『迷信』 その6
普段よりも若干高い声を出して叫んだのは先輩でも僕でもなく、まさかのまさか、きーくんであった。蜘蛛で怖がるキャラではないだろうに……。
しかもミミズは平気だったはずなのになんで蜘蛛が駄目なんだよ、とか思うよりも先に蜘蛛が目に入った。
「あれ……? この蜘蛛どこかで見たような……」
そう、それはそこまで遠くない過去……具体的には昨日の朝……。
「ああ、そうか。昨日の朝逃がした蜘蛛か! きーくん、その蜘蛛踏まないでね」
きーくんが危うく踏むそうになっていたので慌てて注意する。
うん、この曲がった脚は間違いなくそうだろう。他にも脚が折れ曲がった蜘蛛は多くいるかもしれないけど、同じ脚が折れている蜘蛛をそう何度も見かけることはないはずだ。
その蜘蛛はよたよたと頼りない足取りできーくんを通過し、僕の正面、つまりは鬼子母神の眷属を祀る祠に辿り着く。
「うん? ということはまさか……」
蜘蛛が祠に触れる瞬間、祠が光りに包まれた。祠が光り出したのではない。隣の、眷属の子供が祀られる祠から一筋の光が出たかと思うと、その母親の祠を包んだのだ。
光は一瞬であった。一瞬で光は消えた。
「おお、痛くねえ! 腫れが収まってるぞ」
最初に口を開いたのはきーくんであった。
先輩は何があったのか、なぜ蜘蛛が祠に触れたら祠が光に包まれたのかまだ理解していなかったようなので、清水さんがきーくんの快気祝いを祝っているうちに昨日の朝の出来事を説明する。
きーくんは姉である清水さんに抱き着かれて恥ずかしそうだ。僕達の目があるからか、それとも本当に照れているのかは分からない。
「そうか、そんなことがあったのか。それが君が行った見返りのない善意ということだね」
「でも、僕は母さんが不機嫌にならないように、蜘蛛のためを思ってやったんじゃないですけど……」
「それもまた、君は君の母親を想っての行動だろう? 君の母親にしろ蜘蛛にしろ、君は誰かのために行動した。つまりはそういうことだよ」
「そういうことですか」
きーくんが治ったということは街の中で起きていた騒動も解決したといってもいいのだろう。
「ふむ……」
しかしまだ先輩は何やら悩みこんでいるご様子であった。
「先輩、どうしたんですか?」
先輩の視線の先には眷属の子供の方の祠がある。
綺麗に磨かれた祠だ。手入れがしっかりされているのが分かる。
「いや、今回の騒動で分からなかったことがあったのだがな」
「分からなかったこと、ですか」
「少なくともこの子供の方の祠に手を備えている者は、この2つの祠がどういったものか知っていたはず」
「まあ、そうなりますよね」
じゃなければ、とっくのとうに、僕が鬼子母神の眷属に手を備えるまでもなく騒動が起きていたことだろう。
「ではなぜ、この祠が何かを知っているにも関わらず、何の行動も起こさなかった?」
「あ……」
それは……解決するには僕自身が善行をしなければならなかったから……いや、違うな。たとえそうだとしても、僕を探そうとするはずだ。僕を特定しようと、何かしらのアクションを起こしていたはずだ。
だがしかし、先輩も、僕もこの騒動中にそのようなことをしている者に出会うことはなかった。
「私が話を聞きに行ったご婦人は言っていたよ。この祠は聞かれるまで忘れていたと。つまり、それくらいこの祠は知られていないものだった」
「誰か知っている人……それはせいぜい1人か2人ってことなんですかね」
「そうだろうな……」
しかしこれは悩んでいても、考えていても仕方のないことなのだろう。
この騒動は解決しているのだ。ならば、これ以上関わることもない。
再び、同じ騒動が起きたときに迅速に動けるよう、気を付けるだけだ。
「あー! おばあちゃんのお墓に何をしているのです!?」
僕と先輩が話を終えようとしているとき、そろそろきーくんが清水さんを引き剥がそうとしているとき、そんなときに突如、子供特有の高い声が響き渡った。
祠がある場所は入り組んだ路地裏。その入り組んだ道路側を見やると、そこには小学校高学年程の少女が立っていた。
