ぐうたらばあちゃん 後編
「……本当に味を感じられない」
夕飯は好物のハンバーグであったにも関わらず、何も味を感じられないせいで逆に拷問を受けている気分であった。まだ泥や粘土を食べているほうがマシなのかもしれない。それほど味気のない食事というのは苦痛であった。
翌日、先輩と部室で話した感じでは先輩も似たようなものだったらしい。
「まあ、残り6日間だ。我慢するとしよう。……それと、後輩」
「何です?」
「すまなかったね。私が誘ってしまったばっかりに」
僕はきっと驚いた顔をしていたのだろう。
それだけ先輩の言葉が意外であったからだ。
「何を言ってるんですか。別に問題ないですよ。先輩がそう言ったんじゃないですか。……まあこんなのも経験の1つです」
わざと虚勢を張ってみせる。正直、昼食を終えてから体調が悪い。どうにも食事というのは僕の生活の中で根強く影響を与えていたようだ。
さらに翌日。残り5日間。もはや食事をする行為自体が辛い。生きる意味を見出せないくらいには追い詰められていた。
部室に向かったら、先輩も同様のようで、残りの5日間は食事抜きにしようかななんて苦笑していた。もちろんそれは精一杯の強がりで今にも倒れそうなことは目に取れた。
読書をしようにも集中できずその日は何もせずに一日が過ぎて行った。
またも味のない夕食の用意されたテーブルにつくと、味のないはずなのに僕は別の理由で顔をしかめた。
「今日はセールで1つ10円だったのよ!」
母が今まで見たことのない笑顔を見せ、隣では妹が今まで見たことのない泣きそうな顔をしていた。まだ小学生だから余計にピーマン尽くしの食事は辛いものだろう……。
「……ピーマンだらけじゃないか」
ピーマンの肉詰め(これはまだマシな方)、ピーマンのサラダ(レタスと半々くらいで入っている)、ピーマンの味噌汁(もはや訳が分からない)、ピーマンの炊き込みご飯(訳の分からない品その2)の計4品。
テーブルいっぱいに緑が並び、嫌な臭いを立ち込めさせている。
苦い食べ物を喜んで食べている人の気持ちが知れない。
「はあ……まあいいや。……やっぱり苦い」
苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い苦い。どれを食べても飲んでも苦い。肉詰めはよく見れば肉だねにもピーマンの細切れが入れられているし、味噌汁はピーマンで出汁を取っているんじゃないかと思えるほどの苦さ、サラダはピーマンの苦さを直接味わされるし、炊き込みご飯に至っては苦すぎて味がもはやピーマン以外の何者でもない。
「ああ苦い……あれ? 苦さが分かるぞ」
味覚を失うということはつまり甘さ、辛さ、酸っぱさ、しょっぱさ、そして苦さが分からなくなるということだ。
「苦さだけ分かるとか……?」
クッキーは甘いからその対極とも言える苦さは消せないとかそういうことなのだろうか。
とりあえず明日先輩に報告しないと。
「ふむ……」
先輩に昨日あったことを話すと目を瞑って考え込んでしまった。
しょうがないので考え込む先輩を観察する。
睫毛長いなあ。鼻は少し高め。唇は薄い。体型は……おっと、先輩の目が開いた。
「ふう、分かったよ……おや、どうしたんだい?」
「いえ、何でもないですよー。それで、分かったって何がです?」
「それは君の昨夜の食事についてだよ。ピーマンの苦さが嫌いだなんて可愛いとこもあるじゃないか。しかし、これで私たちは残りの4日間、味のない食事をせずに済むぞ」
おお!
昨日の夕飯がきっかけなら母、ナイス!
