった青空が今ではどんよりとした黒い雲が太陽を覆いつくしていた。


 あと1回、走ったらそれで今日は終わりにしよう。


 まだ降り始めとはいえ、少しくらいなら大丈夫だろう。

 将来を期待されていた男は、期待に応えねばと無心で走ることに邁進する。

 

 男が100mの直線を走り始めた――時には雨は小降りからどしゃ降りへと変わっており、男の体を激しく雨が打ち付けていた。


 あと少し、50m……40m……30m……


 体にぶつかる雨が男の体力を奪っていく。風が男の体を後ろへと引っ張っていく。雨風が顔にぶつかり前が見えなくなる。地面はぬかるみ滑りそうになる。


 それでも男は走る。体力が無くなろうと、体に力が入らなかろうと、前が見えなかろうと。転びそうになろうと。


 体に力が入らなければ余計な力が無くなり、最適なフォームへとなるはずだ。

 前が見えないのならば感覚で直線を走る訓練になるはずだ。

 転びそうになる? 前のめりになるなら好都合だ。


 走りながら男は走ることしか考えない。

 どうすればもっと速く走れるようになるのか。

 それだけしか考えない。



 やがて100mを走り抜けた。

 体感にして11秒よりもかかっただろう。

 雨が降っていたとはいえ、これでは駄目だ。


「くそっ!」


 走り終わり、全身から力が抜け、地面へと倒れこむ。

 男は地面に拳を叩きつけた。幸い、地面はぬかるんでいたおかげで男の拳は傷つかずにすんだ。


「もっとだ! もっと速く走らなければ!」


 しかしこの天気では今日はもう練習はできない。

 男はそのまま学校を後にし、家で自主トレーニングに励むことにしようと帰宅路を歩く。


 男は1人だ。

 共に走る相手もいなければ、共に帰る相手もいない。

 とっくに友人達とは手を切った。

 恋人なんて出来ようはずがない。


 学校総出で男を応援していてはくれるが、誰も近寄ろうとしないのは、男が周りを寄せ付けなかったからだ。


「走るのは常に1人。1着は1人だ。他に誰がいようとそれは2着、3着が増えるだけ」


 傘を持っていなかったため雨に打たれながら男は考える。

 なんでこんな生き方になってしまったのだろうと。傘を貸してくれる友人の1人くらいは作っておけばよかったと。


 道路を渡ろうとして信号が点滅していることに気づく。

 自分の足の速さなら間に合うだろう。傘もないことだし早く家に帰りたい。


 そう思った男は急いで道路を渡る――自分の今の疲労を忘れて。


 道路の真ん中に差し掛かったとき、男は自分が倒れる感覚に気づいた。


 足に力が入らない。

 動かそうと思ってもただ震えるだけだ。


 やがて信号は赤となり、停まっていた車が一斉に動き出す。

 男にとってさらに不幸なことに制服は黒である。

 雨の中、不明瞭な道を走る車にとって男に格好は、無いにも等しかった。


「と、止まってくれ!」


 必死に男は叫ぶが、どしゃぶりの雨にその声はかき消される。

 急いでいたのだろう、発信とともに急加速した車は一瞬のうちに男の目の前まで走り――そして男にぶつかった後もしばらく加速し続けていた。


 即死であった。


 頭部は潰れ、内臓に骨が刺さり、腕は異様な方向へと曲がっていた。


 しかし、必死に最後まで守ろうとしたのだろう。

 男の足だけは、どこにも外傷はなく、無事であった。


 男は最後に何を思ったのか。

 次の大会? 捨ててしまった友人? 終ぞできなかった恋人?