赤いランドセルとポニーテールがよく似合う少女。よく似合うのは少女がまだ幼いからだけではなく、少女の愛らしさが十分に引き立たせられているからだろう。
その少女の手にはなぜか白い花が数輪握られており、逆の手で僕達4人を指さしていた。
「おばあちゃん……? この祠は神様を祀っている祠だよ?」
「でもでも、ここはおばあちゃんが良く来ていた場所なのです! だから、遠いおばあちゃんの本当のお墓には行けないから、ここはおばあちゃんのお墓にしているんです!」
なるほど、亡き祖母のお墓代わりに、ね。
人は死ぬと仏になるって言われているけど、まあここは祠だ。神様だ。
「君は、ここに良く来るのかい?」
先輩がしゃがみ込み、少女と目線を合わせる。
「そうなのですよ! おばあちゃんが死んでからは毎日通っています。言われた通りに、こっちのほうにだけ、手を合わせています」
「言われた通りにって、それはおばあちゃんにかい」
「はい。あっちのほうは何もしてはいけないって言われてるのです。でも、昨日はおばあちゃんのお墓に手を合わせるのを忘れちゃって……だから……」
「だから街で大変なことが起きた。君はそう思ったのかな?」
この子供の祠。それに手を合わせていたのはこの少女だった。しかし、この様子だと恐らくだけど多くは知らされていないのだろう。
「おばあちゃんにはたくさんのことを教えてもらいました……迷信を守ること、お母さんとお父さんを大切にすること、感謝を忘れないこと……まだまだあります」
その割には先ほど僕達を指さしていたが……まあ動揺していたのだから仕方ないだろう。
「それなのに、この祠がどういったものか知らされていないのかい?」
「私が12歳になったら教えてくれるっておばあちゃんは言っていました。でも、先月の11歳のお誕生日の後におばあちゃんは死んでしまって……」
図らずも少女の年齢が分かってしまった。11歳か。季節を考えると小学5年生か。
「それならば私から教えておいたほうがいいだろうな。このお墓は――」
先輩が語る時間はそう長くなかった。
12歳になったら教えられると言われたこの祠の秘密も、実際は半分程度は教えられていたみたいだ。鬼子母神やら何やらまでは、教えられていなかったみたいだが。
それに、少女から教えてもらったこともある。
「この祠?ですか。祠のことを知っていられるのは私の家の人だけみたいなのです。加賀家の1人だけが知ることが出来て、他の人は段々と忘れてきてしまうみたいなのです。ええっと、確か2ヶ月半くらいって言ってたような……」
「2ヶ月半?」
思わず口を挟んでしまった。
何の意味があるのだろう、と口に出したのが、思ったよりも声が大きく、少女に話しかける形となってしまったのだ。
「あ、ごめんよ。ええっと、加賀ちゃんでいいのかな?」
「光里です。加賀光里といいます」
「そうか。じゃあ光里ちゃんって呼ばせてもらうね」
そして本名ゲットである。
1人でこんなことをやっていたら通報ものだろう。
「2ヶ月半か。恐らくは噂だろう」
「噂ですか?」
「ああ、人の噂も七十五日。聞いたことがあるだろう? つまりは2か月半で噂程度のものは記憶から薄れてしまうのだ。言われてみれば思い出す。噂とはそんなものさ」
「それも、この眷属やその子供が何かをしているってことなんですかね……」
「だろうね。完全に忘れられてしまうとそれはそれで奉る者がいなくなって困る。かといって、大勢に知られてもこの『迷信』を悪用されようものならそれこそだ。加賀家の、それも1人と絞ったのは、まあ絞りすぎだとは思うけどそのためだろうさ」
しかしどうなのだろう。
たった1人しか訪れない神様。
寂しいってものじゃないはずだ。
「君はここにお墓参りに来たと言っていたね」
「はいなのです。昨日忘れちゃったから、だからおばあちゃんが怒ったと思って、昨日の分のお花も持ってきたのですが……」
しかしそれは勘違いであった。
おばあちゃんが怒ったのではない。
なにしろここにこの少女の祖母はいないのだから。
「……ここは墓前ではない。神前、つまりは神様のいる場所さ」
「神様……」
「だからこれからは神様にお祈りしよう。おばあちゃんがあの世でも元気でいられるように。君がこれからも健やかに育つように」