「まず結論から言おう。私達が感じられなくなったのは味覚ではない。あのおばあさんの言った通り、おいしいという感覚だけだ」
おいしい……普段の食事でそんなことを意識して感じることは少なかったけど無意識にはそう思っていたのか。
「味覚にはいくつか種類が有ると言うが、どれかしら嫌いになるだろう。あるいは触感でもいい。とにかく、おいしくない、という感情だけは私達は持つことができるんだ」
「おいしくない……」
「だから、君が苦さを感じられたのではなく、苦さではなく苦手を感じたのだよ。他に苦手、嫌いな食べ物はないかい? それならばきっと味を感じることができるだろう」
言われて昨日のピーマン尽くしの食事を思い出す。
あの食事、ピーマンの味が強いと思っていたけど、違った。僕が苦手なピーマンだけの味を感じて、ピーマン以外のおいしい味を感じていなかっただけだったんだ。肉詰めに入った細切れのピーマンの味なんて普通は分からないようにしてあるはずなのに。
「ピーマンの他に苦手な食べ物を挙げていきたまえ。それから、しばらく君の昼、夕食は私に任せたまえ」
「へ? 先輩に?」
「さあ覚悟しておきたまえ。今日から残り4日間、味気の無い食事とはおさらばだ。その代り、地獄の不味さを約束しよう!」
「ああ、美味しい……味が無いわけでもなく、とてつもなく不味いでもなく、ただただ美味しい……」
クッキーを食べてから1週間、168時間が経った。そのうちの72時間の食事は味を感じられず、残りの96時間は先輩お手製の、僕が苦手な材料ばかりで作られた食事を味わわされた。そのおかげで味覚は正常に戻ったのだが。おいしいという感情は怠け者から再び働き者に戻ったというわけだ。
おいしさを取り戻した僕は板チョコを貪り食べていた。もちろん市販品である。本当は先輩の手作りのお菓子でも食べたいところだが、しばらくは市販品の方を求めてしまうだろう。
あの後、何回か『ぐうたらばあちゃん』を訪ねてみたのだが、どう探してもあの店は見つからなかった。別の店になっているとかそういうのではなく、その土地自体がまるで最初からなかったかのように空き地の一部になっていた。
「女子の手料理なんて初めて食べましたけど、まさかこんなシチュエーションになろうとは……もっと美味しいのを期待していたんですけどね」
「私も男子に手料理を振る舞うなんて初めてだよ。次はちゃんと美味しい食事を用意するとしよう。期待しておきたまえ」
次、ですか!
期待してますよ、何時までも!
「しかし意図してまずい料理を作るというのは難しいものだね。どうしても味付けで多少は食べられるくらいのまともな料理になってしまう。さすがに焦がすのは身体に悪そうだし、栄養バランスを偏らせるわけにもいかないしで、ああいうのになってしまったがね」
「いえ、もういいですよ……先輩の苦労を見ていたから食べないわけにもいきませんでしたし」
漢方薬というのは身体によく、それでいて苦いため好んで使用する人は少ないらしい。
しかし、好まれない味が身体に悪いと言われればそれは違う。
身体に良い物は大抵不味いのである。
先輩の料理も同様に、身体に良く、味はかなりひどいものであった。さらには僕の嫌いな食材ばかりを使っているため食べることを身体が拒否しようとしていた。しかし、これを食べなければ味のない、またあの食事を再開する羽目になる。それよりは幾ばくかもマシであった。
「……よし、これでいいだろう」
先輩が机から顔を上げる。
「さっきから何をしていたんです?」
「いやほら、私達が『ぐうたらばあちゃん』に行くきっかけとなった後輩からの手紙に返事を書いていたのだよ。調査した結果と、あまり食べ過ぎないほうが良いよという助言を」
「ああ、なるほど。しかしあのおばあさんは何のためにこんなクッキーを作っていたんでしょうか。最後まで分かりませんでしたよ」
「さてね。案外、普段の食事をもっとありがたみをもって食べなさいっていうとてもとても有難い存在だったのかもね。……ああ、しまった」
「どうしたんですか?」
「これ、どこ宛にすればいいんだ? 宛先が書いてない……」
「どれどれ……」
送られてきたという手紙を読んでみる。内容は先輩が以前に言っていた、『ぐうたらばあちゃん』という店を調査してきてほしいというものであるのだろう。名前らしき場所には一年生としか書いておらず、他には何もない。これを見て先輩は後輩からのだと言っていたのだろう。
しかし、これは……
「先輩」
「どうした後輩?」
「一般高校生は筆で手紙を書かないですよ!」
その手紙はやけに達筆な文字で、しかも筆で書かれていた。内容なんて僕に読めるはずがなかった。
この後が続くのかは分かりませんけどね~
好評だったら書いてみようかはあしと。
まあ書いたとしても怖い話なんて書けないので、こうした奇妙な話系になりそうですが……