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『迷信』 その5

 鬼子母神。

 それは、人食いでありながら慈愛に満ちた子供と安産の守り神。自らの子供に栄養を与えるため多くの人の子を殺し喰っていたが、釈迦により改心したという。

 食べられた子の親にとってはとんでもないことだが、子授かり、安産、子育てといった子共に関する神である。何を良いやつぶっているんだとでも、親ならば言うだろうか。

 しかし子のためなら親は鬼にもなる。これは人も同じであろう。

 それこそ、子のために人を殺す親がいたなんて事件は歴史を紐解けばいくらでも出てくる。


 だから、子のため、子を守る神としては鬼子母神は打って付けだったのだろう。


「『迷信』とは教育だ」


 先輩は言う。


「例えば、『夜に爪を切ってはならない』。これは夜、灯が乏しい頃に爪を切ると深爪や怪我に繋がると考えられてきたからだと言う。『寝てすぐ横になると牛になる』は消化に関するのだろう」


 鬼子母神……子育て……教育か。


「『ミミズにおしっこをかけると股間が腫れあがる』。これも同じだね。ミミズの出す体液は噴水のように飛び上がることがある。その体液に含まれる細菌が股間に付けば腫れるのだろう。子供は背が低いから地面と股間の距離は大人よりも近いのだろうな」

「だ、だけどよ……俺は子共じゃないぜ」


 と、ここできーくん。


「まああくまで『迷信』は『迷信』だ。絶対に起こることでもないし、起こったところで実際はそこまで大したことがないのかもしれない。牛にならず多少胃の調子が悪くなったりね。だけど、今回は神が関わっている。名はないかもしれないが、それでも鬼子母神というれっきとした神の眷属だ。力は本物だろう。起こるはずのない『迷信』を起こすくらいには」

「だから……俺や他のやつらは苦しんでいるってことか。いわばこれは躾のための痛み……」

「そうだ」

「じゃあこれって……善意から成っているものなんですか?」


 躾と聞いて悪か善で線引きをするなら、言い方次第では悪と捉えられるかもしれない。教育とはまた違った、一方的な考えの押し付け。稀に暴力すら伴って、ともすれば教育を違え、躾を越え、ただのDVとさえ堕ちてしまうもの。


 誰かが誰かに教えることがいかに難しいことを示している。

 両者が互いに納得した上での教育とは、教えられる側が教えられているという姿勢をとらなければならないのである。


「善か悪か。その2つではカテゴリーできないことはこの世に多い。この世でも、あの世でも。だから私達がどう捉えるかで、これが私たちの為になっているかで判断しなければならないんだ」

「……そして今回の『迷信』はきーくんや他の人たちにとって迷惑、か」

「難しいなら行き過ぎた教育と捉えるんだ。行き過ぎないように、私達が取り戻せる範囲の教育に戻せるように私達が動けばいい」


 何とも難しい話になってしまった。

 善と悪。

 しかしその討論をしている場合ではなかった。


 きーくんの表情が今までよりも更に歪んだのだ。


「ぐっ……うぅ」

「きーくん!? ねえ、大丈夫なの? 先輩、これ大丈夫なんですか!?」


 清水さんは慌てたように叫ぶ。その顔はきーくんよりも苦しそうである。


「……力が戻ってきているのか?」


 先輩が呟く。


「後輩。実はもうある程度まではこの対処法は分かっているんだ。この街のどこかに2つの神が祀られた祠がある。片方がその鬼子母神の眷属。そしてもう片方がその眷属の子共とされる神だ。眷属の力を抑えるためにあえて子供のみを崇め奉り、眷属には何もしない。神はいる、しかしその神を崇めないことで力がないということを示している。今回、その眷属を誰かが崇めたことにより眷属の力が取り戻され、抑えていた子供を越えようとしている」


 先輩の説明とともに僕の表情がきーくんよりも険しくなっていく。

 2つの祠……それってまさか……


「行き過ぎた教育を跳ね除けるには子供が強く反抗しなければならない。第三者がそこに介入することは許されない。だから、その崇めてしまった誰かを探し出し、眷属の祠に連れていかなければならないのだ」