「……はい。はいです!」
今度こそ一件落着とばかりに、祠の道から大通りに戻ると、不意に光里ちゃんが
「そういえばお姉さんたちは何でこの祠に来たのですか?」
「なんでって……そりゃこの騒動を治めるためだけど」
不思議なことも聞くものだ。
治めるためにはここに来なければいけないのに。
「えっと……じゃなくて、なんでこの騒動を治めようとしたのですか?」
少しばかり期待を込めた目でこちらを見てくる光里ちゃん。
「ああ、まだ言ってなかったね。それはこの不肖後輩が今回の原因だからだよ。解決するためにはこの後輩がいなくてはならなかったからね」
はい。不肖です。すいませんでした。
「そうなのでしたか……」
光里ちゃんは残念そうに肩を落とす。
どうしたのだろうか。
「君は、もしかして私達が自らこの街をどうにかしようとして、ここに辿り着いたと思っていたのかい?」
「はい。そうなのです……」
「なら、間違いはないよ。この後輩が原因だと気づいたのは途中であって、最初はどうにかしようという気持ちだけで動いたのだから。まあいつもやっていることの延長戦だ。今回は街にまで広まっていたが、いつもこんなふうに不思議なことを探すのが私とこの後輩の部活なんだ」
いつの間にか文芸部の活動は変わっていたらしい。
てっきり、本を読む部活だと思っていたのに。
「そうなのですか! いつも不思議なことを!」
「ああ、だから君も何かあったらぜひ私達に相談するといい。いや、むしろ相談してほしい」
若干下からのお願いになっているが、別に僕はそこまで摩訶不思議な体験をしたいわけではないのだけど……。
「でしたら、ぜひ相談したいことがあるのです!」
おっと、さっそく案件を持ち出された。
「昨日、私がここに来ることを忘れちゃった理由に繋がるのですが……」
そう言って光里ちゃんは語り出す。
ちなみに清水さんときーくんはすでにこの場から去っている。
他の人たちの様子を見に行ってくるらしい。
真面目で良い人たちだ。付き合えばいいのに……あ、姉弟だった。
「実は私のお友達が記憶を失っちゃったみたいなのです! 名前を思い出すことすら出来なくて……」
「名前だと……!?」
その言葉に僕と先輩は固まる。
名前を忘れた。そう、それは僕が文芸部に入部した初日。
その時の出来事を思い出させるには十分すぎる言葉であった。
時刻はすでに夕方。即日解決とは言っても、前日から起きていた騒動だから即日と言えるか微妙なところではあるが、しかしこれから話を聞くには光里ちゃんはまだ幼すぎた。
小学5年生を夕方から縛るのは大変だろう。物理的にではなく、時間的に。物理的に小学5年生を縛るのはいつだって大変なことだ。色々な意味で。
ひとまず、僕と先輩の携帯の番号を光里ちゃんと交換する。すでに携帯を持っているのだから今どきの小学生は進んでいるなぁ。
明日の放課後、場所と時間は光里ちゃんに合わせるという事で一旦は解散した。
僕と先輩もひとまずは解散。お互いに疲れていた。
家に帰り、夕飯を食べ、うだうだと時間の流れをその身で感じているとすぐに夜になった。
寝る支度をしていると、
「うん? 蜘蛛か……」
またも洗面所にて蜘蛛を発見する。
脚が折れてはいないので別の個体のようだ。
「蜘蛛にはお世話になったからなー」
ティッシュに乗せ、窓から逃がしてやる。
蜘蛛のおかげで騒動が収まったようなものだ。とても殺す気にはなれない。
また良いことをしたな、と気持ちよく寝る。
そして、
「遅刻したぁぁぁぁ」
こんな時に限って家族は皆朝早くから出かけていて僕は自力で起きなければならなかった。しかし目覚めには自信があったのに……。
盛大に遅刻をし、なんと起きたのは昼。
昼休みに上手く教室に忍び込むことになってしまった。
朝食も、昼食にもありつけることはできず、散々な目にあった……先生にも怒られたよ。
後で調べて分かったのだが、夜の蜘蛛は殺さなければいけないらしい。
時間でやること変わるとか、迷信複雑すぎるでしょ……というか、眷属の力もう無くなったはずでしょ!?