 あるいは最後まで速く走りたいと思っていたのだろうか。

 それとも――





「死にたくない、と願っていたのかもしれないね。誰だって死が目前まで迫っていたらそう思うだろうし」

「そうですね。最後まで1人だった男は何を思ったんでしょう。僕だったら恋人ができるまでは死にたくないと思いますし……」


 最後の方は少し声を小さくしてしまう。

 言い出してしまって何だが、途中から恥ずかしくなってしまった。

 これでは16年の人生で恋人が1人もいなかったことがバレバレになるではないか。


 ここはいつもの文芸部の部室。

 学校側に申請した通り、読書をして過ごし、時折文芸誌を発行すれば活動を許されるのだが、この先輩がいればそうはいかない。

 連日快晴が続き、今日も変わらず良い天気だったな。穏やかにこのまま終わればいいな、と思っていたら先輩が何気なく語り出したのが先ほどの話。

 途中からは不幸なよくある話だと思っていたから気が緩んでいた。

 おかげで焦るはめになってしまった。


「ゴホン。それで先輩」

「何だい後輩」


 うっ、先輩がニヤニヤとこちらを見ている……。


「ゴホン。その怪奇談が……いえ、お話がどうしたんですか?」


 もう一度咳払いをし、無かったことにする……が、焦りは別の方へと伝わってしまっていたようだ。

 落ち着け。まだ怪奇談と決まったわけではない。

 確かに先輩のする話は怪奇談がほとんどだけど、今日のは疲れているときは誰かと一緒に帰りましょうね。というわけで後輩と一緒に帰りたい。という風に繋がるかもしれない。


「うん。よく怪奇談と分かったね。実はこの話には続きがあるんだ……」


 はい、ですよねー。

 一緒に帰りたいとかそんなわけないですよね。


「この街には昔から晴天の100m男というのがあるんだけど、君は知らないかな?」





 先輩が語った晴天の100m男をもちろん僕は知らなかった。名前を聞いたことすらない。


 ともかく、先輩が言うには、

 有りえないくらい晴れた日の夕方から街のどこかで100走をしようと男が誘ってくる。断ることもできるらしい。

 断ればそれまでだが、誘いに乗れば、そして100m走で男に勝てれば願いを叶えてくれるそうだ。走っている最中はなぜか通行人は一切いなくなるらしいから純粋に自分の走力で勝たなくてはいけないとか。


 しかし、負けた時の代償はあるらしい。


「生気が少しだけ奪われるんだ」

「生気、ですか」


 生きる気力とでもいうのか。つまり、生気を失えばそれだけ生きる希望を失うらしい。男が奪うのはほんの少しだけだから特に危険はないらしいけど。


「一体この街の何人がその100m男に挑んだのか……それは分からない。俊足自慢が何人も挑戦したそうだが、誰も叶わなかったらしい」


 曰く、あと少しで勝てるはずなのに勝てなかった、と。

 

 あと少しで勝てそう。それが問題らしい。


「これが全く敵わないならそれで諦めるが、あと少しというなら何度でも挑戦するだろう? 自分と相手は拮抗している。もしかしたら今日は勝てるかもしれないと」


 そして勝てば願いが叶うのだ。

 僕だって手が届きそうな勝利を収めれば願いが叶うというのなら挑戦するだろう。代償はそこまで大きくないのだし。


「それが積み重なって今……何人か病院へと運び込まれていった者がいるらしい」

「それは……まずい状況なんですか?」

「いや、少しめまいがした程度らしいがね。しかし、それでも高所でめまいや、それこそ道路でめまいでもしたら死ぬ危険がある」


 危ないな……塵も積もれば山となるというが、奪われた生気も山となれば死となる。


「絶対に先輩は挑戦なんてしようとは思わないでくださいね」


 尤も、そう簡単に会える相手ではないと思うけど。


「ははは。……昨日言ってくれれば考えたかもしれないけどね」

「えっ!?」

「いやほら、最近天気が続いているからさ、探してみたんだよ。まあ倒れた人間がいるのはただの貧血かもしれないけど、もしかしたら実際に100m男がいるからかもと思ってさ……真面目に探していたわけじゃないよ。別に叶えてほしい願いなんて1つか2つくらいしかないし……」


 延々と続きそうな先輩の言い訳は僕のジッと見つめる視線を受け止めると少しずつその勢いがなくなっていく。


「……その、興味本位で探したら見つかったから勝負を挑んでしまいました」

「な、何やってるんですか!」


 しかもその様子だと……


「いや、本当に後少しで勝てたんだよ。後そうだな……何回かやれば勝てる! うん、絶対に勝ってみせる!」

「それ競馬場で馬券買ってるおっさんと同じ言い訳ですよ……」


 駄目だ。

 この先輩もハマってしまっている。


 あと少しで勝てそう。

 願いとか生気が代償とかよりもそれが不味い。


 このままじゃ、先輩も倒れることになる。


「……分かりました。僕が行きます」

「……え?」


 僕の言った言葉が理解できないとでも言うように先輩は首を傾げた。ちょっと可愛い。


「先輩の願いは僕が叶えてみせますよ。僕が勝ちます。なに、昔から足には自信がありますからね」

「後輩……」

「だから、先輩の願いを教えてください」


 これは罰だ。

 仮令、100m男が実在しようとしないと、勝手にそんなことをやった先輩の願いを聞き出してやる。そんな下心満載の僕だ。相手も下心満載だからおあいこだろう。


「…………さい、と言った」

「え?」


 先輩の声が小さくて聞こえなかった。


「…………いさせてくださいって言った」

「だから聞こえませんよ?」


 まだ恥ずかしがっているのかこの先輩は。

 100m男に勝負を挑んで負けたことを恥じんでもう挑まないで欲しいのだけど。


「だから、君と、後輩とこの部室で何時までも一緒にいさせてくださいって言った! 100m男に!」

「お、おう……」


 首を傾げるよりも可愛い先輩に僕はただただ圧倒されていた。


可愛い先輩ほしい

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