「で、でもそれって……」


 清水さんがきーくんの方を見ながら口を開く。

 どうやら話は聞いているようだ。


「その誰かを探すのって……この街のどこかから? 何日かかるの……」

「ああ、それがこの件の2つの難題の1つだ。まずはそれをクリアしなければならないのだが……」


 先輩もこれには自信なさげに言う。

 この街の住人は軽く見積もっても5千人。山が近いこともあり、そこまで多くはないのだが、5千人から1人を見つけるのは砂漠から針を見つけるようなもの。

 だけど、


「安心してください先輩」


 ここで僕が自信たっぷりに先輩を安心させる。


「僕が……やりました」


 そして一転して自供するように僕は先輩に罪を認めた。





「なるほどね。まあ君も良かれと思ってやったことだ。私からいうことは何もないよ」

「先輩……」


 やっぱり先輩は優しいなあ。

 しかし先輩は次に、鬼の形相で苦しむきーくんとそれを支える清水さんを指さした。


「私からはないが、この2人からはどうだろうね?」

「先輩……」


 助けてください悪気はなかったんです。

 ただ錆びれていた方に同情してしまっただけなんです。


「その……ごめんなさい」


 しかしいくら心の中で言い訳をしようとも言葉では素直に謝罪する。

 謝るなら早いほうが良い。こちらにとっても、あちらにとっても。

 わだかまりなんて無いほうがいいに決まっているのだ。


「私は……私は別にいいけどきーくんは? 一番痛い思いしたのってきーくんだから……」


 清水さんは許してくれるみたいだ。

 しかしその隣にいるきーくんはというと……ギロリと睨んでいた。勿論その視線の先には僕。

 すいませんすいません。土下座ならいくらでもするので殺すのだけは勘弁ください。痛いことしないでください。


「俺はな……この痛みを誰かに押し付けられるなら押し付けてやりてえって思ったことは昨日から何回かあった。だがよ、それは自分への気休めに思っただけだ。実際に押し付けられる時に押し付けるようなことはしねえ」

「きーくん……」

「俺はこの痛みを俺のものとして受け入れる。他の誰かが耐えられなかったかもしれなかった痛みが俺のもので良かったと、苦しいのが俺で済んで良かったと、そう思っている。……まあ他のやつらも苦しんでいるんだけどよ、それでも俺は別に誰かを責めることはしねえよ。悪気があってやったんじゃないなら、お前はすでに謝った。それで俺にとっては済んだことだ」

「ごめん……それと、ありがとう」


 謝罪をしなければいけない人は数多くいる。

 だが、その前にやらなければならないことがある。


「先輩。僕が眷属の祠のところに行って、そしてどうするんですか?」


 すでに僕らは歩き出している。

 目的地はあの2つの祠があるところへ。


 僕が自宅への帰宅路途中の場所であり、清水さん宅からも近い。5分も歩けば到着するだろう。

 だからその間に僕がしなければいけないことを聞いておく。

 特別な儀式が必要だとか、何か道具を用意しなければいけないのなら、儀式や道具の準備をしなければならない。


 だって、神様を鎮めなくちゃいけないんでしょ?

