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ティアドロップ -せんせいと少女たち-  作者: かつらうみひと
それぞれのいきさつ
16/32

アップルシナモンカスタードホイップ3■

※流血表現があります。苦手な方はご注意下さい。

 身体がおかしい。

 起きるなり、らいかは異変に気がついた。

 いままではこんな事なかったのに。


 昨日の夜も、折檻の最中に気を失い、盛大に失禁したようであった。

 都落ちした奴が鞭打たれるのを愉しむショーは途中でお開きになったようだけど、もしかしたら今日は昨日の分まで叩かれるかもしれないと思った。


 上体を起こすと急に気持ちが悪くなり、胃の中身を吐きだす。


 晩ご飯は食べなかったので黄色い胃液だけが噴出して、すでに濡れた床に上書きされる。


 片付けないと。


 起き上がる時に「もしかして痛くて立ち上がれないのでは?」と心配したが、それは杞憂であった。

 でもその時に左足を見ると、ぼろ切れを巻いた足は右側の倍以上に腫れあがっていた。

 剥がして見る勇気はないのでそのまま放っておく。


 ゴシゴシと床のモップ掛けをしながら、窓の外を確認する。

 日はすっかり昇りきってしまい、今はお昼過ぎだろう。

 こんな時間まであばら家に居たことはなかった。

 もしかして具合が悪ければ寝て居ても良いのだろうか? じゃあずっと寝ていたい。はたらきたくない。


 掃除が終わると、らいかはまた寝床に倒れ伏し、そのまま眠りに就いた。


 …………。


 次に覚醒した時には、夕方だった。

 帰ってきた子供達が歩き回る振動や、賑やかな話し声が遠くで鳴っているように感じる。


 目を開けると一日中サボっていた事がバレてしまうので、目をつぶって狸寝入りをする。

 ハナコを含む数人の少女達が近づいてきて、すぐそばで話をしている。


「まだねてるよ」

「ウケるー」

「超おもらししてたもんねぇ、恥ずかしいなぁ」

「いびきもやばかったよ」

「しぬかな?」

「しぬかもね」

「足やばいしね」

「なんでこんなになってるの?」

「バカだからでしょ?」

「ウケるー」


 なんとでも言うといい。

 治ったら真っ先にやり返してやる。

 らいかはそう心に誓った。


 話の最中、二、三度蹴っ飛ばされたが、らいかは頑なに狸寝入りを続行した。


 得体の知れない部分は怖いのか、少女達もぼろ切れを剥ごうとはしなかった。

 そのうち飽きたのか、人の気配がなくなる。


 途中、鬼婆が来た気もするが、特に何かされた記憶はない。

 夢と現実の境目が曖昧だ。

 らいかはまた夢の世界へ落ちていった。


 …………。


 夜中に目がさめる。

 周囲が寝静まっていることを確認してトイレに行こうとしたが、月明かりが弱く、この足ではうまくたどり着けそうになかった。


 我慢する。


 …………。


 目を覚ます。

 オレンジ色の光が部屋に射している。

 今がいつなのかはわからない。

 ぶーんぶーんという何かの音が耳触りだが、寝られないほどではない。

 目を閉じる。


 …………。


 目を覚ます。

 今日は少し調子がいいかもしれない。

 人が居ないのを確認してから目を開ける。

 足を確認すると、腫れは少し引いてきているみたいだ。良かった。


 でも、つま先の方は妙に黒ずんでいた。

 それに、ハエがたかっている。


 おそるおそるぼろ切れを剥いで見ると、その裏側にはびっしりと米粒のような虫が付いていた。


「ひっ」


 ぼろ切れを放り投げる。

 投擲の力も足りず、ぼろ切れはらいかのすぐ近くにべちゃりと着地した。


 足に巻き付いたビニール袋は、中が血とも泥水ともつかない液体で満たされていて、傷んだ臭いが鼻をつく。


 どうなってしまったんだろう。彼女にはどうすればいいかわからない。


 新しく巻くぼろ切れを探して這いずっている間に、また意識は遠のいて行った。


 …………。


 目を覚ます。

 下半身がぐっしょりと湿っていて不快だ。

 どうにかする気力もない。

 目を閉じる。


 …………。


 目を覚ます。

 いつものあばら家ではなかった。

 ゴツゴツとした石のような塊がいくつも身体の下にあるようだ。

 身じろぎするとガサゴソと騒がしい音がする。


 知らぬ間に何処かに運び出されたのかもしれないとらいかは思う。


 昨日の夜、汚物まみれで虫の息になっていたらいかは、もうダメだと判断した鬼婆の命令によって、野外のゴミ収集庫に投棄された。

 ……失神していた彼女は知る由もないが。


 ここがどこか確認をしたいが、目脂がこびり付いてうまく目を開ける事ができない。

 手で擦ろうにも、もう腕を上げる体力も気力も残っていないようだった。


 再び意識を手放そうとする。

 もう目を覚ます事はないかもしれない。


 でも、

 ……それは。

 それだけは嫌だった。


 根源的な恐怖から来るものかもしれないし、彼女の意志の強さに依るところかもしれない。


 頭の奥の方がちかちかと瞬いて、らいかの目はカッと開いた。


 幸いにして、ゴミ収集庫の中にいるわけではなく、その横にうつ伏せに転がっているようだ。

 よかった、と思う。


 鋼鉄の扉の中に居たら助けを求めることも出来ず、詰みだったからだ。


 それでもここは路地裏。

 人通りもなく、助けを呼ぶ大声を上げようにも何日も飲まず食わずで喉はカラカラだ。

 喉は壊れたラッパみたいに空気を送り出すだけで、これでは到底繁華街まで声を届けることなんて出来ない。

 そもそも、お腹に力を入れて声を出す力なんてもう残っていないのだ。


 それでもこの想いは。


 生きたいという叫びを上げなければ。

 助かる見込みなんてない。


 ふと、

 すぐそばに何かの気配を感じた。

 人ではない。

 たぶん。


 うつ伏せに倒れ伏したらいかには確認のしようもないが、その何かは「まかせて」と言ったような気がした。


 直後、風切り音がして、近くの壁が弾ける音がする。

 大きな音がすれば誰かが見に来てくれるかもしれない。

 だが、まだダメだ。

 もっと、もっと大きな音を。


 それに呼応するように、今度は風切り音と轟音がほぼ同時に聞こえた。

 ゴミ収集庫が大きな音を立ててひしゃげたのだ。

 それでも、すぐに人が来るわけじゃない。


 自分がいる事を示すための導が必要だ。


 らいかは、残った気力を全て込めて、ようやく一言「お願い」と呟く事が出来た。


 そして3度目の風切り音は、路地裏を抜けて遠く遠くまで飛礫つぶてを運び、賑やかな市場の中でもとりわけ人通りの多い花屋の屋根で、くるくると回る風見鶏をぶち抜いた。


 辺りは一瞬だけ騒然とするが、まるで何事もなかったかのように、直ぐに元どおりの人の流れに戻ってしまった。


 彼女の想いを誰も受け取らずに……。


 いや、


 一人、壮年の男は、風見鶏のカケラを拾うと、その嘴の指す先、路地裏の薄闇をじっと見ていた。


 ***

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