 生半可な気持ちでは挑めない。それこそ、軽い気持ちで祠を掃除したとき程には浮かれていられない。

 聖水だとか清めた水だとか、神事の服装とかないけど大丈夫なのだろうか。先輩の巫女服なら是非とも拝みたいところではあるが。


「うーんとね……ちょっと待っててくれ。清水さんの家の近所のお婆さんがくれたメモがあるから……」


 先輩が一枚の折りたたまれた紙を取り出す。よく見たらチラシの裏紙である。

 何だろう。こういった緊張した雰囲気にチラシって似合わないな。チラシは全く悪いわけじゃないけど。


 先輩の持っているメモを覗くとそこには何やら筆で書かれた文字があった。

 覗いたあげく、何が書かれているのか分からないので、後ろで期待した目で見ている清水さんときーくんに僕は首を横に振った。

 先輩が読み上げてくれるのを待つのみだ。


「なになに……まずは鬼子母神の眷属の祠に行きます。すでに子供の祠には何をしても意味がないので、時間の猶予が無いときはそちらは無視しても構いません」


 随分とバッサリしているな。

 子供を無視したら可哀想だろうに。ネグレクトだよ。


「鬼子母神の眷属の祠の前に来たら、それはもはやあなたの母親と思ってください。そして、もうあなたは十分に大人であると、示してください」

「大人であることを示す?」


 おいおい。

 急にアダルティな話になってきたではないか。

 大人か子供かで言えば僕は子共だ。……とかいう告白は多分、この状況では間違っているだろう。


「大人であることを示すには良いことをしましょう。それも、見返りを求めない善意を。……ここでメモは終わってるね」


 先輩がメモを読み終わると同時に祠の前に着いた。

 さあここからが本番だ。

 僕が、僕だけが街を救える。尤も、これは僕自身の尻ぬぐいなのではあるが。


「って、善意って何ですか!? それも見返りのないって……」


 今から善行を積むってこと?

 時間ある? 今からやって


「あー、コホンコホン。何だか急に咳き込むなー。誰か背中でもさすってくれないかなー」


 若干の棒読みを感じながらも、清水さんが急に咳をし始める。


 ……何をやっているんだろう?


 ハッ! そうか!


「大丈夫清水さん? 僕で良かったらさするよ」


 と、咳き込む清水さんをいたわるように背中をさする。

 さすること1分。早くも周囲の目が痛くなってきた。羞恥心が僕の中で大きくなり始めていた。


「そろそろ大丈夫そう?」

「うーん……まあこのくらいで大丈夫かなー」


 なんともまあ適当さ極まり加減で清水さんはケロっとした顔でそう言った。


「さあどうだ! 果たしたぞ見返りのない善意!」


 しかし何も起こらない。


「……あれ?」

「おかしいな」


 僕と清水さんは首を捻る。頭を傾げる。

 ……が、僕はこの状況をおかしいとは思わなかった。いやまあ、迷信蔓延るこの状況がおかしいかおかしくないかと言われれば、おかしいのだが、僕と清水さんの漫才の結果が今の状況を打破することにならずとも、僕はまあそうだよなとしか思わなかった。


「何でだろうなー?」


 おかしいと思っているのは清水さんだけである。

 きーくんは元より、先輩ですら清水さんと……不本意ながら僕を冷めた目で見ていた。


「ようし、じゃあ次の手だ!」

「えぇ……」


 清水さん次の手もやるの……。


「たぶん無理だろうな」


 と、清水さんを止めたのは先輩であった。


「見返りのない善意。つまりは、この『迷信』騒ぎを治めるという見返りを求めていくら善意を行おうが、解決しようという見返りを求めている時点で駄目なのだ」

「……見返りのない善意を意識してしまった時点でそれは善意に見返りが発生してしまっているということですか?」

「そうだ」

「そんな……じゃあどうすればいいの?」


 清水さんの叫ぶような問いかけ。

 解決策があると思われたそれは無理難題に等しいのだ。

 つまり、きーくんの苦しむが晴れないということ……。


「じゃあどうすればいいんですか!?」


 再度問いかけるのは僕。僕としても、一刻も早くきーくんを助けたい。


「難しいのだが……やはり一旦見返りというものを忘れるか、もしくは意識せずに善意……例えば蹴った小石が凶悪犯に当たって逮捕のきっかけになったとかだが、それはとてつもない偶然を待つ他ない。後は……」

「後は?」

「君が以前に行った善意の礼を誰かがしてくれればいいのではないかと、私は思う」


 そう、先輩が言った時だった。


「うわっ!? 蜘蛛だ!」


 叫び声が聞こえた。


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